10:クライヴの一面
アリシアたちを乗せた馬車は人通りで賑わう大通りを逸れ、細道へと入っていく。
数分ほど走らせると、行き止まりのような場所で停まった。
「フィオナ嬢はここで待っているといい。そう長くはかからない」
馬車が停まるや否や、クライヴが扉を開けながらそう声をかけてきた。
アリシアは半ば反射的に首を傾げる。
「どうしてですか? わたくしもついていきます」
「それは――……、わかった」
僅かに葛藤を見せた後、クライヴは渋々頷く。
彼の手を借りて馬車を降りる。
「きゃっ――」
「おっと……」
地面に足が触れた瞬間、石と石の窪みに足を取られてよろけてしまう。
尻もちをつく――そう思った瞬間、温かで大きな手に受け止められた。
「大丈夫か、フィオナ嬢。この辺りはまだ道の整備が進んでいない。その靴だと歩きづらいだろう」
「っ、あ、ありがとうございます」
耳元で囁かれるように言われて、アリシアは思わず跳び退る形で彼から離れる。
助けてもらったのになんて対応をしてしまったんだと後悔するが、今回のランデブーの目的を思い出してむしろ好都合だと思い直す。
明らかにこちらを気遣う足取りで歩き始めたクライヴの後ろをついていく。
クライヴは古びた家々の間の細道を勝手知ったる様子で迷いなく進む。
その背中に安心感を覚えていると、突然開けた場所に出た。
「ここは……?」
アリシアの眼前にあったのは、古びた教会と草花が生える広場だった。
雑多な印象を抱いていたこの辺りの区画にしては広々とした空間に意識が奪われる。
教会を見上げるアリシアにクライヴは半身だけ振り返りながら疑問に答えた。
「孤児院だよ。以前は教会として使われていたんだけど、老朽化が進んでね。新しい教会が建てられることになって、この場所は孤児院として扱われるようになった。まあ、近くの人は変わらずここの礼拝堂に訪れているけど」
「クライヴ様はどうしてこの孤児院に?」
先程の御者の口ぶりから察するにクライヴはよくここを訪れているようだった。
王都の孤児院と、遠く離れたレイモンド公爵領で暮らす彼。
アリシアにはどうにも両者が結びつかなかった。
「ここの孤児院にはレイモンド公爵家も出資しているんだ。それで王都に寄った時は時間があれば顔を出すようにしている」
「なるほど……」
そうして会話をしているうちに二人は孤児院の敷地内を進んでいた。
広場を抜け、教会の前に辿り着く。
遠目で見た時以上に古びた印象を感じさせた。
「令嬢とのランデブーの行き先がここだなんておかしいだろう?」
だからやめておけばよかったのにと、クライヴは苦笑交じりに言った。
微かな照れも混在するその苦笑にアリシアは小さく首を振る。
「孤児院の支援だなんて立派です。それに、こうして足も運ばれている。クライヴ様の新たな一面が見れて良かったです」
「――っ、そ、そうか」
クライヴはパッと顔を背けて口元に手をやる。
お陰でアリシアからは彼の表情を窺い知ることができなくなった。
そうして会話は突然途切れ――アリシアは自分の失態に気付いた。
(わ、わたし、つい素の口調でっ。それに全然素っ気ない態度じゃない!)
