14:嘘と真実
ハトルストーン公爵邸へ帰ったアリシアが自分の部屋の前へ戻ると、扉に一通の手紙が挟まれていた。
両手は子どもたちからのプレゼントで塞がっているので、一旦部屋の中に入る。
プレゼントをテーブルの上に置いて、床に落ちた手紙を拾い上げた。
裏を見ると、アリシアの実家、プリムローズ子爵家の封蝋がされていた。
「わたしの社交界デビューについてかな」
開けて今すぐに読みたい気持ちを押さえ、着替えを持って湯浴みに向かった。
部屋着へ着替え、ぴょこぴょこと跳ねてしまう髪を梳かすついでに抑え付ける。
ようやく準備ができたと、一つ気合を入れて封を切った。
手紙の内容はアリシアの予想通りのものだった。
一月後にレーン侯爵の家で開かれるパーティーへ招待された。
そこがお前の社交界デビューの日になる。
二日前には帰ってくるように。
要約するとそんな内容。
「ついに、わたしも社交界デビュー……」
社交界デビューを果たせば一人前の令嬢として扱われる。
侍女としての行儀見習いも卒業することになるだろうし、結婚相手も探さなければならない。
令嬢にとっては花の舞台ではあるが、すでにフィオナとしてその場を経験しているアリシアにとっては少し感動が薄かった。
とはいえ、フィオナの時とは違いあくまでも子爵令嬢であるアリシアはパーティーの主役になるわけではない。
気楽にやろう。
そんなことを考えていると、突然扉が叩かれた。
控えめな音に誰だろうと歩み寄って扉を開くと、廊下には髪が乾ききっていない状態のフィオナが立っていた。
「フィ、フィオナ様。どうされたんですか?」
「アリシア、髪を梳かしてちょうだい」
「わたしがですか?」
アリシアは今日一日休暇を貰っている。
だから、普段はしているフィオナの寝る前の支度なども別の侍女が変わりに務めているはずだ。
アリシアが聞き返すと、フィオナは少し照れたように言った。
「アリシアじゃないとダメなのよ」
「……わかりました」
我儘なお嬢様に、アリシアは苦笑した。
「わたしが屋敷を出て行ったらどうされるおつもりですか?」
フィオナの私室で彼女の髪をタオルで乾かしながらアリシアは訊ねる。
「アリシア、出ていくの?」
「すぐにではありませんけど、先程実家から社交界デビューの話が来まして。来月にはわたしも社交界デビューすることに」
「……そう」
フィオナは寂しそうに顔を伏せた。
社交界デビューを果たしたからと言って、侍女を辞めなければならないわけではない。
例えば侍女長のように、二十一歳でも侍女としてこの屋敷に仕える人もいる。
でもそれは貴族同士の家の繋がりを深めるといった意図があり、あまりそうした野心のないプリムローズ子爵家にとっては関係のない話でもある。
少し暗い空気の中、アリシアはフィオナの髪を乾かし終え、ブラシで梳かす作業に移る。
「そういえば、今日のランデブーはどうだったのかしら」
突然振られたその話題に、アリシアは思わず息を呑んで固まった。
その反応に鏡の中のフィオナが笑う。
「その様子だと、わたくしのイメージを下げるという作戦はやっぱり失敗したみたいね」
「や、やっぱりってなんですか。……確かに失敗しましたけど」
「だってあなたいい子ですもの。パーティーのような場所ならいざ知らず、長い時間近しい距離で言葉を交わすランデブーで自分を偽れるわけないわ」
「……フィオナ様に得意げに説明されるの、なんだか釈然としないです」
いい子、と自分を評してくれたことに照れながら、その照れ隠しも兼ねて憮然とした表情で言う。
「それに笑い事じゃないんです。このままだと、クライヴ様が……わたし、どうすれば」
「もういいんじゃないかしら?」
「えっ……」
「あなたは言いましたわよね。クライヴ様がわたくしのことを本気で愛している、と」
「言いましたっ」
「でしたら、どうして彼はあなたがわたくしではないと見抜けないのかしら?」
「――――」
淡々と説き伏せるようにフィオナが語り掛けてくる。
