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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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01.運命の歯車

 革靴で包まれた小さな足が、椅子と床の間でぷらぷらと揺れる。

「ロウ!おじい様の昔話はもういいわ!他の話をして。」

「しかしですね、お嬢様……」

 言葉を選ぼうとして台詞を区切った世話係の女は、むくれる小さな主人をどうするべきかと困り顔だ。

「しかしこの話はとても大事なんです、しょ?」

「はい、そうです。」

「でもだからって毎日聞かされるのはいやだと思わないの?ロウはおじい様のお話か、空から天使のお話ばっかりじゃない。」

 主人として振る舞うのは小さなの少女だった。仕立てのよい薄桃色のドレスの上に長い銀髪が流れる。銀色はルイ王の色だ。現王であるルイの息子のカイもその一人娘のナナセも、王家の証である長い銀髪を受け継いでいた。特に奔放な性格なナナセ王女は、城下でも城内でも有名だ。

「もうこんなとこやだ!」

 彼女は座っていた大きすぎる肘掛け椅子から飛び降り、窓に目を向けた。十歩程先にある窓が、小さな指先から迸る魔力によって勢い良く開いた。それを見て得意気に口角を上げ、窓へ向かって同時に走り出した。

「お嬢さま!?また飛び降りるのですか!!危ないです!おやめください!」

 世話係のロウが必死に止めるが、軽々とすり抜けて、銀髪を揺らし振り返る。その目が爛々と輝いていた。

「だいじょうぶっ!あたしはルイ・ナナセだよ。危ないわけないじゃない!」

 きらきらした目で自慢気に笑って、王女は地上10メートルはあるだろう城の最上階の窓縁を軽やかに蹴り、外へと飛び出した。



   ***



 教育係のロウは、だだ広い幼い主人の部屋に一人残された。けれどもため息をついただけで、慌てる様子はない。ロウは彼女がどこへ飛んだのか見当はついていたし、彼女の脱走癖にはもう半ば諦めの境地に達していた。第一、魔術師ではない彼女が王女を追うことは到底無理なことだった。

 今年30歳を迎えたロウは、ナナセを小さい頃から世話をしてきた、いわば母親代わりのような存在である。本当の母は──妃であるはずの彼女の母はもうここには居ない。

 今はもういない妃が頭を過って、珍しくロウは感傷に浸る。片付けながら、今はこの部屋にいないナナセを思う。

 あれほどに飛ぶことに魅せられている幼子はそう居ない。その上、まだ小さなその身に抱える魔力は大人の魔術師に勝ると聞けば、多少我儘でも周囲が甘やかす。彼女が大好きな父親も娘に甘く、賢い政治を敷く彼の弱点とも言えよう。

 多少なりとも継承権がある親戚達の中で最も幼い彼女が第一王位継承者に認められているのも、この将来有望な理由からだ。この一帯では男女差は王位継承権にはさほど関係が無い。むしろ一般的に男性より女性の方が魔術に長けている者が多い為、女性の方がこの国の継承権争いでは有利であった。

 未来の為政者として外を見るのは正しいかも知れないけれど、とまたため息をついた。

「あなたの魔力を欲しがっている奴らも少なくはないですのに。」

 ロウはそっと閉じ込めたこの思いを、いつか妃の話と共にナナセにすることを心に固く決めている。

 そのいつかは、ナナセが世界をしっかりと見据えてからだと思っている。世界を知ってから自分の立ち位置を見定めてほしい、と。けれど純粋な少女のままで、己の魔を楽しそうに使う王女であってほしいとも願っている。

 けれどもそれはまだ胸の中に秘めて、ロウは手を動かす。

「まったくお嬢さまは……脱がれた服は畳みなさいと言っているのに。」



   ***



 そんな心は露知らず、冷たい冬の空気の中に飛び込んだナナセは両手を広げて冷たい空気を感じていた。自分の住む小さな国が、とても大きく見えるこの瞬間が大好きだ。自分の背中に目には見えない翼があるように感じられて、ナナセは思わず笑った。

 落ちながら魔力をコントロールして速度を緩めた。

 下は城下町だ。窓から飛び降りたら決まってここに降り立つ。

 窓から飛び降りる日は決まっていない。下にいる町人たちは何も気付かずいつものような生活をしている。そんな時に子供が降ってきたのだ。当然、町の人は大慌てで煉瓦造りの道を開けた。落下速度に似合わない軽やかさで路地に着地する。

