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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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06.告白の行方

「……嘘みたい……。」

 ナナセの語る昔話に呆然としてアズキが呟くと、ナナセは薄く笑う。

「嘘みたいでしょう?

 でも、本当なの。アズキが信じてくれるだけでいいの。」

 まっすぐな青色の瞳でアズキを見詰める。アズキとハルカの儚い友情にすがっていると分かっていても、言葉と裏腹にアズキを捨て切れなかった自分との葛藤をナナセは自覚していた。

 弱い自分に負けそうで、ナナセは我知らず俯いた。


「──信じるよ。」

 アズキの震えた声に顔をあげた。ぎこちなく、けれど大きな頷きに、空色の瞳を丸く見開く。

「……ほんとう?」

 本人の意図せず落ちた呟きに、アズキは今度こそナナセを見つめて答えた。

「ハルカがナナセ様だって知っても、あたしはナ、ナナセを信じるよ。

 ……今まで一緒だったハルカが、嘘じゃないって、信じてる。」

 小さな恐れが残った瞳で、アズキは頷いた。

「ありがとう……。」

 信じてもらうことすら久しくて、言葉に詰まってそれきりなにも言えなくなった。賞金首の王女を信じていると、他の人に漏れたならただじゃ済まされないのに、嬉しいと思ってしまう。そんな自分に気づいて、信じてくれるアズキに申し訳なくなって。

「ナナセ……!?」

 へなへなと床に座り込んでしまったナナセが見えたのか、アズキが腰を浮かせて慌てている。

 アズキが自分をハルカと同じように名を呼んでくれていることに、また涙が零れた。

 アズキは窓際に座るナナセの隣に並び、ナナセの左手と自分の右手を重ねる。

「ほんとはね、ナナセ様なんて怖くて仕方ない存在だったの。

 正直、最初からナナセに会ってたら信じられたかどうかは分からないの。……私が信じられたのは『ハルカ』が居たからだよ。

 ハルカの優しさがナナセ王女にも在るって、思ってる。

 ──私……ナナセのこと、信じてるよ。」

 未だアズキの瞳の奥は怯えがあった。それでも真剣な目でぶつかってくるアズキに、ナナセは言葉を見失い、こくこくと頷くばかり。彼女の唇が、ありがとうと動いた。その掠れた響きにアズキがほっとしたように笑って、張り詰めた空気が和らいだ。


「ハルカ、アズキー?」

 突然扉が開いたのはその時だ。形だけのノックの後、間髪入れずに扉が開いた。咄嗟のことに、アズキとナナセは振り返る時間しかなかった。

 ──月明かりに輝く銀髪は、夜によく映える。

「……アズキ。隣の人って……」

 ばたんと独りでに閉まった扉の音が、檻の下りた音に聞こえなくもない。

「……ナナセ、王女?」

「……そうだよ、トーヤ。」

 知ったように笑うと、トーヤの顔が僅かに怯えを見せた。

「なんでっ、俺の名前!

 アズキ、そいつの隣にいたら危ねぇ!離れろ!!」

 『ハルカ』に見せたことのない鋭い眼差しで、トーヤはアズキに向かって手を伸ばす。その姿にまた俯くナナセの手を、アズキがかたく握った。

 顔をあげれば、大丈夫とアズキが微笑んだ気がして。ナナセは少し心が軽くなった気がした。

「トーヤ、私は大丈夫だよ。ナナセは悪い人じゃ無いんだから。」

「そんなわけないだろ!いいから殺される前に離れろ!

