生きたいんじゃなくて、死ねるほど大層な勇気を持っていないだけ。
「あのクソハゲ上司、次セクハラしやがったら残ってる毛根全部抜いてやる!」
私はむしゃくしゃする余りに床に置いたこたつ机をバンバンと叩いた。
隣の部屋から「うるせぇぞ!」という声と共に講義の壁ドンが聞こえる。私はその声にびくりと震えて、声も出せずにしゅんと手に持ったビールを口に運んだ。
「ああ~クソ、本当にムカつく。女だからって舐めてかかりやがって。もう頭キタ、ぜっっっったい、今度こそ、今度こそ辞めてやる!」
私はうがあ、決意を叫ぶ。
その後私はとりあえず机に並べたツマミ(コンビニで買ってきた)を食べ、酒を飲み切った後、無気力にベッドへと入りそのままぐっすりと眠ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇
「星野くん、これで何回目だ? 何度修正すれば君は文章がうまくなるんだ?」
「すみません、課長……」
目の前でカッパのような頭髪の中年男が怒鳴る。私はライオンに鉢合わせてしまったうさぎのようにびくびくと震えながら、視線を落とし、できるだけ彼の怒りを視界に入れないようにする。
「まったく、君はアレか? 仕事を舐めてるのか?」
「い、いえ、そんなことは……」
「じゃあなんでいつまでたってもできないのかね? 入社してそろそろ1年と半年、いい加減に1人前になってもらわないと困るよ」
「は、はい、申し訳ございません」
「まったく、これだから女って奴は。いざとなれば専業主婦でもすればいいやなんて思っているからこんな雑な仕事になるんだ。今は男女平等だぞ、女だからって仕事で手を抜いてもいい時代じゃあないんだ。まったく、最近の若いもんは。私の時代はなぁ……」
うわ、また始まった。私は胃が捻じ切れそうになりながら、出社日の恒例イベント、『課長の説教』をこなした。
くどくどとよくもまあ口が回る。しかも声がデカいし唾は飛んでくるしで色々と最悪だ。俺の時代はどうだとか、自分がどれだけの残業をこなし、そして難局を乗り越えてきたのだだとか、そんな説教の皮を被った自慢話をまあ長いこと長いこと、たっぷりと30分近く話してくる。まじめな話この説教で遅れた仕事がどれだけあるのだろうか。いや数えてないからわかんないけど。
しかも話の中で「女は」「最近の若い奴は」などと偏見マシマシな言い回しをやたらと使ってきて、無差別に四方八方へと流れ弾を発砲しまくっている。お前これがSNSなら謎の団体に燃やされるぞ。
そうして彼の自己満足の説教を聞き終えて、私は仕事へと戻る。
仕事に戻った後、私にフォローを入れてくれるような優しい誰かさんはいない。課長にロックオンされた私と下手に関わると、流れ弾があちらにも飛んでいくからだ。
そうして精神的に疲弊し、挙句に課長が押し付けてきた、おそらくは終わらなかった自分の仕事(説教する暇があるなら自分の仕事片付けろよ)をも片付け、私はなんとか今日一日を乗り越え、そして、家に帰った。
家に着くころには10時を回っていた。本当ならニコ〇〇動画開いて無料公開されているアニメを見て過ごしたいのだが、どうにもその気力がない。
仕方がなく、私はコンビニで買ってきたカルビ弁当(約600円。量はあまり多くない)を食べ、この疲れを忘れさせる(そんなことはないのだが)驚異的な魔剤、お酒とおつまみを摂取し、簡単にシャワーを浴びてこの日も眠った。
結局、こんな感じだ。私は今日も、「仕事を辞めたい」という一言を伝えられなかった。
だって、辞めたら後がないんだもん。月手取り15万の給料でなんとかかんとか1人暮らしをしているのだ、貯金をする余裕は全くない。
親の反対を押し切って実家を出たこと、なんなら車(中古の軽自動車だけど)を買ってしまったことを今更ながらに後悔している。
だって、戻りづらいじゃないか。今更。だから自分でなんとかするしかないんだ、この状況を。
まあ、忙しくてなんともできないっていうのが本音だけど。そんなこんなで、私こと、星野光咲は、どうしようもないこの社畜ライフを延々と続けるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
