004 7月20日
そういえば話が逸れて忘れてしまっていたが、俺が聞いていたのは天使が俺の前に現れた理由であった。
「話ってお前が俺の前に現れた理由だよな?」
「……もしかして忘れていましたか?」
ぎくりと固まる。
「わ、忘れてるわけねーだろ。そこまで俺馬鹿じゃねーよ?」
忘れていました。思いっきり思考回路からその事実が消え去っていました。はい。
……仕方ないだろ? だっていきなり死んだと宣告されて。しかもそれが無駄死にだって笑われて。色々頭の中がパンクしても誰にも非難されないと思うわけなのですよ。
疑いの視線を送るデルフィの視線を俺は一瞥して、すぐに視線を下に戻した。
まぁ、いいですとデルフィは片目を閉じた。
「……。死んだ魂というのは一度天界に送られます。昇天という言葉があるように、死んだ魂は一度天に昇ります。魂そのものは平等です。しかし魂は人間界で穢れます。その魂の穢れを判断します。判断するのはもちろん天界の主、つまりは神ですが。主が魂を天界に残すか。地獄に捨てるかを判断します。天界に残った魂は数百年の周期を得てから人間界に再び戻ります。この事象を輪廻転生と言います。ちなみに地獄に落とした魂はその穢れを洗い流すまで地獄に仕えます。穢れを捨てきれぬ場合それは悪魔と呼ばれ天界によって排除されます。たまにこれを逃れる悪魔もいますが、それは本当に例外中の例外なので説明は省いておきますねー。んで。穢れを全て洗い流すことが出来た魂はもう一度天界に昇華し、主の判断を待ちます。そして魂の浄化を確認されると天界に仕え、輪廻転生を待つことが許されるのです。そして――」
「あの……すいません」
俺は恐る恐る手を上げた。
もういい加減手を上げても許されると思った。今まで生きてきて聞いたこともないような単語があれよあれよと出てきていい加減頭の限界点を突破しつつあったからだ。
「なにか? まだ続くんですけど」
……まだ続くんすか?
これを理解出来るようになるにはどれだけ真っ当に生きていかなければいけなかったのだろうと思う。……俺馬鹿でいいっす。
俺は恭しく訊ねてみた。
「……出来ればでいいんですけど。よろしければ馬鹿でも分かるようにお願い出来ないでしょうか?」
デルフィは俺の言葉に、
「ああ。すいません。そういえば馬鹿でしたね」
あまりにもあっさりと言った。見た目自分より年下の女の子に馬鹿とか言われるとやっぱり腹が立つ。だが、少しでも話が分かりやすくなるのなら、そんな些細なことゴミ箱に捨ててしまおう。
「まぁ……ようするに天使は人の魂を昇天させるんです。コレで」
言って。デルフィはハンドガンを俺に向ける。
「そもそも聞きたかったんだけどさ、何で天使がハンドガンなんだ?」
「意外ですか?」
「まぁな。天使ってもっと神秘的な存在だと思ってたからさ。教会のステンドグラスにハンドガンなんていう近代兵器を持った天使が描かれたなんてのは聞いたことないし」
「そりゃ……人間が勝手に作ったものですからね。天使の姿は魂となって初めて見えるんです。死んでない人間が天使の姿を見るなんて、ありえません。見えたとしたならそれは天使の姿を模した悪魔でしょうね。悪魔は天使と違って神出鬼没ですから」
それにとデルフィは続けた。
「これも十分神秘的だと思いますよ」
「いやハンドガンは神秘的な感じしないけど?」
「これ。名前分かります?」
これとはハンドガンのことだろう。
にわか知識ではあるが、ゲームなどで見かけたことがあるような気がする。
「確か……ソーコムピストルの一種だったような気が……正確な名前は知らん」
「残念。これ。実は私の羽です。――天使の羽」
羽と言われて俺は想像してみた。
ハンドガンが幾重にも重なり、大きく広げる姿。
……すげー飛びにくそうだ。
「何か変な想像してますね?」
「い、いやいや。……って、お前羽なんか生えてねーだろ」
「それこそただの偶像ですよ。天使は羽なんかなくても飛べますし。羽とは天使にとっての翼ではなく象徴です。象徴とはいわば信仰です。見たいもの、望むもの、恐れるもの、人の目によってその姿かたちを変貌させるのですよ。コレがそう見えたというのはあなたがハンドガンという武器を恐れているという表れです。昔はこれが剣に見えたりなんかもしました。時代が進んだということですねー。あ、ちなみに信仰が天使の力の源ですから、信仰が強ければ強いほど象徴が強く現れますよ」
「つまり。昇天させるために魂を殺すってことなのか? だから魂が恐れるものにその羽が変貌してるってことか?」
「うーん。ま、そうですね」
殺すという言い回しはあまり好ましくないのか、デルフィは頬を軽く掻く。
結局はよく分からない話だったが、一つだけ明らかなことがある。
「……俺は撃たれるってことか」
「……はい」
目が点になる。
あまりにもあっけらかんと言うので俺の言葉がちゃんと伝わっているのか疑問に思う。
「ま。正確には射殺ではなく昇天ですが」
正直その違いは未だ理解出来ていない。
死んだことさえ先ほど理解したばかりなのに、いきなりそんなことまで理解しろとか言われても無理に決まっている。
「……じゃ、やってくれ」
でも。
こうして目の前の天使が言うことだ。そうしないといけないんだろうと思った。
それに、俺は生きている意味を持たなかった人間だ。正直に言って世の中に対して何かの未練を持っているとかそういうのは一切ない。
一人暮らしで身寄りもなく、人付き合いも面倒臭がって避けてきた。今更俺がいなくなったところで悲しむものなどいないだろう。
……なぜか、頭の中に顔も思い出せない女の子の顔が浮かんでくる。
……アホか。顔も思い出せないような子のことなんか気にしてる場合か。
「……若いのに達観的ですね。ジジイですか?」
「うるせー」
デルフィは相変わらずだし、もうさっさとやってくれよ。
目を瞑る。
覚悟が決まったという意思表示だ。これ以上の会話は必要ないという意思表示だ。
だから――早くしろ。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙に耐えかねて俺は目を開けた。
「…………おい」
「……なにか?」
いい加減この冷静な少女は人の心の機微を感じ取れ察しろ、と思う。
「……一つ勘違いしているようですね」
「は?」
また訳の分からない話をしようとしているのだろうか。そんな嫌な予感がした。
「言いましたよね。不測の事態だと」
「は?」
「私があなたの前に現れたのはあなたを昇天させるためではありません。不測の事態の処理です。聞いていませんでしたか?」
意味が分からなかった。
「あなたの馬鹿さ加減にもいい加減慣れたので結論から言います」
そう言って、デルフィは片目を閉じてから、
「あなた、生き返りたくないですか?」
そう言った。