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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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16.狩人の獲物

 冬の日没は早く、逃したくない時はあっという間に過ぎ去る。

夜の闇に静まり返ったナナセの部屋には、廊下を走る音や外の動物の鳴き声が響く。

 少女がひとり真っ白なベッドで規則的な浅い呼吸を繰り返している。年相応の寝顔だった。

 ギィ、と音がして、静かに扉が開けられた。こんな静かな部屋にはその音がよく響く。扉の隙間から褐色の瞳がちらりと見えた。

「誰もいないぜ。」

「……あぁ。いくぞ。」

 狩人二人組が、闇に紛れて不安を持ち込んだ。明かりもつけないで、闇に慣れたサシガネとトキワがスタスタと歩く。

「おっ、居た居た…王女。」

 布団を被り少女が眠るベッドの目の前に立つ。サシガネがベルトに隠し持っていたナイフを引き抜いた。

 月光に当てられた刃物が鈍い銀色を放つ。床に落ちた影が、二人の行動を見ている。少女の細い腕をえぐるように狙いを定め、ナイフを勢いよく突き刺した。柔らかい布団が裂かれ、羽毛が中から飛び出してふわりふわりと宙を舞う。雲隠れした月明かりに照らされて星のように光る羽毛が、この部屋に異質な雰囲気を醸し出す。

 違う、何かがおかしいと経験による直感が、狩人たちの胸に警鐘を鳴らした。

 刺さった布団の感触も、布団を突き破って服を破いた感触も、確かにあった。けれども銀髪の女の顔は、少しも苦痛に歪まない。

 不審に思ったサシガネが布団から刃物を引き抜けば、ナイフと共に離れていく腕を追うように白銀の王女の手が伸びてきた。羽毛が舞う空中で、サシガネの逞しい太い腕を細い手が強く掴む。サシガネは突然のことにその手を振り払うことのできず、反応が遅れた。

 息を潜めた狩人たちの目の前で、衣擦れと共に少女が身を起こした。暗闇に白いシーツがやけに映え、トキワは冷水を浴びたように思えた。直感が危機を感じてサシガネは手を振りほどこうとする。しかしサシガネの腕を強く掴んでいる強さにそれはかなわない。

 サシガネの腕を左手が掴んだまま、彼女はゆっくりと目を開けた。狩人が見たのは、月明かりに鈍く光る、沈んだ金の瞳だった。

「……残念でした。」

 白い銀髪の少女の薄い唇が闇の中で妖艶に言葉を紡いだのが、狩人たちにも見てとれた。白銀の彼女よりも些か低い声だった。夜の闇に包まれたこの部屋に光る銀と金に、サシガネは目を見開いた。

「スズラン、か。」

「どうかしら。」

 沈んだ金の瞳とその声が、彼女の証明だった。

 彼女は起き上がり際に、きりりとサシガネの腕を強く握り爪を立てた。一瞬顔を歪めたサシガネが笑った。

「爪に毒を仕込んだって、無駄だぜ。」

「ふぅん、残念。」

 やはり妖しく、偽の少女は笑った。

 トキワは刀の柄に片手を添えて、そんな彼女を睨み付けている。その視線に気付いていても、黒髪の彼を見下したようにちらりと見遣って、また金髪の狩人を見据えた。

「ナナセは居ないわよ。」

 銀の髪をした彼女がサシガネの腕を掴んだ片手を離し、冷ややかに告げた。

「簡単な訳有るかよ。」

 鼻で笑ったトキワが続けた。

「あいつは金になるからな。」

 ぞくりとする笑顔で続けたのはサシガネだった。その笑顔を見つめる栗色の瞳も闇の中で鋭く輝く。ざ、と風が吹いて雲が月を隠した。

「貴方たちには、渡さないわ。」

 少女は片手で腰に携えていた魔装銃を引き抜いた。魔力を込めた弾を打ち出す彼女の武器で真っ直ぐに狙うはサシガネの眉間。銃を持つ手も、彼女の表情も、命を奪う武器を持つことに迷う様子はない。そこにいるのは屋敷で主人ごっこをする女ではない。この世界の闇に住む異形だった。

