潰えた夢、もがれた道 06
病院から出ると、まるで待ち構えていたいたかのように、らぎがリンの前に立つ。
「用は何です?」
「ん、結果聴きたいなぁと思って。で、どうだったの、アマネとのデート」
「そうじゃないです」「やった?」「やってません」「レズってどうやるの? 指入れるの? それとも、道具使いまくり?」
リンは軽蔑の眼差しをらぎに向け、逃げるように進み始めた。
「あ、リン、待ってよ~、ごめん、ちょっとからかい過ぎました、ねぇ!」
「黙ってください、今らぎとお喋りする余裕ないので!」
「フラれたのか……」
らぎが慰めるようにリンの肩を叩くと、リンは黙り込む。「……うっそ、マジで?」「マジで」「……きゃぁああ! えぇ! そんな、馬鹿な! だって、リンちゃん、アマネ大好き好き好き堪りません! ってオーラ噴出していたのに……えー、どうするの? 死ぬ? ショック死しちゃいます?」
「しちゃいません」
「涙は……あ、あ、あッ! この真っ赤に充血した瞳は……そっか、ごめんね~リン」
らぎは何かを悟ったかのように頷き、にやりと唇を耳元まで引き上げる。「ねぇ、どんな感じでフラれたの? 実は病院で他の男……いや、女を作っていて、嗚呼可哀想に、リンちゃんが入っていける隙間は既に無く、目の前でイチャイチャラブラブされた……とか?」
「違いますよ。全然、らぎのつまらない妄想と違って、特に、昔と、何も変わっていませんでした」
「そうなの? あたしはてっきり、……れいかが戻って来たのかと思ってたけど、違う?」
「れいちゃん? いいえ、会ってませんけど」
「ふうん、連絡も無し、か。……で、何だっけ、好きです言ったら、リンは女の子で、あたしも女でしょ? こんな感じ?」
「違います、私は……アマネの首を絞めたんです」
「どうやって? ぎゅって絞る感じで?」
「はい」
リンは深く頷いた。ふざけていると思ったらぎだったが、歪むような笑みを浮かべるリンの表情を見て、「えっと、マジなの?」と僅かに動揺が走る。
「もちろん」
それでは……と、立ち去ろうとするリンを、らぎは慌てて追いかける。「ってことは、もしかして、殺した?」
「うーん、あと少しでしたね」
リンは微笑んで答える。
「なんだ、びっくりした」
「首、思いっきり絞めて、ギリギリ……音が鳴るようで……アマネの顔が真っ青に染まりました。指先からドクンドクンドクン……と脈が痛いほど感じられて……でも、無理でした」
「そう、ホントに殺したんだったらリンを警察に突き出すところだったよ。で、インタビュー受けて、あの子は昔から人の首を絞めることに執着していて、と語りまくる」
「どうぞ、ご自由に……」
暗闇の中を突き進むリンは、人気のない場所を選ぶようにして、道を歩んでいく。らぎは一定の距離を保ちながらリンを追いかける。
「なんですか?」
「いや、リンがこのまま人生に絶望してヤバいことにならないか心配なんだよ」
「心配しなくても、大丈夫です。ただ、歩いて頭を冷やしているだけ」
「そういう時が一番危険だってさ」
「一人にしてください」
「今日は一緒に付き合ってあげるよ。どうする、飲みに行く? この前美味しい卵焼き作ってくれる居酒屋教えて貰ってさぁ……」
「別に、お腹減ってません。食べられる気分でもないですし」
「そ、だったらカラオケ?」
「らぎ……」
「やーんだって、このままリン一人でふらふらされて、そのまま故意じゃなくても事故ってもぐったら夢見が悪いってか……あ、ごめんね」
「別に、私が事故に遭ったわけではありませんから」