 そうだ、ハルカは!アズキ、ハルカは!?」

 まわりを見回すトーヤに、ナナセは意を決した。もう耐えられなかった。

 『ナナセ』の銀髪を『ハルカ』の黒髪に戻す。空の瞳を──茶色へ。

 茶色の瞳は夜に沈む。 暗い瞳は、彼が見慣れたもの。トーヤは声を失う。

「そういうことかよ……お前なんか、信じなきゃ良かった。」

 長い沈黙のあと、トーヤが吐き捨てた言葉に、ナナセは心臓を掴まれた。『ハルカ』の居場所すら無くなったような気がして、また言葉を見失う。

「トーヤ!何で信じてくれないの!!ナナセは『ハルカ』なんだよ?ハルカの事、信じられないの?」

「信じろって方が無理だろ!

 ナナセ王女は国の裏切り者なんだぜ!?アズキが甘いんだよ!なんでナナセ王女を信じられるんだよ!!」

 トーヤは怒っただけの顔ではない。苦しみも、葛藤が表情にも見てとれた。

「──う……。ナナセは、ハルカだったんだもん!!

 友達なんだもん……信じたいよ……。」

 アズキは寂しそうに項垂れた。その姿に、トーヤも怒鳴れなくなる。

「……アズキ。確かにアズキは、人を信じすぎだよ。本当はアズキにあたしの事信じてもらいたい。でも、あたしが本当に人を殺してたら、アズキは騙されてるよ。……気を付けなきゃ、ね。」

