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潰えた夢、もがれた道 01


 夏休みを終えたが、茹だるような暑さはまだまだ猛威を振るっている。


「……アツい」


 ゆらゆらと視界が歪むような温度の中、日傘をさしてリンは呻いた。


「うん……」


 隣で力無く頷いたアマネは、僅かでも顔に風を送ろうと、ひらひら手で仰いだ。


「アマネ……もっとそっち行ってください」

「無理」

「私がはみ出てます」

「この熱線浴びたら溶けちゃう」

「あの、アマネ、これは私の日傘ですよ……。アマネとらぎの二人がかりでリンが日傘なんて日焼け気にしてるの? と散々馬鹿にした日傘です。本当はアマネなんて絶対に入れたくないんですけど、パフェ一つ驕って下さると懇願するから、入れてあげたんです」

「ありがとうございます」


 アマネは慇懃に頭を下げた。


「頭下げるなら、その分外に……出てください!」

「喚かないでリン……。余計熱く感じる」

「だから、アマネがもっと……ひっ、腕が焼けてしまいます!」

「そうだね大変だねあたしが持つよ」

「だから、アマネが持つと私の影が少なるので私が持ちます」

 

 太陽光線は容赦なく二人を襲い、どろりとした汗が噴き出た。昼を過ぎ、気温は四十度近くまで上がった。本日は夏休み明けの初日で、授業は午前中で終わり、午後帰宅となったのだ。

 僅かでも互いの肩が触れ合えばどろりと汗が噴き出した。


「あ、信号赤……」

「っと、危ない。やっぱり見えないからあたしが持つよ」


 アマネはひょいっと腕を持ち上げて、リンから日傘を奪い取った。アマネは高校三年生となり、一段と身長が伸び、一八〇センチまであと少しである。細く長い手足と、小顔、鮮麗された顔立ちに、男性だけでなく女性をも引き付ける力が備わっていた。


「返してください!」

「ほらほら~、取れるもんなら取ってみな」

「ぐっ……アマネばかり大きくなって」

「リンは小さい方が可愛いよ」

「もうそろそろ中学生に間違えられてしまうのは、嫌です」

「中学生ってのも、ギリギリだよ」

「はぁ……身長ください」


 いやだ、とやんわり微笑むアマネを前にして、リンは何も言い返さない。やれやれと、演技するような顔をして、アマネから眼を逸らす。

 ――リンはあたしが見つめると顔を背ける、とアマネは理解しながらも、言葉には出さない。アマネはモデルとして更なる活躍を魅せ、先日二人でアマネのコネで見に行ったファッション・ショウを経てから、アマネが夢を抱き、真っ赤に燃える炎の如く輝く姿に、リンは以前に増して見惚れるようになってしまった。アマネが自身を擽るような眼差しを故意に向けてくることを理解しながらも、どうにも出来ず拒むような姿を晒す自分が歯がゆかった。

 高校三年の夏を終えて、二人の関係にも、僅かであったが変化が生まれ始めている。


 バス停に辿り着き、震えながら止まっているバスに乗り込む。クーラーで冷やされた車内には他に乗客はおらず、アマネとリンは全身を冷やされ、惚けた顔で奥まで進もうとした瞬間、「あッ」とリンは声を上げた。


「どうした?」

「いっけない……忘れ物しました」

「何を?」

「今日買った雑誌――」


 曰く、アマネが載っているファッション誌であった。本日登校する際、朝時間があったのでコンビニで購入し、そのまま後で読もうとロッカーに入れて、忘れてしまったのだ。


「あぁ、もう買ったの?」

「はい。……戻りましょう、アマネも」

「うん……嘘、マジで?」

「だって、すぐにでも読みたくて……」

「帰りにまた買えばいいじゃん」

「最近は人気があってすぐに無くなってしまうんですよ」

「ふふ、そんなにあたしの姿見たいの?」


 挑発するようにアマネが問うと、リンは僅かに頬を赤らめながらも、「そ、それもありますけど、あの雑誌はコラムなどの文章も充実していて面白いんです。扱っているブランドも流行りを抑えつつ、写真や全体的な雰囲気が尖っていて……他にも」

 と、リンはテンプレートに沿ったような言葉を並べ、そのあまりに動揺する姿に、アマネはもう愛らしさしか感じない。


「で、悪いけど、あたしはこのバスで帰らないと撮影に遅れちゃうかもだから、悪いけど一緒には行けない」

「そう、ですか」

「撮影無くても、この温度の中、学校まで戻るのは無理。リン、頑張ってね、途中で干乾びてミイラにならないでね」

「なりません……と、断言できないこの気温はホント、おかしいです」

「そこに果敢に挑むリンも十分おかしいよ」


 ――でも、嬉しかったりして……。心の中で、ふと零れるようにアマネは想いを吐露する。もう、リンに伝えても問題無いのかもしれない、と思いつつも、その勇気が無かった。

 リンは降りた瞬間に日傘をさした。レーザー光線のような陽射しから身を守るが、降りた瞬間に頬を汗が流れていた。

 リンはくるっとターンを決めると、車内でくつろぐアマネを澄んだ瞳で見つめた。


「明日遅刻しないでくださいね」

「夏休みが終わってしまったことが未だに信じられなくて……」

「次遅刻したら、パフェ一個驕って貰いますから」

「わかったよ。……バイバイ、リン」


 微笑むアマネの笑顔が、リンの瞳に刻まれた。


 リンがロッカーから雑誌を取り出し、鞄に詰めて、汗を滴らせながらバス亭に着くと、何故か人だかりが起きていた。中心にはバスの車掌らしき人物が顔に脂汗を滲ませながら、何やら叫ぶように説明している。

