藍染三反
近代日本を作り上げた偉人の一人、渋沢栄一。しかし幕末から明治大正と激動の時代を駆け抜けた彼の理想とした日本とはあまりにもかけ離れてしまった姿が、現代の地上に存在していた。
現代日本人の不甲斐なさにしびれを切らした渋沢は再びこの世に降り立った。渋沢が生前親交のあった鳴滝家に生を請けた令嬢、千栄莉の体内に憑依するという形で。
そして千栄莉の身体を媒介として、その近くにいる人の心身を乗っ取り、渋沢が今すべきだと思うことを宣言する形で日本を救おうとするのだった。この事を知るのは千栄莉の親友で渋沢の生誕地、深谷育ちの同級生、持田マユ。二人のJKと一人の偉人が、感染症大流行の日本で強行されようとしている学園のオリンピック観戦行事に待ったをかけるべく、行動に出る。
「こんばんは。千栄莉はもう、寝ちゃったんですね? 相変わらず規則正しい生活でお利口さんですね」
「おやおや、随分またトゲのある言い方ですね。確かに今時の高校生が九時に寝てしまうのは早いと思いますけど、それは人それぞれだし、もし千栄莉さんが目を覚ましたら怒られますよ」
「いいですよ別に。昼間も言いましたけど、千栄莉はあんまり甘やかさない方がいいんです。それにどのみちアプリの履歴をたどれば分かるんですから。千栄莉がそういうの詳しいかは別として」
人間、レム睡眠だのなんだのがあって、脳は寝てるけど身体は起きてる状態とその逆とがあるらしい。そして脳が寝ている千栄莉の身体は、あの世から今の日本が無茶苦茶になっているのを見かねてやってきた渋沢栄一翁こと栄一さんによって操ることが出来る。栄一さんはアタシに千栄莉のスマホを使って連絡を取る事が出来る。でもそのスマホは千栄莉のものだから、アタシたちの会話はあとから千栄莉が読むことだって可能なはず、でも、
「既読は千栄莉さんには読めませんので、安心して下さい。私専用のパスコードを設定していますから」
という答えが返ってきた。
「あー、栄一さん専用の」
と納得しかけたけど、
「ってちょっとちょっとっ、そんな事できるんですか? SIMは一つですよね?」あ
スマホって基本個人で使うものだから、パソコンみたく複数の人が使い回すわけじゃない。だから千栄莉のスマホを借りて使っている栄一さんの履歴は、千栄莉にダダ洩れなんじゃないの? と思ってたら栄一さん曰く、
「要するにpersonal computerと同じようなものですからね、このsmart phoneというものは。何せあの世にはこのような機器類を開発した方々もいらっしゃいますので、remotional acsessで改造して貰ったのです」
ひょえー。まーでもスマホって言えば、世界一売れてるやつを作った人もあの世にいるんだから、それも不可能じゃないって理屈は分かるけど。あの世も何て言うか、科学技術が進んでるんだね。あ、どうでもいいかもだけど、栄一さんは英語の発音がすごくキレイ。明治大正の頃は外国語を日本語化するのがまどろっこしくて、英語なら英語のまんま使ってたとかいう事みたい。
それはそうと、本題本題。
「栄一さんは、今度のオリンピック、どう思いますか?」
アタシはずっと疑問に思ってた。学校に観戦実行委員というのができて、アタシがそれに選ばれるずっと前から。その理由は、
「そうですね、私も思うところはありますが、まずはマユさんのご意見を拝聴したいですね」