 どこか悲しい笑顔をアズキへ向ける。自分を疑ってと言っているのと同じナナセの言葉に、アズキは眉をひそめた。

 本当は、自分の事を無条件で信じて欲しい。けれども、トーヤの言いたいこともちゃんと分かるから、という気持ちは伝えたくても飲み込んだ。

「トーヤ。」

 『ハルカ』から本来の姿へと戻して、ナナセはトーヤの目を見た。未だ二人の距離は遠い。茶色の瞳が揺れを見せた。

「なんだよ。」

「あたしの事なんか、信じられないのは知ってるよ。……賞金首、なんだから。」

 クスリと自嘲気味に笑う彼女に、彼は拳を握りしめた。

「けれど一度だけで良いから、本当の話を聞いて。信じてくれなくたっていいから。……聞いて欲しいの。」

 王女はそう言って、先程と同じ昔話を紡ぎ始めた。

 窓枠に器用に腰掛けて話し始めた王女は、話の折に寂しそうにトーヤに、アズキに笑う。



「──なんでナナセ王女の話はそんなに辻褄が合ってるんだよ……」

 話の終わりに、絞り出されたトーヤの声は、ぽつりと夜闇に沈みこむ。アズキがさっと顔をあげた。

「トーヤ!」

「俺は……もうお前が正しいか分からない。どれが正しい答えか分からない。」

 ふたりの少女の怪訝な顔を前に、トーヤがうつむく。

「俺は、王女の悪い話しか聞いて来なかったから。いくらナナセ王女がハルカでも、すぐには信じられない。」

 まだ窓に座るナナセは、トーヤの眼から視線を逃がした。話を聞いていたアズキはトーヤにまた何かを言おうとしたが、ナナセが口を開いた。

「全部信じて欲しいけど、信じてくれてることは誰にも言っちゃ駄目だよ。」

 さぁ、と雲が流れて一瞬月の顔を見せる。背中に月を背負ったナナセは、少し顔を上げた。

「どこからか噂が漏れて、きっとあなたたち二人が首狩りに追われることになるわよ。賞金首の関係者として。

 ──それだけはあたし、嫌だよ。」

 銀の髪と青い瞳が、光を受けた刃のように鋭く光った。ふたりは我知らずごくりと唾を飲み込んだ。

「首狩り……。」

「そう、首狩り。

 あたしの話を信用していても、していなくても、関わった人を危険と見なしてくるわ。」

 ナナセの話を聞いて、ぐっと体が強ばる。

「……わかった。俺たち三人の秘密な。」

 目と目で誓い合うと、誰からともなく視線を外した。

 また間を置いて、ナナセがそっと言葉を溢した。

「この町に来てからはあなたたちにしか喋っていないわ。」

「前の町では話したの?」

「最初の町で、一人だけに……ね。」

 アズキの問いに答えたナナセの伏せた瞳がいつになく鋭くて。アズキはそれ以上問うのをやめた。

「だからあたしの話はほとんどの人が知らないの。」

 ナナセはその瞳のままに言葉を続ける。

「じゃあ、お母さんお父さんには言っちゃだめなの?きっと、分かってくれるはずだよ。」

 ナナセがぱっと顔をあげて、アズキの方を見た。数瞬迷って、彼女は言いにくそうに口を開いた。

「本当は言いたくない。噂がどこかから漏れると歯止めが効かなくなるから。だからこの話を知る人は、できるだけ少ない方がいい。」

「そっか……。」

 ナナセの言い分にも一理あり、アズキは俯いた。

「でももし、秘密を守ってくれる自信があるなら、教えてもいいよ。まだ知り合ってから少ししか経っていないけど、コルタさんたちなら……いいよ。」

 アズキとトーヤが驚いてナナセを見る。自分の運命にも関わるかも知れないようなことを、彼女はふたりに委ねたのだ。普段では出来ないことをする気になったのは、ふたりが自分に賭けてくれたから。

「いいのか……?」

 トーヤの声が躊躇いを含んでいた。

「……いいよ。」

 憂いを秘めた瞳がゆっくりと少年を見た。

「ナナセ。本当に……いいの?」

「うん。


 ──おじさんたちを、信じてる。」



   ***



 ギィ、と階段の軋む音と共に部屋から出てきた子供たちに、大人は目を見張る。娘と息子の間に立つのは、いつも街の張り紙でお馴染みの賞金首だった。そんな王女と共にいる、アズキとトーヤに大人は慌てて声を張り上げた。

「何してるの!早く離れなさい!」

 けれど子供たちは離れず、アズキは大声には驚きはしたものの、落ち着いて答えた。

「ううん、大丈夫。何も心配ないよ。」

「どうして!アズキ、離れなさい!ナナセだぞ!?トーヤ!」

 目の前で慌てるアズキの父コルタに、ごめんなさいとナナセは小さく呟いて、自身に魔法を掛け始める。姿を変える彼女に、大人達は声を失った。彼女が現れた時よりも、驚いた顔が目の前に在った。

「……ハルカ……ちゃん?」

 小さな声を絞り出してエリが見詰めるのはどこか憂いを秘めた、見慣れた姿だった。

「そうです。……あたしは、ハルカです。

 今まで隠してきてごめんなさい。」

 『ハルカ』は、大人たちの方へ深々と頭を下げる。

 わざわざ正体を現したその不利さは、エリには利益のための巧みな嘘とは思えなかった。けれど、本当だとも思えなかった。それでもナナセの伏せた青の瞳の中に、誰になんと言われようとも曲げないような強い光がエリにも見えた。

「ナナセ王女なのね……。」

「はい。首狩りがこの町に来るそうですし、追い付かれないようにここを出ます。追い付かれて捕まったら、その町で迷惑がかかりますから。」

「じゃあ、黙って逃げたら良かったじゃないか。なぜ、それを今話した?」

 トーヤの父のもっともな言葉に大人たちの鋭い瞳八つが彼女を射抜く。

「それは……アズキたちに伝えてしまったからです。」

 アズキの様子なら遠からず両親に話したであろう。それならば、本人が伝えた方が伝えたいことも伝わるとも思ったから。

 一呼吸置いて伏せた瞳を上げて、話し始めた。今、伝えないといけないことがたくさんあった。

 昔の裏切りと、濡れ衣のような指名手配。それから、この街が好きだと。うまく表現できたか分からない、けれど言いたかった言葉を口に乗せた。

「……信じてなんて、無理なことは言わないです。

 だけど、あたしはそういう昔があって、今ここにいます。」

 重苦しい空気が部屋中を包む。皆それぞれ言いたいことがあったのに、言葉にすることを躊躇った。

「王女さま。」

 エリがまた俯いたナナセを呼ぶ。ハルカちゃん、と呼ばれた事が遠い昔の事のよう。はいと、掠れた声でしか返せなかった。「その話が本当でも、そうでなくても、私達はもう一緒に居ることができないわ。

