プロローグ、セピア色の17年
「凄いよ、リンは。ホント、尊敬します。ありえない。正直、こんなにも辛いなんて思いもしなかった」
「突然、何ですか」
「一ヶ月……たった三十日、リンの顔見られないだけで、なんか……超辛いよ。リンの存在が、あたしの中でとんでもなく大きいというか、あって当たり前の存在だったから、混乱してる」
「……そうですか」
「これを、リンは、三年間も耐えたの? 信じられない」
「私の場合は、毎日アマネの寝顔、拝見できましたから」
「でもこうして喋れない、声すら、聞けなくて……リン」
「はい?」
受話器の向こうから響くリンの声は、アマネの耳から頭に染み込むようで、感嘆深い。
「実は、リンからアプローチしてくるのを待っているつもりだった。あたしから動くのは、ちょっとプライドが許さないというか、そういうタイプじゃないし」
「でも、こうして電話、してますよ……アマネから」
「だから待てなかった。悔しい……」
アマネが溜息を漏らすと、くすくすと笑い声が響く。
「ねぇ、リン……」
「無理ですよ」
アマネが喋る前に、リンは言い放った。アマネの想いを一瞬で裂くように言った後、「一年間、理由はどうあれ、アマネは懸命にリハビリに取り組みました。しかし、まともに歩けないじゃないですか」
「……だって、一年でしょ?」
「ん?」
「一年なんて、……生まれた赤ん坊がやっと歩けるか歩けないか、それくらいじゃん」
「……アマネ?」
「リン、ごめんね。リンの想いなんて欠片も考えず、自分のことだけ考えて、リンを巻き込んで、ずっと迷惑ばかりかけて、本当にごめんね……。謝って、どうにかなる話じゃないけど、ごめんなさい」
「許しませんよ。許せるわけ、ないじゃないですか。殺人のお手伝いを……もう少しで、私は、アマネを殺すところだったんですよ」
「うん……うん……ごめんねぇ……リンぅうう……うう……」
「アマネ、泣いているんですか?」
「少し」
「嘘ですよね?」
「……バレた?」
「号泣ですよね? 私が近くに居なくて、寂しんですか?」
「いや、泣いてないって」
「れいちゃんが、アマネはすぐ泣くって馬鹿にしてましたよ」
「……アイツ。でも、本当に、リン……ごめんね」
「今度、……あのパフェ喫茶店、あるじゃないですか?」
「え、うん」
唐突に話題を変えたリンに、アマネは首を傾げる。「あれから人がたくさん訪れるようになって、商店街に少しずつ活気が戻り、今では付近の巨大なデパートと連携したりして、物凄く盛り上がっているんです」
「へぇ、シャッター商店街の記憶しかない」
「ですよね。……そこのパフェ喫茶で、超特段のパフェがあるんですけど、それ、今度驕ってくれるのなら、許してあげないことも……」
「どっち」
アマネが突っ込むと、受話器の先から小さな笑い声が漏れて、「アマネ……」とリンのか細い声が響いてきた。
「ん?」
「何だか、懐かしい気がします。アマネ……一体今まで、どこにいたんですか?」
リンの言葉には震えが混じり、絡み付くようにアマネに響き渡った。
「ずっと、ずっと……、私は、アマネと一緒に居たようで、別人と過ごしているような……恐怖を感じていました。ねぇ、アマネ、貴方は今、どこにいるんですか? 私の知っている、私の……大好きなアマネ、ですよね? 人形のように身動き一つしない姿や、怒鳴られた時……本当は、とても恐ろしくて……ずっと、変な笑い方で、私のことを……アマネ……は……アマネ……」
リンの問いかけに、アマネは一つ呼吸を挿んで、語りかける。
「あたしは、ずっとベッドの上の居たよ。何も変わってない。別のあたし、じゃなくて、リンが今言った姿も、あたしなんだよ……」
アマネの声は、溶けるように消えたが、温度となって、リンに浸透していく。
「リンは、最後、何をあたしに伝えようとしたの?」
「生きて」
「よかった……」
「私も嘘、ついていました。本当は、アマネを死なせたくない……。生きて欲しい……私、そのためなら……」
「消えても良いなんて、言わないで。それが一番辛い。あたしだって、リンに生きて欲しい隣で、小さく笑っていて欲しい……。ってか、リンだって、少しだけ大きくなって、あたしの知ってるリンは、もっとちんちくりんで可愛らしい感じだったのに、大人っぽくなって、なんかずるい」
「……ごめん、なさい」
「まぁもう慣れたけど……。でね、リン、あたしは、もう一度、最初からやり直したい。一度は諦めた夢だけど、今度は、正真正銘、本気、全力で、もう一度立ち向かってみたい。それを、生きる糧にして、……ううん、これも言い訳かも。そういうこと言えば、リンが……手伝ってくれるかも、と思ったんだ」
「……次、また死にたいって言い出したら、今度こそ、確実に殺しますよ」
「多分、そんな簡単にはいかないと思うし、何よりリンの時間を使うけど、いいの?」
「アマネが、どーしても、と懇願するのなら、いいですよ」
「……うん、こんなこと、リンにしか頼めない。リンが良い……。リンと一緒にいたい……」
「私も……」
「会いたい……今、リンに凄く会いたいよ」
「明日、お見舞いに行きます」
「来て」
「はい、絶対に行きます」
リンの笑い声が、アマネの記憶を揺さぶり、当時の光景がどばっと噴出するように蘇った。
はにかむリンの姿と、そんなリンを愛おしげに見つめるアマネの姿。
夕焼けに照らせれ、黄金色に彩られる二人の笑顔。
「しかし、でもアマネ、どうしたんですか?」
「目が覚めた。……歌を聞いて」「歌?」「あ、ううん、何でも無い。それで気づいたというか、あたしも、リンのこと好き。それだけ……今はもう、リン大好きで、堪らない。ホント超可愛いよ、リン……」
二人は暫しの間、想いを重ね合わせるように、沈黙する。
「ねぇ、今度は、私のライブに来てください。久しぶりに、らぎにステージに上がろう! と持ちかけられて……」
「行くよ、絶対に。やっぱり、生で……聴きたい」
「楽しみにしてくださいよ。アマネ、とても驚くと思いますから!」
――実は、もう聴いたけどね、とアマネは想いを胸に伏せて頷いた。受話器から響くリンの声は、イヤホンで聴いた、歓喜で彩られたリンの声色と同じだった。
// 完