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12/28

12:感情の揺らぎ

 王都でも有名な劇団の演劇が終わり、劇場内は観客たちがそれぞれ同伴者に感想を言い合うざわめきで包まれていた。

 市井の者も貴族も利用できるこの劇場で、二階席から演劇を鑑賞していたアリシアはほぅと感嘆交じりの吐息を零す。


(素晴らしかったわ……)


 演劇というものをこれまで観賞してこなかったアリシアをして、そのような感想を抱かせるものだった。

 舞台という小さな世界に物語という大きな世界が形を持って色づいている。

 役者たちの鬼気迫る息遣いや立ち振る舞いはその世界へ観客を誘った。


「フィオナ嬢、出口が混む前に先に出よう」

「は、はいっ」


 余韻に浸っていると、傍らからクライヴが声をかけてきた。

 周りを見ればアリシアと同様に余韻に浸っている観客たちばかりで、この余韻が薄れればクライヴが言うように出口が混み合うだろう。


 クライヴと共に劇場を出る。

 演劇の上演時間は大体二時間半ほどで、その間殆ど身動ぎせずにいたから外に出た時の解放感はひとしおだ。

 とはいえ、馬車に乗っている時の方が窮屈だし、今は演劇の余韻でそんなものはどうでもよくなっている。


「どうだった、フィオナ嬢」


 何かを観賞した後の常套句のようにクライヴが訊ねてくる。

 アリシアは内に湧き上がる興奮そのままに口を開いた。


「凄く面白かったですっ。オーシーノとヴァイオラがすれ違ったときはハラハラしましたけど、最終的に結ばれて本当に良かった……っ」

「そうか」


 クライヴの短い頷きに、アリシアはハッとした。

 またしてもフィオナらしからぬ発言だったし、何より今のどこが素っ気ない態度と言えるのだろうか。


 突然黙り込んだアリシアに、クライヴは密かに肩を竦める。


 劇場が建てられている場所は馬車が行き交うには狭い。

 そのため、クライヴたちが乗っていた馬車は少し離れた最寄りの馬繋場へ停めていた。


 整備された王都の道を二人は歩く。

 王都だけあって人の往来は激しい。

 商人たちは店の前で忙しなく客を呼び込み、商品を売っている。

 大きな建材を抱えた大工や、手紙でパンパンになった革鞄を提げている配達員の姿も見える。


 国の都、王都にはそれこそ国内外から人が集まる。

 これぐらいの光景はここでは当たり前な気もするが、それにしては人の動きが激しすぎるような。


 アリシアがぼんやりと不思議に思っていると、その気配を察知したクライヴが口を開く。


「二か月後の建国祭の準備をしているんだろう」

「この時期からですか?」


 疑問への興味から聞き返す。


 建国祭、というのはアリシアも知っている。

 国中の一人前の貴族が一堂にこの王都に会し、国の誕生と国王陛下への忠誠を改めて誓う日だ。

 一人前の貴族――というのは社交界デビューを果たしている者のことをいい、そして今年はアリシアにも、フィオナにも該当する。


 アリシアの疑問にクライヴは頷く。


「国中の貴族が集まるからな。今から準備をしておかないと場所も予算も何もかもが足りなくなる。それに、王都の人間からしたら祭りであると同時に稼ぎ時でもある。詳しいことは知らないが、色々とやることがあるんだろう」


 そう言ってクライヴは行き交う人々に目を向けた。


(建国祭には当然クライヴ様も出席されるのよね)


 アリシアとクライヴのこの関係をいつまで続けるのか、明確な時期は言われていない。

 だけど、少なくとも二か月後の建国祭までは続きそうだと思った。


(あれ、わたし……今、嬉しいって……?)


 奇妙な感情の動きに気付いたアリシアは、そっと胸に手を当てる。

 クライヴと少なくとも二か月は会えるのだと気付いた時、少し喜んでいる自分がいた。


 胸の前に当てた手をギュッと握る。

 そんなはずがないと、一瞬過ぎったその感情を否定する。


 クライヴが思いを寄せているのはフィオナで、断じて自分ではない。

 何よりもフィオナとして彼を騙し続けるのは短ければ短い方がいいに決まっている。


(建国祭が終わったら、ギルバート閣下に進言しないと。このおかしな関係を終わらせるように)


 だから、この二か月の間で少しでもクライヴに嫌われなければならない。

 緩み始めていた意識を再度引き締め直していると、クライヴが周囲の雑踏に掻き消されないようにアリシアへ顔を寄せて訊ねてきた。


「どうした、浮かない顔をして。人混みで疲れたか?」

「い、いえ、ご心配なく」


 慌てて笑顔を張り付ける。


 クライヴはその笑顔を見てどう思ったのか。

 視線を前へ向けると、突然黙り込んだ。


 それから少しの間をおいて、「あー、フィオナ嬢」と、少し上擦った声音で話しかけてくる。


「人も多いし、はぐれたりするのもよくない。どうだろう、良かったら僕の腕を使ってくれ」


 そう言って、クライヴは自分の右手を腰に当てて腕の中に空間を作った。

 周りを見れば腕を組み合っている男女のペアが何組も見える。

 もしかしたらそれを見てクライヴは提案したのかもしれない。


 ……確かに、婚約者同士であれば特別不思議なことではない。

 だが、フィオナであるアリシアは彼と親しくなるつもりはないし、なってもいけないと思っていた。


(だけど……)


 ついと顔を上げれば、クライヴの横顔が見える。

 前を向いている彼の表情はアリシアからは見えないが、サラサラとした金色の髪から覗く耳が赤くなっていることには気付けた。


 アリシアは少し逡巡し、左腕を彼の右腕の中に通した。


「では、お借りしますわ」


 フィオナとしての仮面を張り付けて、アリシアは胸の鼓動を押さえ付けながら泰然を装って腕を絡めた。

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