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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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02.夢と現

 カイの寝室まで連れてこられたナナセは、初めて飲む温かく甘い飲み物を渡され促されるままにベランダに出た。誰も盗み聞きされないようにと穏やかに笑って、カイは魔術をかけた。

 ここへ辿り着くまでに、ナナセは父の深い悲しみの片鱗を感じ取ることができた。彼女でもなんとなく、今から何が話されるのか悟った。

 内緒とでも言うように小さな声で、カイはゆっくりと──まるで、昔話のように語り始めた。


「俺は十年前にナナセのお母さん──ハルルと出会ったんだ。」


 ──語り始めは、そんな言葉だった。



 ハルルは有名貴族の令嬢で、魔力を大きく秘めた少女だった。その時は二人とも18歳だったかな。 ハルルはナナセにそっくりな空みたいな青の瞳をしていたな。綺麗だった。出会った時もハルルは何かに追われていた。教えてくれなかったが、きっと首狩りに襲われていたんだろう。

 ハルルは、大きな魔力を持っていたって、言っただろ?強い魔力のある者の首は闇のルートで高く売れるんだ。噂だが、闇の魔術には、本当に生きている生き物を使って、強い力を得る魔術があるらしい。

 ハルルは力のある魔術師だったから、追われていたんだろう。さて、その時俺は十八歳だったが、今のナナセみたいに城下町に降りるが大好きで、ハルルに出会ったのも、城下町だった。

 ハルルは追われていたから、二人でまいたんだ。城下町は俺の方が知っていたからね。

 そして出会って一年後、俺とハルルは結婚した。ハルルは大貴族の娘だから、反対は少なかった。

 ハルルはいつも命を狙われていた。最後まではっきりと自分からは教えてくれなかったけど。移動中に狙われたり寝室が爆破されたり、頻繁に起きていた。ハルルが殺されたのも、誰かがそうやったんだろう。外国へ視察旅行に行ったハルルは、帰ってきた時には骨だけだったから。詳しく調べようとしても、手掛かりが無かった。だから俺が知っているのもこれだけだ。


 ──でも、彼女はきっと覚悟はしていたんだろう。出掛ける時はこの子をよろしく、と言い忘れなかったから。彼女なりの覚悟だろう。 それがナナセが三歳、五年前の話。


 ナナセはお母さんの顔をはっきりとは覚えていないはずだけれど、ハルルはお前が大好きだったと、父は言った。ハルルもナナセも、大好きだから明かさなかったと、カイは最後に詫びるように呟いた。

 真っ黒な空を見上げ、遠くを見つめる父は呟く。悲しそうに昔話をする父をナナセは隣で見詰める。

 母は、殺された。首狩りに遭って、自分を残して、死んでしまった。

 ナナセの瞳に映る真っ黒な空が見えなくなる。涙が滲んできたのを感じた。声をあげて泣きたかった。

 ほんとうは、記憶にすら残ってない、朧気な『お母さん』だった。けれども、もう会うことはないと告げられるのは、覚悟はしていたはずなのに、母に会える最後の希望を絶たれたとなると、辛かった。

 カイはナナセが泣いていることを察していた。だけど、慰めることも、なにもしないで、ただ隣にいた。ナナセのしたいようにさせた。カイなりの優しさがナナセに染みていく。


 どれくらい二人で静かに佇んでいたのだろう。不意に、カイが口を開いた。

「ふたつ、ナナセに渡したいものがあるんだ。誰にも渡したことを言わないと約束できるかい?」

 ナナセが涙を小さな両手で払い、大きなスカイブルーの瞳を父の銀灰色の瞳にまっすぐ向ける。そしてこくりと、小さく頷く。

「ひとつめはハルルの形見。俺が持っていたけれどもう、お前に譲っても形見の意味くらい分かるだろう?」

 カイは自分の首に手を添えた。カリッという音とともにネックレスのチェーンが外れた。8歳の少女には大きすぎるそれは、銀色のプレートを繋いだペンダントだった。ナナセは部屋からもれてくる光を頼りに、プレートの文字を読んでみる。