「本当に、心からわたくしを愛しているのでしたら、あなたがわたくしではないと見抜けるはず。そうではなくて?」
「それは……」
「アリシアは騙されているのよ。恐らく、彼はわたくしを愛したというよりも、わたくしの公爵令嬢という地位に魅了されたのでしょう。アリシア、あなたは少し純粋すぎるところがあるわ」
「そんなことない、です」
アリシアは今日のランデブーを振り返る。
彼がこちらを気遣う様子、言葉遣い、立ち振る舞いに至るまで、どれもが自分を――フィオナを心から愛しているからこそのものだった。
少なくともアリシアはそう感じた。
だけど、フィオナの言葉も一理あるような気がする。
「大体、わたくしの社交界デビューの場で突然求婚してきたのも、今にして思えばおかしい話ですわ。きっと断れない状況だと見通したうえでのことでしょう」
公爵家の婚姻が結ばれることは殆どない。
大きな権力を持つ両家が結ばれることで、他の貴族たちとは一線を画した権力が生まれてしまうからだ。
だが、あの場で異を唱えられるものはいない。
フィオナが語れば語るほど、それが真実であるかのように感じてしまう。
(で、でも……、だけど――ッ)
――貴方が僕に嫌われるために何をしようと、僕の方から貴方を嫌うことは絶対にない。
自信満々にそう言い放ったクライヴのあの言葉が嘘だったとは、どうしても考えられない。
「フィオナ様がどう言われようと、やっぱりクライヴ様はフィオナ様のことを心から愛しておられます」
アリシアは話した。
今日一日のことを。
孤児院の一件や、道中での彼の様子。
劇場を出てからのひと時に至るまで、事細かく。
「アリシア、あなた……」
ふと、フィオナが何かに気付いたように目を見開いた。
何かを言おうと彼女の口が開く。
しかし、寸でのところで声を出すのをやめて、代わりに首を小さく横に振った。
彼女の髪を梳かしながら、アリシアはその様子を不思議に思った。
◆ ◆ ◆
夜の帳が下りて真っ暗になった街道を、クライヴを乗せた馬車がよどみなく走り続ける。
フィオナをハトルストーン公爵邸へ送り届けたクライヴは、一人になった車内でぼんやりと前の席を眺めていた。
先ほどまでフィオナが座っていたそこに、彼女の姿はない。
クライヴは小さく息を吐き出して天井を見上げると、ゆっくりと目を閉じた。
瞼の裏には今日一日のことが思い起こされる。
公爵邸のホールに現れた彼女のドレス姿を目にしたときの胸の高鳴りを覚えている。
王都への行きの道中、少し素っ気ない彼女に不安を抱いた。
寝不足なのか、自分とのランデブーがそんなにも嫌だったのか。
しかしその不安も王都に着くと杞憂であったと気付けた。
孤児院で子どもたちと遊んでいたフィオナ。
彼女の柔らかな表情や態度は、クライヴの知っているものだった。
それを見て、クライヴは彼女が演技をしているのだと気付いた。
時間が経つにつれ、油断からか彼女は時折優し気な笑顔や態度を見せてくれるようになった。
その表情一つ一つに目が奪われる。
「……楽しかったな」
ポツリと零す。
今日一日の、嘘偽りのない心からの感想だった。
とはいえ、クライヴが楽しめても仕方がない。
彼女に――フィオナに楽しんでもらえていなければ。
「彼女は、楽しんでくれただろうか」
帰りの車内で訊ねた時、フィオナは「別に普通でしたわ」と素っ気なく答えた。
その物言いが演技であることはわかっても、彼女自身が楽しめていたかどうかはわからない。
二か月後には建国祭がある。
恐らく、自分と彼女がこの関係を続けられるのもそれまでだろうという予感があった。
その時までに、クライヴはフィオナの心を奪わなければならない。
クライヴの意識が遠のき始める。
一人になって、睡魔と疲労がどっと襲い掛かってきた。
意識が完全に飛ぶ寸前に脳裏をよぎったのは、ハンカチで泥団子を包んでいたフィオナの姿だった。
「あのハンカチ……あの時と同じ柄だったな」
声にもならない声でそう零しながら、クライヴはそのまま眠りに落ちた。