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一人、理由 03



「これは……」


 極寒の冷気の中で、全力疾走したことで燃えるような熱を帯びたアマネは、マフラーをカバンに押し込んで立ち尽くす。

 荒い呼吸で白い湯気を揺らめかせながら、爛々とした瞳で、扉からそっと店内を眺める。

 そこは、パフェ屋であった。

 周りの無機質なシャッターではなく、小奇麗な装飾が施され、暖色系の色合いが美しい調和を醸し、思わずアマネは見惚れてしまった。

 店内は多くの女子高生で賑わっている。外観と違い、店内はそれなりに広い。加えて、扉の隙間から窺っていることもあり、リンの姿が見当たらない。

 アマネの脳内を駆け巡るのは最悪の光景だった。店の中で、リンがアマネの知らない女子と楽しげに会話を重ね、パフェを食べている姿。――あたしに、嘘ついて、そんな……ことして……、他の誰かと遊びたいなら、素直にそう言えばいいじゃん。だったらあたしも、納得するよ、うん……。

 自嘲めいた笑い声が響いた。

 先ほど、れいかと会話し、持ち直したかに見えたが、やはり、本心から目を背けただけであった。

 入ろうか、それとも出直すか……、とアマネが迷っていると、店員が一人、扉に近づいてきた。アマネは何故か扉から離れると、ケータイを取り出して、意味も無く弄り始めた。カランカランと音を鳴った。扉を開いて飛び出てきた店員は、看板を抱えていた。横目でその姿を観たアマネは、ぎょっと瞳を開く。何故なら、店員はメイド服を纏っている。クラシカルな印象を覚え、アマネは目が離せない。その店員はアマネよりも一回り背が低い。懸命に看板を店の前に置くと、位置を微調整しながら小刻みに動いた。

 まるで、リン……みたいだな、とアマネは思った。リンの愛くるしい感じでメイド服を着せたら、多分可愛い、私の命令に嫌がりつつも、ツンデレ気味に了承してくれるはずだ、メイドだから……、と妄想を展開していると、そのメイドと、目が合う。

 まるで、リン……みたい、だ……な。

 リンとそっくりだった。メガネはかけていないが、その顔立ちや、愛くるしい顔、丸みを帯びた顔と、人の視線を伺うような、小動物的な怯え方は――「リンだ、メイドだ……」

 アマネはわなわなと震え始めると、「かわいい……」と呟く。

 リンも、一瞬表情を強張らせて、じっとアマネを見つめた。


「アマネ?」

「メイドが、リン?」


 二人の間に緊張感が流れる。

 その時、二人の体を打つように、カランカランと音が流れた。開かれた扉の中には、先程――先日、アマネがリンと共に歩いていた女子生徒の姿があった。これまた、メイド服を着こなしている。

 どうしたの? とリンがなかなか戻って来なかったので心配し、呼びに来たのである。リンを眺め、リンの視線を追うように首を曲げると、アマネと目があった。……アマネ、様? とひぃっと悲鳴を残して、そのメイド服を着こなす女子生徒は失神してしまった。


「リン……あんた、ここで何してんの?」

「……観てわかりません?」


 リンはアマネと向き合うと、頬を赤らめ、恥ずかしそうに微笑んだ。


「ご奉仕?」

「違います、バイトです」「あぁ……そういう、タイプのお店ね」「アマネがなんか最悪なこと考えているのは置いときまして、このお店、パフェ喫茶なんですけど、ウエイトレスしているんです」

「……コスプレ、じゃないの?」

「制服です。可愛いですよね」

「うん、リン、一松人形みたいで、可愛いかも」

「それ褒めてませんよね……」


 リンに促され、アマネはメニューから適当に選んだ。先ほど失神した女子生徒をスタッフルームに運んだ後、アマネはリンの後を追うようにして店内に入り、偶然空いていた席に座ったのだ。


