紅神
以前書いた短編の続きを思いついて連載にしたものです。
気軽な無双モノというやつですのでよろしくお願いします。
どこまでも抜けるような青い空にひとつの宮殿が浮かんでいる。物理法則に従えばそのような事はあるはずはないのだが、それは確かに存在していた。
その宮殿は円筒形で上下にそれぞれ円錐形の部分がつけらている。その周囲をぐるりと四つのリングが取り囲んでいる。取り囲むリングは宮殿と結合していない。宮殿、リングも何の力によってか宙に浮いているのだ。
宮殿の周囲をぐるりと取り囲むリングの上を一人の人物が歩いている。年の頃は十代後半で黒髪黒目、整った秀麗な顔付きをしており背丈も百八十㎝半ばというところだ。
服装は黒い袴に膝まである長い黒い羽織、着物の部分は白でありその色の対比がこの人物の着こなしを洗練されたものにしている。
腰には一本の刀を差しておりこの人物が戦いに従事している事を思わせた。
「う~ん……今日も良い天気だな。というか雨なんかここでは降らないな」
彼はやや間抜けな事を言ったと苦笑する。雲ははるか下にあるために雨が降るなどという事はこの場ではあり得ないのだ。
彼はそのままテクテクとリングを歩いていると不意に立ち止まり宮殿の方を見やる。
「お……また“新しい世界”が生まれたか……」
彼の声には興奮も何もない。ただ事実を淡々と告げる声だけだがあった。これまでに何千、何万も見て感じてきた事であり、いまさら彼に感動はない。
彼の主はいわゆる“創世神”という存在である。彼が創世神に仕える事になってすでに長い年月が過ぎている以上、いまさら驚くような事はない。
(しかし、あいつの想像力は本当に豊かだな。よくもまぁここまで世界を創造することができるものだ)
彼は苦笑しながら宮殿に向かって歩き始める。創世神は世界を創造した時はしばらく眠りにつく。眠るときに彼が近くにいないと目覚めたときに創世神の機嫌が悪くなるのだ。
「ん?」
彼が宮殿に歩き始めた時に何者かの気配を感じると立ち止まる。立ち止まった彼はリングの縁から下を覗き込んだ。すると一つの影がこちらに向かってきているのが見えた。
「はぁ……よりにもよってこんな時に」
彼の口からため息交じりの声が発せられる。それからすぐに何者かが彼の目の前に姿を見せる。
彼の目の前に現れたのは漆黒の法衣に実を包んだ。六十代ほどに見える老人であった。老人の髪は銀色の髪を靡かせ冷ややかな目で彼を見る。
「……創世神とは貴様か?」
威厳に満ちた声で彼に尋ねると、彼は静かに首を横に振ると返答する。
「俺は創世神様に仕える者だ」
彼の返答に老人の視線が露骨に蔑むようなものに変わるのを彼は感じた。正直不快なのだが、彼はその辺は見逃してやることにした。早く創世神の元に行きたいのだが、突如現れたこの老人を放っておくことは出来ない。
「だろうな。貴様のような小者が創世神ならば儂自ら会いに来た価値はないわ。小僧、創世神の元へ案内せよ」
彼の心を無視して老人は尊大に言い放った。老人は言い放つと同時に凄まじいばかりの威圧感を放ち始める。ビリビリとした雰囲気により大気が震えている。だが彼はそのような凄まじい威圧感をまともに受けてまったく動じる様子はなく落ち着いた声で言い放った。
「断る。ここは創世神様の宮殿である“天瑞宮”だ。お前のような無礼者はここに立ち入る事は許されていない。即刻立ち去ってもらおう」
彼の言葉に老人の眉が急角度に跳ね上がった。
「貴様如き創世神の犬が偉大なる王である“フェンベル=リステイル”にそのような口を利くとはな」
フェンベルと名乗った老人の言葉に彼は苦笑を浮かべて返答する。
「俺は創世神様に仕えているが犬ではない。“紅神”という名をいただいているからそちらで呼んでもらえないかな」
「紅神だと? 貴様のような小者など犬で十分であろう?」
フェンベルの嘲りの言葉であるが紅神はまったく怒りを示さず心底呆れたような声で言った。
「まったく……フェンベルとやらお前がお前の世界でどれだけ有名か知らないが、ここではまったく無名である事を失念するな。恥をかくだけだぞ」
紅神の言葉はいちいちフェンベルの勘に障るというものであった。フェンベルのその感情に構うことなく紅神は続ける。
「創世神様が生み出した世界は優に万を越える。お前のいた世界などその中の一つにすぎない。お前はその生み出された世界だけで有名なのだ。そこの認識が抜けているからお前はそこまで恥ずかしい主張が出来る」
紅神のため息交じりの言葉にフェンベルは頬を引きつらせる。
「大体、こっちの身にもなってくれ。お前のような勘違いした奴を“知らない”と言ったときに微妙な空気になるんだぞ。俺はまったく悪くないというのに悪い事をしたという気持ちになるのだから正直迷惑だ。それからお前は俺の事を小僧と呼んだが、俺の方がお前よりも遥かに年上だ。年上には敬意を払え。アホが」
紅神の言葉にフェンベルは怒りに満ちた表情を浮かべると左手をかざした瞬間に炎の鳥が形成されると紅神に向かって一直線に飛び紅神に直撃する。
ドゴォォォォォ!!
