⑥ 木科結衣菜にバックアタックを受けた俺は呪文を封じられた。
ということで、妹想いのコココさんの希望に応えるべく、さっそく俺は部活を作ることにしたのだが、ここで一つ問題が浮上した。
あれ以来、メメメが扉を開けてくれないのだ。
「おーい。メメメーっ! 開けろよーっ! コココさんの弁当持ってきたぞー」
がんがん扉を叩いても一向に反応はない。
時々、ガサゴソと音がするので中にいることは間違いないのだが、どうも居留守を決め込んでいるようだ。
そうこうしている内に三日が経ち、金曜日の翌朝。
いつものように二人分の弁当箱が入った袋を受け取り、行ってきますのチュー希望をさらりとスルーされてとほほな気分で寮を後にしようとした時、コココさんに止められた。
「おっ、やっぱり行ってきますのチューを」
「違う。今日はこれを持っていけ」
そう言って、財布から取り出したのは、何と何と一万円札のユキチン。
それも一枚ではなく、束になって現れた。
「えっ? こ、これは?」
「十五万ある」
「じゅ、十五万っ!? も、もしかして」
「もちろん、お前にやるわけじゃないからな」
「……ですよねー」
いきなり襲い掛かって来たはぐれメタルが一ターンで逃げ出すシーンを思い出した。
まあそういう流れぐらい予測はしていましたがね。
「メメメの生活費か何かですか?」
「察しがいいな。その通りだ」
さすがコココさん。ヒッキーがドアを開ける方法は食料かお金しかないと理解しているようだ。
「でもこれだけの大金を持ち歩くのはちょっと怖いっすね」
「無くしたり、盗られたりするなよ。それがなければ来月メメメは餓死してしまうからな」
「は、はいっ……行ってきまーす」
分厚くなった財布を持ち、寮を後にする。
敵に会いませんように敵に会いませんように。まるでレベル1で旅に出た勇者の気分だ。
いつも通学路にあるコンビニでジュースを買うのだが、その日は素通り。エンカウント率が高いのでね。替わりに自販機で購入しよう。
「敵はいないよな」
三人組以上の男子が周囲にいないことを確認し、おそるおそる財布から千円を抜き、コーラのボタンを押す。
ガコンッという音と共に、お釣りがジャラジャラと出て来た。
ふう、無事購入に成功。
安心してコーラを手にし、そそくさとその場を離れようとする。
「あの、すみません!」
まさかの背後からの急襲だった。
……や、やべえ。もしかして財布の中の大金を見られたのか?
声は女子だったが、男連れの可能性もある。
どうする、振り返るべきだろうか。
「……ダメだ」
俺は振り返らずに『逃げる』を選択した。
しかしバックアタックは相手のターンから始まる。
「あっ、待ってよー!」
と逃げる前に鞄を掴まれてしまった。
「くっ! は、離して下さいっ! 俺はお金なんて持っていません!」
「ダメっ、ちゃんと持っていかないと! お釣りっ!」
「そうです。このお金は持っていかないといけないもので……ん?」
お釣り?
その言葉に反応して振り向く。
「忘れものだよっ、こーれっ!」
真夏の太陽のようなキラキラした笑顔で俺を見上げるその女子生徒を俺は知っていた。
七三分けの明るいショートヘアー。女の子らしいハート付きのゴムで縛った髪が元気に飛び出して左右に揺れている。
木科結衣菜。一年A組、俺のクラスメイトだ。
彼女は鞄をぐいと引っ張り、俺を自販機の前まで引き戻すと、小銭を手に掴んで差し出した。
「はいっ、どーぞっ!」
「あっ、お釣り……」
ジュースのつり銭を取り忘れていたのか。
その時やっと彼女が俺を呼び止めた理由を理解する。
「……あれ、もしかして直里君?」
「えっ? あっ、はい……」
「おーっ、やっぱりーっ!」
木科の方もこちらに気が付いたようだ。まさか俺のことを知っているなんて。クラスメイトだから当然なのかもしれないが、ちょっと嬉しい。
しかも気のせいか、木科も俺がなんだか嬉しそうだ。
女子と全く交流のなかった俺が、女子に話しかけられた。
ひょっとするとこれは恋愛フラグではなかろうか、なんてね。と脳内ツッコミをかましながら、受け取った小銭を財布に入れる。
「……えっ、直里君?」
「えっ、な、何でしょうか?」
「……直里君ってお金持ち?」
「あっ!」
俺は慌てて、財布を隠した。釣銭を財布に戻すときに、中身のユキチンが見られてしまったようだ。
「すごいねっ! いくら入ってるの?」
「いやこのお金はちょっと俺のでは」
「いいなあ……私なんて今月すでにお小遣い使っちゃってピンチなのに」
はぁ、とため息を付く木科。違う、違うんだ。俺もお金はない!