死にたいと願ったことは何度もあった。俺は窓の外に見える落ちていく夕日をベッドの上で眺めながら、一人小説の独白でもするかのように考えた。
こう思い始めたのは大体半年ほど前だ。高校2年に上がってから割とすぐ、俺はひょんなことからいじめの標的になってしまった。
それから1か月程度は反発したりしていたのだが、いつしか俺の友達だった人間も俺と関わらなくなり、俺への仕打ちは徐々に酷くなっていった。それからこういう気持ちを持ち始めるまでに時間はかからなかった。
やがては学校へ行くのも嫌になり、俺は親に事情も話さないままに、意固地になるように家の中に引きこもるようになった。
外へ行けば奇異の目を向けられる。だから余計に家の中に籠る。家の中に籠るからこそ、学校へさらに行き辛くなる。なんとなく外へ出るのがしんどくて、学校へ行かなきゃいけないっていうのはわかってて、だけど玄関のドアを、部屋の扉を開けるのが途方もなく怖くて。
――このままだと、留年だよなあ、俺。留年したら後輩と一緒になるのだろうか。それっていくらなんでも、恥ずかしすぎやしないだろうか。俺はそんなことを考えて、深く、ため息をついた。
以前ツイッ〇ーで、こんな臭いポエムが流れてきたことがある。
『死にたいって言ってる人は、実は生きたいって思ってるんだょ……』
詳しい内容は忘れたが、きゃぴきゃぴした雰囲気だったことだけは覚えている。
それはそうだ。言っていることは間違いじゃない。だけれど、正解というわけでもない。
俺は決して、この人生に希望を見出して、前向きに、生きたいって思っているわけじゃない。
言うなら俺は、生きたいんじゃなくて、死ねるほど大層な勇気を持っていないだけなのだ。
進まなきゃいけない、あるいは進みたいとは思っていながら。しかしどちらも選べず、無為な自問自答で時間を無駄にする。
人生は弱肉強食だ。弱い奴は死んでいく。こうやってどっちつかずで決断のできない俺は、まさに、弱い側の人間なのだろう。誰かに助けてもらうことなんざできないわけだが。
日は落ちかけている。日が落ちれば夜になる。どこぞの誰かは明けない夜はないと言っていたが、じゃあ夜が明ける前に死んだ奴はどうなのか。そいつにとってそれは、まさに『明けない夜』だったんじゃないのか。夜が明ける前に死んだのなら、それは間違いなく、明けなかった夜なのだから。
そんなこんなで、俺――夜迷進は、今日もまた、何もない日を無為に過ごした。
◇ ◇ ◇ ◇
クソったれた土曜日のサービス出勤を終え、明日の休みを待たずして退廃的な夜が訪れる。
私はビニール袋に安い発泡酒やカルパスやチータラなどを突っ込み、寒空の下を歩いていた。
寝巻の上にコートを羽織り、コンクリートロードの上をクロックスでカパカパと闊歩する。
私は近くの公園へと向かっていた。小さな滑り台とブランコ、鉄棒がある程度のしょうもない公園だが、夜になると誰もいないし、人通りも少ないので、度々こうして酒類を持ち込み晩酌をしているのだ。
パッと見ると不審者そのものだが、夜中の公園で酒を飲むくらいの風情を味わってもいいと思うのだ。なにせ毎日毎日息の詰まる環境で生き残っている。これくらいの息継ぎは人生において必要だ。
それに、この公園で空を見上げるのは楽しかった。彼氏もできたことのないクソオタク女だけど、星に痛みを託すくらいのロマンは持ち合わせている。意識すると中二病感があって、大層嫌気がさすのだが。
しかしどうやら、今週の私は運気が最悪らしい。私が公園にたどり着くと、そこには先客がいた。
私は小さく舌打ちをした。当然そこにいる何某にも星を見る権利はあるし、それを邪魔する権利を私は持ち合わせちゃいないわけだが、それはさておいてこの週一の(しかも晴れてる日だけの)楽しみに水を差された感じがしてイライラするのだ。
イライラしちゃうのは仕方がない。だってイライラしちゃうのだから。私はとにかくイライラしながら、公園の入り口で、帰ろうかどうか迷った。
……ガチの不審者だったらやべーし、かえろっかな。私は少し怖くなってしまった。
