6.正体は希少動物
旦那様はわたしの方に身体を向けて、厳しい表情でわたしを見た。
「リーシャはヴァンクーリという動物の毛――いや、商品を知っているか?」
「ええ、名前くらいは」
唐突に話し出す旦那様に戸惑いながら、わたしは頷いた。
ヴァンクーリとは、隣国でしか取れない貴重な動物の毛の事だ。正確には、その種族の名前。
標高の高いところで生きている彼らの毛は、細かく滑らかで断熱性がある、超高級品。
名前は知っていても、わたし程度ではお目にかかったことはないし、そもそも扱う事すらできない。
そして、その毛はかなりの希少性を持っていて、皇族レベルか相当金を持つ成金レベルでしか手にはいる事は無い。
隣国では、一大産業になるくらいには輸出に占める割合も多いと聞く。
「もう、分かったな?」
さすがにそこまで言われて分からない訳ない。
つまり、旦那様もミシェルもこの子がそのヴァンクーリの子供だと思っているという事だ。
「冗談ではないのですよね?」
でもね……、この国ではそもそも希少だし、その生き物自体見たことないわけで……。
本当に?
そういう疑問が出たってしょうがない。
「はっきりと断言はできない……ただ、限りなく黒に近いとだけは言っておこう。ラグナート、冬のワードローブの奥に黒っぽいコートがある。取ってきてくれ」
「かしこまりました」
旦那様が何やらラグナートに頼む。
さっき言っていたヴァンクーリの毛を使ったコートかも知れない。
「私も見たことがあるのは領地にいた時の話だ。しかも、当時は分からなかった。のちにそうだと知った」
「でも、よくわかりましたね?」
「あまり気持ちの良い話ではないが、公爵領にある農村の側で出没していたため、討伐対象になってしまったんだ。特別悪さしているわけではなかったが、体長二メートルを超える大型の獣だ。大事になる前に、どうにかするというのは、分かるだろう?」
領主代行として運営していたので、旦那様の言いたいことは分かる。
わたしでもそうしたと思う。
「旦那様、こちらを」
ラグナートがいくらもかからずに、コートを持ってきた。
黒っぽいコートだけど、着たら旦那様にすごく似合いそうだ。
「これが、ヴァンクーリの毛だ。柔らかく、なめらか。手に吸い付くような手触りだ」
旦那様がわたしにコートを触って見ろと差し出す。
わたしはゆっくりとそれを撫でると、すぐに理解した。
同じなのだ、膝の上の子と。
その子もコートに興味があるのかくんくん匂いを嗅いでいる。
「ちなみに、これ一つ仕立てるだけで、金貨五百枚近くは飛ぶ」
「「ごっ!」」
五百って! やばぁ!!
思わずディエゴと声がかぶったわ!
