第四話・姉と弟
三者三様に苦悶の声を上げ、虫の様に這いずり回る男たち。
最早それらに興味は無いとばかりに、ライザは腰を抜かしているハンナに手を差し伸べた。
「ハンナ、怪我はない?」
「ラ……ライザさん……ありがとう、ございます」
ハンナは恐怖から解放された反動か、身体を震わせている。
「安心して、もう大丈夫だから。ほら、ホークもしっかりしなさい」
床に伏しているホークに檄を飛ばし、ハンナを抱き起すライザ。
ホークはそれを、悔しさに満ちた目で見ていた。
「ぐっ……だから銃士は嫌いなんだ。そうやって、撃てば解決すると思っている」
「でも撃たなきゃ、どうなっていたか。分からないあんたじゃないでしょう?」
諭すようなライザに、ホークは忌々しげに答える。
「分かっているさ……分かっているから、悔しいんだ。礼は、言うよ。ありがとう」
ただ――と、ホークは一言付け加えた。
「平気で人を撃つ。僕は、姉さんのそういうところが嫌いなんだ」
痛む身体をよろよろと起こしながら、ホークはハンナの傍に寄りそった。
「ごめん、ハンナ。助けるどころか、君を余計に不安にさせてしまった」
「ううん。ありがとう、ホーク。ホークが止めてくれなかったら、どうなっていたか」
頬を染め、ホークの手を握るハンナ。
その手はもう震えが収まっている。
「私こそ、お姉ちゃんみたいなものなのに、ホークが殴られるのを見ていることしか出来なかった……ごめんね」
「そんな、君が謝ることなんてないよ……いや、謝ってくれたら困るというか」
ホークはきまりが悪そうに頬を掻いた。
本当なら自分がハンナを守りたかったのだ。
その相手からこう言われれば、形無しである。
「……さて、と。こいつら片付けちゃって、私も晩飯と洒落込もうかな」
ライザは気恥ずかしさを隠すように、這い回る三人組を見渡した。
三人とも命に別状はないが、今後の生活に不自由するくらいの大怪我を負っている。
その時、ハンナが思い出したかのように声を上げた。
「だ、ダメですライザさん! すぐに逃げてください!」
ハンナの言葉は、ライザにとって予想外のものだった。
「え、どうして?」
「お父さんは自警団の寄り合いに顔を出してて……そろそろ、店に戻って来ると思います。こんな現場を見られたら……」
ハンナが言い切る前に、メリーアンの扉が再び開かれた。
「な、なんだこれは……!?」
自警団の団員たちは入店するなり、血を流して苦しみもがく荒くれ者たちを見て、呟いた。
「あっちに怪我人もいるから、よろしく」
「お前は、ライザ・ハイラックス! また面倒を起こしたのか!」
自警団員の一人が叫ぶ。
「ちょっと! ハンナ、ハンナは無事なの!?」
そんな中、自警団員たちを掻き分け血相を変えて店内に飛び込んできたのは、ハンナの父にしてメリーアンの店主・ヨースだった。
「お父さん!」
「ああ、ハンナ! 大丈夫? 酷いことされてない? まぁ、腕に痣が出来てるじゃない!」
ヨースは矢継ぎ早にまくしたてながら、ハンナの身を案じる。
ハンナの腕には、寡黙な男によって捩じり上げられた際についた痣が出来ていた。
「これをやったのは……こいつらか?」
一転してドスの効いた声で、ヨースはもがく三人組を睨み付けた。
人が変わるとはまさに、こういうことを言うのだろう。
今でこそハンナの父親として、また母親代わりとして接し続けたせいで、すっかりオネエ口調となったヨースだが、かつては“寝た子も起きる鬼のヨース”として知られた凄腕の銃士だったのだ。
「ちょっと待ちな、ライザ。説明してもらうよ」
こっそり店を出て行こうとしていたライザを、ヨースは呼び止めた。
歴戦の銃士らしい勘の鋭さだ。
ライザはバツが悪そうに頬を掻いた。
「説明も何も、こいつらが暴れてたもんだから、ちょっとさ」
「やるなら表に出てやりなさいよ! 店内をこんなに汚してくれちゃって! それによ、ハンナにこんな下衆の血が付いたら、あんた責任取れるっていうの?」
ピントのずれた怒り方に、ライザはずっこけそうになった。
とはいえそれが、ライザに誤射は無いということが前提になっているのは、素直に喜ぶべきなのだろうか。
「ちょっと、ヨースさん。これは自警団としては見逃せませんよ。銃士の私闘は、凪の街では御法度です」
自警団の若者が、先輩の団員が制止するのも振り切り、ヨースに進言する。
