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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
22/25

21.宝石が眠る街

 いつしか軍の中枢と呼ばれるようになったメノウには、武具や武器、魔導具を多く揃えている。日が陰り寒さが身に堪えるはずだが、大通りは沢山の武人たちで賑わう。


 今の国の象徴的な色ということもあって、国軍の制服は主に緑が基調である。国軍の中枢であるこの街には、国から支給された深い緑の服を着る人が山ほどいる。そんな中を、フードを目深に被り他と紛れて大通りを歩くナナセたちの茶色い革の軍によく似た仕立てのどこにも属さない服装は、道行く人の目を引いた。


 黒い髪に黒い瞳で、兄妹だと口裏を合わせろとスズランと合わせていたものの視線の多さにナナセがルグィンに耳打ちした。


「どうするの」

「俺がいた屋敷に入れるか……なんにせよ身を隠したいな」


 道案内はこの街に詳しい様子のルグィンに任せることにした。わかったと頷いてルグィンの先導で通りを進んだ。


「おい、お前。 その服はなんだ」


 突然ルグィンが男に肩を掴まれた。払い除けて振り返ったルグィンが手を止めた。ナナセもつられて振り向けば、緑の軍服を着た長身の男が立っていた。目深に被った帽子から少し赤髪がはみ出ている。通り過ぎる人の暗い視線が男の赤髪に集まっている。魔術師にとっては赤は畏怖の対象だ。


「……ルグィン?」

「――ナコ」


 ナコと呼ばれた青年は口をあんぐり開けて、驚きを隠せないでいる。ルグィンが、目の前の赤髪の男はニカリと笑った。


「やっぱり!」


 知り合いを見つけたその笑顔は彼を幼く見せる。ひとしきり笑った後、ナコと呼ばれた男がこちらに寄越した瞳の色は紅だった。


「お、そっちの女は知り合いか?」

「こいつは、ファイ」


 話しながらルグィンがこちらへ振り向いたので、ナナセは会釈した。


「ファイです。 こんにちは」


 ナコが彼女の瞳の奥底を覗き込んだ紅い瞳は、すべて見透かすようだった。

 ナナセは燃えるような瞬く赤に怯んだ。


「おいルグィン」


 ちらとナコがルグィンを睨むと、彼はついと視線を逸らした。


「……俺の妹」


 苦し紛れのルグィンの声に、ナコが面白がるように唇の端を上げた。


「病気がちのあの妹か? 違うよな?」


 病気だったらしい妹の他に、ルグィンには年の近い妹は居ないらしい。ルグィンの兄妹までよく知るらしい彼までは誤魔化せそうにない。

 いつの間にか人気の少ない小道に誘導されていた。ルグィンが反応しないならきっとまだ安全なのだろう。


「……違うだろ?」


 ナコの二度目の同じ問いに、ナナセは諦めて口を開いた。


「ええ」


「演じてなにになる」


 ナコの問いに意味深に微笑む黒髪の少女の笑顔はどこか影があって、ナコはそれ以上の追求をしなかった。数秒の睨み合いの末ナコは日暮れの近い空に目を移して息をついた。


「まあいい。 この黒猫が珍しく人に興味を示しているから気にはなったけど、今聞くにはあんまりいい予感がしないからな。でもこんなところに連れて来る何かがあるんだろ?」


 ルグィンに向けられたナコの眼は全く笑っていない。


「まあ」


 それだけ言うとナナセよろしくルグィンもこれ以上ナコに明かそうとしなかった。仕方なくナコは話題を変えた。


「……ファイ、俺のことは聞いているか?」


 ルグィンの背中に隠れながら歩く少女を振り返った。


「え、いいえ」


 首を振るナナセにナコは待ってましたとばかりに胸を張った。その態度が先ほどと打って変わって好意的でナナセは拍子抜けしてしまう。


「俺はこいつの同僚、ってところか。 もう三人しかいない同僚だが」


 多くを語らないこの言葉で、ファイであるナナセは彼が誰なのか分かった。


 ──同じ改造人間で、昨日の話に出てきた国内警備部特別指令課の、もう一人の人。微かに浮かんだナコの笑顔に陰りが差す。


「こいつと同じ、改造人間だよ」


 ファイがルグィンの知り合いだからか。気負いなくちらりと帽子をずらして見せてくれた頭には、大きな赤茶の狐の耳。ルグィンと同じように異形だと知らされて、ごくり、と唾を飲んだ。