 生徒や街の住人に近づくと、喧騒が押し寄せる高波のようにリンを包んだ。


「事故?」「この先のトンネルが崩れて」「一つ前のバスが」「……誰?」


 駆け抜けるように、救急車がサイレンを響かせて疾走した。

 リンは大丈夫、大丈夫です……と、何故か自己暗示するかのように、声を紡いだ。

 燃え盛るような熱波を浴びながらも、リンの体を冷気がひたりと張り付いた。精神の崩れから吐き出された汗が、まるで血液のように、ぽたぽたと滴り落ちた。


☆★☆★


 ぼやけた視界。

 黄色い霧がかかったかのように、視界は汚れ、歪んでいた。


「……っ……ぁ」


 声が出ない。

 代わりに、呻き声のような音が耳を揺する。

 体を持ち上げようとしたが、全身を縛られているかのような束縛感を覚え、身動き一つ出来ない。

 ――夢?

 と思った瞬間、


「え?」


 今度は悲鳴のような声が響いてきた。

 声の主を見ようにも首が動かない。瞳をごろりと廻す音が聞こえてくるような感覚を味わいながら、視界を傾けた。

 ――何だこれ……。

 すると、アマネの瞳に「     」と口を開いて喚く女性の姿が映った。

 ――誰だろう。

 見覚えのある金色の髪に、洒落たメガネをかけた風貌はどことなくリンを連想させたが、細部がアマネの記憶と異なっていた。リンの……姉? ってか、姉なんてリンに……いたっけ? と思ったところで、鈍い睡魔に襲われた。

 ぽたり、と頬に何かが落ちた感触が広がった。

 耳元で喧しい音が鳴り響いたが、すぐに薄れ、遥か彼方で叫んでいるかのように、離れていく。

 

「ドッキリとかさ、ほら、あるじゃん。私、モデルの卵だから、そういう番組の企画に選ばれて……」

「違います」

「……だよね。なんか自分で言って、そんなつまらないの絶対ありえないと、思った。いくらなんでも批判殺到だよ……」

「アマネ」


 椅子に座り、アマネに縋るような眼差しを向ける女性を、アマネは当初リンの姉と思ったが、リン本人だった。僅かに背が伸び、丸みを持った愛嬌のある表情は抜け落ち、数年の成長を感じさせた。薄く塗った化粧が、更にその事実を強調させた。


「この腕も……体も、なんか動いてくれないし」


 アマネは、自身の右腕を眺めた。――首では無く、そっと目玉を回して。

 まるで骸骨のような腕だなぁ、と揶揄した瞬間、アマネは戦慄する。その事実を突き付けられるたびに、吐き気を催す恐怖に襲われた。


 三年。


 アマネが事故に遭ってから約三年の月日が流れていた。あの日、アマネを乗せたバスがトンネルに差し掛かった瞬間、天井が崩落し、瓦礫と土砂に押し潰されるようにして生き埋めとなった。運転手やその他乗客は偶然軽傷で済んだが、アマネはその際に頭部を強く打ち、また救出が難航してしまったからか、その後に昏睡状態に陥り、寝たきりの日々を過ごした。

 先日、奇跡的に意識を回復したのだった。


「ふぅ……」


 担当医から淡々と説明を受けたが、未だにアマネは信じられなかった。

 もしかして、これは病院を巻き込んだ壮大なドッキリなのかもしれない……と、あまりに馬鹿げた物語に縋ろうとしている自分の姿が憐れだったが、それでもリンに確認せずにはいられなかった。

 何度も。

 実は……そうなんでしょ? と、アマネは余裕を含んだ声色で、問う。

 そうです、と首を縦に振ってくれ……と、願いながら。

 リンは瞳を潤ませて首を横に振った。

 何度も。


「ごめんなさい」と謝りながら。

「ふぅ……」


 アマネは力を込めて首を廻し、リンの背後に広がる窓から外を眺めた。

 美しい夕日の陽射しが煌めいていた。

 燃え盛る炎のような黄昏が、瞳に突き刺さる。

 ドッキリでなければ、これはあたしの夢……と願うアマネであったが、その想いを断ち切るかのように、アマネはリンの姿を浮かび上がらせる。

 記憶のリンとは大きくズレたリンであったが、夕日の中でアマネを見つめるリンの姿は、アマネが毎日愛おしく見つめていたリンそのものであった。

 現実。

 逃げ場のない絶望が、アマネの臓腑を掴むかのように喰らいついた。


//02に続く

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