フィオナ然とした物言いを忘れ、あまつさえ今日の目的と反する言動をとってしまった。
バカバカバカァと頭を抱えていると、不意に二人の前に人影が現れた。
「――っと、院長」
「これはこれは、クライヴ様。ようこそお越しくださいました」
白い服に身を包んだ禿げ頭の壮年の男に、クライヴは軽く頭を下げる。
すると男――院長も恐縮した様子で腰を低くした。
「例のごとく突然の訪問ですまない」
「いえいえ。子どもたちも喜びます。……そちらの方は?」
隣に立つアリシアに視線をやって院長が訊ねてくる。
クライヴは一瞬の間を置いてから左手でアリシアを示す。
「僕の婚約者です」
「始めまして、フィオナ・ハトルストーンです」
「これはこれは……おめでとうございます」
相手が貴族ではないので挨拶はにこやかに微笑むに留める。
院長は嬉しそうに笑った。
「こちらはこの孤児院の院長を務められているガウル殿だ」
「ガウルです。よろしくお願いします、フィオナ様。――ささっ、中へどうぞ」
ガウルの案内に従って教会の中に足を踏み入れる。
廊下で子どもたちとすれ違いながら、ステンドグラスが輝く礼拝堂へと案内された。
「フィオナ嬢。少し院長と話がしたいんだが……」
「構いません。わたくしはここでお待ちしていますわ」
「すまない、すぐに戻る」
孤児院の経営に関する話だろうか。
礼拝堂の奥にある一室へ入っていった二人を見届けてから、アリシアは礼拝堂に並べられている古びた長椅子に腰を下ろした。
ボーッと上を見上げると、神像の上、天井近くに張り巡らされているステンドグラスの輝きが目に入る。
陽光を取り込んで色とりどりの光を放つその空間はここが教会であるという先入観を除いても神聖さを感じさせた。
暫くそうしていたアリシアだったが、不意に近くに人の気配を感じて視線を下ろした。
小さな女の子が目の前で覗き込むようにしていた。
「お姉ちゃん、誰?」
「ええと……」
こてんと可愛らしく小首を傾げるその女の子にどう返したものか。
悩んでいるうちに、答えは別のところから返された。
「さっき院長と話してるの聞いたぜ。クライヴ兄ちゃんの婚約者なんだって」
どこから現れたのか、女の子と年の近い男の子が答える。
「婚約者?」
「夫婦だ!」
「お嫁さん?」
「恋人だよ!」
二人が会話を始めると、今までどこに隠れていたのか一斉に子どもたちが現れて口々に話し始めた。
十数人の子どもたちに囲まれてアリシアはあたふたする。
キャーキャーと騒ぎ始めた子どもたちに気圧されつつ、その自由さに苦笑する。
(そういえば、クライヴ様は随分長くここに通われているのよね……?)
先程のクライヴの言葉と、子どもたちの口振りから会話の糸口を掴む。
アリシアはゆっくりと長椅子から降りると、最初に話しかけてきた女の子に屈みこみながら訊ねた。
「あなたはクライヴ様……お兄さんとよく話すの?」
「……うん」
「俺、先週一緒にボール遊びしたんだぜ」
アリシアが目を合わせると、女の子はモジモジと俯いて、小さく頷いた。
そこに先程の男の子が割り込んでくる。
男の子を皮切りに、またしても子どもたちがはしゃぎ始める。
「私だってお人形遊びしたもん!」「僕は掃除をしてたら偉いって褒めてもらったよっ」「あたし絵本読んでもらった!」
口々にクライヴとのエピソードを自慢し合う子どもたち。
彼らの表情は楽し気で、そのエピソードも『気の良いお兄ちゃん』という形容が似合うものばかりだ。
(クライヴ様は本当に優しい方なのね……)
はしゃぎまわる子どもたちの真ん中で、アリシアはふっと表情を緩める。
すると、突然背後からケープの裾を摘ままれた。
内心で驚きながら振り返ると、女の子がもじもじとした様子でアリシアの顔を見ては逸らしてを繰り返す。
「どうかしたの?」
怯えさせないように優しい声音で訊ねる。
女の子は少し間をおいてから、ずいっと小さな両手を突き出してきた。
その手の中には何かが握られている。
「お、お姉ちゃんはお兄ちゃんの奥さんだから、いい人……っ」
「……これ、くれるの?」
奥さんではないんだけどなぁと苦笑いしながら、差し出された両手の下に右手を伸ばす。
小さな手に握られていたものがするりとアリシアの手の上に落ちる。
一体なんだろうと覗き込むと、それは植物の種で作られたブレスレットのようだった。
小さくて黒い種の真ん中には、ハート型のような白い模様が入っている。
アリシアが訊ねると、女の子は小さく頷いた。
「ありがとう、大切にするね」
「……っ、うん!」
柔らかく微笑みながらブレスレットを左腕につけて、女の子の頭を軽く撫でる。
もじもじしていた女の子は一転、満面の笑顔でアリシアを見上げてきた。
「姉ちゃん、俺もこれやる!」
「あたしも!」
「ぼ、僕だってっ」
またしても周囲が沸き立ちアリシアはその渦中でてんやわんやになる。
泥団子や木の実、綺麗な石なんかを受け取りながら、アリシアはクライヴが何故孤児院に通っているのか、わかったような気がした。