「『ルイ・ハルル ──ルイの国に平和を。』」

 ありきたりな文だが確かな母の形見。少しだけ心の隅に温かな火が灯った気が、した。

「ふたつめを渡す前に。──ナナセ、いつもの昔話を思い出してごらん。」

「あたしのおじいさまとルイの石の話?……それがどうしたの?」

「分かるだろう?今まで王家に伝わって来たルイの石……。」

 カイは前髪をかきあげた。分かれた前髪の隙間から、いつもは隠された左目が見えた。

 ナナセが見上げたカイの銀灰色の左目の中に緑色の魔法陣が映っていた。銀の瞳に細い線で、しかしくっきりと浮かび上がる緑色の魔法陣をナナセは綺麗だと思った。

「とうさんその目…どうしたの?」

 木々がざわざわと揺れる音は、ナナセの不安も駆り立てる。

「ずっと隠してきた。この目はルイの石を受け継ぐと強い魔力のせいだ。ナナセも受け継ぐと瞳に魔法陣が出てしまうだろう。」

 カイはそう言い、瞳を伏せた。ゆっくりと父は娘と向かい合う。

「人の運命を変える力があるんだ。──ナナセ、受け取りなさい。……今渡さないと、きっともう渡せない。」

 最後の父の台詞に、引っ掛かりを覚えて。

「……え、どういう意味?」

「──内緒。」

父はそう言って悪戯っぽく、くすりと笑った。カイが差し出した手には、小さな銀色の耳飾りがあった。

 それは相当昔のものなのだろう。きれいに磨かれてはいるが、ところどころに古い文字が使われている。

 ナナセはそれを受け取り、耳にはめた。かちり、という音がしてナナセの耳に合わせて小さくなった。目を閉じると、ルイの石から魔力が流れこんでくのが分かった。ナナセの大きな魔力と混ざりあって、彼女の魔は更に大きくなる。

 目を開けた娘のスカイブルーの瞳にはっきりと映った濃い紺色の魔法陣を父は悲しく笑った。

 ナナセは小さな体に見合わない大きな魔力にくらりとした。それに加えて、少しの初代のモノであろう記憶まで流れ込んできた。

 祖父──ルイのものであろう視界で、戦乱が起こった。祖父の知り合いであろう人が次々に消えていく。命を捨てて平和を望んだ彼の人生が断片が流れ込むように次々に見えた。

 一気に流れ込んだ祖父の記憶に孫は置いていかれて、けれども祖父が平和を欲しがった心だけは漠然と分かった気になった。

「俺は初代ルイ・ジェイムの子供だけど、あまり魔力を持っていなかったし、あまり上手ではないからね。だからルイの石に頼っても瞳を普通の色に見せる魔法が使えなかったんだ。

ナナセが耳飾りを持つべき人でも、隠さないといけないときが来るかもしれないから、覚えておきなさい。──姿かたちを違った見せ方をする魔法で、瞳も隠せるから。」


 父はナナセと会うのが最後とでもいうように、たくさんの知識を教える。

 嬉しいけど、何か悲しいかった。しっかりと覚えないといけない気がして、ナナセは記憶に刻み付ける。

「ナナセ。重い運命を背負わせてしまって、ごめんな……」

 それから、父はナナセの頭にぽんっと手をのせて、長い髪をくしゃくしゃと乱す。ナナセはなんともいえない雰囲気に何も言えずにされるがまま。

 そして、鋭い銀色の瞳をナナセに向ける。

「最後に、ナナセ。覚えておきなさい。

 このルイの石は、大きな魔力の源。その魔力を狙う人も沢山いる。それに、ナナセは魔力が強いから、ナナセ自身が首狩りの賞金首になるかも知れない。それがナナセの運命を変えるかも知れない。

 だけど、運命に抗いなさい。

 きっと、道が開けるから。」

 いつもとは違うカイにはっとして、ナナセはしっかりと頷いた。

「うん。約束する。

 あたしは、この石をちゃんと守るよ。それにおじいさまの夢見た、平和をつくるよ。」

 カイは小さく息を飲んだ。

「ナナセ、石から記憶を見たのか?大きな魔力を持ち合わせていないと見えないと母から聞いたのに。

 やっぱりナナセはすごいな。とうさんには見えなかった。大きな魔力はお母さん譲りだ。」

悲しそうに、カイは笑った。

「さぁ、今日はたくさん話したな。もう寝ようか。」

 ぽん、と大きな手を頭に乗せられて、抵抗できなかった。なんだか帰りたくない。

「……うん。」

 けれど促されるままに、ナナセはカイの部屋を出た。ナナセはそこでやっと息を吐いた。

 大きな装飾のある綺麗な扉を振り返って、さっきまでの予想もしなかった話を思い出す。

 ──あたしのお母さんは、殺された。とうさんは、昔話のルイの石の継承者だった。その石をあたしにくれた。あたしも殺されたり、狙われる危険がある。


 ナナセ自身のことなのに、自分が遠い遠い存在に見えた。誰かと入れ替わったみたいに、平凡な王女の日々がこの日を境に終わりを告げた。



***



 自室に戻ったナナセは、ぺたりと床に座り込んだ。

 廊下を歩いてカイの部屋からここまで来るときには誰にも出会わなかった。早足で歩いてきたし、出会わなくてほっとした。隠せる技がまだ無くて、左目に前髪を父のように垂らしているし、その下の瞳にはもう紺色の魔法陣が映っていると言われたから。 今はロウも寝てしまっていないみたいで、この部屋には彼女一人だ。家具も綺麗に整頓されている。誰もいない広い部屋は静寂がナナセの背中を舐めるようで、久しぶりに一人が怖く思えた。