と、栄一さんに言われたので、栄一さんへの説明をもって変えることにする。
「うーん、やっぱ、自分の友達が今問題になってるウイルスに感染したのが一つ目の理由です。去年までは自粛とか緊急事態とかいろいろ言われてても、テレビの向こうのお話みたいなとこは正直あって。でも身近にいる人が感染したってことで、急に怖くなったんです。ああこの病気、身近なものなんだ、って。頭では分かってましたよ、怖い病気だって。でもそれとは違う怖さ、何て言うか、恐怖がこっそり背後から忍び寄ってくる感じがして、ブルブルしたんです。だから、そんな病気が大流行してるときにお祭り騒ぎして、本当にいいのかなって」
「なるほど。マユさんはこんな時にお祭り騒ぎする事にはためらいがある、ということですね?」
「はい、そうです」
アタシは何気なく答えたけど、栄一さんはその「何気なく」を受け流すと限らない。だって、アタシが答えたあとにすぐこんな質問をしてきた。
「ではマユさんのためらいとは、具体的にどの辺にあるのですか?」
ぐっ。
具体的にどういうことか、それを説明するのって難しい。どの辺って、どの辺? しまった。アタシ、何となく怖い、としか思ってなかったかも……。でも栄一さんは、冷や汗顔のアタシにヒントをくれた、たぶん、ヒントだと思う。
「こんな考え方もありますよ」
画面の向こうの栄一さん、が憑依した千栄莉の表情がにやりと笑ったように見えた。あ。この感じ。ただのヒントじゃない。もしかしたらアタシ、試されてる?
「夏越の祓という神事がありますが、あれは昔の日本では夏にしばしば疫病が流行ったことから始まったとも言われています。お祓いをして厄を払う、という意味ではオリンピックもある意味厄払いかもしれません。例えばあの聖火。聖なる火というくらいだからご利益があるかもしれませんよ」
ああ。やっぱり試されてる。栄一さんは講演とかもたくさんしてるし、教育にも関わってきた方だからこうやってアタシに考えさせようとしてるんだ。
うーん、どう答えようか。
そんなの非科学的、なんて答えじゃたぶん納得してもらえない。現に亡くなったはずの渋沢栄一翁が、生きている人の身体を借りてアタシと会話してるという非科学的なことが起きてるんだから。つーか、人々が神頼みとかそういうのをちょこっと信じちゃってるから、お祭りとか、お寺とか神社とかって残ってるんじゃないかな。あ、でも、
「え、栄一さん。反論、します」
「おお、そう来なくてはいけません。若いうちに様々な思索をするのは良いことです」
ああ、やっぱりアタシに考えさせようとしてたんだ。でも、アタシそれに乗った。だって、ひらめいちゃったんだもん。
「確かに神様や仏様にお祈りするかたちでのお祭りは残っていると思います。でも、それが今のウイルスに効果があるかといったら、無いと思います。だって、そうやって生まれてきた数々のお祭りが、ウイルス感染を恐れて中止されたり規模を小さくしたりしてるんですから。神頼みが本当に効くなら、逆にもっと派手にやろうとするはずです」
栄一さんは、満足げな様子でうなずいた。
「よく出来ました。もちろんこの問いに答えはありません。ですがマユさんが自分で考えたということ、そしてそれに当たっては、自らの頭の中で終わらせず、物事を客観的に見て、理をもって説明しました。それが大事なのです」
やったあ、褒められた。あの渋沢栄一翁に、褒められた!
