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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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07.斯くて世界は廻り出す

 『リョウオウ』からいくつか大きな街を跨いだところにある魔術都市『ルイス』は、最近は軍の機関も増えリョウオウよりも魔術発展を遂げている街である。昔は要塞都市として機能したこの街には多くのビルが建ち並び、森がぐるりと囲んでいる。

 がさり、と音を立てて街を囲んだ鬱蒼とした森から少女が顔を出した。深く被った白い帽子から覗く長い黒髪が、ふわりと靡いた。くたびれた服装が旅人だと言外に主張する。明るい光に眩しがりながら、人が絶え間なく通る煉瓦造りの商店街を見渡した。

「わぁ……。」

 白いブラウスに先代王の象徴色の青を基調とした膝丈のスカートという異国の──フェルノール風の出で立ちは、よく目立つ。街の人たちの好奇の視線に気付いた彼女の興奮は沈んでいく。

「お嬢さん」

 彼女が振り向くと痩せた黒髪の男がにこやかに笑っていた。切り揃えられた黒い髪、丈の長い羽織を身に纏った若い男だった。

「君、旅の人だよね?その服装はどうにかした方が良いと思うよ?」

 なにも外国風の服装しなくても、と彼は笑う。

 それに礼を返して笑い、困ったようにふらふらと視線を泳がせた彼女の手を、男は自然に取り上げた。

「俺はここに詳しいんだ。買いにいこう?案内するよ。

 そうだ、君はどこから来たの?」

 大きな瞳がびくりと固まって、それから曖昧な笑みを浮かべて笑った。

「ここから遠くの、遠くの街から来ました。ええと……リョウと言うんです。」

 リョウ──ナナセは偽りの姿で、偽りの言葉と共に笑った。雑踏のなかで立ち止まり話をするふたりの姿は、どこか異質で、この街の雰囲気から浮いていた。

「そっか。」

 頷いた男の瞳が怪しく光ったのを、瞳を伏せた彼女は見逃した。

「俺はキンヤ。さぁ、行こう。」

 そう言ってキンヤは手を取り、半ば引っ張るように歩き出した。少女は強ばったままだった頬を緩めた。彼は疑いもせずに信じてくれると、世界の優しさなんだかほっとしたのだ。

 キンヤの背中を見つめて小さく笑い、ふとあのリョウオウのふたりを思い出す。

 ――置いてきてしまった、唯一無二のはじめての親友を。

 今は気持ちに蓋をして、人形のように笑えばいい。そうすれば、きっといつか忘れて楽になれると、ナナセはそう信じている。だからこれ以上、二人に災難が降りかかりませんように、と、願ってやまない。

 ふと我に返ると今連れて来られたのは少し入り組んだ人気のない路地裏。キンヤはそこで立ち止まった。その先は行き止まりだった。

「キンヤさん…?」

 キンヤの手が離れていき、彼の姿が視界から消える。いつもなら彼ぐらい目で追えたはずだが、ぼんやりとしていてそれが出来なかった。

 突然に前髪がぐん、と引っ張られ、空を仰ぐ格好になる。黒髪を隠していた帽子がぱさりと足元に落ちた。

「いッ……!」

「おい、もう出てきてもいいぜ。」

 頭上から聞こえる低くて冷徹な声。声質から考えてもその声の主はキンヤしかいなかったが、先程までの雰囲気はない。

 キンヤの合図で、多くの足音が近付いてくる。その一人だろうか、低い男の声がした。

「おいおい、ちっちぇ……。こんな奴が百億の賞金首の王女サマかよ?」

 まだ黒髪の『ハルカ』の姿で『リョウ』を名乗っているのに、正体は既にばれているようだった。

 ナナセは前髪を掴まれながら視線を流し、そこで初めて屈強な男たちの姿を瞳に映した。多くの男がフェルノール風の黒い服を着ており、その身から放たれる威圧感はただならぬものがあった。

 やはりナナセも小さな少女で、反射的に体が強張った。瞳に映った微かな恐怖に満足して、キンヤは彼女を強く突き飛ばした。

「きゃ!!」

 煉瓦に膝をつかされ転ばされた彼女。軽い音と共に魔法が消える。

「あっ……!」

 黒い髪がふわりと銀に戻る。後悔してももう遅い。帽子も落ちた今、魔術が解けた銀色の髪が彼女を囲む男たちの目に晒された。

 暗い路地裏で白く輝く銀は、証明だ。王家しか継がないという白銀をその身に備えた──王女だと。

「ほら、ナナセだ。馬鹿だなぁ、それくらいの痛みで魔法解いて、自分で自分の正体を晒して。」

 キンヤの鼻で笑うような声が耳についた。

 ナナセは奥歯をぎりり、噛み締めた。いつも変化魔術を自分にかけることは苦手だった。こうして銀を晒すことは初めてではない。いつまで経っても上達しない変化魔術と自分の警戒心の薄さに、悔しくなった。