ミシェルはそれぐらいはすると予想できていたのか、うんうん頷いている。
「つまり、それだけ希少なんだ。見た目は大型狼並で、標高の高いところに住んでいるせいか毛が細く、結果このような手触りの毛になったらしい。なぜ、そんなところで暮らしているのかは分からない。正直、生存競争では負けそうにないくらいには強いのだから、そんな過酷なところで暮らす必要はないんだ」
「謎に包まれた生物なのは間違いないんですよ、リーシャ様。しかも、そんな動物の毛をどうやって集めているのかと言うと、なんと自分達から毛を刈られに来るんだとか。二年に一度、必ず決まった時に」
「頭がいいの……ね?」
「頭がいいどころじゃない。普通に考えておかしい。言っておくが、野生動物の毛など人が手入れしなくても、勝手に毛づくろいや季節と共に抜けたりでどうにでもなる。そもそも、これだけの毛並み、強欲な人ならば、狩りつくすだろうし、密猟も多発するだろうが、そうなっていない」
確かにその通り。
これだけ気持ちが良ければ、少なくとも女性は買うと思う。
こういうのは男性よりも女性の方が敏感だし。
そうなると密猟は盛んに行われて、絶滅してもおかしくない。
どれだけ国が管理しても、そういうのを完全に排除するのは難しいと思う。
「人の前に現れても、害されることはない――もしくは自分達を害せないと分かっているからこその行動ともとれる。絶対的な自信、それは強者であるからこその驕りとも考えられるが、実際は良く分からん。ただ、これを見ていると、少しは分かる気がする……無茶なことをする」
そっと手を取られて、噛まれた痕(もしくは跡)を撫でられる。
少し痛みがあるけど、大したことではない。
「子供とは言え、他の犬や狼の子に比べて、歯が鋭く太いし丈夫だ。本気でやられていたら、指をかみちぎるくらいはできた筈」
え……。
だいぶ手加減されていたって事ですか……。
だって、少し血が出た程度で、すぐに止まったし。
旦那様が手当されているそこにゆっくりと優しく唇を当てる。
ただ唇で触れられているだけなのに、そこは熱をもって変な気分にさせられた。
「あっ……の」
「痛むか?」
それは、もう。
痛むけど、痛みじゃない何かがぞくぞくとしていると言いますか……!
な、なんかすごく恥ずかしい気持ちにさせられると言いますか!!
「止めなかったミシェルもミシェルだが、これからはこういう事はしないでくれ」
心配そうにまっすぐに見つめられて、わたしは視線を少しずらした。
だって!
旦那様って超絶イケメンなんだよ!
あんな風に見つめられたら、わたしじゃなくてもどんな女だってイチコロなの!
あー、やだやだ! 何か頬が熱くなってくるんだけど!
「……あのさ、僕たちいるんだけど、そういう事は二人きりの時にしてくれません?」
ジトーとした視線に苦情ともとれる呆れた声。わたしは思わず旦那様の手を振り払う。
旦那様は横目でちらりとミシェルの方を見た。その目は邪魔するなと言っているようだったけど、わたしは邪魔してくれたミシェルに大感謝していた。
で、ディエゴ。
手で目を覆っているようで、隙間からこちらを見ているのは何でですか? むしろそっちの方が恥ずかしいんですけど!
「クロード様、それで話がちょっと脇道行きそうだったけど、結局どうするんですか? 一応、毛自体も問題ですけど、生きたヴァンクーリの密輸密売は犯罪ですよ? 知らぬ存ぜぬで通すんですか?」
旦那様は、ふむっと考えるように手を顎に当てる。
「私は領地で見たことがある。つまり群れからはぐれたものか追い出されたものが、こちらに来ているということだ。そこで発見したとでも言っておけば、文句は言えまい。なにせ、家畜として飼っているわけではないんだからな。自然界で生息しているのだから、そういう事もあるだろう」
「それでいいんですか?」
「私だって詳しく知っているわけではない。それは隣国も同じだろう。この動物の生態自体が謎に包まれているのだから、何を言っても論破はできまい。返せといわれても、それこそ知った事ではないな。なにせ、所有権は隣国にだってないのだから」
たまたまそこで暮らしていて、たまたま毛を刈らせてもらえてるだけ。
そういうことらしい。
もしかしたら、自分達でやるよりもやってもらったほうが綺麗になるとでも思っているのかも知れない。
もしくは気持ちがいいか……。
それでいいのか、自然界の動物よ。
「結局、この子はここに居ても問題にならないって事でいいんですね?」
聞きたいのはそこなんですよ、旦那様。
旦那様を見上げると、旦那様はちらりと膝の上の小さな毛玉を見下ろした。
「どうせ、一匹だけでは判断はできない。私も百パーセントそうだと言えないしな。もし何か言われても、知らぬ存ぜぬでも通るだろう」
つまり知らなかったで押し通すわけですね、旦那様。
「……リーシャは本気でコレを飼う気か?」
そう口にした旦那様は、明らかに賛成できないと言っていた。
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