リンは立ち止まると、視線を横へ流す。小さな公園があった。リンは引き寄せられるように入ると、らぎはゆっくりとリンを観察するように後を辿る。ベンチに座ると、疲れていたのか、大きく息を吐き出し、呼吸を整えた。らぎは付近のブランコに座ると、反動をつけて漕ぎ始める。
「アマネ、なんかもう、別人のようで……」
リンは足元を眺め、独り言を言うように呟く。
らぎから返事はない。
リンの声は余韻を残して闇夜に消え、沈黙が漂う。
「アマネ、まるで別人みたいでしたッ!」
今度ははっきりとした声でリンは言った。
「そう……」
「らぎ?」
「ごめん、今返事してる途中で……」
らぎは夢中になって、ケータイを弄っていた。
「よし、で……何? アマネが別人?」
「はい」
「いやアマネはアマネでしょ。この前会いに行ったけど、昔と何も変わってなかったけど?」
「九十九パーセント、アマネ、です」
「ほう、残りの一パーセントは?」
「それは……わかりません」
「なんじゃそりゃ」
ブランコから落ちるようなふりをして、らぎは笑う。
「でも、その僅かな何かが、アマネをアマネではない、別人に変化させている……。ずっと、アマネが起きてから一年間、アマネと過ごし、違和感を覚えていましたけど、やっとそれを理解出来ました」
瞳を光らせて答えたが、即座にリンは項垂れ、自嘲気味にケラケラ笑う。「そんなアマネに尽くしている私も、おかしいですね。自分の欲求ばかり述べて、アマネの気持ち、何一つ考えていません。私、アマネの首を絞めて、あと三十秒力を込め続けたら、殺せる気がしました。頭の中の箍がどかん! と外れたみたいで、全身に力が漲り、首の骨すら砕ける力を備えていたと思います」
「でも、やれなかった。口先だけなら何とでも言えるよね」
「だって、受け入れるように目を瞑るアマネがあまりにも、……あまりにも……」「苦しそうだったから?」「幸せそうで……」
「……は? 幸せ、だったらいいじゃん」
「ズルいじゃないですか。何一人で幸福な顔しているんですか、って……。アマネの苦痛から解放するつもりでしたのに、私は、許せなくて……。八つ当たりするように、私の鬱憤を全てぶちまけて、そのくせ……最後に伝えたかった言葉が出ず……」
リンは言い終える前に首を振り、それ以上は口を噤む。
「……何を言うつもりだったの?」
「生きて、なんて軽々しく言えません」
リンはらぎに返したのではなく、自問自答するように答えた。
「アマネの身体、とても細いんです」
「アマネはモデルだったからね」
「違います、数年間昏睡状態を経て、余分な筋肉は愚か、体を駆動させるために必要な筋肉も殆ど削ぎ落とされています。一年経過しても、まるで骸骨ような姿。今日、アマネを車に乗せる際、そっと抱きかかえましたが、……軽いんです。恐くなりました。でも、一番恐ろしいのは、そんな体で今を生きているアマネです。アマネの世界は奪われ、今はまるで生き地獄です。その時間を終わらせてあげたかったんです。これ以上、絶望でアマネを苦しめたくはありませんでした」
「でも、その苦痛から逃れようとして、幸せを噛みしめているアマネにイラっときて、生かしてあげました……」
「恐い人間ですね、私は」
「ううん、恐いというか、そこまで行っちゃうんだ、となんか驚いた。……ってか、リンはアマネのこと、好きなんでしょ」
「……と思っていましたけど、それも、自信が無くなりました」
「どして?」
「私は、今の人の助けを借りないとまともに生活を送れないアマネに尽くすことに、価値を見出しているのかもしれません。弱っているアマネの傍らで支える自分の姿に酔っているのかもしれません」
リンが言い切ると、再び沈黙が流れた。ブランコの風切り音が、波のようにリンを揺さぶる。
「本気で、それ思ってる?」
