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潰えた夢、もがれた道 03


「外へ行きたい」


 アマネはふと思いついたかのように言った。


「いいですよ……って、ついさっき連れて行ったじゃないですか!」


 リンはまた? と呆れながら返す。先ほど、アマネを車椅子に乗せ、リンと共に病院の敷地内にある庭園まで出向いたのだ。


「今日じゃない。……リン、悪いけど、一日空いてる日ある?」

「今週の金曜日は確か休講ですから、空いてますけど?」

「久々に、遠くまで外出してみたいんだよ。車で……。確か、運転免許持ってたよね?」

「一応、持ってますけど……」リンは冷や汗を浮かべて頷く。

「その時に、運転頼みたいんだけど、いいかな?」

「へぇ、……大丈夫ですよ、多分」

「何で多分言うの」

「あ、最近乗っていませんから、そのちょっと色々問題あったりなかったりしまして……」

「嫌なら」

「違います、はぁ……わかりました、私のドライビングテクニック、存分に味あわうことになると思いますけどね!」


 突然高揚するリンを、アマネは普段通りの乾いた笑顔で見据えながら、――ドクンと心臓が高鳴るのを感じていた。

 ――やっと、ここまで来たんだ、とアマネは自らの下半身を眺めながら自分自身に言う。

 肉が削げ落ちたかのような細い脚は未だに頼りない。が、これで終わるんだと思うたびに、腰か爪先まで活力が漲るかのように脈を打つ。

 過去の自分から続く幻想の未来の華やかな自分を創造した途端に、現在のベッドの上で横たわるやせ細った姿を思い出し、遣る瀬無い気分に浸らずに済む、と熱せられた泥を浴びるかのような歓喜に酔い痴れた。


「悪いね、リン」


☆★☆★


 若干青ざめながらも、リンは鬼気迫る表情でハンドルを握りしめていた。指先が白色化するほど力が籠められ、びゅんっ、と対向車がすれ違うたびに呼吸が乱れた。

 凄まじい集中力であった。前後左右に視線をレーザー光線のように放ち、膨大な情報量を脳内に貯め込み、ショート寸前であった。


「リン……」

「ここで曲がるここで曲がるここで曲がれない次ですここで……」

「おーい」


 アマネが声を大きくして言うと、「うるさい! 今運転してるでしょ! 集中できません!」と吼えられ、これ以上集中する必要は無いだろう、とアマネは内心思いつつも、口を噤んだ。


「あの、リン……、もしかして、免許取りたて?」

「いえ」

「なるほど、ペーパー?」

「一応月に数回は運転してます」

「……え、嘘でしょ?」

「ただ単純に、私は、運転の技量が平均よりもやや低い、だけです」

「あぁ……」つまり、下手糞、とアマネは言葉を飲み込んだ。

「ひゃう……くっそぉ……もう、辞めてぇ信号赤にならないでぇくださいぃい……はぁ、はぁ、はぁ……」


 異様な声を漏らしながら危なっかしい運転を続けるリンを横目に、アマネは窓を開くと、流れる風を浴びながら、ほっと溜息をついた。

 全身の筋肉を解すかのように脱力した。

 平静を保つために、頬を強張らせているのはリンだけではない。アマネも、本日は普段と何ら変わりない姿を魅せられるよう努めていたのだ。リンに悟られないように、と。


 本日、リンは車椅子使用者をレンタルし、二人きりの外出となった。アマネが景色の素晴らしいところを希望したので、リンが付近の観光名所を調査し、車で三十分ほど離れた場所に聳える小山を指定した。車で頂上付近まで登れ、展望台から見渡せる夜景は、情報誌に掲載されるほどの観光名所として有名だった。

 外泊許可はもちろん下りず、外出許可は二十時までには必ず帰院となっていたので、その夜景を楽しむ術は無い。


「アマネ、大丈夫ですか? ご気分が優れなかったりしませんか?」

「久しぶりの娑婆の空気は美味いね」

「娑婆って……」

「ってか、それよりも、あたしはリンの運転が心配。まさかこれほどまでとは……」


 リンに僅かでも悟られないよう、アマネは話題をさっと変えた。


「一応安全運転心がけてますよ」

「その割には信号変わりそうになったら加速するし、対向車ばかりに目が行って他に注意が回っていないような……」

「アマネ、事故りたくないのなら、これ以上私に声をかけないでください」


 ふらふらと定まらない車体や、不必要に視線を散らすリンの運転に、このまま無事に辿りつけるのだろうか、と一抹の不安を覚えた。

 アマネは揶揄するように笑った。それを、リンは自身への蔑むと捉えて頬を膨らませたが、アマネの笑みは、自らに対する自嘲――とはまた違う、傍観者的な視線からの、蔑みであった。