「俺はナコ。 今年で二十一になる。 改造された時点で付いた姓はミレーニだ。 ミレーニと言えば軍には俺しかいないから、きっと分かるさ」


 にか、と屈託なく笑った彼は、軍人だ。ナナセを追う側の人間だ。敵になるかも知れないと分かっているのに笑顔で差し出された手を握るのは、いつになっても慣れない。


「よろしく」


 貼り付けた笑顔で上手く笑えているのか分からなかったけれど、少女は笑う他なかった。


「あ、そうだルグィン、最近どうだ? 首狩りの調子は?」

「あー……、最近はこいつが怪我してたから付きっきりだった。 お前は?」


 ナコとルグィンの掛け合いにナナセはさっと顔色を無くした。

 知らなかった。ルグィンは、私たちを追う首狩りなのかといま思い至った。


「俺か? 反逆者を三人捕まえたぜ。 普段の仕事も捨て駒部隊だから金はそこそこいいけども、首狩りは桁違いに金が貰えるな。 特に王女だな! 三桁違いの金額だ、いつかこの手で仕留めてやりたいぜ!」


 ぐっとナコが拳を握った。ナナセの指名手配は生死は問わないとされている。

 このごろすっかり忘れて過ごしていた。ナコの視線がこちらを向いたから、ルグィンの後ろに隠れた。


「ファイ?」


「首狩りって危ないのでしょう? あたし知らなくて……賞金首を追うのって命懸けなんでしょう?」


 下を向いて黒い瞳を伏せてみた。

 ――健気な妹分に見えるだろうか。


「大丈夫だろ、ルグィンはとても強いからな! 王女も一撃だろうな」

「やめろって」


 ルグィンの仕事については聞いたことなかったけれど、まさか自分を追う部隊だとは知らなかった。裏切られたなんて、思いたくない。


 振り返ったルグィンが目を合わせてきた。明るい金色が真っ直ぐこちらをうかがう。


 ――きっと、大丈夫。何の根拠もなくそう思って、はっとした。いつの間にか預けてしまった心に、今やっと気がついた。もう後戻りできないなと、ようやく悟った。


 もう誰かがいないと生きていけない自分がいる。糧になることもあれど、枷になることも分かっているのにもう、止まらないなとふたりを追いかけながら自嘲した。


「で、ここには何を?」


 核心に近いこの言葉に、あまり喋らなかったルグィンが口を開く。


「会わなければならない奴がいる。 王女の知り合いで改造されているらしい」


 ルグィンの視線はいつも通り冷ややかだ。顔に出そうなナナセはナコから見えないようにルグィンに隠れた。


「お、知っていたのか! すごい改造だと聞いたから、新式の改造なんだろうな。 ちょうど俺も気になっていた。 どんな奴だろうな、王女が釣れないかと画策しているらしい。 王女もそんなものに釣られる奴じゃなかろうが」


 最後の方は声をひそめて教えてくれた。やはり、彼らは見せしめなのだと、巻き込んだ事実を知らされる。残念ながら、件の甘い王女は危険と知って彼らを追ってきてしまったのだが。