そう伝えたいのだが、喉から声が出て来ない。
だって女子が話しかけてくるなんて聞いてないもん。天気予報で「今日はにわか女子遭遇イベントが高確率で起こります」って言われなかったもん。100%なら言ってくれないと、ヒッキーはアドリブ(=リアル)に弱いんだから。
声には出さず、脳内で愚痴をこぼしている俺の顔を、木科は「?」という表情で覗き込む。
俺に釣りは渡したし、もう要件はないのに、なぜこの人は動かないんですかね?
もちろん、直接訊ねることも出来ずに、相手が動くタイミングを見計らっていると、木科は俺の背後に回り込み、背中をドンと押した。
「あっ……えっと」
「ボケッとしてたら遅刻しちゃうよ! ほら歩けーっ!」
「……えっ?」
「えへへっ」
俺が足を前に出すと、木科は鞄を両手で掴んで隣を歩きはじめる。
あれ、何だろう? まさか一緒に登校するおつもりですか?
「さっ……先」
「ん、なーに?」
「い、いやっ……だから先に……」
「ん?」
「……あ、……何でもないです」
頬を掻き、ごまかす。先に行けよと言いたかったのだが、そんな子犬のような表情で見上げられると緊張してやはり声が出ない。マ●トーンかけられた魔術師のように、魔法を唱えては「しかし何も起こらなかった」状態。
心臓がサイレンを鳴らし始める。このままだと「肩を並べて登校」という思い出が、「何も話せず気まずい空気で女子に嫌われる」という黒歴史になってしまう!
用を思い出したとか適当に理由を付けて先に行こうか。でもそれはそれで避けられたと勘違いされて嫌われるかもしんないし……なんて考えていると、木科が俺のシャツを引っ張り、
「ねえ、直里君聞いてよー、今朝お父さんが私の歯ブラシをね――」
と自然と喋り出した。
「これで三回目だよ三回目っ! 何のために色違いにしてんの? お父さん、あなたは犬なの? 景色は白黒なのって―ー」
よっぽどムカついたのか。俺がどんなことを考えているなんておかまいなしに喋りまくる木科。
どうやら無理して話題を探す必要はなさそうだ。少し緊張が緩和した。
そして彼女の話に「へえ」「そーか」とテキトーに相槌を打っている内に、学校の校門に辿り着いた。
「――あっ、ごめんっ! 私ばっかりしゃべっちゃって!」
「いや……別に」
「今度は直里君の話聞かせてねっ! あっ、連絡先教えてっ!」
「えっ? ああ、いいけど」
「やった♪ また教室でっ!」
SNSのIDを交換した後、木科は笑顔で手を振り、先に校門へと走っていった。
その背中を自然と目で追っていた。
「あいつ……もしかして俺のこと……いやそれはないか」
ふと心に抱いた希望をかき消す。相手は元気いっぱいないかにも青春してますって感じの女子だぞ。ああいうタイプの子は絶対にバスケ部のカッコイイ先輩とかに告白されて付き合う流れだ。俺のような路傍の石に興味を持つわけがない。
くそっ、俺も怪我をせずにバスケ部を続けられていたらああいう女子とお近づきになるチャンスが生まれたかもしれないのにな……せっかく現れた恋愛フラグに何もできなかった自分を悔やみます。