 煉瓦に膝をつき、擦り傷を作ったナナセに影が覆い被さる。覆い被さった影、キンヤはナナセの目線に合うように自分も屈み、銀髪に右手を伸ばす。抵抗しないナナセの銀を弄んだ後、キンヤは口を開いた。

「銀髪の魔法王女、ナナセ・ルイだろ?」

「そうだけれど……何か問題がありますか?」

 この手の話は慣れている。自信を持って彼を見据える。

「賞金首で、石の持ち主で……。お前が狙われる理由はたくさんあるだろ?」

 言わんとしていることは百も承知だ。けれどもナナセはもちろん揺らがない。

「こんなところで死ねないの。

 ──石だって、渡せはしないわ。」

 スカイブルーの瞳に映った決意に、キンヤは大仰にため息をついた。

「やっぱり素直に渡してはくれないか。俺が王にお前を渡せば、俺は大金持ちになれる……。」

 ナナセは眉をひそめた。欲にくらんだ人の末路は、何回見たって、見慣れることなんてできない。

 欲にくらんだ者たちを、(いや)というほど知っている。自分にどうなることを望むのかを、厭というほど知っている。

 今は自分が悪で、彼らが正義なのだけれど、どうしても彼らの方が悪に見えてしまうのは、我が身可愛さからなのか。それでも、賞金に目が眩んで人を追い詰め殺すような首狩りは、そうとしか彼女には映らなかった。

「どうせいらない命なんだ。俺に楽をさせてくれよ。

 お前が王から奪った王家の秘宝も、俺にくれよ。」

 お前はいらない、という言葉は、初対面の男の言葉でも胸を抉る。負けまいと凛と返した。

「いやよ。絶対に、嫌。」

 目の前にいるキンヤがまた呆れたようなため息をつく。手をひらりと集まった男たちに見せた。

「そうか。……仕方ない。

 お前ら、やれ。」

 キンヤの後ろの男たちが、ナナセを取り囲む円を詰めていく。

 彼女はこうなることは分かっていたが、逃げる気はなかった。出来るならば、道を誤った彼らを助けたくて。出来ないことは薄々分かっていて、けれど彼らに心をかけてしまう自分を小さく嘲った。

 ──殺られることは、出来ない。倒されることなど、出来ない。

 ──自分がいなければいいことも、自分自身が知っている。

 ──だけど、必ずやり遂げたい事があるから。

 男のひとりが刀をぎらつかせて少女に飛びかかる。男を見上げた少女の瞳は、輝くような空色だった。



   ***



 時は同じくして、かの路地裏から少し離れた上空には、天まで続いていると比喩されるほど高いビルの屋上を飛び回る少年がいた。軍の特殊部隊の制服なのか、彼の胸には国の紋章が入っている。動きやすいが重々しいその制服は、現王が掲げる深い緑色のもの。特殊な形をしたフードのような柔らかい帽子は、目深に被られていて少年の表情を容易く隠す。

「よっ、と。」

 少年は誰にも咎められることなく、空を駆ける。屋上を、時には壁を蹴りながら空を駆ける。軽い身のこなしで上空を飛び回る少年は、まるで猫のようだった。

 またビルの屋上を蹴り加速しようと足場を探して下を見て、地上に落ちている銀色に目を奪われた。薄汚れたこの街には似合わない、澄んだ色だった。よく見える目に頼ってみれば、女の白く輝く髪だった。彼女はまだ少女、とでも言うべきか。年齢は自分とさほど変わらないかもしれない。

 彼女はアスファルトに倒れこんでいて、男たちに取り囲まれている。どこかで見た気がすると既視感が過ったが、ピンと来るまでは至らなかった。

 幸い、そのビルは二階建て程度の低いビルだった。少し近づくだけで彼らがよく見えた。

 見えたそれに、不覚にも見惚れてしまった。暗闇でも光を失わない銀髪、微かに見えた青い瞳。綺麗で妖しいその光に、少年は惹かれた。同じ異の存在の自分には無いものを持っていると、感じたのだ。