 本当ならば、私達は命を狙われるわ。嘘であれば、あなたが賞金首ということになる。

 分かって……くれるわね?」

 彼女は彼女で、家族を守る母の瞳をしていた。

「はい。分かっています。今までありがとうございました。」

 出ていくつもりで、また追い出されるのは覚悟の上だった。だからエリの目を見て少し笑ってお礼が言えた。

「王女、」

 その声はコルタのものだ。カタン、という椅子の音と共に台所の近くに座っていたコルタがおもむろに立ち上がる。ナナセに近付き、華奢な肩を抱く。コルタの腕の力で彼女の身体が傾いで、ナナセの柔らかな頬とコルタの硬い胸がぶつかった。

「──君の幸せを、願ってるよ。」

 ──だから、とコルタは続けた。ナナセには聞こえていない。

 コルタの右手の中から、何かが光った。コルタはゆっくりと手の中で鈍く光るそれをナナセの腹へと押し当てる。

 アズキや他の大人の目線からはコルタの右腕は彼自身で隠れていて見えない。アズキの笑顔を視界の隅に捉えながら、コルタはゆっくりと手の中のナイフを彼女の腹へと沈める。

 ──だから、彼は願った。君の幸せを願っているから、君は存在しないでくれ、と。

 そして忌々しい賞金首が崩れ落ちるはずだった。

 柔らかい人肌の感触も、ナイフの切っ先が体に触れる感触もあったのに。彼女にはナイフが刺さらない。まだコルタに抱きしめられた格好のままに、ナナセが小さく呟いた。

「ごめんね、コルタさん。あたしはまだやり残したことがあるから、ここで死ねないの。

 ナイフを下ろして。でなきゃみんなに見つかるよ。

 ……お願い。」

 自分が刃を向けているにもかかわらず、平生と変わらず冷静に呟く彼女に、コルタはどうしてか彼女よりも自分の方が年下のような錯覚に陥った。この冷静さが彼女の十六年を生々しく映していて、コルタは奥歯をぎりりと鳴らした。

「お前が、お前が死ねば、全部解決することなのに……!」

 『ハルカ』が見慣れたコルタの面影は、どこにも無い。王女への憎悪の心を燃やすコルタに心に後悔がじんわりと広がる。

 こうなるかも知れないことはナナセにも分かっていた。友達を信じたくて、出会った人を信じたくて、小さな小さな『可能性』に懸けた。そうしたら、たまたま失敗しただけ。

 けれど剥き出しの敵意に、涙があとからあとから伝う。

「なんだよ。泣いてる子供は殺せないと思っているのか!」

 一歩先のナナセに向かって、コルタは吠えた。まわりの大人が、トーヤが、アズキがやっと気付いた。

「やめてお父さん!あたしの、あたしの友達なの!」

 机を挟んで立つアズキが必死に叫んだ言葉に、涙で濡れたままにアズキを見る。ナナセは下手な泣き笑いの笑顔を見せた。

「アズキ、大丈夫だよ。あたしは死なないから。ここでは死ねないから……。」

 どこか(まじな)いのような意志の強い言葉に、アズキが少し安堵する。そうして娘と意志の疎通を図る賞金首が、コルタはまた許せなかった。賞金首で、罪人の少女にここにいるみんなが騙されていたなんて馬鹿にされたみたいで、娘が罪人の虜になっているなんて、狂いそうになるくらいに憎かった。

