⑤ 時河此処子は次に部活を作れと言ってきた。
「直里、VRMMOをプレイしたことはあるか?」
コポコポと食後のお茶を入れながらコココさんは言った。アニメ美少女の顔がドット状に広がるエプロンをどこで買ったのかは知らないが、どちらかというと大人の色香を放つコココさんには不似合いだと思う。
「いやさすがにないっす」
「では、どのようなものかは知っているか?」
「はぁ、だいたいは」
といいつつ本当は分からないのでコココさんが洗い物をしている隙にウィキることにした。
検索ワード『VRMMO』。
えーとなになに、『仮想現実・大規模多人数同時参加型オンライン』の略称か。
要はゲームの世界に実際に入り込んだかのようにプレイできるゲームのことだろ。
「VRという言葉は元々、徳、善行という意味の英単語の形容詞から来ている。そして原義は『表層的にはそうではないが、本質的にはそうである』。これがVRの特徴を最もよく表している言葉だ」
「表層的にはそうではないが、本質的にはそうである……」
「現実世界とは別個の法則で呼吸をしている独立した世界。いわゆるゲームの世界とかマンガの世界がそうだな。要は『そこで何が起ころうが現実とは何の関係もない世界』がVRの狭義だ。それを踏まえた上で直里、そのメガネ越しに見える世界はVRか否か。どっちだ?」
「……違う、かな」
何をしようとも現実に影響がないのがVRなら、このメガネはそうじゃない。
このレンズを通してみる世界は99%現実だ。ほんと、クラスメイトが動物に見えたり、カマキリ先生が本当にカマキリに見えたりする以外はほんと現実。
だからメガネ越しに猿に見える相手に「このサル」と言えば、リアル側の人間は怒りの感情を抱く。
つまりそれはメガネ越しの世界での出来事がリアル側にも影響しているということだ。
よって、メガネ越しに見える世界はVRではない。証明終わり。
「正解だ。メガネ越しに見た世界を一般的にMRと呼んでいる。現実世界とバーチャル世界、それぞれが別個の独立世界として存在するのではなく、二つの世界が融合し繋がりを持ちインタラクティブな相互作用を持ったものとして存在する。その技術を応用すれば、世界を変えることもできる。なぜなら世界そのものの風景を変えることができるのだからな。どうだ、すごいだろう私の妹は」
「……スマホで石切り」
「なにか言ったか?」
「いえ……ははは、すごいっすね……」
コココさんの話を聞いただけだったら、きっと俺もメメメを多少なりとも尊敬したことだろう。
しかし残念なことに俺はすでにそのMRとやらを教室で体験してしまっている。
一年A組の教室をメメメのメガネ越しに見た時の変化を。
それは一言で言えば「SO WHAT?」(=だから何?)。
だって聞いてくれよ。
カマキリのような数学の教師の授業を受けるクラスメイトたち。
それがメガネをかけると、席に座ってカマキリの授業を受けるサルさんウサギさんキリンさんに変化する。
そんだけ。
……近未来を予感させるようなすげえ技術を使ってなにをやるかと思えば、これかよ。
まあ初体験だし、人間の姿が全て動物化した世界っていうのはそれなりに面白い光景ではあったが、慣れればどうということはない。
せっかくの新技術も使い方次第だ。そういう意味で、メメメが作ったこのグラスは、スマホで石切りレベルの超無駄遣いだと思うのだ。
きゅっ、と蛇口をひねり一仕事終えたコココさんがテーブルに付く。
「中学時代のメメメはほとんど学校には行かず、とある企業の研究所で開発に打ち込んでいた。それは本人も楽しんでやっていたよ。ある時、試作品の一つを社長が気に入り、海外で商品化された。それがそこそこのヒットになってな、一躍、妹はIT時代の天才少女として有名になった。中学を卒業したらぜひウチで働いて欲しいと言うオファーも一つや二つじゃなかった」
「……それ、本当なら凄いっすね」
「本当の話さ」
と、その時コココさんの表情が曇った。コココさんの妹自慢は今に始まったことではないが、いつもドヤ顔で話すはずの彼女がなぜだかこの時ばかりはうれしそうではない。
「ロ、ロースカツカレーうまかったですよ?」
「ん? いきなりなんだ?」
「いや、何でも……」
人を励ますなんて高等スキルを俺が扱えるはずもなく、スル―されてしまう。
「でも、それならどうして就職しなかったんですか? そんな就職の裏ルート通るチャンス、なかなかないじゃないっすか」
「それは、私が反対したんだ」
コココさんがピッとテレビを付ける。
「お前も会って分かっただろうが、メメメは極度のコミュ症で、家族以外の人間に対する警戒心が非常に強い。元から引っ込み思案な性格だったが、思春期辺りからその傾向が極端に強くなってな。もしこのまま大人になったら、きっと妹は孤独な日々を送ることになると思ったんだ」
