11.ベルディゴ伯爵家の元執事
「お久しぶりでございます、リーシャお嬢様――いえ、奥様」
「久しぶり、ラグナート……ごめんね、老後を楽しませてあげられなくて」
「いえ、これもまた老後の楽しみですよ」
ニコニコと好々爺の笑みを浮かべてはいるけど、それに騙されてはいけない。
優しくも厳しいラグナードの本性は、超スパルタ爺。
「旦那様、こちらベルディゴ伯爵家で働いていた総括執事のラグナートです。顔は知っていますよね?」
「伯爵邸で会ったな」
「さようでございます。覚えていて頂けているとは光栄でございます、旦那様。――ラグナートと申します。ベルディゴ伯爵家では総括執事として働いてまいりましたが、奥様が結婚いたしましたので、高齢のためタイミング的にも後継にまかせて職を辞しました」
本人が言うように、確かにラグナートは年齢が結構高いのは否定できない。
なにせ、祖父の代から仕えている御年七十。いつ何があってもおかしくない年齢ではある。
でも、それを感じさせない程矍鑠としているし、若々しいし、隙がない。
わたしを育てた人でもあるので、わたしも頭が上がらない人物だ。
わたしが結婚して家を出るのなら、自分の役目も終わりだと辞職して領地に戻ると言っていた。
でも、今こんな状態で唯一ロックデルに対抗できそうな人物は、ラグナートしか思いつかず、職を辞したラグナートを旦那様に紹介した。
領地で老後を楽しませてあげられなくてごめん、ラグナート。
と心の中で謝る。
旦那様が気に入れば、そのまま雇用となるけど、どうだろう。
さすがにベルディゴ伯爵家に仕えていた執事じゃあ嫌かなぁと思いながら見ていると、何かを観察していた旦那様が一つ頷き、雇用契約書を取り出した。
「この条件でいいのなら、ぜひ雇い入れたい。経験豊富な人間は、どれだけいても邪魔にはならない」
「拝見いたします」
ラグナートがざっと内容を確認していく。
ちなみに、この雇用条件について意見を聞かれはしたけど、内容を確実に把握はしていない。
ラグナートは一つ頷くと、さっと下に名前を書く。
そして、深く頭を下げる。
それは、まるで忠誠を誓う騎士のようだ。
「これより、私はリンドベルド公爵家の繁栄のため身を削り、この命以てしてリンドベルド公爵家をお守りすることを誓います」
旦那様は満足そうに笑う。
しかし、どこか皮肉気でもあった。
「言ってろ。お前の目的のために利用するのなら、その為の働きは期待している」
「かしこまりました」
えー、なになに。
二人だけでなんでわかり合っているの……。
なんだか釈然としない二人の会話に、わたしは首を傾げた。
「では、早速仕事に取り掛かりたいと思います。まずは――……これをどうにかしないとなりませんね」
そう言って、部屋を見回すラグナートに、旦那様はため息を吐く。
ちなみに、すでに魂飛んで撃沈している旦那様の秘書官殿――ディエゴが机に突っ伏している。
「来て早々悪い……」
さすがにバツが悪そうに旦那様が言う。
しかし、ラグナートは平然としていた。
「いえ、これでも少し事情は聞き及んでありますので。執事界隈の事は大体私の耳に入ってきます。意外と、世間は狭いのですよ。――さて、奥様……どうやらお一人だけ暇なご様子ですね? ぜひこちらをお願いします」
「えっ……いやー、わたしちょっと他の仕事が……」
実は、あれから一週間たっている。
二日で把握しろと言われた資料を涙目で読み込んで、かと思いきや次はこれだと積み重ねられ、わたしの三食昼寝付き堕落生活がガラガラと崩れ去っていた。
ちなみに、現在わたし達のいるところは旦那様の仕事用の別邸。
まあ、あんな魑魅魍魎がいるところじゃあ仕事になんないよね。
分かる。
静かに集中したい気持ちも。
それに謀の相談にはここはうってつけだった。
ここは、旦那様の信用のある人しか入ることは許されていない。
そのため、ここでの話は外に漏れることがないとの事だ。
「資料を読むくらいは一日でできますよね?」
「ラグナート、わたし旦那様と最低限の生活の約束をしていてですね――……」
ドンと積まれた紙の束に、わたしは半泣きだ。
これ、夜中になっても終わるかなぁ……。
でも、睡眠の確保は絶対する。
そんな決意をもって、ラグナートに言うと、彼はニコリとほほ笑んだ。
「奥様、雨風凌げる場所があるだけで、最低限以上の待遇ですよ。つまり、その分の仕事はしなくてはいけません」
なんと、ラグナートは旦那様以上の鬼畜だった。
知ってたけど……。
というか旦那様、これ全部本来なら旦那様がやるべきことなんですよ!
笑っていないで、死ぬ気で働いて下さい!
「頼もしい限りだ。父が全く何もしていなかったせいで、そのしわ寄せが今になってきているところだったんだ。お互い父親には苦労するな」
もっと使える人間増やしてほしい。
前から思っていたけど、秘書官が一人とか、絶対オーバーワークだ。
「さて、では私はこちらの席をお借りします。一つ聞いておきますが、ここに知られたくない書類や内容はありますか?」
「ここにはない。私やリンドベルド公爵家の重要書類は私のところに回って来るようになっている。勝手な裁量は出来ないように、総括執事が持つべき公爵家の印は私が持っている」
総括執事が持つことが出来る決裁印を取り上げられていると言うのは、完全にお前を信用していないという敵対行動。
ロックデル自身、旦那様に好かれていないことは分かっている。しかし、そう簡単にこのリンドベルド公爵家を取り仕切るような人物が見つかるとも思っていないので余裕の表情らしい。
そのうち諦めて、自分の言いなりになるだろうと。
「仕事ぶりを確認したら、そのうち印を渡す」
「そのために、がんばらせていただきます」
正直、ラグナートの様な雇用はかなり珍しい。
総括執事にもなると、外の人間には任せられないのはどの家でも大体同じだ。
その家の事情を深く知れる立場、下手な人間は雇えない。
それに、教育の面でも分家の中から選ぶのが一般的だ。
ラグナートだって、ベルディゴ伯爵家の分家筋にあたる。
正確にはちょっと違うけど、似たようなものだ。
だからこそ、他家の人間であったラグナートを雇うかどうかは賭けでもあった。
ただ、旦那様にしてみれば、ロックデルよりはだいぶマシなんだろうけど。
それに、ラグナートは高齢だ。
ロックデルを排除した後は、ラグナートに後継を育てさせるつもりかもしれない。分家筋の誰かを。
ラグナート自身は人を育てるのが大好きなので、嫌がる事は無いと思う。
ただし、その人物が最後まで持つかどうかは謎だけど。
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