005 7月20日
「どゆこと?」
今日だけでどれだけこの台詞を言っただろうか。
きょとんとした表情の俺に対し、デルフィは相変わらず無表情だ。
「簡単に言いますと。あなたの魂の行く場所がないんです」
「ごめん意味が分からん」
「世界はおよそ一四万人ほどの人数の死者が毎日のように出ています。老弱、衰弱、他者の介入による死……これは平たく言えば殺人ですが。それだけの規模の人数の死者――つまりは魂が天界に流れてきているのですが、それは天界が予見しているんです。しかしあなたの場合は予期せぬ死、不測の事態でしたのであなたの行き着く場所が存在しないんです」
天界という場所はどうやら人の死を予期し、それを迎える準備をしなければいけないようだということは何となく分かった。
「なんと言えばいいのでしょうか。……。アレです。病院にたらい回しにされる患者。アレと同じです。医者も医療器具も確かに用意はされているのに患者を寝かせるベッドが足りなくて、延々とたらい回しにされる患者。それがあなたです」
……恐ろしい例えを嬉々としてするんじゃねーよ。何喜んでんだよ。上手かねーよ。
「で。そのはみ出し物のあなたに天界の主は一つのチャンスを与えることにしたんです」
「……はぁ?」
「何を呆けているんですか。これはすごいことなんですよ。主が人に介入するなんてこと数百年に一度あればそれが奇跡と呼ばれています」
いや……知らねーよ。
「話を戻しますね。誰もが想定していなかった事態に対し、主はあなたにチャンスを与えることにしたんです」
「チャンス?」
「生き返るチャンスですよ」
「生き返れんの?」
「はい」
「もしかして体が腐食してたり額にお札が貼られるとかそういうおまけ付き?」
「いいえ。駄目人間がそのまま駄目人間に生き返ります」
すごく癇に障る言い回しだが、生き返ると言う言葉に嘘偽りはなさそうだ。
しかし解せない。
……どうして俺はそんなものを与えられたんだ?
「でも誤解しないでいただきたいことが一つ。これはあくまでチャンスです。絶対に生き返ることが確定したという訳ではありません」
「どういうことだ?」
デルフィは片目を閉じる。
「いえ。簡単な話です。試練と言えば一番適当かと。あなたは生きていた頃に生きている意味と言うものを理解していましたか?」
俺はその言葉に胸を刺されたような感覚に襲われた。
「隠さなくてもいいです。正直に言ってみてください」
「………………分からん。分からんとしか言えない」
生きていることに意味などなかった。ただ生きているだけ。それが生前の俺だった。
だからその問いには答えられそうもない。
「ん。だったらおそらくこの試練……失敗するかもしれません」
「失敗? その試練ってのは成否があるのかよ」
「もちろんです。生き返るなんてこと普通じゃありえませんから。でもそんなに難しいことを要求するつもりもありませんのでご安心を」
安心って言われてもな……。一体何をさせられるんだ?
生き返る試練っていうと俺の頭の中には七つの玉を集めるアレ的なやつとかしか想像出来ない。まさか現代社会においてそんな無茶を要求するんじゃあるまいなと妙な邪推が頭に浮かんだ頃、
「なに。簡単です。願うんです。生き返りたいと。もう一度生きたいと。ひたすら強く。誰がではなく自分自身が。なにより生きたいと。強く想うんです。――それが生き返るための試練です」
と言った。
デルフィは表情を崩していないのでやはりそれが冗談の類とは思えなかったが、しかし生き返りたいと願えと来たもんだ。
俺の邪推を返せ。
「それのどこが試練?」
素直な質問をぶつけてみた。
「試練ですよ。あなたにとっては」
「え?」
言葉に止まる。呼吸も思考も何もかもが停止した。
「では問います。あなたは生き返りたいですか? あなたは生き返ってどうしたいですか? あなたは生き返る価値がありますか? あなたは生き返ることを本当に望みますか?」
「それは――?」
答えられなかった。
高坂慶介二六歳。性格、無気力かつ無関心。仕事をやめてからはコンビニのバイトで毎日を食いつないで生きてきたような人間。そんな人間が俺だ。
その問いの答えを俺は知らなかった。
「ま。だろうと思いましたけど、本当にあなたは駄目ですね」
呆れるようにデルフィは言う。
くっ。言い返す言葉さえ出てこん。
言葉に詰まった俺はどう答えていいのかさえも分からなくなっていた。
「……………………………………………………………………さい」
自分のつまらない人間性とデルフィの冷たい言葉に落ち込んで顔を落としていると、小さな声が聞こえてきた。
「……試練を受けてください」
それは紛れもないデルフィの、冷たい少女の声だった。
顔を上げた。やはり見えたのは冷たい能面みたいな顔。
しかし何故かその声だけはどこか苦しそうであった。
「……ま、アレです。こっちも困るんです。これ主からの命令なんで。この試練を受けてもらえないとあなたの魂は昇天もしません。そうなると浮遊霊とかになって現世をさ迷ってしまいますから」
顔を上げて俺がデルフィに向き直すと声のトーンは元に戻った。
結局は自分のためかよ、おい。
でも。それでもいいと思った。
どうせ、俺は死んでいる。命以上に失って惜しいものなどありはしない。だったら受けてみてもいいと思った。失敗しても天界に魂が送られるだけで、何かを失う訳ではないのだから。
「分かった」
俺は小さく頷く。
「受けるよ、試練。願ってみる。生きたいって」
言葉にデルフィはハンドガンを構え直す。
一度、瞳を閉じる。そして何かを決意したように両目を見開いた。
開いた瞳は黄金だった。黒曜石のような瞳が黄金の塊に変貌したように瞳の色が変色していた。
変貌したのは瞳だけではない、少女の背中には大きな白い翼が見えた。
「――――――――、――――。」
デルフィは人間の言葉では理解出来ない言葉を歌う。
それは彼女が人間ではないことを証明した瞬間であった。
象徴が形になっていく。天使としての形を成していく。
天使の羽――天使の翼を大きく広げると、ひらひらと雪のように羽が舞った。魅了されそうな光景に、俺は目を閉じた。
何をされるのかは分からなかった。
――しかし、最期に声が聞こえた。
『――お願い、願って』
懇願するようなか細い声。
人間のような、少女の声。
聞き間違いかと思ったが、俺が目を閉じて数秒――
最期に聞こえてきた銃声に、確かめることは出来なかった。