しかしどうせならと、私は念のために、ブランコをきぃきぃと鳴らして下を向いているらしいその先客をじっと見てみることにした。興味がわいたとかじゃなく、ガチで不審者かどうかを見てみたかっただけだ。
――アレは、男の子、か。身長はまあ、たぶん私より少し高い程度? 暗くてよくわからないけど、シルエット的には、それほど良い体格ではない。私は少しずつ、ブランコの何某の特徴を把握していった。
もしかしたらお化けの類かもしれない。そんな嫌なことを考えながらバレないように見ていると、ふと、男の子が空を見上げた。
私にはそれが、涙をこらえているように見えた。その瞬間に、よくわからないけど、私はこの子に話しかけたくなってしまった。
本当に軽い気持ちだった。普段の私なら絶対に足を止めるのに、なぜかその時の私は、目の前で開いた電車のドアに入るような感覚で、するりとその男の子の元へと歩いて行ってしまった。
「……なにやってんの?」
さらりとその言葉が出てきてしまったことに、私自身が驚いてしまった。目の前の男の子はびくりと身を震わすと、私の方を見上げた。
「……誰です?」
男の子の第一声はそれだった。私はそれでようやく、自分が何をしているのかを理解した。
――やっべぇ。これじゃあマジモンの不審者は私じゃないか。私は目の前の男の子に話しかけてしまったことを早速後悔した。
近くで見ると、よりはっきりと見た目がわかる。やつれてはいないのにどこかそんな雰囲気を醸していて、目には光がない。髪はあまり手入れされてなさそうな短髪で、まあ流石男と言った感じだ。
というか、コレ、よく見るとアレじゃん。たぶん男子高校生じゃん。私の頭の中でパトカーのサイレンが鳴り始めた。
「……ただの社畜よ。アンタこそ誰」
私は心の中でやってしまっただとかなにやってんだとかツッコミながら、また男子高校生に話しかけた。頭の中のサイレンがますます大きな音を立てるが、なんというか、今更帰り辛いというか。私はそれでも表情を変えずに、男の子の目を見つめた。
「普通こういう時って名前言いません?」
「逆に聞くけど知らない人に名前言ったりする?」
「……しませんね」
「ほら」
「けど、知らない人に話しかけるのも変ですよね。というか、ヤバくないんですか? 俺、高校生っすよ?」
「……こういう時女は強いのよ」
「強かっすね」
うるへ。私は脳内のパトカーを強引に押さえ込みながら心で毒づいた。
わーっとるんじゃい事案だってことは。適当ぶっこいたけど、どう考えても見つかったら捕まるのは私だわ。
「……夜迷進」
「え?」
「名前。俺の。進って言います」
「……私が言うのもなんだけど、知らない女に自分の名前言うのまずくない?」
「どーでもいいんで」
「はぁ。……星野光咲。私の名前」
「はあ」
「名乗られたら名乗り返すもんなのよ。よろしくねぇ」
私は自暴自棄気味に言いながら隣のブランコに座り、ポリ袋を地面に置いて、その中から酒を一缶取り出した。
「ストゼロっすか」
「悪いかよ。私の唯一の楽しみなのよ? 週末にここで飲んだくれるの。知らないDKに邪魔されてたまるかっての」
「別にいいんじゃないっすか。気にしてないし」
……なんだこいつ。私はガチの無関心でぼーっと前を向いている進を不思議に思った。
うまくは言えない。だけどなんか、コイツの目を見てると、どうにも気になって仕方がない。
なんというか、まるでこの先の人生に希望を見出していないような。生きていると言えるかどうかも怪しいような。というかこれは、もう、半分死んでるって言っても正解な気がする。
「……てゆーかさ。DK風情が深夜の公園でなにやってんのよ。ママに怒られないの? 不良仲間とはコンビニ前でたむろったりしないの?」
「母さんはもう寝てる。黙って抜け出してきた。不良の……友達は、いないから」
「早く帰れよ。危ないぞ? 変態に襲われても知らんぞ?」
「帰りたくないっす。もう少し、ここでゆっくりしていたい」
進はそう言って静かに笑った。……いや、口の端を無理矢理釣り上げた。
――ああ、なるほど。そりゃ、私も放っておけなくなるわ。私はふと、この男の目を見て、先の自分の愚行の理由を理解した。
