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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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20.星見とふたりの

明日がアズキやトーヤを救う勝負だというとなんとなく眠れなくて、自分が貸してもらっていた部屋の窓から続く屋根の上に座っていた。黒い布に散りばめられたような星空に、昔言われた言葉が思い返される。父が頭を撫でてくれた時に口にした言葉を、よく覚えていた。


『お前の目は空で、その髪は――』


「あたしの銀は、星屑の……光」


 目の前に手を伸ばせば、指先が闇に飲まれて消える。自分の髪が星屑ならば、父の髪も星だ。手の先にあるあの星屑のどれかから、カイが見ている気がした。


「ねぇとうさん。 ……とうさんは、笑顔であたしを見送ってくれるよね?」


 もちろん答えは返って来るはずもなく、彼女の耳が捉えるのは静寂と遥か遠くの遠吠えだった。静けさに目を閉じた。


「──言ってくれる、お前の父親だろ?」

 空と彼女の間に人影が割り込んできた。暗闇で目を凝らせば、漏れてくる人家の灯りのお陰で、微かに光る金の瞳が見えた。


「……ルグィン」


 闇を見通す彼の目は、うっすら細められてこちらに笑いかけてきた。


「お前の父親は、お前に似ているんだろ。 だったら、反対なんて出来ないと思うけど」


 ぽつりぽつりと呟く彼の低い声が、夜の闇へと溶けていく。屋根に座るナナセの右隣に腰を下ろした。隣に座る彼から風にのってふわりと陽向の香りがした。


「……ありがとう」


 勇気を出してちらと彼を見ると、視線が合った。いつになく真剣な金の瞳に、気後れした。


「迷うなよ、自分が決めた道だろ? 誰も悪い訳じゃないか」

「……うん」


 まっすぐに自分を認めてくれる言葉だ。ぶっきらぼうだけど確かに優しいルグィンの声に、喉の奥から涙の味がする。


「それならきっと父親も応援してくれる。 自分の娘の幸せを願わない訳はない」


 背中を押してくれるルグィンの低い声がわずかに陰りを見せた。ナナセはいつかに、自分は親に売られたとルグィンが言っていたことを思い出す。励ましてくれた彼の言葉が悲しくなって、彼を救うための言葉が見当たらない。ナナセは彼の背景を知らないのだ。


 手を軽く伸ばせば触れられる距離にいる彼に手を伸ばすことは出来なくて、遠慮がちに置かれたひとり分の距離にナナセは少しだけ胸をおさえた。


「俺は」

「……うん」


 かすれた声に、ナナセは身構えて頷いた。


「親に売られて軍に買われたって、いつか言ったことがあったな」

「あったね」

「――あれは、俺が行くと言ったんだ。 運動能力を買ってくれた軍に着いていけば金を貰えるときいたから」


 妹の医療費になると思って、と彼は付け加えた。

 ──だから、ここにいるのか。母と、父と、きょうだいと別れて。


「仲の良かった病弱な妹はここにいてくれと、最後まで泣いていた。 けれど、家族が裕福になれば、病弱な妹が元気になるなら俺はよかった。 だから軍は危険だと知ってて、付いて行った。 兵役を果たせば帰れると思っていたから。 こんなことになるとは思っていなかったから」


「でも、買われたのって……」


 遠慮がちなナナセの声にルグィンは頷いて答えた。


「そうだな、帰れない。 気がついた時には手を汚され…いや、汚していたから」


 ルグィンがゆるゆると首を振った。


「それに俺が買われたのは、戦争の道具になるためだった。 ……まあ、そうでなければ俺みたいな戸籍の怪しい子供を引き取る理由にならないな」


 彼は自分の頭にある黒い耳を示す。


「特に能力が秀でていた十数人は、実験動物としてこうして動物の力をもらって人外の生き物にされた。 スズランも同じ」


 スズランは、先王一派として、最後まで戦ってくれたというタチカワの流れを汲む貴族だったはずだ。彼女は一緒に見せしめにでもされたのかもしれない。


「俺たちは、一年間うまく使われた。 新しい国王の指揮下のもとで暗殺や仕事をこなした。一年後にその生活が変わった」

「そうか、新式……」


 はっと横を見ればルグィンは自嘲気味にそうだと首を振った。


「俺が改造された時は動物が必要だった。 身体強化のために動物化する禁術を使っていた」


 一年後に開発された魔術は違ったらしい。どこかの強い魔術師が能力のみを上げる魔術を組み上げている。身体能力しか改造できなかった従来の魔術に比べ、魔力の改造も出来るようになったのだという。

