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向上心があなたを破壊する

作者: ふりがな


みなさんこんにちは、ふりがなです。


つい最近、モチベーション関連の話題をまとめていまして、向上心や競争心がモチベーションにどう繫がるかという考察を深めております。

その中でですね、競争心と向上心の違いから、競争心よりも、向上心の方が意外とくせ者だなと、私は気付かされました。


競争心は、最近欠けている人が多いと言われます。

競い、相手を下して、自分を上に置きたいという気持ちですね。

どうも、競争心は純粋に、誰かと競い合い続けたいという気持ちでは無いようです。


この競争心は、度々批判の的になるものです。

競争心の強すぎる人物の、相手を下すために使うありとあらゆる手段、パワハラやモラハラ、マウント、相手を不当な事で嵌めるような行為は、まぁ考えるだけでも身近な生活において、邪魔なものになりますよね。


一方で、この競争心を賛美する意見もあります。


勝てば官軍、何をとは言わないが結果的に能力を高めあえるモチベーションとなりえる、外部から解り易い結果という差を見る事が出来る、競争心を煽って人が争う様を見ると何だか滑稽な気持ちになれる。


まぁ、考えてみると録でもない物が競争心です。


でも、メリットもあります。


自身の能力を全く向上させることなく、現時点の能力で相手を下すために動こうとする気持ち、競争心は精神的なタフネスに直結するのです。


倫理を無視して相手の足を引っ張り、引きずり倒す手法は、孫子の教えやマキャベリズムに近い考えですが、実生活では、競争心の強すぎる相手と相対する時に、特に重要になります。


まぁ、心構えみたいな物ですが、相手より能力が上だから勝つんじゃなくて、どのような分野でも勝ったから自分は相手より能力が上だというのは、一つの真理です。


勝つためには、どのような手段を使っても良い、自分の能力を上げる事なんて遠回りな事はしない、競争心の本質とはそういう物だと私は思います。

※結果、たまたま自分の能力が上がっていたというのは、競争心そのものには含まれません


このような競争文化を背景に持つ人種は、やはり精神的にとても強いのです。

競争心を賛美する層は、この競争文化圏の人々になります。

そして、競争文化圏に接する時は、この競争心を強く持つ事こそが、重要な能力になるのです。

とにかくやられる前にやれ、万が一先制されたら3倍にしてやり返せの精神ですね。




一方で、向上心とは、現状に満足せずに、より高い能力や立場を目指す気持ちとなります。


向上心の批判は、そう多くはないようです。

批判と言えば、どうして自分は頑張らなければならないのか程度でしょうか。

まぁ、向上心に欠けた能力のない人間が、愚痴を言い仕事をサボっていたりすると、殺意を覚える人も世の中には居るので仕方ない所もあります。


向上心の強すぎる人物は、色々な事を挑戦したり、人には考えられないほどに努力を続けたりします。

こちらは、一見良いことのように見えます。


向上心を賛美する層は多いようです。


人は関係なく、自分が頑張れば良い。

能力が上がれば結果はついてくる。

外部から言わせれば、努力が足りさえすれば結果は必ずついてくる、逆に言えば結果がついてこないのは努力が足らないんだ。


まぁ、向上心も少し考えてみれば、闇の深い面がありますよね。


向上心のメリットは言うまでありませんが、強いデメリットがあります。

向上心による努力は、競争心よりも結果がついて来るのが遙かに遅く、精神的なタフネスも得られないのです。

※結果も解らないのに無駄に長い時間耐えなきゃならないしね、むしろ弱くならない?


向上文化の層は、結果と共に努力を褒めます。

逆に言えば、この層は現状維持を否定するのです。

このような向上心を背景に持つ人種は向上文化圏の人々です。


向上文化圏と接する時には、精神的なタフネスも無しに、結果と努力を求め現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力させられます。

このような層と相当する時には、肉体的な強さと、性格的な我慢強さや譲歩を求められます。



比較してみて、競争心を持つ時と向上心を持つ時、自分の精神を圧倒的に壊す方はどちらでしょうと質問されたら、みなさんどちらを選ぶでしょうか?


どっちも悪く考えると、録でもねぇよ、となる人も多そうですよね。

確かにその通りです。



でも、よく聞きませんか?競争心を否定して向上心を強要する話を。


人とやり合う必要はないんだよ、同じ土俵に立ってはいけない。

努力して、飛び抜ければ良いんだ。

このような譲歩は、競争文化圏では一切通じませんし、競争文化圏では、当然のように結果もついてきません。


耳障り良く競争を否定する主張のほとんどは、社会の多くが、競争文化で成立していることを誤魔化した上で、向上心を強要しているだけの詭弁なのです。


人の立場という物は、勝利によって築かれます。


社会では、なんにせよ競争の結果でしか、結果はついてこないのです。


そして、現代社会では、競争心の足らない人が、詭弁によって向上心を強要され、何も得られない結果と共に、精神に変調をきたしていくのです。



例えてみれば、競争心と向上心は車の両輪です。


向上心も無いのに、競争心だけ過剰に持つ人物は、競争心という片方の片輪だけで進もうとした結果、社会的な立場を失っていくでしょう。


向上心も競争心もない人物は、前には進めないでしょう。


そして、競争心がなく、向上心の強い人は、向上心という片方の車輪だけで進もうとした結果、何の結果も得られずに精神を壊して行くのです。


向上心と競争心をバランス良く持っていなければ、人は前に進めないのです。


もちろん、競争の禄に成立しない分野では、競争心がなくとも、向上心だけで成功し、幸せに生きる人も居るでしょう。

また、能力の高低が大きな意味をもたない権力闘争の分野では、向上心が欠片も無いのに、競争心だけで成功する人も居るでしょう。


しかし、そんな人は非常に稀な例外中の例外だと、私は断言します。



私たちは、向上心と競争心の両輪を意識しなければならないのです。


その上で、向上心はけっして競争心の代わりにはならないし、競争心は向上心の代わりにはならないと、自覚しなければなりません。


学生時代から社会に出た後では、競争しない代償に、向上を求めても決して上手くはいかないのです。


※学生から就職までは第三者評価によるほぼ完全な実力主義の時期なので、学業での向上心だけの方が上手くいくという事は成り立つ。

アメリカには、学生時代にマニアだと思っている人がお前の将来の上司だと思えという逸話がありますよね。



本作の本当のタイトルは、(競争心の欠けた状態で、向上心に頼れば、その)向上心があなたを破壊する。


となります。


ね?皆さんも向上心って考えてみると、くせ者なんだなと思いませんか?


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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちわ。 私のように向上心も無く、競争心も面倒に思う輩にとっては、耳が痛い(苦)。 両輪(向・競)で走ってきた人と、私のように進歩のない輩では、歳を取ると能力にかなりの差がでますね。…
[良い点] タイトルが最後に補完されたところ。 全部よんで、あぁ、納得となりました。 >「(競争心の欠けた状態で、向上心に頼れば、その)向上心があなたを破壊する。」 そうだと思います。 [気になる点]…
[一言] 言い得て妙ですね。 昔は向上心が強い方なので苦労しました馬鹿なのに(笑) 無駄に高学歴かつ難関と言える国家資格取得などの過去の経緯から、客観的にみて本気で向き合った分野は一流の下には食い込…
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