マッチ売りの少女は不幸を焼き尽くす
マッチを擦るたびに、視界に写った人間と『一日』を交換出来る。
もしも少女の持っていたマッチが――――そんなマッチであったなら。
それは、とても冷え込むクリスマスの夜のことでした。
こんなに寒いのに、無情にも雪まで降ってきます。
地面も一面の雪。この国は、冬の間はずっとこのようなのです。
その雪の上を裸足で歩む、一人の少女がおりました。
「マッチはいかがですか? どうかマッチを買って下さいな」
少女は帽子をかぶっていません。暖かいコートも着ていません。
木靴だけは履いていたのですが、馬車をよけようとして失くしてしまいました。
母親の遺した木靴は少女にとってぶかぶかだったため、脱げてどこかにいってしまったのです。
少女は幼い声で、町行く人たちに呼びかけます。「マッチを買って下さい」と。
でも、小さな、みすぼらしい少女に目を留める人は誰もいませんでした。
「なんて寒いのでしょう。でもマッチが売れないままお家に帰ったら、お父様は私をぶつものね」
少女の瞳から、真珠のような涙が一筋流れました。
美しい姫君の涙になら皆が心動かされるのに、この少女の涙は、誰かに気づかれることすらありませんでした。
その昔、少女のお婆さまが生きていた頃は、こんな風ではありませんでした。
むしろ少女の家は裕福だったのです。
「お婆さまが生きていらしたら、お母様もお薬が買えたわ。きっと亡くならずにすんだのに」
また、少女の瞳から涙が零れます。
この少女のお父様は、その母親――――お婆様に似ず贅沢好きで、しかも働くことを嫌いました。
だからお婆様が亡くなった後、すっかり貧乏になってしまったのです。
「マッチが一つも売れないわ」
少女はため息を吐きました。
艶やかに光るはずの金髪は、栄養不足と汚れですっかりくすんでしまっています。
手足は痩せ細り、その皮膚には子供らしい弾力さえありません。
もう、マッチを売るための声さえも出なくなってきました。
「……そうだ。マッチの火を灯せば手が温まるかもしれないわ」
少女は小声で囁くと、一本のマッチを取り出してこすりました。
あまりにも寒くて、凍え死んでしまいそうだったのです。
でも火はすぐに消えて、手が温まることはありませんでした。
なにしろマッチの炎は小さいのです。とても、とても小さいのです。
この寒さでかじかんだ、あかぎれだらけの手を温めることなど出来るわけがありません。
それでもオレンジ色の炎は暖かく見えました。
きっと、気持ちだけでも温かくなりたかったのでしょう。少女は次々とマッチを擦っていきました。
「ああ、なんて暖かそうな色でしょう」
少女は目を細めました。
でも、所詮はマッチ。炎の色がどんなに暖かく見えようと、やはり少女の手を温めるほどの力はないのです。
ぼんやりとした頭で、最後の一本を擦ろうとしたその時のことです。
「そのマッチ、譲ってくれないかね?」
ふと見ると、少女にも負けないぐらい貧しそうな、みすぼらしい老婆がそばに立っていました。
「お婆さんもマッチで温まりたいのですか?」
少女が見上げると老婆は、
「そうだねぇ。年をとってとても寒いんだよ」
と、言いました。
少女は老婆を気の毒に思いました。
でも、正直に伝えねばならないとも思いました。
「このマッチの炎はとても小さいのです。手も体も温かくはならないのです」
そう、このマッチでは体を温めることは出来ません。
きっとお婆さんはガッカリすることでしょう。
「……でもお婆さん、このマッチの炎はとても温かそうには見えるのです。
だから、この最後のマッチを、私と一緒に眺めせんか?」
と、少女は言いました。
さて、老婆はガッカリしたでしょうか?
いいえ、老婆はにっこりと笑って頷きました。
そうして、最後のマッチが燃え尽きていくのを、手をかざしながら一緒に眺めてから言いました。
「ああ、温まったねぇ」
老婆は、そんな不思議なことを呟きます。
たった一本のマッチを灯したぐらいで、温かくなるものでしょうか?
少女は不思議そうに、この老婆の顔を見つめました。
「心がとても温まったのさ。
なにしろ、この姿の私に優しくしてくれる人なんて誰もいないからねぇ。
立派な姿をしているときの私になら、いくらでも擦り寄ってくる人間はいるけれど。
まぁ、そんな話はどうでもいいさね。
ところで、お前のお婆様がお前ぐらいの年に、やはりマッチを売っていたのを知ってるかい?」
「いいえ」
少女は首を振りました。
『おかしいわ。お婆様はずっと昔から裕福だったはず。
お父様も、生まれたときから裕福で、昔は苦労など何も知らなかった、誰もが自分の事をちやほやしてくれるのが当たり前だった、と口癖のようにおっしゃっていたわ』
心の中でそう思いました。
なのに、少女のお婆様は本当に、幼い頃はマッチを売っていたのでしょうか?