アタシは調子に乗って、どんどん話し始めた。
「ご利益とか何とかがあるかどうかは分からないけど、実際病気がはやってるのは確かですし、それにオリンピックはお祭りというか、イベントって感じだと思うので、ちょっと別の話になると思います。そしてイベントだとしたら、こんなときに不謹慎とかいう意見の人もいるでしょうし。でもアタシはやっぱり、人が集まるようなことをなんで派手にやるの? こんなときに。って引っ掛かりがあるんです」
幼い頃からどちらかと言えば理屈っぽいほうで、幼稚園や小学校でも「持田は理屈ばっかり」って、先生や友達にもよく言われてた。細かい事を言い始めるとキリがないからとりあえず保留するけど、栄一さんはアタシの理屈を褒めてくれた。だからアタシは得意になって、今回の東京オリンピックに関する不満をぶちまけた。栄一さんは、黙って聞いてくれた。
「だってそういう理由で、コンサートとか映画とか、そういうのは規制を受けてるじゃないですか。なのにどうしてオリンピックだけいいんですか? 海外旅行はダメなのに、海外からやってくるオリンピック選手はなんでいいんですか? おかしいですよ、そんなの。ガッコの先輩たちは修学旅行も中止ですよ。国内を先生が管理して移動するのがダメなのに、その何十倍もの人が東京に集まるなんて、怖いですし、ズルいって思います。栄一さんは、とう思いますか?」
しばらく考えたのち、栄一さんは答えてくれた。
「私も、マユさんと同じ不安は持っています。実際私は流行り病によってあの世に召された人達を見ていますから。あちらだって亡くなった人の御霊を受け入れるにはいろいろと手続き的なものがあります。今の医療現場がそうであるように、あの世の入口も機能がひっ迫していました」
「そんなに、ひどかったんですか?」
「ええもう。あの世の入口というのは亡くなった人が信じる宗教ごとに振り分けられ、それぞれの決まりにのっとって地獄の沙汰とか審判とか言われるものを行う場所です。ところが突然の流行り病によって入口が大混雑。ところがそれぞれの宗教で沙汰や審判を下される係は簡単に増やせません」
「あー、例えば閻魔大王は二人いないとか、そういうことですか?」
「その通りです。亡くなった人に相対する存在を、簡単に創ったり増やしたりするわけにはいかないのです。窓口はそれぞれの人にとって一つでなければいけないのです」
まーそうだよね。閻魔大王が何人もいたら議論が割れるし、窓口ごとに別の閻魔大王がいたら、あっちの方が審査ゆるいぞ! みたいなことなって大混乱だろうし。つか、閻魔大王とか地獄とか極楽とかってホントにあるのかなって思ったけど、聞かないことにした。あの世のことを、この世の人間があんまり突っ込んで聞いちゃいけなさそうだし。アタシは、話を進めた。
「じゃあ、もしオリンピックなんてやったら、もっと患者が増えて、もっと大変なことになるんじゃないですか?」
「もちろん、なります。そしてそれは、この世も同じです。必ず社会は混乱します。この世にも、余人をもって変えがたい職業がありますよね?」
あの世では、人をさばく役目は決まっている。同じように、病が流行すれば、それに立ち向かう役目につける人は限られている。
「医療、ですね」
「はい。必ずといって良いでしょう、日本の医療はかつて無い大混乱に陥ります。病院のベッドが足りないということにもなりかねません」
アタシは、ちょっと怖くなってきた。オリンピックで浮かれてる場合じゃないと思ってきた。でも、怖くなってきたからこそ、希望的観測ってやつを欲しがったりもした。
「で、でも感染対策をしっかりすればいいんじゃないです、か? マスクをして、三密を避けて」
「三密を避けて……、本当に、避けられますか?」
「え……」
改めて真剣に問われれば、果たしてどうなのだろう? とも思う。自信が、揺らぐ。そして追い討ちをかけるように、
