23.空色の瞳
おもにアズキとナナセの魔力でリョウオウまで一晩で戻ることができた。トーヤはナナセとアズキに魔力を含んだ手で補助されながら、危なっかしく飛んでいる。ひとまず逃げ切ることができたことにナナセは肩の力を抜いた。
アズキたちが帰ってくる様子が家のなかから見えたのだろう。飛び出してきた両親に名を呼ばれたアズキとトーヤが駆けていく。
無事を喜ぶ彼らの様子を、ナナセとルグィンは後ろでぼんやり眺めていた。わあわあと泣くアズキが損なわれていなくてほっとした。
「良かった」
ナナセの穏やかな声を隣のルグィンが拾ってくれた。
「そうだな。 帰る家があって、望んでいられて良かった」
ひとしきり再会を喜んだ彼らはアズキの家に招かれた。アズキの母エリがナナセに向かってそう言った。
「お礼もそうだけれど、あなたたちを母が呼んでいるの」
サラが、と言われるとなんとなく納得してしまう。アズキとナナセ、トーヤとルグィンが入るとエリは入れ替わるように席を外した。
居間ではサラが待ち構えていた。サラは帰ってきたアズキを抱きしめた。
「おかえり、アズキ」
少し背の低いサラがアズキの頬を両手で包む。アズキの目のふちに涙が盛り上がった。
「目覚めたね」
眩しいものを見るようなサラの声が震えている。アズキのその力を封印していたのはサラだろう。解けて大きくなったものは、封をした最初と同じだけの力ではもう戻れない。
「おばあちゃんの言うとおりだった。 この力は先読みの力だ」
アズキの声が震えている。これまで何の力も持たない平民としての生き方しか知らなかったアズキが、急激に魔術師としての生き方を要求されて、おそろしくない訳ないだろう。
「先読みの才が強ければ強いほど、われらの瞳は赤に染まるのだと教えられてきた。
血の色に近い今のアズキの眼が、なにも見えない訳なかろうな。
開いた先読みの血から我らは逃れる術はない。 せめて良く知ってその力をお使いよ」
歌うようなサラの声が、アズキには泣いているように聞こえた。
誰かにそう言われて育ったのだろうか。サラの言葉はよく耳になじんだ。
「この力が、権力者に恐れられる訳を、知ったわ。 赤い瞳を恐れていた魔術師の理由も、ちょっとわかった」
向こう側で、そんな扱いを受けたのだろうか。ナナセは何も言えなかった。
「赤は魔術では推し量れない、物事のさきをしる人たちの持つ色と、私は育ってきたわ」
魔術師は赤い瞳は魔術とは異なる力の色と知られていることを、ナナセは知っている。それで恐れられる色なのだ。国の上層部の魔術師貴族が多く持つ『魔術の青』や『魔力の金』とはわけが違う。
アズキを離し、サラはゆっくりとナナセに貴族が王へ拝謁するときの礼をして頭を垂れた。
「ナナセ王女、我が孫は貴女の良き友、時が来ればきっと良き神官になりましょう。
殿下が城へ帰る日があれば、殿下の良き部下になりましょう」
「……ありがとう。 考えておくわ」
ファイの成りをしたままのナナセが真剣な瞳をしている。
厳かな空気に誰も何も言えなかった。アズキにはここが見たこともない城の一室に見えた。
「ここまでにしようか」
サラの色の薄い瞳が若干緩んでナナセを見上げた。ナナセも周囲を見回して苦笑して頷いた。
サラが薄い紙を懐から出した。外に音が聞こえなくなる魔術式が飾り文字でごまかされているものだった。サラの口調がいつものものに戻った。
「さて、まずはアズキとトーヤの無事を祝おう。 ふたりが無事でよかった。 魔術の扉は開いてしまったようだが」
「ばあちゃん、ありがとう。 無事帰ってこれてよかった。 俺は新式改造を受けたらしいけれど、アズキはそんなことなかったよな……?」
トーヤが確認するようにアズキを伺うと、アズキは大きく頷いた。
「うん、私は特に改造は受けていないよ。 まあその代わり封印を五人がかりで破られただけ」
アズキの表情が陰る。その五人は、一体どうしているのだろう。
