11:ハンカチと泥団子
「待たせてしまったな」
プレゼントを受け取ったアリシアがそのまま子どもたちと遊んでいると、不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、クライヴがどこか嬉しそうな笑みを浮かべて立っていた。
「――っ、い、いえ」
地面に屈んで遊ぶという、令嬢の振る舞いにあるまじき行為をしていることに今さら気付いたアリシアは、ドレスの裾についた汚れを払いながら慌てて立ち上がる。
「院長と少し話が長引いてしまってね。それじゃあ、院長。僕たちはここで」
「ははは、楽しんでください」
クライヴが軽く頭を下げると、院長は快活に笑った。
その笑顔に反して、二人のやり取りを聞いていた子どもたちは一斉に不満げな声を上げる。
「えー、お姉ちゃんたち帰っちゃうの?」
「もっと遊ぼうよー!」
「こらこら、お二人の邪魔をしてはいけませんよ」
院長が窘めるように言うと、子どもたちは一瞬きょとんとした表情をして、しかしすぐに納得の声を上げる。
「そっか、お姉ちゃんたち今ラブラブしてるんだ」
「ラ……ッ」
恐らくランデブーのことを言っているのだろうが、子どもの独特な表現にアリシアは固まる。
そんなアリシアをよそに、子どもたちは思い思いの会話を始めた。
そして最終的にアリシアたちを見送るという結論に達したらしい。
「お姉ちゃん、また来てねー」
孤児院の入口まで見送りに来た子どもたちがそう言って手を振ってくる。
アリシアは一瞬躊躇ってから彼らに手を振り返した。
馬車を停めている通りの道までクライヴと共に歩く。
アリシアは子どもたちから受け取った石や泥団子を落とさないように丁重に抱えていた。
「子どもたちに先を越されてしまったな」
「え……?」
クライヴの呟きに顔を上げると、彼はアリシアの左手首を指差した。
そこには女の子から貰ったブレストレットが付けられている。
アリシアは納得と同時にクライヴの物言いが面白くてくすりと笑った。
「――――ッ」
「クライヴ様……?」
「いや、なんでもない。大丈夫だ」
口元を押さえるクライヴの様子はとてもそうは見えない。
アリシアは眉を寄せてクライヴの顔色を覗き込む。
疑惑の目を受けたクライヴは小さく咳払いをして話題を逸らすように口を開いた。
「そういえば楽しそうだったね。子どもたちに随分慣れているみたいだったけど?」
「わたくしが慣れていたわけではなく、子どもたちが慣れていただけですわ」
いきなり知らない大人が現れてあれだけ打ち解けてくれたのはクライヴの存在が大きかったとアリシアは改めて思う。
「クライヴ様と同伴していなければ皆わたくしのことを避けていたはずですもの」
「とてもそうは思えなかったけどなぁ……」
何か含みを持たせた物言いにアリシアはジッと彼の顔を見上げた。
だが、クライヴはその視線を受けてニッと笑みを浮かべる。
突然の笑顔に不意を付かれたアリシアは慌てて視線を逸らした。
「……もし、わたくしが子どもたちに慣れているとお感じになったのでしたら、それは多分妹たちの存在が大きいのだと思いますわ」
「妹たち?」
クライヴが訝しむように反芻する。
(っ、しまった。わたしのバカ!)
気まずさから話題を続けようとして口を開いたアリシアだったが、すぐにその失態に気付いた。
フィオナ・ハトルストーンは一人娘だ。
アリシアと違って妹や弟はいない。
頭をフル回転させて必死に言い訳を絞り出す。
脳裏に浮かんだのは自分よりも年下の仕事仲間、エルシーの顔だった。
「そ、その、侍女やメイドたちの中には年が下の者もいますから。彼女たちのことを勝手に妹のように感じているのですわ」
「なるほど……」
「身近に年長者や年少者がいるかどうかで、その人の意識は作られていくものですから」
納得しそうになっているクライヴに、アリシアは捲し立てるように語る。
自分でも苦しい言い訳だと思いながらも、秘密が露見する危険を思えば口を噤む選択肢はなかった。
「身近に年長者や年少者がいるかどうかで……確かに、そうかもしれないな」
不安に思いながら恐る恐るクライヴの様子を窺うアリシア。
しかし、意外にもクライヴは納得した様子だった。
上辺ではない、心からの納得。
その表情が少し寂しそうに見えて、アリシアは手を差し出しそうになった。
「弟がいれば兄としての生き方、兄がいれば弟としての生き方が染みつく。先程、子どもたちと遊んでいるときにフィオナ嬢から感じたものは、そういったことだったのかもしれないな」
ふっと小さな笑みを刻みながら頷くクライヴ。
自分の失態をカバーできてよかったと安心する反面、その笑みが切なげで、アリシアは素直に喜べなかった。
浮かない表情を浮かべるアリシアを見て、クライヴは密かに頬を緩めた。
愛おし気な眼差しを向ける。
意図せず重たくなってしまった雰囲気を吹き飛ばすべく、クライヴは明るい声を出す。
「さて、少し早いがもうそろそろいい時間だ。馬車に戻ったらお昼にしよう」
「はい」
クライヴがどこか無理をしていることはすぐにわかったが、引きずることでもないと思ってアリシアも頷く。
それから少ししてレイモンド公爵家の家紋が刻まれた馬車へ辿り着いた。
クライヴの右手に手を乗せて馬車に乗り込もうとしたアリシアだったが、はたと気付いた。
(このプレゼントたち、どうしましょう……)
これまで手に持っていた子どもたちからのプレゼント。
石やブレスレットはまだしも、泥団子を車内に持ち込めば座席が汚れてしまう。
「フィオナ嬢、どうかしたか?」
突然立ち止まったアリシアに気遣わし気に声をかけてくる。
アリシアは「い、いえ」と苦笑いを浮かべた。
今日一日、クライヴに嫌われることを目標にしていたことを思えば、ここで無遠慮に車内を汚しても構わない。
だが、この泥団子は子どもたちがプレゼントしてくれたものだ。
それをそんな風に利用するのは憚られる。
(! そうだわ……っ)
名案を思い付いたアリシアは、パッとクライヴから手を離すと懐を探る。
ドレスの中からハンカチを取り出すと、泥団子が崩れないように丁寧に包んだ。
「お待たせしました」
「いや、構わないさ」
もう一度クライヴの手を借りると、彼はにこやかに笑った。
「貴方とハンカチはつくづく縁があるな」
「どういう意味ですの?」
「いいや、こちらの話だよ」
馬車に乗り込み、泥団子を包んだハンカチを丁寧に座席へ置いていると、クライヴが嬉しそうに話した。
その言葉の意味がわからなくて聞き返すが、クライヴはそれきり穏やかな笑みを湛えてアリシアの傍らに置かれたハンカチを眺めていた。