そもそもこの老婆はいったい何者なのでしょう。
どうして少女の亡き祖母のことを知っているのでしょう?
「お前に、このマッチをあげるよ」
老婆は言って、マッチ箱を少女に手渡しました。
それは、小さな小さなマッチ箱でした。
自分もマッチを持っているならば、どうしてそれを使わなかったのでしょうか。
また不思議そうに見上げる少女に老婆は言いました。
「あの子……お前のお婆様も、お前のように優しい子だったよ。
子供を失い、正気も失うほどにボロボロになって歩き回る、私の凍えた心を温めてくれたのだよ。
だから、お礼にこの『魔法のマッチ』をあげたのさ」
お婆さんからもらったマッチ箱には三本のマッチが入っており、その先は七色に輝いていました。
とても、とても美しいマッチでした。
「一度しか言わないからよくお聞き。
この魔法のマッチをするたびに、目に映った一人の人間と『一日だけ』人生を交換できる。
世の中の大概の者は、そりゃあお前よりは裕福さ。
裕福じゃなかったとしても、優しい母親ぐらいはいるだろうね。
でも、決して羨んではいけないよ。そう出来るなら、このマッチをお使い。何本擦っても、無くなったりはしないから。
そうしたら、お前はもう凍えることも飢えることもなくなるさ。
いいね、決して羨んではいけないよ」
そう言うと、老婆の姿はスッと消えてしまいました。
夜の闇に溶けてしまったかのようでした。
「あのお婆さんは、マッチの炎が見せた幻だったのかしら?
きっと、あまりの寒さに、ほんの少しだけ眠ってしまったのだわ。そうして夢を見たのだわ」
呟いて自分の手を見ると、小さな小さなマッチ箱が、その手のひらにあるではありませんか。
中には七色に輝くマッチが三本、ちゃあんと入っています。
少女はそれを持って歩き始めました。試してみようと思ったのです。
温かそうな光の漏れる一軒の家の窓を見ると、大きな『だるまストーブ』が少女の瞳に映りました。鉄製の足と蓋のある、立派なストーブです。
少女が持っている小さなマッチとは比べ物にならないぐらい温かそうです。
「あの大きなストーブの傍に寄ることが出来たら、きっと凄く温かいに違いないわ」
ストーブの傍には、本を読んで座る紳士がいました。
その横には大きな鞄が置いてあります。
「毎日温かいのだから、一日ぐらい交換したって大丈夫よね」
少女は、その紳士を見つめたままマッチを擦りました。
すると少女は紳士の姿となり、上等な服を着て室内に立っているではありませんか!
少女は大きなストーブのそばに寄り、手を温めました。
「まあ、なんて温かいのかしら。
私には小さなマッチしかないというのに……」
最初は喜んでいた少女が—————悲しく思ったとたん、目の前からストーブは消えてしまいました。
もちろん姿も元通りです。
寒いお外に立っています。
「きっと、私が羨んでしまったからなのね。だから魔法が解けてしまったのね」
少女は元居た場所から恨めしげに中を覗き込みました。
次に、手元を覗き込みました。
マッチは使っても無くならないはずと聞いたのに、一本、減ったままです。
これも、少女が羨んでしまったからなのでしょうか?
ただ、不思議なことに、手は温まったままです。
「さっきのことは、幻ではなかったとういことよね」
少女は自分の小さな手を見つめ続けました。
ふと気がつくと、どこかから美味しそうな匂いが漂ってきました。
そこに向かってよろよろと歩くと、少女は窓を覗き込みました。
室内では、ガチョウの丸焼きを囲んだ、幸せそうな家族が笑っていました。
さっきの紳士ほどには裕福に見えませんでしたが、きっとこの日のために奮発したのでしょう。
ナイフを手にしたお母さんは、今にも肉を切り分けようとしています。
長い髪を一つに束ねた女の子は、お皿を手にして、わくわくと待っています。
「入れ替わるなら、今度は女の子がいいわ。
私だって、一日でいいからお母様と笑い合いながら、お腹いっぱいごちそうを食べたいもの。
そうよ、羨むのではなく、それで私は満足出来るわ」
少女は、その女の子を見つめたまま、そっとマッチを擦りました。
するとどうでしょう!
