お昼休み、放課後 02
「ごめんね、リン……。髪触って」
校門を出ても無言を貫くリンに、アマネは意を決して口を開いた。
「なんか、つい触ってみたくなったんだよ」
「……触り過ぎです」
リンは返事をしたが、視線はあさっての方向を向いている。
「本当にごめん。リンの髪、独特の感触があって、指が離れなくなって」
ふん、とリンは鼻を鳴らして、アマネを突き放すかのように進んだが、即座に立ち止まる。恨めしげにバス亭を睨んだ。一瞬迷った後、踏み出そうとしたが、「駅まで歩いて二十分以上はかかるよ」とアマネに声をかけられ、肩を落として立ち止まる。
「リン、機嫌治してよ」
「別に、怒っているわけではないです」
「嘘でしょ? だったら何であたしを避ける?」
「アマネが勝手にそう思っているだけですよ」
リンがアマネを避けているのは、リン自身がその行動を理解ずにいた。
アマネに髪を弄られた程度で、これほどまでに精神が乱されるとは想いもしなかった、とリンは自分自身に驚いている。そして、そんな自分に対して、平静を装っていながらも、不安が体の節々から噴き出しているかのような姿のアマネを横目で捉え、リンは楽しんでいた。
バスが到着した。車内に乗客の姿は皆無で、アマネとリンは最後列の端に収まるように座った。
相変わらずリンは無表情だった。隣では、アマネが手持無沙汰を表すかのように、ケータイにぶら下がる白黒模様のクマのキーホルダー、【クマたん】の人形を弄る。クマをモチーフとしたキャラクターで、白黒のまだら模様に丸みを帯びた姿をしている。パンダではない。アマネが愛するゆるキャラだった。
ぶるっと震えて加速し始めるバス。走行音が二人を包む。毎日乗っているはずなのに、初めて聞くような音、とリンは思った。普段なら、アマネと他愛の無いお喋りを続けていたので、バスが響かせる音は記憶に残っていないのだ。居心地が悪く、リンは段々とこの状況が耐えがたくなった。
「……アマネ」
「ん?」
「ず……ずるい、です」
「え、突然何?」
「ア、アマネばかり私の髪……触って、私だって、アマネの髪の毛……さ、触りと思ってました!」
「そうなの?」「そうです」
アマネは安堵とも云える溜息を漏らす。「いいよ、触っても……ほら」
リンに凭れるようにして、アマネは頭をリンへ傾ける。リンはゴクリと唾を飲み込んで、アマネの髪を見つめた。
アマネに髪を弄られたことで、心揺れたのは事実であるが、それ故に怒りに駆られたのではない。想いの根底で、何か違う不気味な渦が蠢いている。
しかし、「リン、どうしたの?」と目の前でアマネの柔らかそうな髪が揺れ、思わず手を伸ばしていた。
「き、綺麗……」
「そう、ありがと」
リンはすんすんと、匂いを嗅いでいた。
「リン……」
「あ、違います! ただそのちょっと良い匂いするなぁ……と思っただけです!」
「いやそれについて咎めようとしたんだけど、まぁいいよ、満足した?」「まだです」
リンはアマネが無抵抗を良いことに、指で髪を梳かし、その感触を楽しんでいた。
「……確かに髪触られるの……気分良くは、無いね」
「わかればいいんです、わかれば!」
段々と理性の箍が外れかけてきたリンは無我夢中でアマネの髪を触る。そんなリンを、アマネは愛おしげに見つめていた。そっと身をリンに預けるが、リンはアマネの髪に意識が集中し、気づかない。アマネはリンを包み込むようにして、眺めていた。
「それじゃ」
「バイバイ」
校舎をあとにした辺りの険悪なムードは消え失せ、二人の間にはいつもの空気が流れていた。
アマネがリンから視線を外そうとした瞬間、リンはアマネに小走りで近づいて来た。
「どうしたの?」
「今日、雑誌の発売日でした。本屋寄ってから帰ります」
「あぁ、言えばあげるのに」
リンの言う雑誌とは、もちろんアマネが載っているファッション誌である。
「それくらい買いますよ」「参考になる?」「まぁ少しは……」「アドバイス欲しかったら何でも聞いていいよ」
その言葉を受けて、リンは漸く胸の内に蠢くわだかまりの正体を理解した。
嫉妬。
アマネが昼休みにファンに浴びせた言葉、目の前で自分以外にファッションについて語るアマネは、私だけのアマネ、とどこかで独占じみた想いに駆られていただけに、それが目の前で否定されたようで、妬みが生まれていた。僅かな時間で棘のように鋭さを増し、髪を触られたことをキッカケに、胸の中で燻っていた感情が体を内側から貫くように突き刺さったのだ。
「でも、私は小さいし、アマネみたいに格好良くは無理です」
「リンみたいな大きさの子でも可愛くできるよ。事務所の先輩で仲良くてリンみたいな人いるし」
「まぁ、アマネがそう言うのなら、お願いしても良いですか?」
「一応これでもモデル、結構頑張ってるからねぇ、センスはあるつもり。リンは一番可愛くしてあげるよ」
微笑むアマネに、リンはぐっと歯を食いしばるようにして、言葉を浴びた。
まるで自然に答えたようであったが、アマネはリンの反応を観察する意味を込めて放った。リンは、そんなアマネの心中を理解しながらも、嬉しさを堪えきれず、自然と笑みを浮かべてしまう。
二人で本屋に入り、適当に物色しながらやっと雑誌を購入し、名残惜しそうに道に立つ。
「今度こそ、さようなら、ですね」
「明日は遅れないでね」
「こっちの台詞です」
だが、リンはアマネから離れようとしない。落ち着かないという表情で、鞄を漁っている。
「ん、まだ何かあるの?」
「……アマネ」
リンは鞄からそっとチケットを取り出すと、アマネに差し出す。
「これは……」
「次のライブのチケット」
「ありがとう! 絶対見に行くよ」
「別に仕事とか、都合がつかなかったら……」
「ううん、行くよ。だって、リンが一生懸命歌ってる姿みたいよ」
「歌声を聞きたい、ではないんですか?」
「……もちろん、それも、ある」「絶対に嘘!」「あはは、ホントホント、それより、楽しみにしてる。頑張ってね、リン」
「はい!」
リンはほっと溜息を漏らす。アマネに背を向けると、嬉しさで頬を緩ませ、満面の笑みとなっている。――カーブミラーにその姿が鮮明に映り込んでいた。
リンは道を曲がり、見えなくなった。だが、地平線に沈みかけた夕日が、リンの影を道に描くように伸ばしている
――その影が、両手を大きく宙に突き上げるようにして、跳ねた。
//終わり