「だから自分でもよくわからないんです」
「いやぁそれはリンの想い過ごしでしょ。だってリンはアマネが事故る前からずっとアマネラブラブ! で見てるこっちがヒヤヒヤしたよ。で、アマネが起き上がってから一年間、まるで別人みたいなアマネの傍らでアマネの手助けするパワー、自己満足だけじゃ足りないでしょ」
「でも……」
「あとさ、自分に酔っているという話、まぁ、それで別にいいんじゃない、とあたしは想うよ」
「駄目ですよ」
「全然、リンが想ってる以上、この世界は純粋なラブ無いんじゃないかな、とあたしは想うわけ。多少形が歪んでいても、色々不純物が混じっていても、そこに価値を見出されば、いいんじゃない、一緒にいて。寧ろ当たり前、皆そう。リンだけじゃない。少女マンガみたいにさぁ、なんていうの、真っ当なストーリーなんて無いよ、絶対」
らぎが語ると、リンは硬直したかのように動かなくなる。
「リン、何?」
「まさからぎに慰められるなんて思いもしませんでした。またいつもみたいに蔑まれると覚悟していたのに、肩透かしを食らいましたよ」
「たまには言うよー」
「内容はしっちゃかめっちゃかでしたけど」
「リンの首絞め物語よりはマシでしょ。ってかね、またリンが、沈んだ顔してるから」
「また?」
「アマネが消えた時みたいに。やっと戻ったのに、また逆戻り」
それ故に、先ほどらぎは偶然出会ったリンに声をかけようとして、以前の表情に戻っていたリンの姿に気づき、跡を追ったのだ。
「さて、そろそろ帰りますか」
「そうですね。色々愚痴れて、すっきりしました」
「はぁ、友人が犯罪者になりかけてたとかホント勘弁してよ。メジャーデビュー目指してるんでしょ?」
「最近はまともに練習すらしてませんけど」
「あー辞めて現実を思い出させるな! はぁ……いつの間にかリンと二人きりになってたし、ライブ見たというスカウトマンに口説かれてメジャーデビューしてさ、最初のCDでいきなりドカン! と売れて、セカンド、サードと右肩上がり、ダウンロード数はずっとトップをキープ、どこ行ってもあたし達の曲が流れていて、豪邸買って、イケメン俳優と結婚してソロでもヒット飛ばして優雅な人生を送るはずだったのに……」
「途中で解散してませんか?」
「リンは使用人として雇ってあげるよ。いや、ペットかな」
「絶対に嫌です!」
吐き捨てるように声を出し、リンは立ち上がる。
「はぁ、リンはこれから頑張れ! と応援しようと思ったけど、そうか、フラれたのか」
「いや、そこまでは……」
「仕方がない、リンちゃん、私と付き合う? 多分レズでも大丈夫」
「拒否」
すると、らぎは瞳を潤ませて、リンを見つめる。
「アマネばかり、……ずっとリンのこと眺めていたのは、あたしなのにね……」
肩を落とし、声を湿らせて、らぎは呟く。
「……らぎ、松井さんとは、どうなってるんですか?」
「最近、学校の友達飲み会しまくってたら怒られて。かなり機嫌悪い。やべぇってか、リンも一緒に謝ろ! あたしの健気で実は良い人アピールしてよ! お願い!」
らぎは、当時アマネのマネージャーだった松井という男性と交際を始め、現在も続けていた。
「自業自得ですね……。松井さんも、そろそろらぎの本性を真摯に受け止めて、私かららぎを遠ざけるよう行動を起こして貰いたいです……って、どうしました、らぎ?」
リンがらぎに対して文句を連ねようとした途端、らぎは眉間にしわを寄せて、ケータイの画面を覗く。
「もしかして、ホントに松井さんから、別れましょうと?」
「……れいか」
「れい、ちゃん?」
「帰って来てるって、今彼から連絡が来た……。向かってる、……アマネの下に……」
//07に続く