「じゃあ、あいつが高校にいるのはコココさんに言われたからですか」
「ああ。地元の高校に行き友達を作る。そんな他人と繋がる経験をさせるべきだと思ったからな。しかし当の妹は友達よりも研究を続けたいと私の意見を受け入れてくれなかった。何日も話しあって、結局、学校に研究所を作ってもらうという契約で互いに了承した」
「また契約ですか。よくもまあ学校側が受け入れてくれましたね」
「まあ、それもひとえにメメメの才能の力だ。といっても、正直、港高の校長が私達の親族でなければ厳しかっただろうが」
「ちょっと待て」
当たり前のようにさらりと言ってのけたコココさんの一言を、俺は聞き逃さなかった。
「校長が親族って……それリアル?」
「以前、話さなかったか? 港高の現校長は私の祖父だ」
「ええええええええっ!」
おどろきもののき二十世紀……って何のギャグだったっけな。ああそうだ子どものころにオヤジがよく言っていたやつだ。ったく、あまりの衝撃に十年以上前の無駄な記憶が蘇ったじゃないですか。
「そんなチートずるいっすよ……そりゃあ出席免除も許されるわ―」
「ま、待て。入学に関してはともかく、待遇に関してはあくまでもメメメの研究を評価してのことだ」
「いやいや何言ってるんですかー。ジジイが孫に対して抱く愛情なめちゃいけんですよ。我が身よりも大切にするんすよ? お小遣いあげるために腎臓売るレベルですよ~」
「いや、さすがにそれはないと思うが……」
うん、さすがにそれはないか。
……ん、待てよ。
俺もメメメを手伝う訳だし、いうなれば同じ立場にいるわけで、つまりメメメと同様に授業を受けなくても出席を免除してもらえる可能性があるんじゃないか。
うん、あるんじゃないかな♪
「あの、コココさん」
「それは無理だ」
「いや、まだ何も言ってないんですけど……」
「顔を見れば分かる。どうせメメメの助手という立場を利用して校長に取り入ろうとでも考えたのだろう」
この人……化け物か? 心を読むなんて二次元世界では誰かが必ず持っているスキルだが、どこでそれを……ひょっとして大量のアニメをシャワーのように浴びることで自然とそのスキルが身に付いたとでも言うのか?
「ところで、明日の夕飯は何がいい?」
「と、唐突になんですか」
なんだかイヤな予感が……
「メメメが他の生徒と触れ合う環境を作ってもらいたい」
「生徒と触れ合う環境……あいつが普通に教室に来ればいいじゃないですか」
「それができれば苦労しない。第一、教室に行ったって一切誰とも会話ができない可能性もあるじゃないか」
コココさんがの人差し指が俺に向いた。
なるほど、確かに……って説明する相手を例にして説明しないで下さい。
「……どっちにしろ、あいつが自分の殻から出て来ない限り無理ですよ」
「そうでもないぞ。例えば、部活動を作るというはどうだ?」
「部活、っすか?」
「ああ。放課後にメメメのラボに集まり、活動をする。部員が増えれば自然とメメメと生徒が触れ合う機会が増えるだろう?」
「そんなにうまく行くとは思えませんが……そもそも何部にするんですか?」
「それはお前とメメメで考えろ」
「……そんなこと言われましても」
「喜ばないのか? 学園モノのアニメは部活を中心にストーリーが展開するのが王道パターンだ。しかもメンバーの大半は女子ばかり。明るく元気なツンデレ女子や、天然で巨乳のドジっ子、無口で本が好きな美少女に囲まれたハーレムライフがお前を待っている」
待っていない待っていない。
「やってくれるな?」
「……分かりましたよ」
「おっ、あれほど抵抗していたのに今回はやけに素直だな」
「俺の辞書に「いいえ」という言葉はありませんから」
そのページを破り捨てたのはあなたですけどね。
「では部活の件はメメメにも話しておくから明日、ちゃんと話し合うんだぞ」
「へーい」
俺は空返事を最後に、座布団を枕にして寝転がった。
「よし、では洗い物でもするか」
コココさんは立ち上がり台所へ。
蛇口から水が流れる音が聞こえる。
「部活……か」
中学時代は帰宅部。高校で始めようと思ったバスケ部は怪我で入部せず。
そんな俺にとって、部活にいいイメージはない。
放課後、部屋にこもってゲームをしている間に、自分と同じ年の男女がキラキラとした青春を送っている。そう想像するだけで、なぜか自分が負けたような気がして、焦りと苛立ちが胸に渦巻くのだ。
そんな俺が部活を作る。しかも相手は俺以上のぼっちのメメメ。
……無理な流れだ。
「~♪」
少し憂鬱な気分で白い天井を眺めていると、台所から鼻歌が聞こえてきた。
それは『シスターズ(略)』の主題歌のメロディー。
コココさんが鼻歌を歌うなんて初めてだった。
少し驚いて台所に目を向けると、コココさんは踵でリズムを取っている。
あまり感情を表に出さないコココさんだが、この時の俺は彼女の気持ちが何となく読み取れた気がした。