「人が集まる事には、様々な危険が伴います。そして今、その危険は強まってきています。新聞なり、newsなりでご存知でしょう? 種というものは、変化を重ねて進化するのです」
明らかにこれまでのものより強力な感染力を持つウィルスが、世界各国に広まってきていた。既にニュース等でそれは報じられていたが、恐怖が自分の背筋に張り付く感じがした。
翌朝。
「ふあ、あ、ごめんなさいはしたなくて。あ、改めてごきげんよう、マユさん」
「ごっきー、千栄莉。なんか眠そうだねー」
「ええ、どうにも眠くて仕方ありませんの」
「夜更かし?」
「いえ、そんなことありませんわ。睡眠時間は十分なのですけど、疲れが取れていない感じで」
「ふーん」
「季節の変わり目だからかしら。眠りが浅い気がしますの」
「あー、そーかもねー」
でもアタシは千栄莉が寝不足気分な理由を知っている。千栄莉の身体を借りて栄一さんとアタシはゆうべスマホ会議をしていたのだから身体が休まる訳はない。でも、千栄莉には悪いがそれは秘密にしておきたい。アタシと栄一さんは、今日ある計画を決行する事にしているのだ。
今日は週に一度の全校朝礼の日。全校生徒が密集を避け、距離を保っての整列が出来るほどの広い部屋が無いため去年まではおのおのの教室で校内放送を聴く形だったみたいだけど、今年度から講堂に集まっての形式に戻った。
「ヘンなの。感染者が増えてるのに、わざわざ講堂に集まるなんて」
「マユさん、おしゃべりが過ぎますわよ。もうすぐ始まります」
アタシの感覚では朝礼なんて生じてどーでもいい事だから、校長が壇上に上るまで隣の友達とべちゃくちゃってのがフツーなんだけど、千栄莉は相変わらずカタいのでそういうのはアタシでも許さない。はいはい、と返事して大人しく従う。それにしても、みんなよくまあこんな状態で黙っていられるなって思うけど。それがお嬢様のたしなみって事なのかもしれないけど、それにしたって静かにし過ぎだって思う。
いい加減我慢の限界、と思ったとこで理事長登壇。つーか千栄莉のお母さんだけど。千栄莉のお父さんは大会社のCEO、お母さんはこの学園の理事長。当然、全校朝礼となれば、お言葉を頂けることになる。
そして、その時こそが、アタシと栄一さんの作戦決行のとき。
「生徒児童の皆様、ごきげんよう。今日という日を無事にむかえられたことを、神に感謝致しましょう」
キリスト教主義の学校なので、理事長のお話もこの言葉から始まる。正直アタシはどうでもいいのだけど。だいいち、全然無事じゃないし。つーか、自分の娘が生死の境をさまようことになった原因のウィルスがまだ町中にウロウロしてるっていうのに。
「ですから、私たちは神のご加護を賜っており、それにお応えするためにも毎日のお祈りを捧げることが努めとなるのです」
いや、いくら祈ったところで死んだ人が生き返るわけでもなし、そうじゃなくて、毎日の礼拝やめた方がよくない? 教室でみんなでお祈りの言葉を唱えるとか、どうでもいいと思ってるよ、神様だって。だいいち、教室でみんなで口を揃えて発声したら、ウィルスばらまいてるのと同じ。ですよね、栄一さん?
栄一さん?
そっか、始まるんだ。
「で、ありますから、これからの世界にはばたく皆さんにとって、西洋について知ることはきわめて重要なのです。そのためにも、今回のオリンピックは良い機会です。これ以上ないと言っても過言」
ではない、と理事長先生は言いたいらしい。でも、
「……過言」
ちょっと間があった。そして、
「と言われても仕方ないでしょう」
数名の先生が、その言葉にハッとなった。だってそれを過言だと認めるということはすなわち、
「世界を見るためのtoolをすでに皆さんはお持ちです。televisionやinternetはそのほんの一部ですし、そこに映される世界が全てとは限りませんが、世界について知らんと思うならば、まずそれらを開いて見ることです。そしてそこに映し出された出来事をつぶさに読み取ったならば、今の世界が何に苦しみ、何と戦っているかが分かるはずです」