 追われたり襲われたりするのなら、ちゃんと荷物作って逃げる用意しておいた方がいいのかな、と思い付いた彼女は広い部屋を見回し小さな旅行鞄を取ってきた。床に広げ、色々なものを詰めていく。旅行は何度かした覚えがあるから、彼女は子供にしては手際よく詰められる。

 けれど、今度の荷造りはそんな穏やかで優しいものではない。彼女なりに現実を重く受け止めていたはずなのに、現実は先をいくことなどナナセはまだ知らない。

 それでも、さっきの鋭い銀の瞳が頭から離れなかった。この頃は追われるということを、はっきり考えたことなんて、もちろんなかった。ただ荷物を詰めるだけなのに、手を止めたくなかったのは、父の行動の意味を考えたくなかったからかも知れない。

 荷作りが終わるとなんだか急に眠気がどっとやって来て、ベッドに倒れこみ、瞼を閉じた。


 ──夢を見た。

 慕われていた初代国王の視界で、国王が殺されていく様を。祖母と思しき女の人には子供を抱えて逃げさせて、部下に護られていた彼は部下の前で敵の魔術弾に当たった。

 追い詰められた祖父は、誰も傷付かないよう皆に平和を与えようと魔法を使った。

 ──そう、与えるために──


 ナナセは飛び起きた。寒いはずなのに、首筋に汗が伝った。

 写真を嫌った祖父は、写真にすら残っていない。姿すら知らない、建国の祖である自分の祖父を、やっと近くに感じられた。魔力を使って、たくさんの人を幸せにしたかったみたいだと、ぼんやりと思った。それはもう──自分の魔力を、命を使い果たしていいほどに。


 初代が亡くなり、隣の大国には数で圧され、敗戦と言う名で王の近くにフェルノールの手先を置かれてからは、王城のお金をまた切り詰められ、貯蓄に回された。もともと贅沢をしなかったのにそれ以上削られた為、使用人の削減にかかるしかなかった。だから、王も王女も自分で出来ることはする。

 ナナセは白いワンピースを手に取り廊下を見遣る。今日はやけに廊下を走る使用人の足音が耳についた。

 着替えながら、ふと気がついて鏡の前に立ち止まる。ちゃんと、今でも左目に魔法陣が映っている。その濃紺を眺めて現実と確かめると、父のように前髪を垂らして左目を隠す。そして横髪と一緒に青いリボンで結ぶ。右目は見えるようにして同じように結んだ。

 そうすれば見た目がどこか父に似ているようで、少しだけ父に近付けた気がしたナナセの心は弾む。父かロウに会いに行こうと廊下に出た途端に騒がしくなる。

「──ナナセお嬢様」 遠くから声をかけられ、足音が近づいてくる。ナナセは足音のした方を振り向いた。

「ライ?」

 金髪に黒髪の混ざった変わった髪の色に細い長身を際立たせる黒いスーツを羽織ったライが、ナナセの前に立っていた。

「どうしたの?」

 ぱっとナナセはライの顔を見上げる。すると、ライはナナセの視線を逃れるように視線を外した。

 悪い予感が、背中を舐めた。やけに静かになった廊下に、ナナセの予感が的中する。

「──カイ様が」

 まさか、となにともつかない危機感を抱いて、ライを置いてナナセは父の部屋へ走り出した。後ろからライが叫んでいたけれど、今はそれどころではなかった。

 長いスカートの裾に足を取られそうになりながら、朝の人通りの多い廊下をもみくちゃになりながら駆けた。

 まさか、と逸る心に体が追い付けない。

 いつも見慣れたカイの寝室の扉の彫刻が今日は不気味に見える。いつになく重い扉を開く。

 悪い予感は現実になる。ベッドに寝ているカイと目があった。意識はあるみたいで、よかったと安堵で扉の前で突っ立っていると、カイが小さな声をかける。

「ナナセ。こちらへおいで。」

 その声はいつもより、嗄れていた。消えそうな父に怖さを覚えて、動揺で声が出なかった。

 ナナセは頭が真っ白になるのを抑え、震える足を堪えて、かろうじて父のもとへ足を踏み出した。 カイの瞳は近くに寄るごとに、深い悲しみを増していった。

 何か、悪い予感が当たってしまったようで。聞きたくないから、そばには行くのを心のどこかが拒んでいるようだった。

 昨日までの艶のある銀髪とは大違いの、ざらざらの髪は近寄れば酷いものだった。いつもと変わらない瞳の色のの下には青黒い隈。見ただけで分かる変わりようは、ナナセには辛かった。