コイツ、なんとなく似てるんだわ。私に。
このとりあえずの作り笑いと言い。なんか全部悟ったみたいな目と言い。生命力の乏しさと言い。
私に魔剤が無ければ、きっとこんな態度で、世界の滅亡を自分だけが理解しているとでも言わんばかりの不幸顔をしていただろう。
「……しょーがねーなぁ」
私はそんなことを言って、ポリ袋からガサゴソと魚肉ソーセージを取り出した。
「食え。そんで食って私の晩酌に付き合え」
「なんで付き合う必要あるんすか?」
「ガキに対する大人の命令よ。特権階級」
「そんなもんないでしょ」
「いいから。私の愚痴に付き合ってくれやちょっと。カルパスもあげるからさ」
「……酒は飲みませんよ?」
「飲ませんわ」
そうして私は、酒を飲みながら、この進とかいう男子高校生と色々な話をした。
最初は特に盛り上がらなかったけど、いつしか互いに変なことを言いあうようになり、酒が無くなるころには、よくわからない友情みたいなものが、私たちの間に生まれていた気がする。
そんな感じで、私は今日、特になにをするわけでもなくそのまま家へと帰り、寝た。
◇ ◇ ◇ ◇
翌週の土曜日。私はまたあの公園に来ていた。
今週もクソハゲ課長にこってりと叱られた。私があまり仕事ができないのはわかっているけど、だからと言って、アレはさすがにやりすぎだと思う。そんな思いも奴への殺意も、私は持ってきたストゼロを口に流し込むことでなんとか飲み込んだ。
マジでなんとかして殺せないかなアイツ。心の中で物騒なことを考えながら、私はぽりぽりとポテトチップスを食い散らかした。
「……またいるんすか」
ブランコでギコギコとしていると、私の後ろから聞き覚えのある声がした。私は「ああ?」と言いながら後ろを向いて、目に映ったDKに酔った勢いでガンを飛ばした。
「私の台詞だわそりゃ。なんだよ男子高校生、お前また深夜にこんな所うろついてんのか?」
「俺も同じこと言っていいっすかね?」
「私は大人よ! あんたとは自由度が違う! 責任も重いけどな!」
「大人ならもうちょっとしっかりしたらどうですか?」
「バアアアカ! 人間は愚かなのよ、どんだけ年取っても誰かに甘えたいものなのよ! ママぁ~!」
「完全に出来上がってやがる」
例のDKこと進は私にあきれ果てた。うっせぇ。てめぇも大人になればわかるんだよ。
「ねぇ~、つーか聞いてよぉ~! 昨日もさぁ、うちのハゲがさぁ!」
「また俺愚痴聞くんすか?」
「ポテチやるから! ただ飯食える身分なんて今のうちだけだと思っとけよ?」
「面倒くさい人だな」
進がため息を吐きながら私の隣のブランコに座った。なんだかんだ言って聞いてくれるんだなお前。
「酷くない? 書類の文章の細かいところいちいちいちいち指摘してさぁ! しかもその指摘の内容もなんか適当っていうか、具体的じゃないって言うかさ! 私もそりゃ、文章力なんてカスだってわかってんけど、だからってそこまで言及する必要あるんかって感じでさ!」
「……俺にはよくわかんないっすけど」
「うるせぇ! 意見も何も聞いてねぇ! ただ黙って聞いてろ! 女との会話はそんなもんなのよ!」
私はぎゃんとしながら進に言う。進は「女ってめんどくせー」とか言いながら肩を落とした。
「……つーか、そうだわ。私ずっと気になってたんだけど、アンタさ、一体なんでこんな所に来てんの?」
「……え?」
「いやそりゃあ気になるじゃん。だってお前、男子高校生がよ? 深夜の公園に度々来るって、意味わかんねーじゃん」
「……。
……なんというか、落ち着くんですよ。ここにいた方が。特に何をするわけでもなく、空を見上げていると……」
私はコイツの言葉に何も言えなくなった。
そりゃあ、「中二病かよ」とか「自己陶酔乙!」とか言って茶化す事もできただろう。けど、コイツがここに来ている理由は、私と全く同じだったわけで。
――若い癖に、絶望の味を覚えちまったのか。私はふと、大きくため息をついた。
「アンタも同じってことか」
「え?」