「ってか、どうしてバイト? 遊ぶ金欲しさ?」

「お金目当て、ではありません」

「だったら?」


 アマネが問うと、リンは黙り込んでしまう。「リン?」


「アマネ、そのパフェ、美味しいですか?」

「え、うん」「特製ジェラートパフェ……美味しそう……。アマネ、そんな甘々しい食べ物大丈夫だったんですね」

「あの、リン、」

「ご注文は以上でよろしいですね?」


 リンは豹変して板の付いた接客態度で喋ると、そそくさと消えてしまった。

 ――やっぱり、何かあたしに隠している……。用事と嘘ついて、こんな場所で隠れるようにバイトして、……ただのバイトなら、そう、言ってくれるはずなのに……。しかも、あの子と一緒に……。

 煌びやかな店内であったが、アマネの視界では歪んでしまう。

 口の中で溶けるジェラートも、その味がわからなかった。ドロを口に含むような不快感すらあった。

 はぁ――と、深呼吸をするようにして、込み上げてくるモノを、アマネは必死に堪えた。

 その時、視界の端に、リンの姿が映った――瞬間、アマネの瞳孔がぐっと開いた。

 何故なら、「クマたんッ!?」をリンが抱えているからである。

 デカい。

 リンの顔を遮る大きさに加え、十二枚の悪魔的な羽を備えていることで一際目立つ。

 アマネは思わず立ち上がると、意識が頭の中から弾け飛ぶようにクマたんに釘つけとなる。


「こ、こいつは……、堕天使クマたん! 世界でも百体しか存在しない、激レアの……。クマたん名鑑でしか、その姿を拝んだことは無かったのに……」


 そのクマたんが、ずんっと重量感溢れる音を響かせ、テーブルの上に落ちた。

 アマネは興奮して両手で口もとを覆いながら、クマたんを運んできたリンに声をかける。


「リン、どうしたの、これ!?」

「……もう、今日は上がって良いと言われたので、とりあえず、お話します、私が……ここでアルバイトしていた理由を」


 リンは盛大な溜息を吐き出して、語り始めた。


「アマネが堕天使クマたんを手に入れ損ねて、この世の終わりみたいな表情で過ごしていた時期がありましたよね。私は、そんなアマネが不憫と思い、誰か知り合いで持っている人がいないか探してみました。が、アマネの言う通り、この世に百体しかない儚いクマたんが早々簡単に見つかるはずもなく、私は即座に諦めました。そんな折です。さっきの子が、私のライブに偶然訪れて、お友達になったんですけど、その時に、今実家がお洒落なパフェ喫茶に改装していると写真を見せて下さり……すると、そこにこの……堕天使クマたんが映っていました!」


 リンはびしッ! と力強く指さして続ける。「話を聞いてみると、隣のクラスの子で、私はダメ元でどうにか譲っていただけないか、と相談しました……、すると」

 曰く、寂れたシャッター商店街で店を構えるこのパフェ喫茶が、地元のテレビ局の撮影が入ったことで話題となり、付近の女子高校生などが大量に訪れるようになったのだ。故に、人手が足りず、リンが少しの間手伝うことを条件に、譲っても良いと述べたのである。


「でも、いいの?」


 アマネは今にでもクマたんを抱きかかえて自宅まで逃走したい欲望を必死に押さえつけながら問う。


「あの子は、たまたま応募してみたら当たってしまったようで、クマたんは可愛いと思うけど、誰かさんのように狂気に駆られているほどクマたんを愛してはいないそうです。あと、このクマたん、羽が無駄に大きくて、邪魔らしいです」

「そっか」


 アマネはクマたんを見つめる。ノーマルなクマたんよりも眉が僅かに吊り上り、凛々しい表情を浮かべている。


「……あまり、嬉しそうではありませんね」

「え?」


 リンはつまらない、と言った顔で、アマネを観察しながら言った。「そのクマたんが手に入るのなら、私はたとえ垂直に聳える崖を命綱無しで上ったり、海の底まで素潜りしたり……と、わけのわからない情熱を醸していたのに、もっと喜ぶと思っていました」