「お前さんは、これからどうするんだ?」
ナナセは口元に手を添えて、ゆっくりと口を開いた。
「ルイスへ行ってアズキとトーヤが魔術をきちんと使いこなせるようにします。 命を狙われても一人で逃げられるくらいの高等魔術を使えるように」
トーヤがえっと声を上げた。大方何も考えていなかったのだろう。
さらりと彼女に口にされた言葉に、アズキはごくりと唾を飲み込んだ。命を狙われる、逃げる、なんて普通のアズキは知らないことを隣の友は知っている。
ナナセと共に歩きたいと願っても、決意しても、まだまだ怖いことがアズキにはある。
「頼んだよ」
サラの声に、凛とした少女の声が返る。
「ええ、任されます。 これまでのリョウオウの生活には……いつ戻ってくることができるかわかりません」
「これまで行っていた学校も、今わしらがいる共同体も魔術のない共同体じゃ」
そういう場所を選んだ、と魔術師だというサラが言った。
「もう戻れないの?」
アズキが茫然としている。ナナセはハルカとしてリョウオウに滞在している間、友達といるアズキを見たこともある。仲の良い友達もいたことだろう。サラが首を振るが、ナナセも同感だ。
「ああ、すぐには戻れない。 アズキもトーヤも見た目から変わっている。
誤魔化せる程度に時が過ぎ、ふたりが魔術師としての振る舞いを覚え、それを隠せるようになってからだね」
「そうか、そうだね」
気が付かなかったとアズキはトーヤと顔を見合わせた。
「そうだな、俺も急な成長期にしてはでかくなりすぎた」
トーヤも肩をすくめた。大きくなった背丈を持て余したように手をぷらぷら振った動作が見た目にそぐわない。
「だから、その間スズラン……タチカワのお屋敷に行こうと思うの。
まずはアズキとトーヤの魔力制御が問題よ」
このままでは魔力に飲まれて死ぬとは二人に向かって流石に言えなかったが、サラは元来魔術師だというし、おおよそ気付いているだろう。
「でも私、今未来予知も過去視もしていないよ?」
アズキが首を傾げた。読もうと思わなくてもアズキはその能力を使ってしまう、暴走状態にあるらしい。
「いや、それはお前が読めない人間がまわりにいるからだと思う。 先が決まっていない、選択肢が世界を揺らがせるような人間はよみにくいんじゃ」
だから国の為政者は読みにくい、とサラが続けた。ナナセはその言葉に青くなった。
「でもそれはナナセだけじゃないのか?」
「いや、アズキがそう言うってことは、ここにいる全員がアズキの力をもってしても読みにくいからということだ」
首をひねっているトーヤにサラが加えた説明に、アズキが頷いた。
「トーヤは時々、日常生活が見えることがあるけど、未来で何をしているかは読めないし、過去視は私も知っていることだから気にしない。
そこの……ルグィンさんは先のことは何もわからないし、過去は抱きかかえられたときに少し見えた。 雪の降る山の生まれね。
ナナセは……全然わからない」
「ナナセに関してはアズキより王女の魔力量が大きいことも理由になりそうだが……」
今が魔力を持ってから一番ほっとしているとアズキは言った。
その言葉に思い当たる意味は一つしかなくてナナセは途方に暮れた。
アズキの言葉の意味を知るだろうサラの視線を感じたが、彼女は何も言わなかった。その代わりトーヤに視線を移し、視線の先の彼は頷いた。
「俺は、魔術師になったなら、いつかナナセやアズキを救える道を歩きたい」
トーヤの決意に、ナナセがたじろいだ。揺らがない瞳に、呼吸を忘れた。
「もしなにもかも忘れて今までの生活が出来ると言われても、俺はそんなことしたくない」
「私も戻りたくない。血まみれの未来は、私なら避けられる気が、するから」
サラがナナセに信頼のおける友としてふたりを押し出してくる。
「あなたにふたりを託します。 魔術もここでは教えられるものはおりませんゆえ」
自分の事情に巻き込んでしまうことが後ろ暗かった。自分のような後ろ暗い生活をさせるつもりなどなかったのに。