 魔術にそんな魔法のようなことはできないはずだ。ナナセは違和感から目を逸らした。


「だから、劣った俺達は要らなくなった。 見目が卑しい化物は記録から消したくなったんだろう」


 隣のルグィンの声が冷えている。これから聞かされる話はなんとなく知っている。


「仕事は奴らが引き継ぎ、俺達は捨て駒部隊に異動した。 同じ改造人間の仲間も死んでいった。 最後に残ったのは、俺とスズランと、それからもう一人。 それからまた異動になって、俺ともう一人は今の特別指令課に移り、スズランはいなくなった」


 吐き出した白い息が空中で漂う。


「『改造人間黒猫のルグィン』の噂は耳に入っているだろうし、もう家族には会いに行けないし、どこにも居場所はない。 別れを惜しんで送り出してくれたのにな」


 黒い髪の隣の少年は消え入るような声で言うと、口を閉ざした。


「――でも、昔に別れたあなたのことは、きっと気にしているはずだよ、どんな噂がたっても」


 言いすがるナナセは、自分に重ね合わせていることにも気がついていた。ナナセはカイに誇られる王女で居たいからここまで来ることができたのだ。

――これはただの祈りだ。


「そうだと、いい」


 ルグィンが大きく息を吐いた。


「いつか会えるといいね。 妹さんが元気になったところ、見られたらいいね」


 どういう顔で、どうすればいいのか分からなかった。泣き笑いのナナセに、数秒の間隔のあとルグィンは静かに頷いた。


「ああ」

「それにね、」


 これもナナセの祈りだ。ルグィンの手を取って話し始める自分でもよくよくわかった。


 ──助けられたからだとか、損得でははかれないこの気持ちはなんと言えば伝わるのだろう。


「ルグィンが幸せでいてほしいと、あたしは願ってるよ」


 うまく笑えているだろうか。表情の抜けた大きな金色の瞳を覗きこむ。


「あたしも昔の場所はいられなくなったけど、今はいたい場所ができたの。 ……居場所はここに、あるよ」


 スズランとルグィンと過ごす時間は思いの外居心地が良かった。見上げたルグィンが動かないから、思考の外に放り出した恥ずかしさが帰って来てしまう。自分から他人の手を握る体験なんてしたことがなかった。恥ずかしさに負けてはくはくしていると、ルグィンの瞳が言葉を探して彷徨っている。


 ルグィンがそっとナナセの手を握り直した。振りほどかれるのかと少しだけ強張ったナナセの手は、握られてすぐに緊張を解いた。


「ありがと」


「うん」


 良かったと思うのに、ルグィンの声もナナセの声も掠れていた。

 それきり言葉は継げないけれど、冷たい冬の夜風が身を切るけれど、そんな寒さなんか気にならない。ナナセはこの時間が堪らなく惜しいと思った。


   ***


 ――目を開けると知らない世界だった。


 ここはどこだろうと、ナナセはあたりを見回したがこんな真っ白な世界に見覚えがなかった。


 寝るときにアズキの母が貸してくれた白いワンピースそのまま、知らない世界に連れてこられたようだ。透けるような自分の手に、夢の領域だと見当をつけた。ただ、同じ世界に見覚えのある茶色い髪が見えて、そんな余裕はどこかに飛んでいった。ふわふわと現実味のない地面に足をとられる。