 カイの寝ているベッドの前まで辿り着いた。ナナセは、顔を上げて父と瞳を合わせる。足がすくんだ。

 数秒の静寂が、不気味に二人を包む。


──ここから逃げなさい。


 カイの唇が、そう動いた気がした。理解より先に、唾を飲み込んだ。

「どういう、こと?」

「ナナセ、お前が今度は危ない。ここから逃げなさい。──殺される前に。」

 穏やかなカイが、今は鋭い瞳でナナセを見ている。昨日の夜みたいな、灰銀。

 ナナセは魔力で自分の身は守れる。それに王女だ。いまのこの環境と知っている人をみんな置いて自分だけ置いていくのは許されない。そもそも誰に狙われているのか。

 疑問をカイにぶつけようとした、その時。

「それは無理ですね。あなたたち如きが逃げられるとお思いですか?

──カイ国王様、ナナセ王女様。」

 嘲笑うような、馬鹿にしたような声が背後から聞こえた。知っていたように、カイは驚きもせずナナセの後ろを刺すように見詰める。

 その声はナナセにとって、聞き覚えのある声だった。ついさっき聞いた声だった。けれども同じ人と言えないくらいの違う声色だった。さっき聞いた声はあんなに温かかったのに、今は冷たくて残忍な響き。

 カイは口を開いたが、さっきよりも喋るのが苦しそうだ。いつものように長い髪でまた左目を隠して。それでも、刺すような瞳で。

「やはりお前か────ライ。」

 声で、誰か分かっていた。だけどあたしの知ってる人はこんな声をしない、とナナセは拒否する。後ろなんて、振り向きたくなかった。自分だって、分かっている。けれど、信じたくなかった。そう思う心に反して、体は後ろを向いてしまう。

 ──見たくなかった。

 ──信じたくなかった。

 振り向いたら、もう元に戻れない。後ろを振り返ってナナセに見えたのは黒い靴に、黒いスーツ。金髪と黒のまじった髪。

「ライ……。」

 とうさんといつも笑って、日々を過ごしてきたライ。

 優しい、温かなライしか彼女は知らないのに、馬鹿にするような瞳で、二人を見下ろしていた。

 嘘だと泣きそうで、叫びそうで。でも喉につかえた声は出なかった。

「ライ」

「はい。」

 ライはいつもの様な、かしこまった態度ではない。軽く笑っている。馬鹿にするような笑みが口元に隠すことなく乗せられる。

 ナナセは事情がわからなかった。


「お前の狙いは、何だ?」 カイはライをまっすぐに見据える。言葉を返す執事の瞳はやはり、冷めている。

「あなたの宝を、頂きに来ました。」

「──ナナセか!?」

 カイは少し慌てた顔で娘に手を伸ばす。起き上がってでも、苦しそうに向けてくる銀灰色にナナセはびくりとする。

 カイのベッドに手を伸ばせば届きそうな距離に立つナナセの後ろには、ライがいる。脅してもおかしくない距離に、ライはぴたりとナナセに寄るが、意味が分かっているのは大人だけ。

 背の高いライはまだ彼女が子供なのと、カイが座っていることで、どうしても見上げる格好になる。ライがいつもと違う様に見えるのは、きっとそのせいもある、とまだナナセは自己暗示をかける。

 カイが一呼吸おいて、さっきの質問に言葉を返す。

「ナナセ?──ふ、この王女はあの母親譲りの高い密度の魔力で厄介なんだよな。魔力の低い父親の遺伝子を受け継げばよかったのに。

もう少ししたらきっと首狩りリストに入るぜ?まぁ、今のうちに消えてもらってもいいかな?」

 崩れた敬語に、嘲笑うような声音。やっと、背中を冷たいものが通る。

 殺されると青い顔をした子供をせせら笑って、ライは鼻で笑って続けた。

「まぁ、そんな冗談は置いておいて。本当の目的はあなたの左耳にあるルイの石と、王のあなたの力ですよ。」

 その言葉に、ナナセは反射のようにカイの方を見つめる。バチンと、カイと視線が絡む。

 『言うな』と、言葉に出していないけれど、そう言っていた。ナナセはカイの目を見て頷く。わかったと、青色の瞳でナナセはカイに返した。

 カイはなにもなかったように続ける。

「力が欲しくて、力を得るその為だけに、俺に毒まで盛ってか?」 ──え?