 この二つの家族の道を、運命を変えてしまったのはナナセだと、ナナセ自身でも分かっていた。そして、目の前にいるアズキの父親も、その思いを抱えていた。

 お前さえいなければ、とコルタはもうその事しか考えられなくなっていた。一歩先のナナセに向かってナイフを振りかぶる。

「コルタ!」

「お父さん!」

「おじさん!」

「やめてーっ!」

ひときわ大きな声で叫んだのは、アズキだった。ナナセの視界の隅で、走り出すアズキが見えた。

 ナイフの柄がコルタの指先から離れ、切っ先がナナセの方を向いて飛んでいく。切っ先は鈍い銀色をまわりの人に見せつけながら、たった数歩先のナナセへと向かう。

 ナナセは薄く硬い盾の魔術で体を包み込んだ。銀髪が淡く魔力の空色を映し出す。

 全てがゆっくりのスローモーションのように見えた。それはほんの一瞬──たった一秒、二秒のこと。

 ナナセに向けられたナイフは盾に当たり、カラリと乾いた音と共に床に落ちるはずだった。けれどナイフは床に落ちることなく、落下音もない。投げた当人であるコルタも、ここにいる全員が声をなくした。

 視線の先にいるのは、痛みを必死でこらえるアズキ。ゆっくりとその体が崩れ落ちる様子に、ナナセは我に返った。

「……──ア、アズキ!」

 アズキに駆け寄って、その場で座りこんだ。アズキは左腹に深くナイフが刺さっている。

「何してるのアズキ、アズキ……。」

 手を差し出して、傷に障らないように仰向けに寝かせた。

「だって、ナナセがナイフ、お父さんに、投げられてたんだもん……。ナナセが刺されて……死んでほしくなかった……。」

 ポツリとそう呟きを落としたアズキに、胸が痛くなってしょうがなくて。

「あたしは魔術で護れるのに……アズキ……ごめん……。」

 友達思いの親友を持ったことに、ナナセは悔やんだ。嬉しいのに、とても切なかった。

「あたしなら……だ、いじょぶ、だよ……。」

 こふっ、と血を吐いてアズキはそう言うが、その顔は焦点が合わずもう意識が朦朧としているのかも知れない。ナイフが腹に刺さっている時点で痛みは生半可なものではないだろうし、出血も酷い。

 血を吐いて笑う姿はどうしても、ナナセは父と重ねてしまう。眼に溜まった大粒の涙を必死でこらえながら、次の言葉を紡ぎ出そうと口を開いた。

「──アズキに触れるな。」

 頭上から低い声がした。

「どういう……こと、ですか?」

 そう尋ねる声は、思ったよりも掠れていた。

「言葉通りだ。お前が近くにいると、アズキが危なくなる。だから、触れるな。近寄るな。」

 あんまりだ、とナナセは思った。

「コルタ!あなた、自分であの子を刺したも同然なのよ!なのに、ナナセ王女にそんな仕打ち!それに、アズキを治せるのはここでは王女さましかいないのよ!?」

 魔術が使えるこの世界といえども、これほどまで魔術に長けた人は決して多くない。この街でも、ハルカは唯一の魔術医師だった。

「……王女に洗脳された娘なんて、俺の子じゃない。」

「コルタ!」

 エリの声が震えている。コルタは口ではそう言っているが、思っていないのはすぐに分かる。ナナセを睨む瞳が揺れていた。

 だけど、ナナセもコルタを許せはしなかった。だからこっそりもう意識のないアズキに触れた。魔術をかける時は必ず輝く瞳を閉じて、そっと(まじな)いを呟いた。また目を開いたときには、進展は何も無く、エリが声を震わせてコルタを責めていた。皆がその言い争いに気をとられていたようで、ナナセを見ている人はいなかったらしい。

「……おやおや。何か騒がしいと思えばナナセ王女、明かしてしまったのか。」

 この状況の中でも落ち着いた物言いで、廊下からそっと入ってきたサラに、視線が集まった。サラはちらりと倒れるアズキを見て、ナナセを見詰める。ナナセはその視線から逃れて、アズキの隣からすくっと立ち上がった。

