16:実家
アリシアの実家は王都から遠く離れた場所にある。
王族の親族や今の王国が形成されるに当たって急襲された他国の皇族出身の家系に与えられる公爵位を持つハトルストーン公爵家やレイモンド公爵家は、王都に比較的近い領地を持っている。
アリシアの家、プリムローズ家に与えられている子爵位を持つ家は王都から離れた場所に領地が与えられる。
かつて、この国がまだ乱れていたころ、貴族たちの反乱を恐れた王族が自分たちの周囲を身内で固めた名残だとか。
ハトルストーン公爵邸を出立したアリシアがプリムローズ子爵領に入る頃には朝日が昇り始めていた。
のどかな田園風景が広がる領地を車窓から眺めながら、アリシアは「帰ってきた」という感慨にふけっていた。
最後に帰ってきたのは半年前の夏休暇の時。
流石にこの辺りの景色に変化はないけど、町に入ると小さな変化が色々と目に付く。
帰省するたびにその変化を探すことが楽しいし、ちょっぴり寂しい。
田園を過ぎ、小さな村を抜け、遠くに小さな町が見えてきた。
町の中に入ると、馬車の中のアリシアに気付いた町民が手を振ってくる。
アリシアは柔らかく微笑みながら手を振り返し、馬車は町の奥に建つ屋敷へと吸い込まれる。
ハトルストーン公爵邸を比べると遥かに小さな屋敷。
庭園、というよりは少し大きめの庭の中を抜けて、屋敷の前で馬車は停まった。
「ありがとうございましたっ」
扉を開けてくれた御者にお礼を言って革鞄を手に屋敷へ向かう。
まるで見計らったかのように玄関が開き、中からメイド服を着た壮年の女性が現れた。
「ばあやっ」
「お帰りなさいませ、アリシア様」
「ただいま!」
アリシアを出迎えた女性の名は、マーガレット。
この町の生まれで、アリシアが生まれる前からプリムローズ子爵邸でメイドとして働いている。
駆け足でマーガレットの下に走り寄ると、「はしたないですよ」と窘められてしまう。
革鞄をマーガレットに預けながら屋敷に入ると、玄関ホールの脇のソファに眠り込んでいる二人の人影が目に入った。
「アーロン、ソフィー……」
ソファを覗き込み、人影の正体を確認する。
二人は、アリシアの弟妹だった。
アリシアの二つ下の弟、アーロンと四つ下の妹、ソフィー。
二人はなぜかソファに寝転んですーすーと気持ちよさそうに眠っていた。
アリシアが状況に戸惑っていると、後ろでマーガレットがクスクスと笑う。
「お二人とも、アリシア様のお帰りを待つと、ここで夜遅くまで起きていらっしゃったんですよ」
「それで、そのまま寝たってこと? 仕方ないなぁ……」
口ではそう言いながらも、アリシアは頬を緩めながら二人の髪を軽く撫でる。
「アリシアちゃん、帰ったのね」
「っ、お母様、お父様!」
声がした方を見上げると、両親が二階から姿を覗かせていた。
変わりなく元気な姿にアリシアはほっと胸を撫で下ろしつつ、弟妹を起こさないように静かに二人から離れた。
◆ ◆ ◆
「アーロンたちのこと、起こさなくてよかったの?」
食堂でマーガレットが用意してくれた朝食をとりながら、アリシアは食事の席についている両親に問いかけた。
移動の疲れもあって眠ろうと思っていたが、朝食の用意があると言われて折角ならとご相伴にあずかることにした。
まだ玄関ホールのソファで眠ったままの弟妹について触れると、アリシアの母、ローズは肩を竦めた。
「いいのよ。いい年になって子どもなんだから、まったく」
「それだけアリシアのことが待ち遠しかったんだろう。可愛いじゃないか」
父、サイラスが苦笑交じりにフォローする。
「それよりもアリシア、ハトルストーン公爵邸での生活は変わりないか?」
「も、もちろん。フィオナ様にも良くしてもらっているし、最近入ってきた子もとてもいい子なの。コリー子爵家の方なんだけど」
「ほう、コリー子爵家の」
アリシアの話しに関心を持ったサイラスが唸るのを眺めながら、アリシアは密かに表情を強張らせていた。
(まさか、フィオナ様の代わりに社交界デビューしたなんて言えないものね)
ついうっかり零してしまわないように注意しながら話題を広げる。
「あと、ハンナが……あ、エルトン子爵家のご令嬢が、屋敷を去ったの。婚約者と結婚することになって。式は建国祭が終わってから挙げるみたいだけど」
「それはおめでたいわね」
「そうだな。……そういえば、確かアリシアと同い年だったな」
サイラスの呟きに、アリシアは余計なことを言ってしまったと身を固くする。
アリシアの予想通り、ローズが身を乗り出し気味に話しかけてくる。
「そうよ、アリシアちゃん。貴方も結婚のことを考えないと。誰か気になってる人はいるの?」
「社交界デビューもまだなのに、そんな人いるわけないじゃない」
「あら。何も社交界だけが出会いの場じゃないのよ? お父さんなんて私が働いていた酒場で――」
また始まった、とアリシアは肩を竦める。
気付けば二人は惚気話を始めた。
アリシアはそれを聞き流しながら久しぶりのマーガレットの食事に舌鼓を打つ。
「――ということなんだから、アリシアちゃんもいい相手を探さないと」
「そうだ。家のことは考えなくていいから、アリシアのことを大切にしてくれる人を探しなさい。もしあれなら、わたしの方で探してもいいぞ?」
「ま、まだそういうのはいいからっ」
暴走気味の二人を宥めていると、バタンッと食堂の扉が大きな音を立てて開いた。
「姉さま!」
「姉貴!」
寝ぐせをそのままに慌てた様子で現れた弟妹に、アリシアは心の中で「ナイスタイミング!」と歓喜の声を上げる。
「どうして起こしてくれなかったんだよ!」
「あたしも姉さまと一緒に食べたい!」
わぁわぁと不平不満を垂れ流す弟妹の登場で、両親の話の矛先は二人の貴族らしからぬ立ち居振る舞いへと向かった。
四人のやり取りを聞きながら、アリシアは静かにティーカップを傾けた。