 不満げにリンはアマネに訴える。


「もちろん嬉しい、嬉しいに決まってる! ホント……貰っていいなんて、夢みたい」


 アマネは喜々として顔を綻ばせたが、ふっと溜息をつくように「でも今は……」と呟いた。


「今は?」

「もっと、嬉しいこと……があって、ごめん、何でも無い!」

「……よくわかりませんけど、……まぁ、いいです。着替えてきますね」


 とリンは言い残して、スタッフルームへと消えて行った。

 一人取り残されたアマネは、恭しい表情で、クマたんを眺めた。

 それは、クマたんを手に入れる喜びによるものではなく、先程まで胸の内側にたまっていた棘のような恐怖が消え去ったからだ。心地の良い安心感が拡がり、アマネを包む。

 すっと、一筋の涙が、アマネの頬に線を描く。


「……なんだ、やっぱりあたしの勘違いだった。心配して損したよ」


 愚痴りながら、笑顔でパフェを食べる。舌の上に広がる幾重の甘味を感じながらも、アマネは美味そうにパフェを口に含んだ。

 周りで密かにあれってモデルのアマネさん……じゃない? と様子を伺っていた女子高校生達は、アマネが泣きながらパフェを食べたことに驚愕し、そのパフェがアマネを涙させるほど美味しかったのかもしれないと噂が拡散され、最終的には伝説のメニューとしてこの店一押しのパフェとなって末永く愛されるのはこの先のお話――。

 ちなみに、リンをバイトに誘った女子生徒は、アマネのファンである。クマたんを譲るというのも、アマネが欲しがっていると聞いたためだ。気絶したのは、突然目の前にアマネが現れたことで、脳が処理落ちを引き起こしてしまったことに起因する。


☆★☆★


「大丈夫ですか?」

「何とかギリギリ。足下は見えないけどね」


 アマネは堕天使クマたんを抱えながら歩いていた。ニヤニヤと表情が弛み、そのたびに危なっかしげによろめいた。そんなアマネの姿を、リンは満足げに頷きながら眺めていたが、先程のアマネの表情が脳裏にチラつき、そのまま穏やかな気分には浸れなかった。


「ねぇ、本当に嬉しいんですか?」

「あぁ……って、さっきから言ってるけど?」

「アマネ、何か私に隠していません?」


 リンは意を決するようにして問う。


「別に」

「あ、そうやってすぐに否定するの、アマネが嘘ついてる時の癖ですよ! やっぱり、あと朝ずっとクマたん名鑑見てましたよね? あれはアマネが何か思い悩んでいる時の癖ですね」


 リンが意気揚々としゃべり始めると、アマネは立ち止まり、クマたんで顔を隠しながら、「嘘ついてるのは……リンでしょ?」と言った。

 まるでクマたんが喋るような錯覚をリンは覚える。


「私?」

「そ、あたしに隠れてバイトなんかしちゃって、ずっと隠して」


 アマネはふてくされるような声を出す。


「それは……、アマネをビックリさせようと思いまして」「騙しやがってー!」「だ、騙してませんよ! ただ、その……悪気は、無かったんです」


 今度はリンがふてくさるように口を窄めた。その瞬間、アマネの脳裏に、リンがアマネは喜んでくれるはず! と思いを馳せながら初めてのアルバイトで一生懸命に働く姿が浮かび上がり、ぐっと喉元まで込み上げてくる感傷があった。


「……そうだね、ありがとう。この堕天使クマたんは、正直超嬉しいよ。一生の宝にします」


 リンは、アマネに騙されたと文句を吐かれて、確かにアマネの立場になって考えると、突然リンはアマネを避けるように行動を起こし、アマネの不安を煽っていたのは事実、と反省した。


「どういたしまして……。でも、ごめんなさい、アマネ。サプライズのつもりでした」

「わかるよ」

「突然アマネにプレゼントしたら、とても喜ぶかなぁって……」

「わかる。でも……」


 と、そこでアマネは一旦言葉を切り、クマたんを揺さぶった。


「なんか、リンが……あたしから離れるんじゃないのかなぁって、思って」

「そんなのありえないです」

「だよねぇ、喧嘩したならわかるけど、理由なんも無いし、朝は一緒だし……でもさ、ホント、一人で帰って時は恐くて……恐くて……。さっきの子と、リンが一緒に歩いている姿とか、この前偶然見ちゃったりしたんだよ」

