⑦―2
ガラガラとドアを開けると、そこに誰かが立っていた。
「きゃっ! ……どうも」
ガラッと勢いよく扉を開けて大きな声で叫んだのは、今朝会ったばかりのあの木科結衣菜だった。
そういえばうちのクラス、四時限目は体育だったっけ。
「……あっ、直里君っ。今朝は楽しかったね」
「えっ、あっ……」
俺の中の人見知りが復活し、顔を背けてしまう。
体操着姿なんて反則だろ。汗のせいかは知らんが、宝石並みにキラキラして見える。
「じゃあ直里君っ、私の替わりお願いねー」
「……えっ?」
それは一瞬の出来事だった。
ちょっと木科に意識を奪われている間に、麹町先生はこの部屋から消えていった。
しかも、自分の仕事を生徒である俺に押し付けて。
「授業中なのに、マジで行きやがった……」
「な、直里君。先生はどこに?」
カレー食いに行ったんだよと木科にチクってもしょうがない。そんなことをすれば、跳ね返りが来るだけだ。校内で貴重な癒しスポットを失いたくはない。
「……保健室に何か用っすか?」
俺は視界に木科を外すことで、何とか話しかけて話題をすり替えた。
そのまま体調不良っぽくふらふらしながらベッドへ。
「あっ、えっとね。実は跳び箱失敗しちゃってさ。背中からドーンって! えへへ……」
「……薬箱、そこにあるんで」
「薬箱……でも勝手に使っちゃっていいのかな」
「……先生は気にしないと思うッス。じゃ……」
「あっ、直里君待って。ちょっとだけ手伝ってほしいかも」
振り向くと、木科は背中を向き、体操着の短パンに入れていたシャツを出した。
手伝う? この流れは……
俺の目の前にピンク色のフラグが現れた。
この流れは――
『どうしたんだい、木科さん』
『胸が痛いの……』
『胸が?』
『うん、直里君の事を想うと胸が……ねえ、私、病気かな?』
『ああ、病気だね。しかも難病だ』
『えっ、どうしよう。私……死ぬの?』
『大丈夫。一つだけ、治す方法がある』
『本当? どんな方法なの?』
『こうするんだ』
『あっ! ……ダメ。そんなの、恥ずかしいよ』
『なら、やめようか?』
『そんな……直里君の意地悪……あっ!』
「あの~、直里君、聞いてる?」
「……えっ!」
いかんいかん。妄想ワールドに転移してしまった。
「これ、貼るの手伝って欲しいな」
木科が湿布を渡し、シャツの上から背中を指さす。
「この辺りにブラ紐あるでしょ、その真下辺り。自分じゃ届かなくてさっ、お願いっ♪」
ええと、鳴くよウグイス平安京だったっけ。なんと素敵な平城京。無事故の世の中、大化の改心……
そんな歴史上の出来事よりも、たった今、目の前にある現在の状況の方がよっぽど大事件だよ。後にブラ紐事件と名付けて、直里家に代々受け継いでいくべきだ。いや、でも俺子孫残せるのかな……
「あの、どうしたの? ……あっ!」
急に俯き、もじもじしはじめる木科。
俺の顔が赤いのを見て、自分の発言がどのように受け止められたのか察したのかもしれない。
「ご、ごめんね……男の子にこんなこと……」
明るい元気キャラが肩をすぼめながら指同士を絡めているそのギャップ、非常にやばし。
なぜか分からないが罪悪感すら抱いてしまう。
「だめ……だよね?」
「うっ!」
上目遣いとかずっこいわー。ここで「いいえ」を選べるやついないわー。ゲームでいう「私も仲間にしてくれないかな?」みたいな「はい」を選ぶまで何度も選択肢が現れるタイプ。
「いや……湿布貼るぐらいなら別に」
「ホントッ! やった! じゃあお願いね♪」
俺が「はい」を選ぶと、木科はさっきの困った表情がまるで嘘のように元の溌剌キャラを復活させた
ベッドの端に腰かけ、背中を向ける。
「じゃーお願いしまーすっ!」
「あ、ああ」
天国のような地獄とは正にこのことだろう。
俺は湿布を手に取り、おそるおそるシャツの中に手を入れると、シャツと肌の隙間にある生暖かい空気が俺の手に襲いかかった。
くそっ……触れてもいないのにこの攻撃力。失神しそうだ。
「……この辺りで大丈夫ですかね?」
「んー、もう少し上かも」
「この辺り?」
「うーん、やっぱりもっと上かな?」
「……もっと上」
躊躇して手を止めた。
木科の指示に従うと、背中のデンジャラスブラ紐ゾーンへと侵入してしまうはずだ。文字通り一線を越えてしまう。
いかん、手が震えてきた。生唾もどっぷり口の中に沸き上がってくる。呑み込んだら音が聞こえそうだ。
「あのさー、直里君」