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003 7月20日

「理解しましたか?」

 俺はデルフィの言葉に小さく頷いた。

 がっくりと腰が折れ、その場にへたり込んだ。顔は見慣れた万年床に向く。

 俺は恐ろしく思った。

 死んでいることを理解出来た自分に、ではない。

 死んだことに対する自分の心構えが、である。

「……そっか。俺、死んでんのか」

 まるでそれが他人事かのように、俺はその事実を真摯に受け止めていた。

「あまりショックを受けているようには見えませんが。もしかしてまだ……理解出来ていませんか?」

「んにゃ」

 俺はデルフィの言葉に首を横に振って明確に否定した。

「思い出したからな。自分が死んだときのこと。それで理解出来ないほど俺の頭は空っぽじゃねーよ」

「では何故?」

「多分……死んだってことが、俺にしてみるとそこまでショックな出来事じゃなかったんだろーなって思う」

「…………」

 ……そっか。

 俺は言葉にしてみて初めて分かった。

 自分は死ぬことに対しての恐怖というものをあまり感じていない。もちろん初めて死を宣告されたときはかなりのショックを受けた。誰だってお前は死ぬとか言われたら多少なりとも動揺するだろう。俺も当然、動揺した。動揺しまくりだ。

 けれど、何だか心のどこかで諦めにも似た変な感情が俺を恐怖から解き放った。

 ……生きるのが面倒だと考えていた。

 生きるために働き。

 生きるために食べ。

 生きるために媚び。

 生きるために蹴落とし。

 そんなことの繰り返し。生きることに意味なんてきっとない。

 そんな面倒臭がりだったから。きっと今。死んだことにあまりショックを受けていないのだと思う。

「ははっ……駄目人間じゃん俺」

 死んでから気付かされた。

 ――俺は生きている意味が分からなかったのだ。

 だから。

 だからショックを受けない。

「…………そういや」

 俺はそこまで考えて、ふと疑問に思った。

 俺は改めてハンドガンを握る少女に向きなおす。

 少女はハンドガンを握ったまま俺を見下ろす。

「なにか?」

「そもそも何しに来てんだアンタ?」

 結局質問の内容が最初に戻った。

 俺が死んだことは理解出来た。しかし、だからといって天使が俺の前に現れた理由が分からない。謎だ。

「ただのメンヘラ女って訳じゃないんだろう? その天使ってのも今なら何となく理解出来そうだ」

「失礼な」

 表情は崩していないがデルフィはムッとした。

「天の使いをそんなものと一緒にしないでいただけますか」

「そりゃ悪かった。で? 何?」

 デルフィはハンドガンを向けたまま言う。

「端的に言うと。不測の事態(エラー)対処(リカバリー)でしょうか」

不測の事態(エラー)だぁ?」

「はい。天使の目には人の魂の他にその人の余命が見えるんです。例えば何十年後の何月何日にあなたは死にますよーってな具合に」

「???」

「で。端的に申しますと、あなたは余命を迎えていませんでした」

「え、なに? キミナニ言ってんの?」

「最後まで聞く」

「聞くって言われても」

 瞬間、顔の横に風が走る。妙に焦げ臭い風だ。

 デルフィの持っていたハンドガンから硝煙が上がる。

 何ですか、その新感覚ハンドガンツッコミ。新しすぎて誰も真似できませんよ。一発で逮捕されますよそれ。

 ぴしーっと俺は正座になる。

「ん。よろしい」

 こちらとしては何もよろしくないけど、今だけは黙って聞いた方がいい。

 デルフィはトリガーに指を乗せたまま続ける。

「あなたは難しい話が苦手のようなので簡単に説明すると、あなたの死は天界――つまりは天国ですが。その天界にとって不測の事態(エラー)に他なりませんでした」

不測の事態(エラー)って一体何なんだよ?」

あなたの死は(ヽヽヽヽヽヽ)天界にとって(ヽヽヽヽヽヽ)まさに不測の事態(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)に他なりませんでした(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)