少女は温かい室内にいて、そのお皿にお母さんが、たっぷりの肉を切り分けてくれました。
「まあまあ、そんなに急いで食べなくても、まだまだたくさんありますよ」
お母さんが笑いかけます。
でも、少女は、とても……とてもお腹がすいていたのです。
あっという間にお皿の肉を全部食べてしまいました。
「あの女の子は毎日お母様に料理を作ってもらって、お腹いっぱい食べているのね。
そうして優しくしてもらっているのね。
羨ましいわ」
ついそう思ってしまったとたん、やはり少女は元の場所に立っていました。
でも幸いなことに、お腹はいっぱいになったままです。
少し確かな足取りになりながら、少女は窓を眺め眺め歩きました。
すると、それは大きなクリスマスツリーが目に飛び込んできました。
キラキラとした飾りがツリーのそこかしこに輝き、とても美しいのです。
若奥様が、傍に座って編み物をしていました。
「きっと羨ましいと思ってしまうわ。
どうしよう。マッチはもう一本しか残っていないのに」
それでも少女は、マッチを擦らずにはいられませんでした。
もし羨んでしまって、すぐ現実に戻ったとしても、そのツリーに触れてみずにはいられなかったのです。
間近で見る、クリスマスツリーの美しいこと!!
思わず少女は見とれました。
でも今度は、魔法はすぐには解けませんでした。
今も、若奥様の姿をしたままです。
「そうか。私はもう、体は温まったもの。お腹もいっぱいになったもの。
こんなにも美しいツリーを間近で見ることさえ出来たわ。
もう、私は満足よ」
そう思ったからなのか、ずいぶん時間がたっても魔法は解けません。
時を忘れてうっとりと見上げていると、一人の若者が外から入ってきました。
「編み物は進んだかい?
春にはクリスマスプレゼントよりも、もっとすばらしい贈り物が、僕たちの前に現れるだろうね。
楽しみで仕方がないよ」
そう言うと、若奥様の姿に変わっている少女の手を取りました。
「いったいその『素晴らしいプレゼント』とは何なのでしょう?」
思わず聞き返すと、若者は不思議そうな顔をしました。
「何って、僕たちの赤ちゃんだよ。おかしなことを聞くね。
さあ、もっと暖炉の傍にお寄り。体を冷やしてはいけないよ」
どうやら、さっきの若奥様のお腹には赤ちゃんがいたようです。
その瞬間、少女は青ざめました。
自分が温かい室内に居たその時間、あの奥様はどこでどうしているのだろう。
そのことに思い至ったのです。
老婆は、
「目に映った一人の人間と『一日だけ』人生を交換できる」
と、言いました。
ではあの若奥様は、今頃寒空の下で凍えていることでしょう。
赤ちゃんを想って編み物をしていたのに、突如寒空に放り出されて、木靴さえなくて震えているのに違いありません。
もうあれから、随分な時間がたってしまったのだから。
少女は、自分が誰かを不幸にしてしまったことが怖くなってきました。
あのお金持ちで無防備な奥様が、一晩命をながらえることが出来るかどうかさえもわかりません。
こうなっては、一刻も早く魔法を解くしかありません。
『若奥様は、こんなにお金持ちで羨ましい!』
心の中でそう強く叫びました。
でも、今は若奥様のことが心配でたまらなかったため、それは本心からの言葉とはなりませんでした。
『若奥様は、こんなに優しい旦那様がいて羨ましい!』
しかし、今度も魔法は解けません。
『若奥様は、美しいクリスマスツリーを持っていて羨ましい!』
やっぱり魔法は解けません。
羨みたくないときには、それでも自然に羨んでしまったのに、肝心のときにはそれが出来なくなっていたのです。
「魔法……解けないわ。どうしよう」
少女は益々青ざめました。
そうして外に飛び出しました。旦那様がそれを追いかけます。
「誰か……誰か十歳ぐらいの女の子を見ませんでしたか?
裸足で歩いている女の子です。
ボロボロの服を着ている女の子です」
「裸足で歩いているのは君だよ。ほら、コートを着なさい。靴も持ってきたよ」
追って来た旦那様がそれらを差し出します。
でも少女は首を振りました。
あの幸せそうだった奥様が、裸足でとぼとぼと歩いているのだと思うと、とても受け取れませんでした。
そうして、今までのことがぐるぐると脳裏に浮かびます。
私が成り代わってしまった女の子――――きっとお母さんが作ったガチョウの丸焼きを食べたかっただろうな。
一年間、楽しみにしていただろうな。
あの立派な服の紳士だって、一時といえど、寒い中で凍える思いをしただろうな。
鞄がそばにあったということは、すぐに出かけて大事な人と会うつもりだったのかもしれない。
そう思うと、涙が止まりません。
「いきなりどうしたんだい?
裸足で歩いている女の子なら、浮浪者に違いないよ。
裕福な君には関係ないだろう?
でもそういえば……裸足で歩いている女の子なら、見かけたことがあったっけ」
「え?」
少女は顔を上げました。
「3時間ぐらい前かな。日が暮れてすぐ、雪が降り出したろう?