ただならぬ雰囲気になっているのを、先生方は気づいたのだろう。理事長の口調がいつもと少しずつ違うのもあるだろう。ちょっとザワザワとし始めた。でも理事長はそれに気を取られることなく、キッと顔を引き締めて、
「宣言します。本校のオリンピック観戦は、中止とします。国際状況を鑑みればオリンピックの開催自体疑問視されるにも関わらず、その会場に本校の生徒を引率して危険にさらす、そのようなことは断じてあってはなりません」
唖然とする先生方。アタシたち生徒の中でも、少しずつざわざわした。それを制するように理事長は、
「オリンピック観戦実行委員会の皆様にお知らせします。本日、臨時会議を招集します。そしてこの会議をもって、委員会を解散する運びと致します」
朝礼が終わっても、しばらくざわざわは校内から消えなかった。
「それにしても私としたことが、朝礼中に具合を悪くしてしまうだなんて、日頃の健康管理がなってない証拠ですわ。反省しなければ」
朝礼での衝撃発言の直後、千栄莉はふわっと床に転げ落ちた。保健室の先生は貧血だろうと言っていたけど、
「それにしてもやっぱり親子ねー。同じくタイミングで貧血起こすだなんて」
理事長こと、千栄莉の母もオリンピック観戦中止宣言のあと、ばたりと壇上で倒れた。過労も影響した貧血のため心配は無用、とのアナウンスが全校に流れたことで、みんな一安心。
でもアタシは知っている。千栄莉も千栄莉のお母さんも、貧血のような症状で倒れたけれど、それは千栄莉の中にいる渋沢栄一の魂が一時的に千栄莉のお母さんに憑依し、口を操ってオリンピック観戦中止の宣言をしたから。あの世から降りてきた栄一さんは、他人の身体を一時的に操ることができる代わりに、この世での依代である千栄莉と操られた人の体力を激しく消費する。だからて千栄莉のお母さんは一時的に身体が弱って倒れてしまった。そして千栄莉本人も。
もっとも、千栄莉の方は、アタシと栄一さんが眠っているはずの千栄莉の身体を借りてオンライン作戦会議していたせいもあるんだけど。自分では横になってるつもりが中にいる栄一さんが勝手に身体を使ってるんじゃ、休まらないよね。
もっとも、千栄莉のお母さんが体調不良というのは結果オーライだったみたい。だって必ずや決行されるとみんな思っていたオリンピック観戦が中止になったのだから、保護者や関係者からは問い合わせが殺到して当然。それをかわすのには、丁度良いタイミングの「貧血」だったというわけ。
目を覚ました千栄莉は、すぐさま母親の身体を心配して立ち上がろうとし、上半身を持ち上げたところでまたばたりと布団に転がる。
「千栄莉、お母さん無事だよ。貧血だってさ」
付き添いのアタシはそのまま保健室に残っていた。他の先生も生徒も、何事も無かったと装うかのように平然と教室に戻り、いつものように授業が始まった。アタシは千栄莉が心配だからという口実で、本音は苦手な数学の授業なので、公然とサボらせてもらった。ラッキー。
「相当、覚悟とか勇気とか必要だったと思うよ。オリンピック観戦は何が何でもやるんだ、って勢いでいたんだから、理事長先生」
「よかったわ。お母様も無事だし、観戦も中止になって」
「千栄莉も、中止の方がいいと思ってたの?」
「内心では、そう思っていましたわ。だってあの病気の苦しさを、わたくしは経験しているのですもの。それをわざわざウィルスがうようよしている場所に大勢で出かけて行くだなんて、どうされたのお母様、と思ってましたの」
首をかしげつつも、安堵の表情を浮かべる千栄莉。
「ですけど、おかしなことが一つあるのですわ」
千栄莉がアタシに尋ねるように言った。
「お母様、倒れる直前に自分が何を喋ったか、記憶が無いらしいんですの。気が付かれてから話の内容を聞いて、そんな事言ってない! って大慌てだったみたいで」
それはまあ、当然の事というか、栄一さんに口も意識も乗っ取られているのだから、その間の記憶は無くて当然。だけどアタシは、