 少女を囲む街人の誰かが、ぽつりと呟いた。

「……ナナセ王女様?」

一瞬驚いた素振りを見せたが、町人にはいつものことのようで、それぞれが銀髪の小さな娘に笑顔を見せる。

「また来てくださったんですか!!」

 女の人が身を屈めて彼女と同じ目線で笑いかける。

「うん。みんなの邪魔してごめんなさい。」

「いやいや、そんなことありませんよ。王族は狙われやすいからと、と来られない方が沢山おられますから、貴女が来て下さってとても嬉しいです。ルイの王様と娘様は私たちの事を考えて下さっているんだって。」

 小さな子供に分かるように、温かく言ってきたのはひとりの老人だった。けれど歓迎はそれきりで、皆言葉を失い王女の背中に見惚れている。状況が掴めていないのは、ナナセただ一人。

「そう言ってくださる国民がいればこの国は大丈夫だな。」

 石に響く硬い靴の音に続いて聞こえた声は、ナナセが待ち望んでいたもの。人垣の奥の方から聞こえるそれに、王女の表情が弾けるように輝いた。

「とうさん!」

 割れた人垣から出てきたのは優しく笑う細身の男だった。後ろに従えた三人の護衛より幾らか豪奢な出で立ちは、王と言うにはあまりにもお粗末ではあるが静かに彼が主だと語っている。月明かりに似た銀灰の髪と眼を持つこの男こそが、民の敬愛する三代目国王である。

「国王様……お帰りなさいませ。」

 民衆の一人が恭しく頭を下げると、民衆はそれに倣う。

「ありがとう。ただいま。」

 にこりと、愛嬌のある笑顔を見せる敗戦国の王。敗けても尊厳を失わない、王族の証である銀髪が背中で揺れる。穏やかな顔立ちと落ち着いた振舞いは武人というより学者のそれに近い。

 王らしくない民と似た口調で語るのは、民に寄り添いたいという彼の志でもある。王になりたての頼りない幼い頃は馬鹿にされた、その口調を貶す人はもう少ない。

「とうさん、おかえり!」

 駆け寄り飛びついてきた娘を抱き抱えて、また穏やかに笑う。

「ただいま、ナナセ。」

 ナナセはこの低くあたたかい声が大好きだ。娘を抱えた王に金と黒の交じった髪色の執事が父に尋ねる。彼の名前はライだったか。

「王、城に帰るのが遅れますが大丈夫ですか?」

「あぁ。今日はこの後城を出る仕事は無かったから。私は書類を片付ければ済む。

 ──ナナセ、また城のてっぺんの窓から飛び降りてきたのか?」

「うん!」

 呆れて笑う父親と大袈裟なくらい頷く娘を、周囲は笑って見ている。

「危ないと言っているのに。危険をかえりみないところもお母さんにそっくりだな。」

 カイは笑う口元とは裏腹に、瞳に悲しみの色を映す。事情を知る民にも悲しみがよく伝わったようだが、誰もなにも言わない。カイはナナセを降ろして一緒に歩き出す。

「お母さん……?」

 その響きが懐かしくて、でも不思議で、そっと見上げた父の顔は夕陽が眩しくて朧気だった。

「そう。ナナセを生んでくれた人。お前が三歳の時に死んでしまったけれど……。」

「どうして……?」

 この答えはいつも返ってこないと、ナナセは分かっている。とうさんはいつもに悲しい瞳であたしを見つめるだけ。けれど、聞かないわけにはいかなくて。

 ナナセの髪は父譲りの銀色で、瞳は母と同じ空の色と皆が言う。けれど母が誰か、ナナセはまだ知らなかった。

 自分の母に何かがあったのはなんとなく感じている。街人はその話に全く触れない。父は母の姿を語らない。母について写真も何も与えられていないのだ。幼心に寂しさを覚えても不思議ではない。


 ──ねぇ。


 ──あたしのお母さんはどんな人だったの?



      ***



 月明かりと机に置いた魔法光で、カイは執務室で書類を片付ける。ペンを走らせる音と、紙の擦れる音が王一人の執務室に響く。

 夕食後に侍女が持ってきた紅茶に手を伸ばすが一瞬躊躇い、そっとカップを掴む。なんの変哲もない紅茶の水面を凝視したあと、片手に炎を宿し中身のそれを焼いてしまった。蒸発しなかった燃えかすは、紅茶の粉にあるまじき毒々しい緑色。カイには見覚えのある緑だった。

「致死毒か…。」

 病に見せかけて殺せる、高値の魔法薬だ。カイは前にも盛られたことがあった。息を吐いて、伸びをする。別段慌てることではない。王座についた十五の頃から、暗殺されかけたことなど数えきれない。