あのとき、貧しい身なりの少女がとぼとぼと歩いているのを見かけたんだ。
馬車に轢かれそうになっていてね、転んだ拍子に履いていた木靴が飛んでいったっけ。
古いけれどしっかりした作りの靴だったせいかな? 抜け目のなさそうな奴が素早く拾ってふところに入れたのも見たよ。
だからきっと、今でも少女は裸足で歩いているに違いない。
でも僕は、一刻も早く用事を済ませて戻り、君の顔を見たかったから、ほんのちらりと見た……それだけだけのことだけどね」
それは、ほんの少し前の、少女の姿に違いありません。
木靴はあとで探しても見つかりませんでした。
どんなに探しても見つかりませんでした。
それもそのはず。誰かが盗んでいたのです。
お母様が遺した大切な、それこそ、少女が持っているただ一足の靴だったのに。
少女はとても悲しくなりました。
そして、こうも思いました。
この旦那様は奥様には優しくて――――いくらでも心配するのに、お母様の遺品でもある木靴を盗られた貧しい少女のことなどはすっかり忘れるのだ。
心配もしないのだ。
少女は少し、この旦那様が憎らしくなりました。
それでも仕方がないのです。この旦那様と少女は、何のかかわりもない他人なのですから。
もしも、このまま奥様を見つけることが出来なかったら――――。
ふと少女はそんなことを考えました。
奥様が凍えて死んでしまったなら、私の魂は帰る場所を失って、ずっとこのままの姿でいられるかもしれない。
誰も顧みず、心配もしない貧しい姿ではなく、お金持ちのまま生きられるかもしれない。
『誰も私のことを心配しないのなら、私だって同じようにしても良いのでは』
そんな考えが頭をかすめたそのとき、見覚えのあるのある姿が遠くに見えました。
裸足にぼろぼろの服。小さな女の子が俯きながら、とぼとぼと歩いています。
「そのコートと靴を!!」
少女は旦那様から奪うようにコートと靴を受け取り、走り出しました。
何故なのでしょう。
ほんの少し前には、奥様の死すら願ったのに、走り出さずにはいられませんでした。
そうして自分は裸足のまま、痩せた少女に着せました。
「あなたは誰? どうして私に似ているの?
どうして…………私に優しくして下さるの?」
ボロボロの服をまとった少女は、ぶるぶると震えながら尋ねました。
「道行く人は、誰も私を助けてはくれなかったわ。
家に入ろうとしても、女中に追い払われてしまったわ」
少女はぽろぽろと泣きました。
奥様の姿になった少女も泣きました。
その辛さは、誰よりもわかっているからです。
「ごめんなさい……すべて……私が悪いのです」
少女は不思議なマッチの話をして、泣きながら奥様に謝りました。
奥様は許してくれたでしょうか?
こんな酷い目に合わされたのだから、決して許しはしない――――そう言ったでしょうか?
それがなんと、許してくれたのです!!
「数時間前、私はあなたがマッチを売っている姿を見ていました。
窓越しに、あなたを目の端に置きながら、それでも編み物を続けました。
汚らしい子供だと思っただけだったのです。
春に生まれてくる、私の素晴らしい子供とは、全然別の世界の住人だと思っていたのです。
でも、神様を信じ、こんな大きなクリスマスツリーを飾る私が――――このまま母になってはいけなかったのでしょう。
きっと、神様が考える機会を与えて下さったのだと思うのです」
旦那様も、その話を聞いて神妙に頷きます。自分も同じように思ったのでしょう。
さて、このあと少女はどうなったでしょう?
ええ、幸せになりましたよ!!
少女は奥様の家に迎え入れられ、養女となりました。
整えられた金髪は元の美しさを取り戻し、栄養不足の手足は子供らしい弾力を取り戻してしなやかに伸びました。
そうして年頃になった少女は見初められ、優しいお金持ちの若者と結婚しました。
その姿を空から見ていた老婆――――魔女は言いました。
「ああ、良かったこと。
あの子の祖母と同様、幸せになっていった。
でもね――――」
魔女は少し悲しそうな顔をしました。
「でもこれから生まれるお前の子供は、きっと一切の貧しさを知らないまま成長するだろうよ。
生まれた子供が『優しさ』や『勤勉さ』を持つのなら、家は栄えるだろう。
反対に、贅沢におごるお前の父親のように育ったなら、その娘か息子はまた、お前のように不幸のどん底に落とされるだろうよ」
魔女の目に映る少女――――もう少女とはいえないぐらい美しく育ったその女性に、魔女の言葉は届くはずもなかったのです。
けれど、まるで聞こえたかのように、女性はふと空を見上げました。
そして、
『大丈夫だよ』
とでも言うように微笑みました。
魔女は呟く。
「私のマッチが生み出す炎は人を『幸せ』にも『不幸』にもすることが出来る。
けれど、出来れば不幸を焼き尽くす炎であって欲しい」
Fin