「この町から出ていきます。今後一切、アズキとトーヤに関わりません。」

 それはトーヤが関わってきたナナセではなかった。賞金首のナナセ王女らしく、アズキに背を向けた。

「ナナセ……。」

「アズキさんは腹から出血がひどいです。科学医師に見せても見放されるでしょうから、魔術医師を呼んだ方がいいです。」

 的確な指示は、ナナセがアズキを救う意思がないという意思表示でもあり、エリはナナセの肩を掴んだ。

「アズキを治してやって!お願い!あなたしかいないの!」

 肩に乗せられたエリの両手をやんわりと払い落とし、ナナセは冷たく言い放つ。

「あたしの他にも魔術医師はいます。早く医師を呼んだ方がいいと思いますよ。」

「ナナセっ!」

「何?トーヤくん。」

 階段の方に向けていたナナセの左手に、二階にあったナナセの鞄が飛んでくる。

「アズキを……」

 言い澱んだ少年から躊躇いなく視線を外し、鞄を左肩にかけてすらすらと冷たい言葉を連ねる。

「今までありがとうございました。短い間でしたけど、楽しかったです。

 アズキさんが助かることを、祈ってます。」

 エリに背を向け、ドアの近くににいたサラの横をすたすたと歩いて、扉に手をかけた。

「お前さんは優しいね。アズキを助けてくれてありがとう。」

 サラの横を通り過ぎる瞬間、彼女が口にしたその言葉にナナセは動揺を誘われた。それを必死に隠して笑みを見せた。

「なんのことでしょうか?」

 サラは全て知っているような口ぶりで、穏やかに笑った。

「いつでも戻っておいで。元気でな。」

「おばあさんも、元気で。」 訳知りが一人居れば十分だろうと言い聞かせて迷いを断ち切る。扉の閉まる音が、やさしい世界と自分を隔絶したように思えてしまう。

 裏切られるのには、慣れている。そう自分に言い聞かせて、夜の空へと身を投げた。魔術で地面から離れた直後に、家の扉が開いた。扉の音に振り返り、夜の闇に映える青い瞳が、トーヤを捕らえる。

「「あっ……。」」


 どちらも小さな呟きが漏れる。

 その身に魔を宿さないトーヤは、彼女を追う術を持たない。振り向きはしても、ナナセは止まらず距離がだんだんと開いていく。そんな彼女に、たまらず叫んだ。

「──ナナセー!!」

 続いて出てきたエリとふたりでナナセの姿を探す。

「もう、行っちゃった……。治してよ、ハルカー!」

 遠くに霞んで見えなくなった彼女の名を、トーヤは何度も呼んだ。返事はなく、声が枯れるだけだった。

「ナナセ……」

 トーヤが空を見つめたまま立っていると、コルタがよろよろとやって来た。

「……悪かった。娘を、刺してしまった、殺してしまった……。」

「何を言ってるの!アズキは絶対死なせないわ!友達の為に身を投げ出せる優しい子。魔術医師を探しましょ!」

 エリが決意を秘めて、コルタを叱咤した。

「あの子はそう簡単には死なないよ。」

 コルタの後ろから出てきたサラはそう呟いた。昔からサラは不思議な人だった。そんなサラの言葉を信じて、エリは夜道へ駆け出した。

 ほどなくして、エリの視線の先の道から人が見えた。暗くて見えなかったが、それは若い男二人だった。服装は長い旅行用のマント、闇色のズボン。二人ともフードを被っているので顔は見えない。

 ナナセのようにどこか掴めない、そんな雰囲気をしていた。平民らしくなくて、魔術師の雰囲気を漂わせている彼らの一人が、ゆっくりとした低い声で話しかけた。

「なにか、お困りですか?」

 金色の髪が印象的な、魔術医師だった。

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