プロローグくらい、まじめにしてもいいよね? え? ダメ?
「……あの、先輩」
「何かしら、後輩君?」
「ちょっと待ってください、先輩! その不穏なルビはなんですかっ!?」
おかしい。机に広がった小さい紙の束も、目の前の先輩も。
「何のことかしら? ……そんなことより、それを今年一年間引き受ける覚悟を決めなさい」
「覚悟、ですか?」
覚悟……確かに、これを相手するには、それ相応の覚悟が必要な気がするが。
「ええ。それは、我が校の汚点よ。しかし、これなくしては学校の風紀は守られない」
「こ、こんなものが?」
「ええ。私も、初めはそう思っていたわ……」
感慨深そうに、過去を振り返る生徒会長の月島朔夜先輩にそう言われ、生徒会事務(要するに、雑用)である僕は、改めて髪の束を覗き込んだ。
僕の通う、私立珠城学園高校は、珠城学園大学の附属高校だ。偏差値は60中盤。生徒数は千二百を数える。
ちなみに、幼稚園から附属が存在し、所謂一貫生と呼ばれる生徒も存在する。
理系科目に強いサイエンス・スクールである珠城学園は、理系離れの強い昨今の中で、『理系の理系による理系のための学園』をスクールモットーにしている。
生徒の、約九割は理系で、残りは、文理を気にしない生徒である。
そんな我が校には、生徒会をトップとする組織がある。……まあ、どこの学校にもある気もするけど。
まず、トップに生徒会がある。そして、その下に環境、体育、図書、保険、文化、総務、の六つの委員会が存在する。委員会の仕事内容は、今回は割愛しよう。また今度、詳しく話す機会があればその時にでも。
最後に生徒会だが、生徒会は、会長、副会長、書記、会計、広報、事務、それぞれの役職を持つ六人の生徒が選ばれる。選出方法は不明だが、成績や内申等で教師が決定するらしい。毎年、二年生五名、一年生一名で組織される。その一名の一年生が僕、土屋陸である。
「読者への説明、ありがとう」
「やめてください! 読者なんていません。ここは現実です!」
すぐに、こういうアブナイ発言をする人が生徒会長で大丈夫なのかと思う。先生、人選を間違えたんじゃないかな……。
「まあまあ、陸君、落ち着いて。朔夜も困らせてあげないで」
月島先輩を抑えたのは、副会長の火神明先輩。正直、火神先輩の方が会長の方が良い気がするのだが、それは僕だけなんだろうか?
「陸君、よく聞いてね」
「あっ、はい!」
火神先輩の「よく聞いてね」は、本当に大切なことを言う合図になっている。
「これは、目安箱は生徒のストレスのはけ口なの」
そう。机に広がった紙の束というのは、目安箱に入っていたものだ。
ただ、この目安箱の中身は……
「こんな、目安ネーム『ドリンクバーの覇者』さんなんて、常連よ」
「へえ……」
相槌を打つながら思った。
……目安ネームって、なんだ?
「あのー」
「何、どうかしたの?」
「目安ネームって、なんですか?」
「ラジオネームの目安箱版よ」
もう、段々と諦観というものがついてきた。次に何が来ても、驚くこともない気がする。
「……続き、お願いします」
「分かった。えっと、この目安箱は、生徒の声を聞くことの少ない生徒会が、その声を聞くために作ったものであることは、分かるわよね」
「はい」
世間の学校で行われている生徒会の仕事は、基本的に総務委員会の管轄になっていて、生徒会はうまく委員会に振り分けられない仕事や、委員会に任せられない仕事を担当している。
そのせいで、生徒会は生徒の声を聞きづらい。そこで設置されたのが、目安箱、というわけだ。
「しかし、その目安箱は、総務委員会にも設置されるようになり……生徒会の目安箱は無用の長物になってしまった」
「それで、少し改良を加えたと聞いたのですが?」
「そう。その改良が、ストレスのはけ口よ」
「今のルビ、絶対アウトですよっ!」
火神先輩までそんなことを言うなんて……もう、この学園、終わりだ。
「落ち着いて。……そうして作られた新生・目安箱は、生徒のストレス緩和に役立ったの」
「ストレス緩和?」
「そう。彼らの愚痴を、智慧を働かせて解決に導いたり笑いを誘う。それが、生徒の娯楽になったの」
そう言って、あるファイルを見せてくれた。そこには、何かの統計が載っていた。詳しい……どこの団体だろう?
「それは、総務委員会の調査によるものよ」
「高校生が作ったんですか!?」
それは、高校生によるものとは思えなかった。圧倒的情報量であるにもかかわらず、ごちゃごちゃとした印象を与えない。効果的な色彩の選択で、それぞれのデータが数値的、色覚的に認識できる。など、その手のプロ達が力を合わせたのかと思えるものだった。
「総務委員会でも統計学の得意なメンバーを集めたの。……それはともかく、それを見て」
そう言われ、今度はデータ自身の方に目を移す。
「それは、目安箱の改良前と後の、学校内での遅刻欠席、問題発生率、生徒のストレスを疑似的に数値化したものよ。見たらわかると思うけど、前よりも後になった方が件数が減ってるのが分かる?」
「……はい。著しく減少してますね」
「そうね。……裏を見て。そこに、その理由の統計を取ったの。実は、目安箱以外にも、図書広報、保健連絡、総務通信など、この学校の各委員会の報告にも、面白さを取り入れていたの。その結果、この学校の生徒としての自覚向上、学校環境改善の意欲が増したとあるわ。その気持ちこそが、生徒からストレスを緩和させたの」
……分かるような、分からないような。そんな感じだった。でもまあ、言いたいことは分かった。これをはじめとした面白い委員会・生徒会報告が、生徒の娯楽になったり、学校生活の向上につながったのだと。
「生徒会では、生徒会報と目安箱で笑いを狙えるようにしている。主に、広報と事務の仕事ね」
「……僕と、金崎先輩ですか」
「そう」
少し考えた。確かに、目の前の二人は危ない発言をする二人……すみません、ごめんなさい、ちゃんとします。
まあ、先輩達は、学年でもトップクラスの成績を収める二人だ(月島先輩は本当に意外な話)……その、振り上げた拳を収めてください。ごめんなさい。
ま、まあ、それで、そんな先輩達が言うことなのだ。実際、そうなのだろう。
「……まあ、分かりました」
「そう。分かってくれたらいいの」
先輩はそう言って、僕の目の前に五冊の本を積んだ。……教科書?
「これ、は?」
「高校数学の教科書よ。数○出版の高等数学。数学Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、A、B」
「……なぜこれを?」
「これでも参考にしなさい。これで、うまく遊んでみなさい。最初は……これがいいかしらね」
先輩は紙の束から一枚の紙を取り出した。そこには、本当にくだらないことが書かれていた。
『クラスメイト皆が、俺をハゲと言うんだ! 確かに、俺は髪の毛が細いから少し体積が少なめなんだけれども……だからって、そんなこと言う必要はないよな!
っていうかそもそも、俺の髪の本数なんて、皆と一緒だろ!? 俺がハゲなら、みんなだってハゲになるはずだ!
何とか、皆に言い返すうまい方法を教えてくれ!』
僕は、先輩を見る。先輩は、黙って俺をうなずいた。そして、おもむろに数学Bの教科書を渡す。
「その、目安ネーム『細髪(涙)』さんの悩み、解決してあげて」
「そんな、どうやって……」
「みんながハゲであることを証明すればいいのよ。簡単でしょ?」
……簡単?
先輩は、一度と言わず、二度でも三度でも辞書を繰りなおすべきだと思った。