俯いたナナセに、サラが静かな声で尋ねた。
「あなたはこれからなにをするおつもりか」
「あたし……?」
「そうだね。アズキやトーヤの為、じゃなくて、あなたは何がしたくて今ここにいる?」
明るい黒の瞳が強張っていく。薄の唇が引き結ばれた。ややあってからナナセは口を開いた。
「あたしが追われる理由は、濡れ衣の王殺しではないと思っています」
ナナセにサラは怪訝な顔をした。
「それだけではないと」
続きを促すサラの声にナナセは頷いた。
「祖父の石……ルイの石は皆おとぎ話で聞きますね?」
「あれは幸せを願った初代国王の祈りの石と呼ばれるものだな? 」
「国が豊かになるように祈りを捧げたという? あれは本物だったのか?」
トーヤは信じていなかったらしい。少し疑うような声色で周囲を見回した。
「王城にある祈りの証の片割れである水晶。 あの水晶と対になるルイの石は、今もあたしが持っているのよ」
ナナセがファイと名乗る黒髪の少女の幻を解いた。
銀色の髪、青い瞳。どれも王家に繋がるものだ。サラが眩しいものを見るように目を細めた。
ナナセは左耳を示し、金色の耳飾りが嵌っていることを示した。金色の土台に、鮮やかに青と白に輝く宝石が台座の上で輝いている。
「それは──」
サラが驚きを隠せず、やっとのことで掠れた声を絞り出す。ナナセがええ、と頷いた。
「祈りの耳飾り。 このままあたしが城に出向かなければ、祈りは失われるわ」
「どういうことだい?」
「祖父の祈りは幸運の祈りでした。 そして祈りの期限は、十年だと父さんが言っていました。 この国は、ルイの祈りに支えられた国力が無くなれば、きっと今より危なくなるでしょう」
「魔術師は他国にとっては戦力になるしなあ」
サラがため息をついて言った。経験があるのだろうか。
「そうなの?」
「国が違えば、君主も変わる。 事情も違うぞ」
ルグィンの声にアズキが振り向いた。
「おじいさまの豊作の祈りの魔術を続かせる為には、ルイの血を継ぐあたしが必要だと聞いています。
儀式に要るのは、城の水晶とルイの血筋を継ぐ人間。
城を追われる前に、父さんと儀式をしました。 よく見ておけ、と言われて七歳の冬に儀式を見ました」
今ならわかるが、カイは何かしら自分の死期を悟っていたようにも思う。でなければあんな時期にわざわざ幼い自分を連れて儀式はしないだろうに。
「今年で十六歳の冬が今終わるから、祈りが消えるまでちょうど一年」
一番危機を覚えているのは、昔王城で神官をしていたサラだろう。
「それは今の王達も知っているのかね?」
「恐らくは。 今あたしを躍起になって追っているのは、おじいさまの祈りが切れてしまうからじゃないかな、と。 でなければ今更あたしをいくら王女と言っても、首狩りを総動員してまで追わないんじゃないかと」
それから、とナナセは言葉を繋げた。
「あたしは、どのような道を進むのかライに会って話がしたいです」
でたらめをいうつもりはなかった。それでも、裏切る前のライをナナセは知っているのだ。
「正気か? 相手は殺人犯だぞ? 今では偽物でも一国の王だぞ?」
サラが思わず止めた。アズキもその後ろで頷いている。
「あたしは今、面と向かってあの人と話せるかは分かりません。 だけど、とうさんを殺した理由をいつか聞きたい。 一年以内に儀式に王城に行くつもりだけど、その時にもし出会っても、聞けるかは分かりません。 でも、聞きたいことがたくさんあります。 その答えによっては、ルイの石を渡してもいいと思ってます」
「そんなことをしたらお前の持つ魔力も、なくなるんじゃないのか?」
サラは耳飾りの魔力強化の話を知っているらしい。神官は少し知っていることが多そうだ。
「あたしは平気よ。 ルイの石を継ぐ以前の八歳の時から魔力で負けたことはないわ」
トーヤには規模の大きさがいまいち掴めないらしい。首をひねるトーヤがいる。