 男たちのボスだと思われる黒髪に彼女は何かを言われている。聞いていると女を囲んでいる彼らは知り合いという訳ではないらしい。

「どうせいらないその命なんだ。俺に楽をさせてくれよ。

 お前が王から奪った王家の秘宝も、俺にくれよ。」

 まっすぐに目の前の男を睨む白い女。男の台詞からこの女が誰か、やっと分かった気がした。

 頭の言葉を聞いて、一瞬だけ影がさした青い瞳。しかしすぐに顔をあげて言葉を返すその姿は、この闇の世界に慣れていると見える。

「いやよ。絶対に、……嫌。」

 誓うみたいに空気に刻んだ拒否に、男たちが動き始めた。

「そうか、仕方ない。お前ら、やれ。」

 その言葉で、男たちが動き始める。円を詰めて、丸腰の一人の女を武器を持った十人がかりで倒そうとする。なぜか女は逃げずに真っ向から立ち向かう。

 ひとりの男の刀が女に襲いかかる。それを難なく交わして、魔術を使って切り返す。躊躇いなく自分より大きな男を蹴散らしているが、女は彼らを決して殺さない。出来るだけ傷付けない。

魔術師ではない少年でさえ、彼女のおかしな攻撃の意図が殺さない為だと容易に推し測ることが出来たほどに、あからさまなやり方だった。

 女にしては魔術を抜きにしても強かった。華奢な女の体で、十人以上の屈強な男たちを相手する。

「うりゃぁっ!」

 女の長い茶色のジャケットに刀が掠り、傷をつける。けれども衣服に傷を作るだけで、彼女には刀は届かない。

 魔術を駆使し刀を素手で掴み刀を折り、男を足場に飛び上がり次の攻撃を避ける。軽い体でしか出来ないだろう身のこなしだった。

 振り向きざまに放った魔法弾に当たり、幾人かが倒れていく。本気を出せばこの男たちくらい簡単に潰せるのだろうが、彼女は潰すことを選ばない。自分の命を狙う輩を、殺さずに逃げることを選んでいる。

 しかし、一人の女に対して十数人の男たちというのはさすがに数で男たちが勝る。正面の男二人の相手をしている女に、背後から男三人が素手で飛びかかる。鈍い音と共に女が固い石の地面に引き倒された。

「きゃ!」

 酷く焦った悲鳴は、小さな銀の彼女のもの。足掻く隙を与えられずに殴られた彼女の意識は簡単に奪われた。



   ***



 ──気が付けば、左耳に鈍い痛み。

 触れればぬるりと血の感触。一瞬、気を失っていたらしい。まだ目の前にいる男たちをアスファルトに乗しかかられたままに呆然とキンヤを見上げた。

「これが国の秘宝のルイの石か……小さいものだな。」

 そう話す男が手に持っているものは、血に染まった金色に光る宝石。それは彼女の左耳にあったもの。

「魔力のある奴がつければ莫大な魔術が使えるようになるらしいぜ。」

 絶対に守らないといけないものなのに、と歯を食い縛ってもどうにもならない。

「しっかし、強いですねこの女。こいつはどうします?」

「そいつは連れていけ。金になる。」

 キンヤは尋ねてきた手下には目もくれず、血に染まってなお威厳を失わない金の飾りを手の中で転がしていた。

 捕まるのだろうか。殺されるのだろうか。やらないといけないことがあるのに、と焦るナナセは意識が追い付かない。

 ──捕まったままで、あの人に会えるかな。

 動揺と冷静な心が入り乱れて、ぐらりと瞳が揺れた。ビルの隙間から見える青い空がゆらゆらと歪む。どうすれば、と空を見つめた。


「へぇ、これが闇の世界……か。」

 場に似合わない低い声は、空から降ってきた。ナナセは男たちに体を掴まれたままの体勢で空を声の主を探す。

「誰だ!!」

 焦点の合わない瞳で見上げるが、ぼんやりとしか見えない。ビルの屋上に腰かけて、こちらを嘲笑うような冷たい笑みを浮かべる男。

 その男がナナセに目をあわせて、目を細めた気がした。その表情は大人びた顔立ちに、少年らしい印象を与える。

 キンヤたちは再び武器を構えて屋上の男を見上げていた。彼らの警戒が見えていても躊躇うこと無く飛び降り、音もなく男はキンヤの前に降り立った。ナナセの目の前で、彼の動きに合わせて帽子と背中の布地がふわりと揺れた。