「いや。なんか、アンタの言ってること、わかんのよ。なんっつーか、一日中変なこと考えちまうって言うか。嫌なことがずっとグルグルしていて、なんとか振り払いたいけど、なにもできなくて結局家でずっとそれがグルグルしてるって言うか。そんで余計辛くなって、ああもう、本当にクソって感じになって。そういう時に、こーいうの見ると、なんか気持ちが落ち着くんだよな」
「――」
「……どーせだけど、アンタ、不登校かなんかでしょ?」
「えっ、なんで……」
「そういう顔してんのよ。いや、ブスとかイケメンとかじゃなく表情がね。
……なんだろうな、本当。人間、本当に嫌なことがあるとさ、もう明るいモン見ても明るくなれないもんなのよ。本当にがんじがらめになって動けなくなるって言うか。周りに相談してもなんか『そんなことないよ! 頑張って!』みたいな事しか言わねーし、そうとしか言われねーし。ああ、うっとうしいな、けどまあ悪いのは自分だしなって思って。そんでまあ、なんっつーか――」
「……死にたくなる」
進はふと、ぽつりとそう言葉を紡いだ。
私は少し驚いて、口をぽかんと開ける。
コイツの言葉は、別に私の言葉の「先」を言ったわけじゃない。それはわかったのだけど、私には、コイツのこの言葉が、妙にピタリと、私に当てはまったような気がして。
「――そうね。うん。死にたくなる」
大きくため息を吐いて、そう受け答えた。
声が途切れる。気まずいと言うよりかは、虚無虚無しい時間が流れて、胸の中に寒風が吹いたかのような感情が沸いた。
「……。
……あのさ」
私は隣にいる男子高校生を見もしないで話しかける。進の方も、私を見ることなく、ただぎこぎことブランコを動かして。
「――死のっか。明日」
私はそして、自分でも理解できないような事を、進に提案してしまった。
進が「えっ」と言って一瞬こちらを見た。だけど奴は、黙り込んで少し下を向いてから、「うん」と小さく返した。
「……マジか」
「マジって、じゃあ、なんで誘ったんです?」
「なんとなく。……なんとなく、凄い死にたくなった。いや、とっくに――なってたんだと思う。忙しくって、自覚する暇がなかったんだ」
「……」
「いや。アンタはまだ若い。私のバカな提案になんか、乗らなくてもいいんだぞ?」
「……ちょうど俺も、探してました。そういうの」
進は私を見もしないでそう言った。私はそれを聞いて、なにか、うまく言えない気持ちになったけど、「そっか」の一言で、それを全部、まとめてしまった。
そうして、出会ったばかりの私と進は――明日の深夜、この公園で落ち合って、自殺の決行を約束した。
◇ ◇ ◇ ◇
深夜。私は駐車場に置かれた、軽自動車のエンジンを入れていた。
今日の朝、突然電話が鳴り響いて「今すぐ会社に来い」と言われたが、私は『まあどうせ今日死ぬし』と思って、一言も返さずにその電話を切った。抜かりなく着信拒否にもしたし、LI〇Eなどでの連絡もできないようにした。
そうして私は、大して遠くも無い公園に向かい車を走らせた。
しばらく進むと、例の男子高校生が公園のポールに座って私を待っていた。私は窓を開けて、「よう」と言うと、進は「ん」と言って、車の助手席に座り込んだ。
「……なんか、友達を待つみたいね」
「あなたとは友達じゃない」
「そういう意味じゃねーよ。私だって男子高校生の友達とかいらんし。
……なんか、これが死にに行く者の態度かー、って思うとさ」
私はフロントガラスの向こう側を見ながら、そう呟いた。そうすると、進は「確かに」と言って、同じくフロントガラスの向こう側を見た。
「でも、案外こんなモンなのかもしれないわね。別に、全人類、どんな状況でも同じ気持ちでいられるわけじゃないじゃん?」
「……確かに」
「楽しいことが無いわけじゃない。笑わないわけじゃない。そういう意味じゃ、苦しくない時間だってあるし、本気で嬉しいことだってある。――けど、なんか、唐突に来るんだよな。そういうのって」
「……」
「まあ、いいわ。――覚悟はいい?」
「……うん」
そうして私は、軽自動車のエンジンを吹かせて、深夜の町を走り出した。
◇ ◇ ◇ ◇
この町には有名な自殺スポットがある。