「その石はその…今の王様には使えるんじゃないの? それを使われて、私みたいな人が増えたら、いやだなって」
アズキの心配はごもっともだ。ナナセは頷いた。
「うん、ライには使えないみたいよ。
この石はどうやらルイの血筋しか使えないようになっている。 ライは黒に金色の混じった髪色の、父さんの執事だった人。
使えるわけがないわ。 けれど、国王の飾りとして威厳を示すには使えるし、国の宝を王女から奪い返したとなると、国の喜びは高まるはずよ」
「死ぬ気か?」
「まさか。 死ぬつもりだったらもうとっくに捕まっているわ。
……そうね、でも追われる立場は避けられないし、国にもいられないから、今度は国の外に行こうかな」
そう言って、ナナセが淡く微笑む。サラは同じように笑って死んだ妃を知っている。
「もしも、おまえさんを国民が推して王に望んだら、どうするんだい?」
予想していなかった言葉に、ナナセの瞳が青く滲む。
少しためらった後、ナナセの震える声が部屋に響く。
「もしもそんなことがあれば、父さんを見習って王に就くわ。
……もっとも、あたしは逃げ出した王女だし、とうさんみたいにうまく国を回せるか分からないけれど。
もしも我が儘言って良いのなら、あたしはみんなが居てくれると心強いけど」
夢を語る。昔はそうなると信じていた未来だ。叶わなくなった今それを語るのは、少し胸が痛かった。
「そんなことは、もうないけれどね。 あとはこれからおじいさまと父さんの作った国が崩れるのを見ているだけね」
ナナセは下を向いて誤魔化すように笑った。サラの探るような目が少し居心地が悪い。
「王女のような旅人の身分では聞けないことだろうが、今の王はこう言われているんだよ。
今の王は初代国王に背いた国作りをしている、国を崩す気だ、とね」
なるほど、と思った。ライがナナセを追い出してから、随分と技術が進んだ。それについてナナセは近隣諸国に負けないよう防衛しているものとも持っていたが、どうやらそうは思えないらしい。サラの言葉のうちにはルイを冒涜された怒りがあった。
サラの言葉はよく知られたものらしい。アズキとトーヤも口を出さず議論の行く末を見守っている。
「わしらだってそこまで馬鹿じゃあないのさ。
突然正当な血筋が追い出されて、知らない先代の傍系を名乗る王が立った。
――多少の反感くらい、あるのさ」
国のすべてに見捨てられたとナナセはこれまで思っていた。どうやらそうではないらしい。
「お前さんを……捕まっていないナナセ王女を王へと推す派閥が、実はある」
先ほどのサラの問いは、ここに繋がるのかとナナセは茫然とした。
ナナセが背負っていたものは、遠い昔に奪われたはずだった。突然この手に返ってきたところでそんな決断はすぐにはできる気がしなった。
「無理に今決めなくてもよい。 でも、お前さんは一人ではないということは、覚えておきなさい」
ナナセの青い目をサラが覗き込んだ。握られた手が温かい。
サラを救ったとき、サラは王女であることを黙秘してくれた。今は多分、王座へと導かれている。
「あなたは、どうしてそこまであなたは、王女を気に掛けるの。 あなたは、一体……」
ナナセのかすれた声に我に返ったサラが笑った。
「おや失敬。
先読みのソライの血筋、カイ王に仕えておりましたサラ――いいえ、シャラフィナ・ソライと呼ばれておりました。
今は先代カイ王派、いいえ王女派の集団を指揮しております」
サラは悪戯っぽく笑うが、表情に反してその目は真剣だった。
「それは……抵抗軍を組織されているということね」
ナナセはつとめて平静を装って聞き返した。サラは顔色を変えずええ、と頷いた。
「そ、そんな危険なことおばあちゃんがしているの知らなかった」
ナナセはアズキとトーヤと顔を見合わせた。二人とも知らなかったらしい。アズキが真っ青な顔をしている。
「いつでもお呼びください。 お力添えいたしましょう」