「じゃあなに、あんたアタシの可愛いハンナが、傷物にされても良かったっていうの?」
「いや、それは……」
「そこのライザはいけ好かない小娘だけど、ハンナを守ったのは事実よ。しょっ引くっていうなら、アタシはあんたを許さないわ」
ヨースは威圧的な声音で、自警団の若者を言いくるめる。
このヨースという男は、凪の街で大きな影響力を持つ人間の一人でもある。
彼を敵に回すことは、すなわち凪の街の住人の大部分を敵に回すに等しい。
それは住人の支持を得て活動する自警団としては、最も避けたいことだった。
「すみません、ヨースさん。若いもんで融通が利かなくて。どうか許してやってください」
壮年の自警団員が、二人の間に仲裁として入った。
「いいわ。こういう正義感の強い男は、嫌いじゃないもの」
ヨースはそう言うと、尻がうすら寒くなるような目で自警団の若者を見た。
「むう……ライザ、今回は不問にしてやる。だがあまり跳ね返るなら、覚悟しておけよ」
悔しさを滲ませながら、自警団の若者はライザに釘を刺した。
「はーい、気をつけまーす」
反省の色を微塵も見せずに、ライザは形だけの敬礼を行う。
「……じゃあ、ヨースさん。我々はこいつらの身柄を確保します」
「怪我人の方も、よろしく頼むわね。見たところ貫通魔弾のようだから、命には関わらないでしょうけど」
魔弾の種類までもを瞬時に見分け、てきぱきと指示を出し、場を片付けていくヨース。
今は相談役のような立場であるが、若い頃は自警団の活動にもかなりの助力をしていたのである。
「では、我々はこれで」
応急処置を施した常連客と、お縄につけた三人組をそれぞれ担ぐと、自警団員たちはヨースに敬礼する。
これから怪我人を診療所に、三人組を詰所に運ぶのである。
「お疲れ様。ああ、それから」
ヨースの次の言葉は、ぞっとするような殺気に満ちていた。
「詰所には、後でアタシも顔を出す」
そうして自警団員たちが去ると、ようやくメリーアンの張りつめていた空気も幾分か緩んだようだった。
「すみません、ヨースさん。姉を庇っていただいて」
ホークが恐る恐る礼を述べる。
ヨースは一転して上機嫌になると、ホークの頭を撫でた。
「ううん、いいのよ。九割はあんたに免じてだもの。その様子じゃ、きっとハンナの為に立ち向かってくれたのよね。ありがとう」
「ちょっとー、うちの弟に手を出すのはやめてよ」
「いくらアタシでも、息子同然のホークには何もしないわよ」
軽口を叩き合うライザとヨース。
ヨースは、早くに両親を亡くしたライザとホークの姉弟にとって、家族同然であった。
二人の祖父や、両親とも親交の深かったヨースは、幼い彼女らの面倒を見ることも多かったのだ。
そういった経緯もあり、ライザにとってヨースは、数少ない頭の上がらない相手でもあった。
「お腹空いたでしょう? とっておきのミートローフを出してあげるわ」
ハンガーにかけてあったエプロンを身にまとうと、ヨースは大きく手を叩いた。
「お客さんたちもごめんなさいね。サービスするから、飲みなおして頂戴」
嵐の過ぎ去った店内が、徐々に賑わいを取り戻していく。
ヨースの存在は、まさしく太陽のようだった。
「凄いな……お父さんは」
活気に満ちていく店内の様子を見て、ハンナは少し悔しそうに呟いた。
「ハンナ……」
ホークは、何か気の利いたセリフを探したが、言葉が出てこなかった。
「ほら、ハンナもホークも。こっちで一緒に食べましょ」
先ほどまでとは打って変わり、テーブルで能天気にナイフとフォークをかち鳴らしながら、ライザが二人を呼ぶ。
「ハンナ、今日はもう手伝いはいいから、一緒に晩御飯食べちゃいな」
平気そうに見えても、今日の出来事はしばらくハンナに影を落とすだろう。
それを察したヨースは、努めて明るく言った。
「……よし。ハンナ、行こう」
ホークはハンナの手を優しく握ると、ライザの待つテーブルへと向かった。
ハンナから目を背けて頬を掻くホークだったが、その優しさは彼女へしっかり伝わった。
「ありがとう、ホーク」
ハンナは笑顔を零すと、ホークの手を少しだけ強く握り返した。
ひとまず一件落着。
次回更新は7月19日(金)の予定。
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