13:夕日のせい
王都に着いたときは澄み渡る青に染まっていた空も、今はすっかり斜陽に照らされて茜色に輝いていた。
馬車に揺られながら外を覗いていたアリシアは、夕空と背後の王都を眺めながら今日一日を振り返っていた。
(あっという間だったなぁ)
朝早くにハトルストーン公爵邸を出立して、王都に着いて、孤児院に寄って、レストランで昼食をとって、そして劇場で演劇を観る。
それだけで気が付けば一日は終わってしまった。
帰路の時間を考えるともうこの時間には王都を出なければならない。
朝、馬車に乗って迎えに来たクライヴとのやり取りが遠い過去のようにも感じられる。
とはいえ、ランデブーが無事に終わることに安堵が半分と、目的が達せられていないことへの不安が半分。
せめてこの帰りの車内では素っ気なく過ごさなければ。
アリシアが気合を入れ直していると、クライヴが声をかけてきた。
「今日はどうだったかな。楽しんでもらえた?」
「別に普通でしたわ」
「――ぷっ」
「ど、どうして笑うんですの」
突然口元に手を当てて吹き出したクライヴを強気に睨む。
すると一層笑みを深めたクライヴはひとしきり笑うと、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら「いや、すまない」と形だけの謝罪をしてくる。
「フィオナ嬢の演技が些か下手過ぎて、つい。貴方にはそういう振る舞いはらしく無さ過ぎて合っていないよ」
「え、演技、ですか?」
ドキッとする。
なんとか平静を装うアリシアに、クライヴは頷き返す。
「行きの道中は眠たいのかとも思っていたが、王都での貴方を見ていたら気が付いたよ。わざと素っ気なく振舞おうとしていたんだと」
「――っ」
(み、見抜かれてる)
顔が熱くなるのが自分でも熱くなった。
そんなアリシアを見て、クライヴは小さく笑う。
「ほら、やっぱり」
クライヴは自身の頬を指差して少し嬉しそうに言った。
アリシアは慌ててそっぽを向く。
「ゆ、夕日のせいですわ」
「なら、そういうことにしておこう」
照れ隠しにアリシアがそっぽを向いたところで一度会話が途切れる。
頬に手を当てながら、アリシアは内心で焦っていた。
(ど、どうしよう……)
演技だと見抜かれていたのなら、今後同じようなことをしても効果はないだろう。
何か他の手を考えなければ。
「――フィオナ嬢」
頬の熱が引いてきたころ、クライヴが神妙な声音で声をかけてくる。
アリシアがクライヴの方に向き直ると、彼は真剣な眼差しを向けてきていた。
「どうして貴方がそんなことをしているのか、おおよその検討はつく。……僕のことを気遣ってくれているのだろう?」
「……っ」
アリシアが目を見開くと、クライヴは「やはり」といった様子で薄く笑む。
「婚約を破棄する時、僕の心中を慮ってくれているのだろう。だけどね、フィオナ嬢。その必要はない」
無言のアリシアに、クライヴは真剣に語る。
「あの日、庭園で僕は言ったはずだ。君に好きになってもらえるように頑張る――と。僕の魅力不足でそれが達せられず、貴方が婚約を破棄したのならそれは仕方のないことだ。貴方が気に病むことじゃない」
(……違う。違うんです、クライヴ様)
真摯に語るクライヴに、アリシアは胸が締め付けられる思いだった。
もし自分が本当にフィオナであったなら、彼のこの一言で自分は演技を辞められただろう。
だけど、自分はアリシア・プリムローズだ。
彼の言葉が真摯で、本気で、想いに満ちているほど、辛い気持ちでいっぱいになる。
俯き、膝の上で両手を固く握るアリシア。
そんな彼女の手の上に、クライヴはそっと手を伸ばした。
「フィオナ嬢、やはり貴方は優しい」
「クライヴ、様……?」
「それは貴方の美徳だが、僕にも僕の意地がある。どうか、余計な気遣いは無用に願いたい」
温かな手がアリシアの手と重なる。
今、クライヴは自分のことを優しいと評してくれた。
だけど、それは違う。
(わたしの行動は、優しさからなんかじゃない。全部、身勝手なものよ)
フィオナを装ってクライヴとこうして会っている以上、自分も彼にとっては加害者だ。
……なのに、あまつさえ今日のランデブーを少し楽しんでさえいた。
きゅっと口元を引き結ぶ。
クライヴは重ねた手を離すと、座席に深く座り直す。
馬の蹄と車輪が回る音が車外から入ってくる。
二人が黙り込んでいる間も馬車は街道を突き進む。
夕日が車内に差し込んできて、アリシアは僅かに目を瞑った。
「フィオナ嬢、これだけは伝えておこう」
「な、なんですの?」
「貴方が僕に嫌われるために何をしようと、僕の方から貴方を嫌うことは絶対にない」
「――――」
その言葉に顔を上げると、クライヴは自信に満ちた表情で笑っていた。
金色の髪を夕日が透かし、キラキラと輝く。
深い青の瞳は煌々と強い意志を伴っていた。
その姿に見惚れると同時に彼が放った言葉を飲み込むと同時に再び顔が熱くなる。
(っ、今のは、フィオナ様に向けて言われたことよ)
わかっている。けど、目の前でこんな言葉を言われて胸が高鳴らないわけがない。
見ると、クライヴは先程のように頬を指差していた。
「っ、ゆ、夕日のせいですわ」
「……そういうことにしておこう」
落ち着いた声音でそう返してきたクライヴにますます恥ずかしくなるアリシア。
車内にはまたしても沈黙が降りる。
けれど、先ほどまでの沈黙とは違う温もりがそこにはあった。