「そうですよ。それがどうしました?どうせ、俺に殺されなかったならば他の奴等がお前を殺していたでしょう?」

 たまたま、俺だっただけですよ、そんな風に言うライにナナセは混乱した。

 あたしは今までいったい何を見てきたのだろうと、ナナセは思った。どうしてとうさんと、大好きだった人の裏切りを見ないといけないのか。頭がぐらぐらして、今まで立っていた大好きな場所が全部崩壊していくような、そんな気がした。


「ナナセ。」

「な、なに……?」

 今なら分かる。カイは毒を盛られたせいで体が上手く動かないみたいだ。より息苦しそうに、より蒼白くなる様子に、ナナセが耐えきれなかった。

「あたし、助けを呼んでくる!とうさんもしんどいでしょ?」

「だめだ。ナ、ナセ。行くな。ここに、いな、さい。」

カイが咳き込む。息と一緒に出てきた赤黒い、液体。

ひゅぅっ、自分の息を吸い込む音が遠くで聞こえた。吐かれた血にナナセはまたカイを見上げた。

「とうさっ……!」

「大丈夫、とは言えないけど。ナナセを逃がすまで死ねない。」 伸ばした手をそっと掴まれて、言われればもう、理解が追い付かない。

「なんであたしだけ、とうさんも……!」

「ナナセ、一人で逃げられるな?

 一人で、暮らせるよな?」

「とうさ……」

 それはきっと、母も父も、失ってしまうことだと、意味していると、小さいながらに理解した。

 やだ、と言葉を発する前に手を離され、自分の体が浮き上がった。

「うわ、」

 魔力でナナセを浮かせたのはカイだった。娘よりもはるかに弱い魔術師は、魔力を高く消費する術を使っている。毒に侵された身体にはかなりの毒だ。

 魔術で浮かされて、混乱で呆然とするナナセを見上げ、カイは続ける。

「魔を使えるものは尊敬される。自分ひとりで、暮らせるな?


 ──生きて……いろよ、ナナセ──」


  最後の最後、詰まった言葉はちゃんと聞こえた。右手をナナセに向けて魔を放っているカイはふっと笑った。その顔はだんだん苦しそうになる。辛い体で大きな魔力を消費しているからだ。息が荒くなり、また白い布団に血が落ちる。口元の血を拭って、カイは最後に儚く笑った。

「お別れだ」

 カイは悲しそうにナナセを見上げる。悲しそうなのに、どこか優しそうな表情で。


 ──やだ。


 ナナセの顔が歪んだ。

「とうさん」

 涙が、ひとつ、ぽろりと落ちた。私も戦いたいと、がむしゃらに手足を動かして下ろしてと願う。自分ではまだかけられた魔術は解けないからもどかしくて、下ろしてと請えば無邪気に笑われて、悟る。

 ──こんな別れになるなんて思っていなかったのに。

「バイバイ……ナナセ。

 生きて幸せに、なれよ。」

「やだ、しなないで、とうさ「まさか、ナナセが石を持っているのか!」

 ライが素早くナナセを掴みに来る。掴みに来たライの手をかわすために、カイが指を窓ガラスへ向けて小さく人差し指を振った。


「────やだ─────!!」


 カイの魔術でナナセはガラスへ向かって飛ばされる。背中にガラスの感触があったと思うと、大きな音と破片が飛んだ。

 部屋の窓ガラスの割れる音が部屋中に響く。

 銀の小さな王女は空へ投げだされた。ガラスの破片と共に下へと落ちていく。


 父へと伸ばした小さな手は空を掴み、ガラスの破片で手を痛める。手なんか、魔術で守ればどうにでもなったのに、そんなことは考えられなかった。ただただ父を呼ぶだけだった。

 窓から二人が見えなくなる時、ライがナイフを手に光らせ、カイの胸へ突き立てる一瞬が見えた。ナナセの心臓が止まったようだった。それまで出していた声が、出なかった。

 絶望が涙になって滲んだ。

 それは、幼いナナセにとって両親をなくして、ただ一人で生きていくことで。 ただひとりになった小さな王国の王女は、涙と過ごした父との思い出をそこに残して下へ下へと落ちていった。


 ──あたしの運命は、いつから狂っていたんだろう。


 ──いつから?


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