「……ナナセ」


 彼女の名前を呼ぶ前にアズキがこちらに気がついて後ずさった。はっとしたアズキが顔を歪めた。左目は不自然に前髪で隠れていた。ナナセは声を失った。


 ──昔、ちょうどとうさんがしていたような。


「アズキ、その目……」


 アズキは、ゆっくりと左手で前髪を掻き上げた。明るい茶色の目は、深いルビーに似た色に変色していた。


「ナナセとおんなじだね」

「……そうだね」


 ──あたしと同じ、色違いだね。


 右と左の色違い、とアズキが気まずそうに笑う。

 

 アズキにナナセはそれを明かしたことはあっただろうか。言ってもいないことを、悟られている。血の気が失せた。

 その色は、魔術師が最も嫌う禁忌の色だ。人の力を超えるもの。ナナセは血のように赤い瞳、遠い昔に見たことがあった。

 あれは確か王城の神殿だった。


 聞きたいことが山のようにある。今聞いたところで得られる答えはないだろう。

 

 ナナセは精一杯笑った。こんな夢の中で、会えるとは思ってなかった。嬉しいことは本当だ。


「アズキたちは、今どこに?」

「きっと私、メノウにいるよ。」


 前髪を整えながらアズキは答えた。メノウはルグィンが見当を立てていた街だ。


「助けに、行くよ」


 ナナセは手を伸ばせば触れられるほどまで距離を詰めた。少し、アズキに触れるのを躊躇った。それを悟られたのかアズキがナナセの手を取った。


「嬉しい、けど怪我しないでね、無理しないでね」


 あたたかい手が夢であることが惜しかった。


「恨んで、いないの? あたしがあなたを巻き込んだのよ?」


 喉が渇く。アズキがゆるゆると首を振った。


「でも、ナナセは私のことを放っておかなかったと、おばあちゃんから聞いたもの」


 できたことはそこまでだったのだ。罵倒されないことはこんなにも後ろめたいことだとは知らなかった。反論するより先にアズキが肩をすくめて自嘲気味に笑った。


「戦うことも逃げることもできなくて、足枷になってる今の私が嫌なだけ。

 時が悪かっただけ。 ね、私たち友達でしょう?」


 なんの力か視界が狭まってきた。白い光に包まれて、視覚も聴覚も役に立たなくなる中で、呼ばれた名がひどく温かくて、涙が滲んだ。


「アズキも! 無事でいて!」


 ナナセが必死で叫んだ声に、霞んでいく視界の中で見慣れたあの笑顔が見えた気がした。


 水面に顔を出すようにぷか、と眠りが醒めた。目を擦ると濡れた頬に気が付いた。


「……夢」


 ぼんやりと聞こえた自分の声にさっと血の気がひいた。魔力の縁を辿って、ナナセはアズキと夢を繋いだことがどんなことか知識でしか知らないが。

 ナナセは飛び起きて隣の部屋へと飛び込んだ。


「ルグィン!」

「はやいな」


 早朝だというのにもう隣の部屋の黒猫は服装もきちんとしていて、いかにも戦いに備える武人だった。


「おはよう。あのね、ルグィン、あたしさっき、アズキの夢を渡ってきた」


 端的に言い過ぎたらしい。魔術師ではないルグィンは首を傾げた。


「ゆめを?」


 事情を話すとルグィンは夢渡りを聞いたことがないと首を振った。


「スズランなら知っているかもしれないな。 あいつもよい魔術師だから」


 この国は魔術師が集まって出来た国というだけで、全員が魔術師ではない。ルグィンが知らなくても無理はないだろう。では、魔術を使えないアズキの両親が知らなくてもおかしくないだろう。


「――アズキの目が赤かった」

「それは……」


 さすがのルグィンもさっと表情を変えた。


「今からご両親に相談してくるね」


 そうしろ、とアズキを知らないルグィンが催促した。アズキを知らないルグィンでさえここにはもうアズキがいられなくなる事態だと悟っているのだ。これから説明する自分に気が重くなっていく。