「──よう。」

 さっきの低い声が、静まり返った路地裏に響く。

「誰だっ!!」

 帽子を被ったその男はその質問には答えずに、目の前のキンヤに言う。

「それ、返せよ。」

 それ、と男が指を指しているのはナナセの血に濡れたルイの石だった。低くて小さい、けれどもよく通る声で、もう一度男は呟く。

「……返せよ。」

「なんっで、お前なんかに渡せるかよ!」

 目の前で怒鳴るキンヤを冷めた目で見下ろす男は、ナナセをちらりと振り返る。

「……その王女も、その石も離してもらう。」

 男はキンヤの左手に手を伸ばす。静かに伸びてきた男の手に、キンヤは反応することを忘れたように動かなかった。重ねられた手の中でばきりと鈍い音がして、キンヤの左手が不自然な方向に折れ曲がった。

「え……?」

 右手の握力だけで手の骨をへし折ったのだと状況を理解するのに数秒。理解して初めて、痛みが襲ってきたキンヤは顔を歪め崩れ落ちた。それを見て、意識のある男たちが少年に襲いかかった。

 拘束していた男たちも戦いに参加し、ナナセも束縛からは解放される。

 ナナセは首狩りには負けない自信がある。名の通る首狩り達を魔術で退けてきた。他の賞金首と違って、自分を狙う首狩りでさえ殺さないと知れ渡っている王女を狙う人間は多い。

 莫大な魔力と攻撃力の強い魔術師だと昔から評判だったその力を使えば捕まることは無かった。その彼女が負けたということは、彼らに人数があることを考えても相当強いということだ。そんなキンヤたちが、目の前でいとも簡単にやられていく。軽い身のこなしの少年の前では屈強な男たちがまるで赤子のようだった。

 残ったのはキンヤと、ナナセと少年だった。闇に染まった路地裏に、三人が取り残される。

 向かい合った少年とキンヤがほとんど同時に地面を蹴り、振りかぶった。キンヤの手には短刀、男は素手。ナナセの目には勝敗は明らかだった。いくら強い彼でも短刀に素手なら、短刀を持つキンヤが勝ってしまう、と。自分も彼も捕まるんだと思うと、負けてしまう少年を見たくなくて、ナナセは咄嗟に堅く目をつぶった。

「ぐぅっ……!」

 程なくして漏れた呻き声にこわごわ目を開けたナナセは、視界に映った光景に瞳を見開いた。

 立っている人がひとり、崩れ落ちる人がひとり。立っているのは、黒い髪を隠すみたいに不思議な帽子を被った少年だった。ナナセからは背中と横顔しか見えない。

 このあと自分を捕まえて、売り払ってもおかしくない。どうして助けてくれたのかも分からないそんな人に、一瞬警戒心を忘れて、見とれた。

 纏う空気が、痛々しい人だった。

 彼はキンヤに近寄り、キンヤが最後まで手放さなかったルイの石を探す。キンヤのポケットにあったルイの石を取り出し、少年がキンヤから視線を外した。その時、キンヤが残った意識とほんの少しの力で、少年に斬りかかった。すぐに気づいた少年はキンヤを抵抗ができないように腕を押さえたが、遅かった。

 短刀は少年の右頬と被っていた布地の帽子を掠めた。浅く切られた頬からは血が吹き出る。そして使い物にならなくなった帽子は、パサリと音を立てて呆気なく足元に墜ちた。もう抵抗が出来ないキンヤは、呆然と呟く。

「おまえまさか……改造人間、か……?」

 暗い路地裏に、キンヤの声が不気味なほどよく響いた。

 少年の姿は、普通ではなかった。黒い肩に届くか届かないかの長さの真っ黒な髪。後ろからはそれくらいしか分からない。

 だがひとつ、普通は無いものがあった。彼の頭から生えているのは──黒い猫のような大きな耳。

「そうか……普通の俺たちは“化け物”のお前には勝てないよな……。」

 嘲るようなキンヤの言葉に少年の肩が強張るのが、ナナセからも見えた。鈍い音がして、それきりキンヤは黙った。大方気絶したのだろう。

 そしておもむろに彼はナナセのほうを振り返った。ナナセははじめて、彼の顔を見ることができた。急に視線を向けられた緊張から強張る体を誤魔化して、唇を引き結び顔をあげる。空色の瞳を真っ直ぐに、何を言われても負けないように拳に力を込めた。

 少年は自分が彼女を見ると同時に見つめ返されて、驚いたように目を合わせた。

 少年は刀傷から流れ落ちる血すら気に留めずに。少女は痛め付けられた傷をそのままに。

 痛みなんて、忘れてしまった。


 彼の生きる姿に、彼女の意思に、お互いに思ってしまった。


 ──綺麗、と。



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