「俺はこの地域の担当の軍人ではない」


 そうルグィンが言えばナコは面白そうに続きを催促する。


「そうか……なら夜中に?」

「ああ、忍び込むさ」


 当然のこととして答えるルグィンとそれを聞いたナコは顔を見合わせてにやりと笑った。


 ナコはこのあたりの軍部の顔を知っているらしい。面白がって協力してきた。ナコの手配で小さな宿を二部屋とった。

 ナナセとルグィンを同じ部屋に入れてくれた。なにか勘違いをされているのかもしれないが、黙って従っておいた。


「黙っていてごめん」


 部屋に落ち着くなり、ルグィンはナナセに言った。手を止めて振り返った。閉めた扉に寄りかかる少年から向けられた金の瞳をまっすぐ見れなくて、ファイは目を逸らした。


「首狩りだったの」

「俺たち捨て駒部隊の仕事のひとつだ。 いつかお前が俺を信じてくれたら言おうと思っていた」


 ルグィンが言った言葉に、自分が裏切られた気持ちになって悲しくなった。


「……貴方がちゃんと首狩りをしていたら、最初からあたしは命がなかったわ。

 スズランと貴方と過ごした時間が、あたしにとっての証拠よ」


 そこまで言って、ナナセは次の言葉を躊躇った。


「信じてるよ。 たぶん、そんなことで揺らがないの」


 驚いたけど、と笑ってみせたがなんでもないように語れなかった。ナナセ、と名を呼ばれる気配がした。ひた、と彼の唇の前にナナセが人差し指をあてた。はた、とルグィンが我にかえった。


「悪かった」


「ううん。 軍人だもの。

 敵なのは知っていたけれど、本当に敵だなんて、知らなかった」


 ルグィンを責めるような物言いになっていないだろうか。この気持ちはなんなのだろう。顔を上げたナナセの今は黒い瞳にちらちらと青色が混じっている予感がする。なんとなく、後ろ暗い気持ちになった。


「でも、お前に会って、しないことに決めた。 ずっと疑問だったから」

「そうじゃないの、」


 ルグィンの立場が分かっただけで、ぐらぐらと揺れる心は、アズキとトーヤとがくれたものだ。自分の心と付き合っていくと決めたけれど、やはり揺れる自分に慣れなくて、どうすればいいか分からない。


「あたしが獲物のあなたの立場は、これからどうなるの。 あたしのせいでルグィンが追われるのは、誰かが犠牲になるのは、いや」


「俺はお前に協力したい、それだけだ」


 ルグィンの手がする、と額を撫でて視界を遮られた。


「でも!」

「いつか追われても、俺とおまえ、あとはスズランがいたらきっと敵無しだ」


 取り繕うのが下手なルグィンがこちらを慮るように唇の端を上げて笑った。


 ルグィンを追われる立場にしたくないなとナナセは思った。

 ――どうすれば、敵の立場のルグィンの力になれるだろう。


   ***


「ファイも戦闘員なのか? ルグィンの用事についてきたんだろう?」


 夕食の後ルグィンが席を立った間に話しかけてきた。


「わたしは、そうね。 魔術師だから」


 へえとナコが意外そうにナナセを見た。


「お前みたいなやつがどこであいつと出会うんだ? お前さては新式か?」


 しつこいナコには微笑みを返した。ナナセのほうがふたりに用事があるなんて言えなかった。


「まあいいや。 よければあいつのことを助けてくれ」


 またあきらめたナコがため息をつきながら笑った。


「私のほうが助けられっぱなしよ」


 これは答えてもいいだろう。ナナセが笑ってみるとそうかとナコが目を細めた。もしかしたら、ナコにとっての弟分だったんだろうか。


   ***


 ナコは先に行ってルグィンと召し合わせた場所の窓の鍵を開けてくれるらしい。真正面の門を開けて正規のルートで入るナコを見送った。


 忍び込む二人はフードを目深に被り、高くそびえる施設の壁に張り付いて息を潜めていると、頭上の窓が開く音がした。ナコの赤髪がこちらに向けて手を振っている。足音をたてないように内側の廊下へ足をつける見張りもどういうわけか静かだ。ルグィンやナコは道を知っているのだろうか。迷いなく廊下を歩き出す。


「……ナコ、ついて来なくてもいい。 俺たちで何とかする」


「そうか?」


 暗がりの中で返事をしたナコがきょとんとしていたが、すぐに納得したようでじゃあ一時間後に一階の待合室に来てくれ、と伝えて消えていった。自分達が出た後に、ナコが戸締まりをしてくれるらしい。


「さあ、行くか」


 こともなくルグィンがつぶやいた。ナナセは静かにうなずいた。

 静かに明かりのない廊下に足を踏み入れた。

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