「縁を切られたらうちに連れていけば良い。 ……俺の馴染みにもその目をした人間はいる」


 下階からはもう朝ご飯の匂いがした。今日の朝ごはんは長くなりそうだ。


 アズキの父親コルタは、ナナセがアズキの夢を見たと言っても困ったように笑った。


「……でもそれはただの夢だろう?」

「夢だけど、夢じゃないわ。 これは、夢渡りと言って……」


「そうだ、コルタ。 ただの夢じゃないのさ」


 よく知っている老婆の声がコルタの背後から聞こえた。


「……サラ婆」


 久しぶりだと砕けた口調で笑うくせに、サラがナナセに向けてする礼は王城でよく見たものだ。


「お母さん、それはどういうこと? 夢は夢じゃないの?」


 アズキの母エリは首を傾げる。


「その夢は一種の魔法さ。 アズキと王女の間には前にも起きたことがある。 魔術師はごく稀に他の魔術師と夢の中で話ができるのさ」


「そんな、ことが」


 エリもコルタも目をむいていた。自分の娘がいつの間にか魔術師になっているのだから無理もない。


「……サラ婆が封をしていたから」


 できる人はこの人しかいないだろう。薄い赤い瞳の、王城をよく知る人。この人もきっと、赤い瞳の魔術師だ。

 悪いことがばれた少女みたいだ。老女の薄い紅茶色の瞳の奥に赤がゆらめく。

 

 そんな気がしていた。ひとりでいたアズキはあんなに無防備でいられるわけがないのだ。それほどまでサラはアズキの才能を隠していたかったということだ。


 沈黙を破ったのはコルタだった。


「それで? どんな夢で、ふたりは?」

「トーヤのことはアズキはなにも言っていなかったわ。 だから、きっと大丈夫。

 ――アズキは、目が赤かったわ」


「赤い、目?」


 真っ青なエリが繰り返したその背後から、サラが程度を問うてきた。


「真っ赤。 サラ婆のより、もっと赤よ」


 いまいち両親には響いていない。どうしたものかとため息をついた。魔術師にとって赤は忌まれた色だ。そんなことを両親に告げることに気が引けた。サラのように誤魔化しが効くならまだ生きていける。アズキの色は、難しいだろう。


「赤い瞳は、魔術と違った異能の色じゃよ。 魔術師にとっては禁忌の色じゃな。 私の封印を解いたとなれば、今となっては封印ができない。 あの娘は……平凡に生きていけるとは思えないがね」


 なんともないように告げられたサラの言葉に両親が固まった。


「あたし、必ず二人を連れて帰ってきます。 ……だから」


 待っていて、捨てないでとは声に出すのは躊躇われた。


「……魔術師のその感覚は知らないけれど、どんな姿でもアズキは娘よ」


 エリが首を振った。

 よかった。アズキは家族に見捨てられたりはしないらしい。ナナセの安堵はもしかしてサラには見抜かれただろうか。少し、視線を感じた。


「でも、昨日も言ったように今のルイの国から追われることになるわ。 ふたりを少しの間だけ任せてもらえないかしら」


 彼女が頭を下げれば、頭上からエリの戸惑いが感じられた。


「どこに、いくの? なにをしにいくの」

「あたしの知り合いのところへ。信頼のおける人だから心配しないで。力の扱い方を教えてもらおうと思うの」


 ああそれは要るなと、サラが頷いた。


「……タチカワに世話になろうと思うの」

「タチカワとは……上流貴族じゃないか!」


 サラが目を丸くした。アズキの両親はついて呆気に取られてふたりのやりとりを見ていた。サラが王城関係者だと本当に知らなかったらしい。


「そう。だから心配しないで。 なんなら誓いをたてても、いいわ」


 普段は淡い空色の瞳がいつもよりぐんと濃くなる。それをサラは見て目を伏せた。


「そうか。もう間違えないから誓いは要らない。 必ずあの子を助けて欲しい」


 コルタとナナセは道は違えたが、今ならきっと大丈夫だ。ナナセは頷いた。


「もちろん。任せてください」


 魔術の勝負なら負けられない。ナナセは胸に手を当てて強気にコルタを見据えた。

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