紅神の全身を炎が包みこんだ。それを見てフェンベルはニヤリと嗤う。
「ふん……力なき者の分際で儂に無礼な……な」
フェンベルの得意気な嗤いはすぐさま凍る。紅神が左腕を一振りすると紅神の全身を包み込んでいた炎は剥ぎ取られ粉々になって消えていった。炎を剥ぎ取った後に姿を見せた紅神はまったくの無傷であり、身に纏っている羽織、袴すらまったく灼けていない。
「まさかと思うが……真面目にやってそれか? なら相手にするのもアホらしいレベルだ。さっさと帰ったらどうだ?」
紅神の呆れた様な言葉にフェンベルは怒りの表情を浮かべると先程の炎の鳥を十数匹形成すると一斉に紅神に放った。紅神はため息を一つ付くと無造作に左手で払うと十数匹炎の鳥はまとめて粉々になり散っていく。
「そ……そんなバカな……」
フェンベルが呆然とした表情と声を出した瞬間にフェンベルの腹部を強烈な衝撃が襲った。紅神が一瞬で間合いを詰めるとフェンベルの腹部に強烈極まる拳を入れたのだ。
腹部に強烈な一撃を食らったフェンベルは吹き飛んで行く。ようやく勢いが弱まり止まった時には紅神との距離は五十メートル程も離れているという結果であった。
「が……こ、こんな」
フェンベルは自分の身に起きていることが信じられなかった。今まで自分は絶対的な強者であり、自分の生まれた世界においては“魔王”と呼ばれ他の種族を力で征服した男であった。
だが今自分を殴りつけた紅神と言う男は今まで戦った事のあるどの相手よりも圧倒的に強い。自分の放った炎の鳥は自分の使える魔術の中でも最大級の火力を持つものであった。あの炎の鳥一羽だけで万の軍勢を焼き尽くす事すら容易なのだ。そんな炎を受けたというのに紅神は無傷であるというのはフェンベルにとって完全に予想外の出来事である。
(こんな男が……え?)
フェンベルの目の前にいつの間にか紅神がおり腰に差した刀を振り上げているのが目に入る。避けなければいけないと頭では理解しているのだが体がその思いに応えてくれなかった。
振り下ろされる紅神の刀の刀身は紅くそれはフェンベルには死を連想させるこの上ない禍々しいものであった。振り下ろされた刃はフェンベルの頭頂部から入りそのまま顔面、顎、喉、胸、腹の順番に斬り裂く。斬り裂かれた傷口から鮮血が舞い、フェンベルは吹き出す血の勢いが非常にゆっくりである事にこの段階で気付いた。その認識はフェンベルに自身の死を嫌が応にも意識付けることになった。
(儂の本能が死を察し極限まで集中力を高めていた……とでも……)
フェンベルの心に後悔の念が湧き起こってくるが、時は既に遅い事も感じていた。そこに紅神から冷たい言葉が投げられた。
「二度も警告してやる程甘くないよ」
紅神はそう言うと刀を一度振り血を払い落とすと鞘に納める。落下していくフェンベルにはもはや一瞥もくれない。
紅神は次の瞬間にはリングの位置に立っており、そのまま天瑞宮に向かって歩き出すのであった。
* * *
「紅神様」
創世神の元を訪れた紅神を見て女官達は一斉に紅神達に頭を下げる。
「創世神様は?」
紅神が女官達にそう尋ねると女官達は一斉に紅神の前から退くと頭を下げる。紅神の前に出来上がった道の先には寝台に入った一人の美しい少女がいた。
年の頃は紅神とほぼ変わりがない。紅神同様に黒髪黒眼であり、最高の芸術家が持てる技量を惜しげもなく注ぎ込んだような美貌を持つ少女だった。
「創世神様……紅神様でございます」
少女の傍らに立っていた女官が少女に告げると少女は眠そうに目をこすりながら体を起こした。
「もう~蓮夜ったら遅いじゃない」
少女はぷ~と頬を膨らませて紅神に言う。紅神は少女の非難に対して苦笑で返答する。少女の抗議はカワイイ小動物のようでありついつい微笑ましさが勝ってしまうのだ。
「申し訳ありません。創世神様、それから私の事は紅神とお呼びください」
紅神の言葉に創世神と呼ばれた少女は不満気な表情を浮かべる。
「う~そんな他人行儀みたいな呼び方嫌なんだけど」
「紅神と名乗るように言われたのは創世神様ですよ」
紅神は創世神の言葉に苦笑混じりに言う。だが紅神が創世神を見る目はこの上なく優しいものである。その視線を受けて創世神は頬を赤く染める。
「む~あんなこと言わなきゃ良かった」
創世神は頬を染めながら言うと横になり布団を被り目だけを出している。その様子がまた可愛らしく紅神の顔は自然と綻んだ。
「そうそう……わかってると思うけどまた一つ新しい世界を作っちゃったの……」
創世神の言葉に紅神は頷くと優しく創世神の手をとった。
「わかってます。創世神様がお眠りになるまで私が付いております」
紅神はそう言うと創世神は嬉しそうに顔を綻ばせる。その様子を見ていた女官達がほうと一息はいた。容姿が優れている創世神と紅神の様子に見とれるのもおかしな事ではないだろう。
「うん……あり……が…と……」
創世神は安心したのか目がとろんとし始めると目を閉じる。目を閉じた創世神からすぐに安らかな寝息が立ち始める。
(安心してくれ……織音。お前は俺が絶対に守るからな)
紅神は創世神の本名を心の中で呟くと創世神の手を優しく握り続けた。