 それでもいいかも。

 と、アマネは思った。が、リンまで巻き込むのは流石に気が引けると思いつつ、いや、既にリンをこうして歯車の一つとして巻き込み、全力で回転させているのだ、とアマネは嘆いた。

 アマネの打ち立てた計画に一歩一歩近づくたびに、後悔の念が押し寄せる。加えてリンに対する申し訳なさ――。


「わかったけど、もう少し揺れを……うん、はい、わかりました何もいいません。リンの赴くまま、華麗なドライビングを披露してください……」

「もちろんです……あ、危ない! お願いですから信号の無い場所で大丈夫だろうと横切らないでください……きゃーッ!」


 昼過ぎに出発し、予定では約三十分の道のりのはずであったが、途中でコンビニに寄ったり、リンが道を間違えて迷ったりしたので、既に日は傾き、黄金色の夕日が広がっていた。

 駐車場に何度もトライ&エラーを繰り返し、漸く停めると、リンはアマネを降ろし、車椅子に座らせる。リンは車椅子の背後に回ると、慣れた手つきで操った。

 さっと、風を切る感触は、アマネの皮膚を擽るようで、こそばゆい。

 草木の匂いや音、光がアマネには新鮮だった。数年前まで毎日この世界で生きていたはずなのに、今は懐かしいと思う。

 体感的には約一年だが、四年を超える病院生活は、予想以上にアマネを隔離していた。


「確か、この先に……」


 リンはガイドブックをちらりと眺め、ゆっくりと車椅子を推す。自販機の横を通り過ぎると、舗装された道が続き、その先に展望台があった。


「うわぁ……」

「綺麗」


 展望台から映る景色に二人は思わず声を漏らす。

 夕日が街の中で幾重も反射し、まるで宝石のように煌めきを放っていた。その先には水平線が拡がり、煌々と燃える太陽の暁が、まるで溶けるかのように海に滲んでいる。人工物と自然の対比と、それを包むかのように揺らめく黄昏の美しさにリンは圧倒され、ポカンと口を開けて、感嘆の溜息を零す。


「はぁ……」

「リン?」

「本当に、形容し難いというか……芸術ですよ、これは!」

「芸術ねぇ」


 アマネはリンの感想を小馬鹿にするように笑った。


「はい、とても綺麗です……。あの時のような、感動を味わいました。一緒に、観に行った……」


 そこでリンは言葉を切り、「ごめんなさい」と謝罪した。


「別にいいよ、謝らなくても。逆に気を使わせるみたいで、なんか嫌だ」

「そうですね、また怒鳴られちゃいますね」

「……今度は、リンのクマたんを、元の場所に戻せ! って怒鳴ることにする」


 アマネは一年前の光景を再現するように言った。リンは困ったように微笑み、アマネも「ごめんごめん。ってか、辞めよう今は。リン曰く芸術的な光景に心奪われようよ」


「はい。……あ、夜景も素晴らしいと評判ですから、ねぇ、また一緒に訪れましょう!」


 リンがそっと語りかけたが、アマネは何も反応を示さない。


「あの、アマネ?」

「ん、何?」

「だから、今度夜景を見に来ましょう!」

「あぁ、そうだね。……ごめんね、景色に見惚れていたから、聞こえなかった」


 嘘。

 アマネはリンの提案を受け、返事に窮し、故に嘘をついた。

 ごくっと、アマネは唾を飲み込んだ。痺れるような緊張感が広がる。

 リンが怪訝な顔でアマネを覗き込もうとした瞬間、一陣の風が吹いた。二人を裂くように唸りを上げ、リンはアマネから一歩離れた。


「うぅ……髪が……」

「ねぇ、リン……頼みがあるんだけど」


 アマネは何となく声を出す。


「何ですか?」

「喉が渇いた。何でも良いから、ジュース買って来てくれない?」

「いいですけど」


 リンがアマネの車椅子に手をかけようとしたが、それを遮るように、「あたしはここで待ってるよ」


「え、でも……」

「勝手に移動しないし、ってか難しい。それに、この景色、もう少し眺めていたいんだ」


 アマネの懇願するような声色に、リンはさっと辺りを見回した。二人以外に人は存在しない。


「すぐ戻ってきますから、動き回らないでくださいね。アマネに何かあったら、怒られるのは私なんですから」

「うん」


 アマネは頬を歪めて――笑みを作り、それを見て、リンは納得したのか、そっと離れていく。


「あ、リン……」

「ん?」

「確か、駐車場の入口付近に自販機あったから、そこで炭酸じゃなくて、甘い紅茶が良い。」

「はいはい……。アマネ注文多いです」

「リンはあたしのメイドだから」

「まぁ、今だけですよ。今度は私がアマネを扱き使いますから」


 リンは捨て台詞を言い残すようにして、歩き始める。


「すぐ戻りますね」

「リン、ありがとう」


 ギラギラと輝く夕日は、アマネの瞳に突き刺さり、この世界が現実だと訴えかけてくるようで、不快に感じた。黄昏からは色が抜け落ち、無機質な明度による不気味な色合いに思えた。