「……恐い」

「恐いというか、ごめん言葉で伝えるの難しい。でも、それはやっぱりあたしの勘違いだとわかって、こうして欲しかったクマたんまで手に入れられて、良かった」


 クマたんが溜息をつくように腰を折り、その背後でアマネも一緒に息を漏らしているようだった。

 そこで、クマたんが落下するように、アマネの顔から離れた。

 ――泣いている。

 と、リンは予想していたが、満面の笑みを浮かべて、リンを眺めている。「良かった」とアマネは再び呟き、その声は、冷気の中で微かなぬくもりを帯びて、リンに届いた。


「はぁ、アマネがそんなに神経擦り減らしていたなんて、……れいちゃんの作戦に従わなければ……」


 二人で黙っていると、リンはポツリと言った。


「……れい、ちゃん……ん? え、あ! れいか!?」


 アマネは突然出現した『れいか』に、素っ頓狂な声を上げた。


「はい。この前偶然お会いして、久しぶりだね! と盛り上がりまして、この先のパフェ喫茶でお茶した時に、私がアルバイトする条件であのクマたんゲットできるんですよ、早速アマネに伝えましょう! と言ったら、ちょっと待ちなさい、……ねぇ、リンちゃん、アマネの超驚いちゃう顔、見たいわよね? と小悪魔めいた笑顔で策を語られて……」


 リンがもじもじと語る姿はアマネの視界に入らず、れいかとの会話が脳裏で駆け巡った。


「そっか……。だから、れいかは……全て知ってたのか……」


 ってか、話せよ! とアマネは心の中で舌打ちを鳴らす。

 アマネの推測通り、れいかは全て知っていたのだ。アマネが寂しさを拗らせて電話をかけてきたのは予想外であったが、リンに対し、ギリギリまで隠して、アマネにプレゼントして驚く顔をビデオにとって楽しみましょう! と姦計を練ったのだ。

 すると、リンはケータイを取り出して、パシャリとシャッター音を鳴らして、アマネの姿を写真に収めた。


「何?」

「ん、れいちゃんには色々相談に乗って貰いましたから、そのお礼として、クマたんを抱きかかえて恍惚とした表情のアマネを送ってあげる、と約束したんです」

「あんたら、二人で何やってんの……」

「でも、なんかちょっと哀しい顔ですね。先ほど少し泣いたからでしょうか?」

「泣いてない」

「クマたんの後ろに隠れて……。やれやれ、次からは下校時にアマネに目撃されないよう、細心の注意を払って行動するよう心がけましょう」


 悪戯っぽく微笑むリンに、アマネはむっとしながらも、それで緊張感がほぐれ、久しぶりに呼吸を行ったかのような安心感を覚えた。

 そこで、アマネは念願のクマたんを手に入れても、素直に喜べなかった自分の謎に気づく。

 それ以上の歓び――、リンが自分の下から去ったのではなかった、と判明して、その刹那、思わず歓喜の涙を零してしまうほどの感動を覚えたからである。


「リン、結構似合ってたね」

「メイド服ですか? 自分で言うのもアレですけど、ですよね!」

「うん、今度秋葉とか言って、本格的にバイトしくれば? そういうの好きそうな方々に絶対モテるよ!」

「嫌です」

「あたしが客だったら絶対ズボンにジュース零して拭いてもらうよ」

「変態」

「ってか、あのバイトはもう辞めるの?」

「一応そのクマたんを手に入れるまでの間でしたので。あ、でも、あの子はアマネにも着せたい! と叫んでいましたから、お願いすれば大丈夫です!」

「確かに、一度は着てみたいかも」「男性用の執事みたいなコーデを……」

「あのね……」

「絶対似合う! と二人で盛り上がって、男装の麗人が颯爽と珈琲持ってきて下さるなんて……、売り上げ二〇パーセントアップは確実に狙えますね!」

「私もヒラヒラ着てみたいなー」

「もちろん、アマネでしたらメイドも似合うと言っておいたので、今度一緒に……」

「うん、行こう。あそこのパフェ、なかなか美味しかったし、またリンのメイド姿見て、扱き使いたいし!」


 自然に微笑むリンは夕日に照らされて、光に包まれるようにして輝いた。

 アマネも微笑み、そっと身を寄せるようにして歩む。

 ゆっくりと。

 二人の歩幅は違ったが、吐息、温度が重なって距離を近づける。言葉以上の想いが二人の間で駆け巡り、その余韻が広がっている。



//終わり

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