海岸に面した町だからか、この町から少し外れた道へ進めば、やがては荒れ狂う海に突き出した崖が見えてくる。坂道を結構上ってたどり着くそこは、海面からはかなりの高さがあって、なによりも、ゴツゴツとしていて、下手に足を滑らせればどこかに頭をぶつけて死ぬだろうなという見た目だった。
サスペンスドラマのラストシーンのようなその崖では、ちょくちょく、身投げをした人間が発見される。そして私たちも、今夜、その栄えある一員になるのだ。
私は潮の香りとうるさい波の音を受けながら、設けられた柵に腰かける。
「――なんっつーか。こうして見ると、まあまあ綺麗ね」
「……そっすね」
「なんか信じらんないよね。こんな所で、ちょいちょい人が死んでるってさ」
「……そうですね」
「けど、暗いとやっぱし怖いわね。電気っつっても、頼りない街灯がちょちょいとあるくらいだし。柵が無かったら、もうちょい死んだ人がいてもおかしくなかったわね」
「……そう、ですね」
私は空を見上げながら、特に意味があるわけでもない会話を進とする。だけど内心は、妙な緊張感で焦りっぱなしだったし、何よりも、手足が冷えてしようがなかった。
「……アンタさ。本当に、死のうって思ってるの?」
「……けど、今やんなきゃ、一生できないって思った」
「――なるほど。……。まあ、そう、よね」
そうして私は、どこか落ち着かない足を柵に乗せ、そして、ゆっくりと、このクソったれた敷居を超えた。
敷居を超えると、なんか、妙に風が強く吹いた。押し戻されそうだったけど、私はため息を吐いて、ゆっくりと、向こう側に見える崖の端に歩いていく。
「……アンタは、来ないの?」
「……」
進は何も言わず。だけど、ゆっくりと、ゆっくりと柵に近づいて、そして、恐る恐ると言った感じでそれを乗り越えた。
そして私と並び、ゴツゴツとした岩肌をゆっくりと、ゆっくりと歩いて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、崖っぷちへと向かって行く。
そして、柵からそれなりに離れたその位置につき。私と進は、互いに手が届きそうな位置で並び合った。
風が強く吹く。押し返されそうになるのを耐えて、私は遠くへと続く深淵を睨む。ちょくちょくと肌に当たる水しぶきが、私から体温を奪っていく。
「……」
「……」
私と進は、何も言わず、ただ下を――もう、音だけしか聞こえないその崖下を見詰めた。
「……わ、わかって、るよね。昨日言った通り、いち、にの、さんで、ここを跳ぶよ」
「――お、おう」
進は震える声で私に返事をした。私は息を呑み、喉を鳴らし、歯を食いしばり、そして、ゆっくりと息を吸って、大きく、口から吐いて。
「――そんじゃあ、行くよ!」
大きな声で、叫んだ。そうして、自分の中の何かをごまかすように、目を閉じて、声を震わせて、とにかく、叫んだ。
「いち――」
「……」
「に、のぉ――」
「――」
「さん――っ、」
「っ――」
私は声をかけ、前に、足を、一歩、踏み出そうとした。
その瞬間、私は――だけど、なにもできず、その場に立ち尽くしていた。
進も同じだった。何をするわけでもなく、何ができるわけでもなく。ただ呆然と崖に立って、ただ呆然と――何も、見つめないでいた。
私は途端に腰が抜けて、だけど転ばないように気を付けて、その場にへたりと座り込んだ。
岩肌が尻を圧迫する。座り心地は悪かったが、私はそこに座ることしかできなかった。
やがて進も、私の隣にゆっくりと座り込んだ。
なにも言えなかった。もう、本当に、声を出すことなんて、できなかった。力が抜けて、手足が麻痺して、ただ波の音を聞いて、暗い空を見上げていた。
しばらくして、私は、隣から、すすり泣くような音を聞いた。
言わずもがな、進だ。進はうつむいて、声を荒げるわけでもなく、泣き叫ぶわけでもなく、ただ鼻をすすって、呼吸を震わせて、ぽろぽろと涙を落していた。
「――」
私は何も言えなかった。何も言えなかったから、ゆっくりと、力を振り絞って腕を上げて、そして、進の頭に、ぽんと手を置いた。
「……かえろっか」
私が言うと、進は何も言わずに頷いた。
かくして、私と男子高校生の自殺計画は――砂の城を壊すように、崩れ去ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇
その後、私は進を車で例の公園前にまで送り届けた。
少し離れた程度とは言ったものの、深夜で往復するとなれば、時間もかなり遅くなっていた。一時を30分ほど上回ったくらいの時に、車を降りた進が私に向かって「じゃあな」と手を振った。
私は空返事をして、そのまま家に帰った。家に帰って、とりあえず、そのまま寝ることにした。
翌朝、私は時計を見て、一瞬だけ心臓が縮み上がった。
なにせ、出勤時間を大きく過ぎていたのだ。完璧な遅刻をしてしまった私は、しかしむしろ焦ることもなく、そのまま、家で呆然と過ごしていた。
翌日、会社に行くと私は怒られた。休む時は連絡をしろと、それくらい社会人の常識だと。至極当然で当たり前すぎて、私は何も言い返さなかったし、何より、何も思わなかった。
ただ、私はその時、妙に気持ちの変化が起きていた。とにかく呆然としていて、なんというか、何もかもが自分と無関係な位置にあるような気がした。そんな感じになった私は、その日のうちに、上司に辞表を提出した。
その後はまあ、二か月くらい、色々とあった。まず上司は途端に私を引き留めだしたし、「君にはここで成長してほしい」などと言ってきた。私は当然それらの言葉を無視した。なんか、もう、何もかもどうでもいいと思ってしまったのだ。
そして無事辞表が受理され、私は仕事を辞めた。仕事を辞めた後は、私は母親に連絡して、とりあえず、色々と話し合った結果、実家に帰ることになった。
そうして私は、アパートの一室を離れることになった。特に思い入れもなかったけど、ほんのちょっと名残惜しいような気もした。
――アイツとは、それまでの間、一度も会うことはなかった。公園に行こうとも思わなかったし、ただ淡々と、右から流れてきたモノを処理していくような気持ちで、私は実家に帰るまでの期間を過ごした。
◇ ◇ ◇ ◇
――私が実家に帰ってから、大体2ヶ月くらいが経過した。私は夜中に車を走らせて、例の公園に向かっていた。
私が実家に帰った後は、驚く程に何も起きることはなかった。私は一人暮らしをする前に、両親とそこそこ揉めて出ていったわけだが、そんな私のことを一切咎めることもなく、詳しい訳も聞かずに父と母は私を受け入れた。何も聞かれなかったことに私はほっとして、私は自分の両親が存外頼りになることを思い知った。
そうして色々とやることもあって、まあなんだかんだでそれほど大きくもない会社への内定も決めて。少しだけ暇ができた私は、ふと、アイツを思い出して、会いに行こうと思い立ったのだ。
――とは言っても、そもそも、いるかどうかわかんないのだけど。私はウィンカーを出して交差点を左へと曲がった。
曲がってしばらくすると、公園が見えた。私は車の速度を落として、ゆっくりとアイツの姿を探した。
「……あ」
アイツはブランコに乗って、星を見ていた。
まあこの辺なら車も通らないだろうと、私は公園の近くに車を路駐した。標識的にも大丈夫だし、問題は無いだろうと深夜の警察の見回りを恐れると、私はドアを開け、そして奴の方へとゆっくり歩いていった。
「おーい、ガキー!」
私が手を振りながら行くと、アイツは――進は、パッとこちらを向いて、そして、私が来るのを待つように動きを止めた。
「久しぶりじゃん。なにやってんの?」
「……星を見ていた。そんだけッス」
「へぇー。実は私を待っていたとか?」
「は? キモイこと言うなし。……でもまあ、会って話をしたいとは思ってました」
「可愛い奴め。どれ、今までは私が愚痴を聞きまくってたからな。今宵は私が話を聞いてやろう」
私はそう言うと、進の隣のブランコに座り、大きくため息をつきながら空を見上げた。
「そんで、そっちは今どうなんだい?」
「…………学校、辞めた」
「え?」
「辞めた……ってより、通信制にした。この辺、他の学校無いし。俺、もう人と関われる自信ねーし」
「……なるへそ。ま、そういう選択もありっしょ」
私は空を見上げてケラケラと笑った。すると進は、「前と違うッスね」と私に小さく呟いた。
「ん? そんなに変わった?」