 窓から差し込む薄明かりに吸い寄せられるように、月が見える窓際へ椅子を寄せる。

 多分、給仕の若い侍女の仕業では無いだろう。きっとあいつだと、目星はついている。だが、周囲の信用が厚く、彼一人の判断ではどうにも出来ないのだ。殺されると分かっているのに、逃げられない。

「父様……。」

 王の鏡と謳われた、父様を、彼はほとんど知らななった。若くして殺された初代国王を息子は知らない。皆が誇る父を知らず、武勇伝に憧れて、それを目指して治めてきた。

 ──けれど、これでもう終わりかもしれない。

「娘を守りたいのです。もうあと少ししか無いのです……。」

 きっと、自分は毒に侵されていると何となく分かっていた。彼は魔術の探知は出来るが、純粋な毒は探知できない。半分ほどもう、自分を諦めかけていた。

 初代国王とその息子の繋ぎとして王位についた初代国王妃から受け継いだのは、数少ない物だった。彼女から受け継いだ国の宝を守り綱渡りのような政治を助けてきたのは、第六感と言うべき不思議な勘だった。

 彼は今また、この勘にすがる。

「どうすれば、死ぬ前に娘を助けられますか──?」

 答えは、無かった。



      ***



 数日が過ぎて、また城を抜け出そうかと画策し始めた頃。

 ナナセは今日の分の勉強も終えて、暇をもてあましていた。城の一人で歩くには広すぎる大理石の廊下を堅い靴の音を響かせながら歩く。

 今日もまた昼間に父に母のことを聞いたけれど、するりとかわされて、他愛もない話をして諦めて引き下がってきた。それが悔しくて廊下を一人で歩いていたが、通り過ぎた赤い木の板に金色の装飾のある扉から声が漏れてきた。

「──ナナセにあのことを教えないと──」

 父の声を瞬時に聞き分け、声に含まれる焦りも気付く。いつもと声のトーンが違うのだ。

 聞こえてきた自分の名に、靴の音をたてないように扉に近寄り、扉に耳をつける。

「しかし……まだ早いのでは?」

 この声は父の執事のライだと、ナナセはすぐに分かった。ナナセは自分の手伝いも、父の執事たちも覚えている。昨日の昼間見た従者の中にも彼はいた。

「言った方がいい!!」

「まだ早いです!!」

 カイの声が荒くなり、ライの制止もきつくなる。分厚い扉を声が通ってしまうほどに、声が大きくなり始める。

 主語も分からない扉の向こうの言い争いに、ナナセは耐えられなくなった。重い扉を音をたてて開けて、ナナセはその部屋に飛び込んだ。 カイはいつもの悲しそうな顔をしていた。 彼女の視線の先で、父カイと執事ライが机を挟んで言い争っていたが、彼女の乱入に当然中断する。

「ナナセ……。」

 父はいつも左目を銀髪を下ろして見えないようにしている。そのせいもあり不思議な雰囲気を醸し出している。穏やかな父しか見たことがなかったナナセにとって、右目しか見えない父がこんなに大きく瞳を見開いたところを見ることは八年間で初めてだった。

 数十秒の静寂の後にカイが立ち上がり、入り口に突っ立っているナナセに近付いていく。カイがナナセの目の前に手を差し出した。

「おいで。」

 カイはいつもの悲しそうな顔をしていた。ナナセは手を引かれ、執務室から連れ出された。

「とうさん……?」

 ナナセの声は不安と後悔が入り混じっていた。カイがナナセにだけ聞こえるように呟いた。

「昔話をしようか。」

 なにとなく部屋を振り返ったナナセは、ライの苦々しげな顔をほんの一瞬、閉じられる扉の隙間から見た。



   ***



 二人が出て行ったカイの執務室にはまだライが握った拳を隠して座っている。

 彼らが挟んでいた机に置かれた魔法光はぼんやりと部屋を照らし、明暗を際立たせている。明かりに向かい合う男の影は長い。

 机の上に置いてけぼりの国王のカップ。ライがそっと触れれば、紅茶の綺麗な色が一瞬暗く揺らいで、また戻る。

 それを眺めて彼はまた溜め息を落とす。嘘みたいに艶のある彼の髪は、魔法で出来た橙の明かりに照らされる。眩しさから逃れるように、ライは窓の外の夜闇に視線を移す。瞳の赤色は夜闇に沈み、金と黒の髪は月明かりを小さくはね返す。

 夜闇にもう溶け込んで見えない、フェルノール帝国とルイ王国を分かつ高い山脈を見つめて、ライは呟く。

「王よ……その時はもう差し迫っているようですよ。」


──もうすぐだ───



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