撤回と謝罪
最近の報道は、撤回と謝罪の区別もつかないようだ。何を撤回し、何を謝罪したのかはっきりとさせない。わざと誤読させるような報道を行なっている。
発言の撤回で発言が公式にはなかったことになるだろうが、世の中に出してしまった言葉は消えない。これは、謝罪が必要だ。しかし、多くの謝罪が、発言内容ではなく発言した行為の謝罪である。議員にあやまっているだけで、世間、とくに対象となった人物へはまったく謝罪していない。
そのことが示すところは、認識を改めたわけではないということだ。公で発した大臣の発言は個人見解でも大臣見解だ。個人見解というのは個人的内容に対してあって、公的な内容に対しては公的見解になる。今の総理が都合によって自民党総裁との弁の使い分けをしているのとは違う。
個人的だろうが認識が間違っている、つまり役職上の考え方に難のある人物をその役職に据え置くのは問題だ。注意しても、考え方は変わってない。だったら、代えるしかない。その当たりお前のことを、うやむやにするのはトップの資質も疑われる。民間であれば優れたハッカーがサイバー対策の職につくことも可能だろう。しかし、公職につくものは、たとえ能力があっても性格に難があれば、失職する。泥棒が警官になれないのと同じである。