「よっぽど疲れてたんじゃないの? オリンピック観戦の準備とかで大忙しだったんでしょ? もしかしたら立ったまま寝ちゃって、寝言で本音が出たとか、かもよ?」
白々しくアタシは対応した。前回の千栄莉のお父さんの時は二人共謀してのことだったから、憑依された人が直後に意識を失うことは知っている。その時と同じ事が再現されたのだから、もしかしたら千栄莉は気が付いているかもしれない。今度はアタシと栄一さんが共謀して、理事長の口から観戦の中止を宣言したのだ、と。勝手に千栄莉の身体を使って。
でも、千栄莉は想定外レベルのニブチンだった、
「そうですわね、お母様相当お疲れになっていたのでしょうね」
と、あっさり納得、
「……なんて、わたくしがすんなり認めるとでも
思ってまして?」
納得、するわけなかった。さすがに。
「なんでわかるの? みたいな顔なさってますけど、マユさん、逆にお聞きしたいのですが、栄一様はいつの間にわたくしに気付かれず他人へ憑依する術を身に付けたのですの?」
「あー、えーっと、いつだった、かなあー?」
すっとぼけては見たが、千栄莉の顔は明らかにおかんむり。そりゃまあ、勝手に自分の身体を使われたのは気分が悪いようだけど、栄一さんの能力が日々アップデートしてるのは千栄莉も知ってる事だから予想は出来たんじゃ無いかなあ。てなことを栄一さんにも心の中で諭されているようだけど、いちいちアタシに聞かせる必要はないのでそのやり取りの詳細はわからない。でも、千栄莉が思わずこんなセリフを吐く程度には口論があったようだ。
「わたくしは、貴方のような成人男性に対して、心と身体の全てをお預けしたわけではありません!」
「失礼しまーす、保健委員です。千栄莉様、お身体の具合はいかがで……」
千栄莉が心の叫びを表にだす一瞬前、保健室にやってきた二人の保健委員。クラスのカーストでは中の中。お嬢様だし千栄莉に強い憧れを持っているけど取り巻き程ではない、この学校の平均的、いや、数的に一番多いタイプ。その子たちが保健室に入ってきた。そして彼女たちのポジションは千栄莉の一挙一動に最も敏感なタイプでもある。そんな二人がは千栄莉の叫んだセリフを心の中で何度も何度も反芻したろう。そして、
「ち、千栄莉様、な、なんて破廉恥な事を。そ、そんなお方だなんて、思いませんでした……」
最後の方はほとんど涙目になり、すぐさま保健室の戸をぴしゃりと閉めて、走り去ってしまった。
「おやおや、間が悪いことというのはあるものですね」
他人事のように言う栄一さん。若い頃は随分モテたらしいし、それくらいの色っぽいウワサなんて大したことないって思ってるんだろうけど、
「わたくしに取っては大問題です! お二人とも! 誤解なのですわ、話せばわかります、ちょっと待って……」
と、追いかけようとベッドの上に立ち上がった千栄莉。だが所詮は保健室のベッド、たいして安定したつくりにはなってないわけで、
「がしゃん」
鳴滝千栄莉さん。ベッドから転倒して全身に打ち身やかすり傷を負い、数日間の欠席となったのだった。
「ごめんね、アタシが話さなかったから。でもさすがにお母さんの身体を操るのには抵抗されるかもって思っちゃって」
「私もです。心からお詫び申し上げます」
「ええ、お二人が十分反省して、わたくしのことを気遣ってくれているのは、わかりました。ですが」
千栄莉は不自然にベッドの上に座った姿勢から無理やり背筋を伸ばすと、強い語調で言った。
「わたくしが昼間も寝ているのをいいことに、放課後の時間からずっとわたくしの身体を使って雑談するのはほどほどにしてくれませんこと?」
相変わらず千栄莉の身体をこき使うアタシと栄一さん。ちなみに校内では例の「ハレンチ発言」の反省のため自宅謹慎しているのだと思われているのだが、さすがにそこは武士の情け、黙っておこう。
言うて、また学校に復活したら問い詰められるんだけどね。