SS.漸近線
漸近線:数学用語で限りなく近づきながらも決して交わらない線。
僕がいつもの居酒屋の暖簾をくぐると、白衣がよく似合う馴染みの大将がカウンターの中から威勢よく声をかけてきた。
「らっしゃい! いつもの席は空けてやすぜ!」
「悪いね。代わり映えのしない注文で申し訳ないけど、酒はいつものと、つまみを適当にお願いできるかな」
「今日はいい戻り鰹が入ってっからよ、たたきなんてどうだい?」
「じゃあ、それで」
カウンターの左端から二つ目が僕のいつもの指定席。そして、その左隣は――
「お待たせ」
僕が入って来た時からカウンターに突っ伏したままの彼女に声をかけると、ノロノロと泣き腫らした顔を上げる。
小学校以来の腐れ縁の彼女は、失恋するたびに僕をここに呼び出してはくだを巻くのだ。
「……う、うえぇぇぇん」
「はいはい。よしよし。辛かったね~」
まだ感情の整理がついていないようで、またぼろぼろと泣き出した彼女の頭をまるで小さな子どものように撫でてやる。
「聞いてよぅ~ひどいんだよぅ~」
「はいはい。ちゃんと聴くからとりあえず涙拭きなよ」
正直、何やってんだ自分? と思わないでもない。
でも、彼女が泣いてると放っとけないのだから仕方ない。結局、僕はお人好しなんだろうな。
一緒に酒を飲みながら、彼女の今回の恋が破れるまでの顛末を聴いて慰めて、立ち直った彼女が「明日からまた新しい恋を探すねっ!」となるのが毎回のパターン。
僕が彼女の恋愛対象になることはたぶん、これからも……。
きっと僕は、彼女にとって限りなく近づきながらも決して交わることのない漸近線のような存在なんだろうな。
なんか無性に悲しくなって、僕はグラスの酒を一気に飲み干した。
Fin.