16.出発前にはあいさつを、しなくていいです!
「さあ、リーシャ様起きて下さい! 今日は忙しいですよ! こちらモーニングティーになっております」
「時間は有限です! サクサクいきましょう」
「こちら、洗顔の道具です」
至れり尽くせりなのはいいんだけど、みなさん気合入りすぎ。
わたしは昨日までのラグナートのしごきで屍同然なんですけど。
「ドレスの準備はお湯を使っている間にしておきます」
「洗顔が終わりましたら汗を流してマッサージ。そのあときちんと保湿して、ゆっくり保湿剤を浸透させていきますよ!」
「ライラさん、先にお食事にしましょう。このあと体力が必要ですからね」
もう好きにしてください。
わたしは言われるままにお茶を飲み、軽食を取る。
その後ライラの極上マッサージを堪能し、お風呂から出ると、髪を複雑に結い上げられて、化粧を施される。
正直、結婚式当日よりも準備に時間がかかっていた。
「ドレスはこちらを。旦那様より厳命されております」
その厳命のあったドレスはかなり豪奢なものだった。
とは言っても、お茶会は昼間の開催なので、それに見合ったアフタヌーンドレスだ。
上半身は白から始まり、下に行くにつれ赤が濃くなっていく。
ドレスの飾りも華やかなバラの造りで、レースも素晴らしい職人技。
久しぶりにこんなドレスを着るので歩きにくいったらない。
「この色、旦那様の――いえ、リンドベルド公爵家の色合いよね?」
リンドベルド公爵家は真っ赤な特徴的な深紅の髪が有名だ。
その色のドレスを纏えるのは、リンドベルド公爵家の正妻ただ一人。
社交界でも似たような赤色はあっても、この特徴的な色合いを纏う人間はいない。
「旦那様が是非にと。愛されていますね、リーシャ様!」
愛とは違うんだよな。
きっと、一番手っ取り早く周りに知らしめるためだと思う。
準備が整うと、それを見計らったかのように扉がノックされて、入って来たのは旦那様。
旦那様は片手にはビロードの張った小箱を持ち、多少格式ばってはいるけど、普段着の範囲の服装だ。
それでも、その飛びぬけた容姿のせいか、わたしのドレスに見劣りしていない。
「なかなか、すばらしい出来栄えだ」
「お褒めに与り光栄です」
全く褒められた気がしないので、こちらも心の籠っていない返答だ。
「褒めたんだぞ?」
「それは、ありがとうございます」
旦那様のような容姿を持つお方に褒められるとうれしいって気持ちよりも、嫌味かって気持ちが上回るのなんででしょうね?
きっと旦那様の日頃の行いのせいでしょう。
すっと差し出された手に、わたしは手袋で覆われた手を重ねる。そのまま、腕に絡ませて、部屋を出た。
すでに別邸の正面玄関には馬車が止まっていて、その前にはラグナートが待っていた。
今日はラグナートも一緒で、すでにいつもの隙のない姿で待っていた。
「リーシャ様、今日はこの二日間の勉強を生かしてがんばって下さい」
「あー、うん。なるべくがんばります」
旦那様のためには頑張りたくはないけど、わたしのために頑張ります。
「ああ、そうだこれを」
旦那様が手に持っていた小箱をぱかりと開けてわたしに見せる。
そこにあった素晴らしい品に思わず感動の声が漏れた。
「まぁ!」
その輝きは一級品。
光に反射してきらりと光りまぶしいくらいだ。
デザインは少し古いけど、それは紛れもなく一族の家宝ともいえる装飾品のセット。
大きな真っ赤な深紅のルビーが目を引く首飾りと繊細な細工のイヤリング。こちらも首飾りと同じ宝石が使われている。
誰もがその輝きに目を奪われるだろう。
「これはリンドベルド公爵家の正妻が代々継承しているものだ。せっかくだからこれを着けるがいい――……ああ、いや私が着けよう」
「いえ、自分で――」
わたしが自分でやると言い終わる前に旦那様が素早くわたしの背後に回り、装飾品を着けてくれた。
背後に感じる旦那様の気配や首元にかかる指に緊張し、身体が堅くなった。せめてイヤリングは自分でと思っても、旦那様が素早く耳に触れる。
くすぐったいのと恥ずかしい思いがない交ぜになって、頬が自然と上気した。
「できたぞ」
「あ、ありがとうございます……」
まっすぐ旦那様を見れずに、わたしは自然と視線が下を向く。
そのわたしの顔を旦那様が持ち上げ、じっくりと鑑賞する様に見下ろした。
「似合っている」
「そ、そうですか」
それしか言えない。
なぜだか恥ずかしくて、旦那様を見れずに目をぎゅっと閉じてしまう。
なんでしょう、空気、空気が甘いんですけど!
ちょっと! 誰か止めて下さい!
この雰囲気、ものすごくいたたまれないんですけど!!
しかも周囲から視線もすごい感じます!
やめて、こっち見ないで!!
優しく頬を撫でる手にハッとして思わず目を開けると、見たことのない目の輝きとばっちり合う。
「リーシャ……」
「あ、あの」
あの時とは違う。
その時のふざけた態度とは。
目を逸らすことが出来ず、身体が金縛りにあったかのように動かない。なぜか目が潤んできて、わたしはそれを見られたくなくて顔を逸らせようとした。
しかし、それを旦那様は許さずわたしの顔を固定し、ゆっくりと顔を寄せてきた。
「あっ……」
口づけられる――……
そう思ったその瞬間。
「ごほん!」
わざとらしい咳払いに、旦那様が動きを止めて横目でそちらを見る。
邪魔されたその不機嫌さを隠すこともしていないが、わたしは良くやった! と心から喜んだ。
こんな事ができるのは一人しかいない。
「旦那様、出発時間が過ぎております。そのような事は二人きりの時にお願いします」
ラグナート! さすがはわたしの元執事! でも二人きりの時なんて余計な一言はいらなかった。
旦那様も、ラグナートの邪魔でその気が逸れたのか、わたしを解放する。
「仕方ない、邪魔の入らないときにしよう」
わたしがぎょっとして旦那様を見ると、旦那様は何か楽しい事を考えている顔つきだった。
いや、二人きりの時もやめていただきたいんですけど?
わたしたち、政略結婚で、男女の関係ではないですよね!?
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