「俺の死が?」

「はい。あなたは確かに交通事故で命を落としました。――しかし、それこそがありえない事(イレギュラー)だったのです」

「???」

「あなたの死の原因は間違いなくあの事故です。それは覚えていますよね?」

「そりゃ……まぁ」

「なら。あなたが車にねられた原因は分かりますか?」

「は? ……確か、飲酒運転がどうのこうのってお前から借りたスマホで見たけど……」

「いえ。あそこで事故が起きたことが原因ではないのです。運転手を除けば、たった一人の女性が怪我をするだけで済みました」

「……女性?」

 そういえばさっきのニュースの記事に女性が怪我をしたってのが書いてあったような気がする。でもそれが一体何なんだろうと思った。

「……はぁ。ほんとにあなたは馬鹿ですね」

 思いっきり罵られた。しかもクールな感じで言われるのがまた腹立たしい。

「…………あっ」

 そこで俺は事故の時のことをわずかに思い出す。

 確か、俺は誰かと道を歩いていて……そして、事故が起きた。

 俺はその誰かを思い出そうとしてみるが頭の中にもやがかかったみたいにその顔を思い出すことが出来ない。

 しかし、確実に覚えているのは、

「確か……俺、あの時……その子を守ろうとして……そして……車に……」

 それだけであった。

「はい。あなたはそのことが原因で命を落としたのです」

 そうだ。

 俺はそれが原因で死んだんだ。

 しかし、やはり分からない。

 俺は首を傾げ、デルフィに聞く。

「じゃあ別に不測の事態(エラー)でもありえない事(イレギュラー)でもないんじゃないのか? 事故で人が死ぬのはどう考えても当たり前だろ?」

「いいえ」

 デルフィは小さく首を横に振る。

「なんて言えばいいのでしょうか。確かにあそこで交通事故が起きることは天界は予見していました。女性が怪我をすることを含め、です。しかしそこにあなたは含まれて(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)いませんでした(ヽヽヽヽヽヽヽ)

「??? どゆこと?」

「だからこその、不測の事態(エラー)なのですよ。あなたの死は天界に仕える天使も、主さえも予想外の出来事で、ありえない事(イレギュラー)だったのですよ」

「???」

 メリハリのない平坦な声にいい加減俺は頭を抱えた。

 俺が死んだ理由はその隣を歩いていた顔も覚えていないような子を守るため。言い換えればその子の身代わりとなって死んだ。

 それの何がおかしいんだろう。

 と。

 俺の様子に気が付いたデルフィが言う。

 珍しく、表情をわずかに歪ませ、とても、とても言いづらそうに、言う。


「まぁ……。もうぶっちゃけます。あなたが人助けで死ぬなんてこと――身を捨ててまで人を助けるだなんて誰も思いもしなかったんです。まさに不測の事態(エラー)です」


「は?」

 誰だって聞き返すだろう。俺も聞き返した。

 これは俺が馬鹿だとか理解力が足りないとかそういう次元ではないと思う。

「……まぁ、アレです。一言で言えば、無駄死に?」

 小首を傾げ、可愛らしくデルフィは言った。

 えっと……俺はこの子を殴っていいのか?

「うだー! なんじゃそりゃ! 無駄死にってどういうことだこら! 少なくとも無駄じゃねぇだろうがよ! その子は死なずに済んだんだからよ!」

 半泣きで再び丸めた週刊誌を手に取る俺。……もっとマシな武器はないのか――!!

 俺の激昂にデルフィは沈黙。

 そして。

「ご愁傷様です」

 と言い、

「加えておくと。その女性というのは確かにあそこで事故に巻き込まれることを予見していたとさきほど言いましたが、別にその女性は死んだりなんかしませんでした。その道路には街路樹がありまして。その街路樹がクッションになって怪我一つなく済むはずでした」

 そう続けた。

「は?」

「だから。あなたが助けなくとも女性は死にませんでした。それどころか怪我一つしなかったんですよ。あなたの行動は完全に裏目ってます。スラングっぽく言うと無駄死に乙」

 殴る!

「おっと。何するんですか危ないです」

「うるせー! 殴らずにいられるかこら!」

「さいてー」

「知ったことか!」

 ふー、ふーっと肩で息をするが軽く攻撃がいなされて流石に疲れた。

「うだー」

 もう突っ込む気力が完全になくなった俺は週刊誌を捨てる。

「おや?」

 何で俺は死んでるってのにこんなに疲れなきゃいけないんだろうと思った。だからデルフィの言葉なんかに耳を貸すのはヤメだ。ヤメ。

 元々面倒臭がりの俺がこれ以上考えても何の意味もない。そう考えると少し気が楽になったような気がした。

 俺は立つ気力もなくなってもう一度座る。

「……まぁ、いいや」

「……え?」

 それはぼそりと呟いたつもりだったが、デルフィの耳にもちゃんと届いていたらしい。独り言を聞かれた気恥ずかしさもあったが、そんなのも全てどうでもよくなっていた。

「いいって言ったんだよ」

 俺の言葉にデルフィは小首を傾げた。

「その子は怪我したにしても助かってんだろ? だったらいい。俺の行動が無意味だったとかさ、どうでもいいだろ」

「…………」

 他人が聞けばこの言葉をどう思ったのだろう。

 死を達観して、全てを悲観した嘆きとでも思うのだろうか。

 生きている意味を持っていなかったからこそ、何も感じないとあざ笑うのだろうか。

 分からない。

 俺はそこまで自分を客観的に見ることは出来なかった。

「……後悔していますか?」

 デルフィが言った。

 その言葉はあまりにも小さかったので、俺はそれが独り言のように思った。だけどデルフィはじっと、黒曜石のような瞳でこちらを見下ろしていたので、それが俺に対する問いだと思った。

 だから俺はこう言った。

「別に」

「そう……、ですか……」

 初めて見た顔。

 どこかデルフィは悲しげに見えた。

 しかしそれは一瞬のことであった。デルフィは小さく咳き込むと、

「いえ。なんでもありません」

 再び表情を戻してから、

「話を戻しましょうか」

 そう言った。

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