 再度、辺りを見回した。

 誰も居ない。

 観光名所とそれなりに名を馳せているはずなのに、今現在、この空間にはアマネ以外の人間は存在しない。まるで、仕組まれているかのように。

 アマネは、リンの姿を探す。

 リンを、求めるかのように――。

 ふぅ、と呼気を漏らして、アマネは手に力を込めた。

 足を、車椅子から降ろす。

 全身の筋肉を唸らせて、立ち上がった。

 ガクガクと、腰が揺れた。

 バランスが崩れる。

 ヒヤリとした瞬間には、アマネは車椅子に落ちていた。

 痛み。

 そして、苛立ちに似た焦り。

 何故?

 という問いは、もう飽きていた。

 考えるだけ、意味が無い。……そう理解しているはずなのに、アマネは自らの不幸に塗れた運命を呪わずにはいられなかった。衰えた体を眺め、まともに歩くことすら拒否する足を見据えて、まだあたしは足があるだけ、マシだ、と自己暗示を繰り返し、自らよりも不幸な人間の姿を思い浮べ、それによって精神を保つ己の姿に疲れていた。

 ――もう一度、早くしないと……リンが、戻って来る……、と焦りを感じながら、アマネは一つ一つ、体のパーツを確認するかのように、力を込めていく。

 視界の高さが数十センチ変化しただけで、現在のアマネには、身も凍るような恐怖が襲いかかる。

 その感覚が、アマネの肌を裂くようにして、痛みを味わうような苦痛を覚えた。

 それでも、アマネは堪えた。

 リハビリでは、支えがあれば歩行を可能としている。

 だが、アマネは指先を名残欲しく車椅子から離すと、歩き始めた。

 一歩、

 二歩、

 三歩……と、地面を踏みしめるようにして。

 展望台には落下防止用の手摺が設けられているが、高さはアマネの腰辺りまで。その先には崖が聳え、覗き込むと身のすくむような光景が広がっている。

 ――だから、あたしはリンが挙げた候補を眺めて、この場所を選んだ、と更に一歩力強く踏み込んだ。

 手摺までは数歩の距離だが、アマネには果てなき道に思えた。

 歩く、という行為に、アマネは三年前の記憶が背後から忍び寄ってくるかのようにして再生された。

 胸を叩くような音と、煌びやかな光に彩られ、その空間を突き進む、モデルの姿。

 ラン・ウェイは、虹色に飾られているかのように、アマネには映った。

 美しい光の揺らぎに、アマネは心奪われると同時に、胸の内側から燃えるような滾りを感じていた。

 そんなアマネを隣で見つめていたリンは、驚きながらも、慈しむような視線をアマネに送る。

 夢。

 胸の内にポツンと生まれた想いであったが、それは即座にアマネの中で根を張ると、強烈な脈を放ってアマネの中で一つの道を生み出した。

 キラキラと光を燈す道の遥か先を歩むのは、思わず想像してしまった、未来の自分。

 モデルとして大成し、ファッション・ショウに挑む可憐かつ凛々しい姿。

 ラン・ウェイを威風堂々と突き進むアマネは、自信に満ち溢れた表情を浮かべている――。

 それは、全て断ち切られた。

 一歩、夢への歩みを始めようと、足を延ばす直前に、全て失った。


「はぁ……」


 声のように搾り出された溜息は、現在の恐怖から生み出されたのではなく、三年間を眠り、その後に無理やり押し出された道に佇む自分自身に対する鬱陶しさ。

 ふと、アマネは視線を横に向けると、以前アマネが抱いていた夢への道が伸びている。視線を戻し、現在の道の先を見据えると、――あと、何十年必死にもがいて、やっとまともな生活を送ることができるかもしれない、というアマネの一生があった。

 苦痛だった。

 故に、手摺まで近づき、

 身を乗り出せば――

 そのために、アマネは今日まで一年間必死にリハビリを行い、一人で歩けるまで汗水垂らしながらも耐えたのだ。

 罪悪感が沸いた。

 一年間、アマネのリハビリに時間を割いて付き合い、殆ど毎日リンと共に行動していた。

 そして、本日、ここまで連れてきてもらったのだ。

 きっと、リンは責められるんだろうな……と、アマネは後悔の念に縛られる。

 しかし、その想いも、今は溶けるようにして消えた。

 辛かった。

 今現在アマネの生きる世界の全てが、辛い。脱出したいと懇願するが、だがアマネにとっては現実で、都合良く逃げられるはずもなく――。

 竦む足に鞭を打つようにして、アマネは前へと進んだ。

 胸の中でカウントダウンが響く。

 ――あと、三歩、

 二歩、

 一歩……



//04に続く

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