「……前よりも元気って言うか。マジで楽しそう」
「まあねえ、私も仕事、辞めたからねぇ。もうちょいしたら再就職だけど。次の会社はホワイトだといいなぁ」
私はそう言ってまたケラケラと笑う。すると進は、「アンタさ」と私に話しかけてきた。
「ん? どした?」
「……なんで、ここに来たんす?」
「ばーか。なんか気になるクソガキがいたからだよ。なんてったって、一緒に死にに行った仲だ。……そりゃあ、気にもなるでしょ」
「……他にも、聞きたいことあるんすけど」
私は「なに?」と尋ねる。すると進は、空を見上げて、大きく息を吐きながら、私に問いかけた。
「……アンタ、あの時――何も聞かなかったっすよね?」
「ん? ああ、あんたの事情?」
「……なんで?」
「聞かれたくなさそうだったから。そりゃあ気になるけど、知ったところでなんだよって話だし」
「――それだけ?」
「そんだけ」
「……じゃあ、なんで俺を誘ったの?」
「一人じゃ死ねないって思ったから。アンタも同じっぽかったし、2人なら勢いでイケるかって思ったけど――まあ、無理だったわな」
私はそう言ってぐいっと空を仰いだ。そして「けどさぁ」と言って、鈍色のような声を吐き出して、続けた。
「――なんか、あの時、死ななくてよかったな~って思ってるわ、今。仕事辞めたらさ、すっげ~楽になったんよ。そんでまあひと月くらい遊んで、あ~、楽しい~、毎日ゲームとアニメ見て過ごせるの最高~ってやってた。まあそろそろ働かなきゃだし、ちょいしんどいけど」
「……」
「私さぁ、そんで思ったんよ。
私が死ねなかったのってさ。とどのつまり、そんだけ弱かったからなんよ。なんっつーか、どうしても動けねぇって言うか。やりたいこととか、どうしたほうがいいかとか、色々、色々わかってたけど……そんでもまあ無理ってなって。かと言って死ねるだけの勇気も無くて。そんな行動力も無くて。
けど、それで今結構楽になってるからさあ。これ、どう解釈すりゃあいいんだろうなあって」
「――」
私は黙ったままのコイツを見ないで、自分の想いをただ吐露していく。すると進は、気だるげにポールに座り込んだまま、ゆっくりと空を見上げて。
「――弱肉強食ってさ、ウソって知ってる?」
「……? 突然どした?」
「いいから聞けよ。生き物の生存競争ってさ、別に強い奴が勝つわけじゃないんだよ。いやまあ解釈の違いなんだけどさ。例えばシャチって、海の中じゃかなり最強な部類なんだけど、アイツがじゃあ東京のど真ん中に突然来たとしたら、生きていけると思う?」
「無理だろ。泳げないじゃん」
「そ。極端なたとえだけど、ようはシャチって強いけど、陸の上じゃ放っておけば死ぬんだよ。犬よりも弱い。……何が強くて、何が弱いかって、環境によって変わるんだ」
「はっは~。アレだな。カードゲームで前まで強かったモンスターが、新弾パッケージで一気に産廃になるようなモンだな」
「まあ、そんなもん。……なんか、それを思い出して」
「はっは~。弱肉強食じゃなくて適者適存ね。……なるほどねぇ。私たちのコレも同じってわけか。
お前、クソガキの癖になかなか洒落た言い回しするじゃねーか。生意気でムカつくな」
「なんだよ、酷いな。つーか、大人になってもだらしないアンタに言われたくないっスよ」
「ガキよ、お前らは大人に幻想を抱き過ぎだ。大人なんてな、みんな体だけが老けた中高生なんだよ」
私はそう言って進に笑いかけた。進は「まあなんとなくわかってましたけど」と肩を竦めた。私はそれを聞いてキシシと笑った。
――まあ、人生なんてそんなもんか。私は一度、大きくあくびをした。
「アンタさぁ、これからも暇だったら話し相手してくれよ」
「はぁ? アンタと関わるの嫌なんだけど」
「いいじゃねーか。あ、勉強教えたるよ。お姉ちゃんこれでも成績はそこそこ良かったんよ?」
「いきなり年上面すんなよ」
「おやおや。いいのかい? 無料の家庭教師だぜ? アンタには必要なんじゃねーの?」
「……まあ。それなら、しょーがないっすね」
「おっしゃ。んじゃLI〇E交換しよーぜ」
「事案じゃね?」
「バレなきゃ犯罪じゃないんだよ」
「そんな、メチャクチャな……」
◇終わり終わり◇