 狙いを定め打ち出された弾丸は、真っ直ぐにサシガネに迫る。サシガネが難なくかわし、剣を引き抜いた。スズランが次の銃弾を撃ち出す。容赦ない発砲をふたりは避けて、また隙があれば襲いかかる。

 銃声独特の高い音と金属の澄んだ音が大きく響く。部屋には魔術がかかっており、外には響かない。ぐわん、と部屋に反響するその銃声が彼女にとっては酷く懐かしい。

 暗闇の中で打ち出される弾丸を難なく交わしてサシガネとトキワは未だ銀髪のスズランに迫る。スズランはひらりとかわす。ふわりと揺れた銀髪が、彼女の頭から滑り落ちた。

 魔装銃を構える金髪のスズランを視界に映して、サシガネはいつもいる黒猫がいないことに焦っていた。こちらは逃がすための囮かと、考えた。百億の首は、そうそうない。逃げられたなら都合が悪い。

 サシガネは部屋が見張っていたが、王女が出てきた気配は全くなかった。だがもしも姿をくらまされたら、サシガネたちは不利だった。

 サシガネは銃弾をかわしながら黒猫を探した。

「いた……!」

 サシガネの興奮は思わず声に出てしまう。静かに駆けてくる華奢な少年は、素手でサシガネの剣に立ち向かう。サシガネはもう一度構え直した。ルグィンを睨む瞳が鋭さを増す。

「お前は俺が倒す。勝って女神を手に入れなければな。」

 小さな声で、金髪の狩人は呟いた。それは独り言のようで、言い終えるや否や、サシガネは間合いを一瞬で詰めて剣を振りかぶった。ルグィンはその剣をひらりとかわして、後ろへ飛んで距離を置く。常人にとっての暗闇でも、ルグィンの目ははっきりと世界を映す。サシガネが掠りもしなかった剣を鞘に戻すところも、はっきりと見える。昔からルグィンが嫌っていたこの力は、彼が嫌っている戦いでのみ役に立つ。今なら、彼女のためなら、躊躇いなくこの場に立てる気がした。

 背筋をピンと伸ばしてまっすぐに狩人を見つめた。サシガネは普通の──ごく普通の狩人であるはずなのだが、相手の行動に敏感だった。音や空気ですぐに大きな剣を迷いなく振るう。

 少し離れた場所に闇に光る金をサシガネは睨み付ける。月明かりにも似たその光はゆるりと細まって、黒猫は闇に言葉を落とした。

「俺は殺されたり、しねえよ。」

 その声は戦いに慣れた、落ち着いた響きだった。自分の背中では二人が戦っているはずなのに、その音がどこか遠いとサシガネは感じる。

「それはあの王女の為、か。」

 戦いに集中し始めた自分の興奮を押し隠して、その声に怯まないで鼻で笑って返すサシガネも闇に慣れた狩人。

「そうだ。」

 彼の答えに、サシガネは腰に携えた剣の柄に手をかけた。ルグィンの瞳が鋭くなる。サシガネもルグィンも、近接攻撃を得意としている。

「本当に、そうか?」

 笑みを形作るサシガネの唇が、動いた。彼らは距離を置いたまま、構えを崩さず睨み合った。



   ***



 ルグィンを見つけると駆け出したサシガネをスズランは追おうとはせず、こちらへと刀を構えたままのトキワに銃口を向ける。

 銃越しの獅子の少女をまっすぐに捉えるトキワを、落ち着いた瞳で見据える。カチャン、と金属音がして彼女の魔装銃の充填が完了する。

 奥の部屋へと続く扉を背にして、彼女はゆっくりと口を開く。

「貴方には渡さない。」

 冷酷な、異形の瞳がトキワを射抜く。トキワは獅子を言葉なく見つめ返す。ルグィンとサシガネが戦う音が遠くで聞こえる。耳鳴りがしそうなくらいの苦しいほどの二人の間だけの静寂で、二人は構えを崩さずにお互いに出方を窺う。

 先に動いたのは、黒髪が闇に溶けたような、そんな狩人だった。

「それは、どうだろうね。」

 数秒前の少女の言葉に答えるようにトキワが呟いた。長い髪をなびかせた狩人は、刀を振り上げて彼女を討とうとスズランへ迫ってくる。

「させないわ!」

 決意を込めた獅子の少女の強い声が、やけに響いた。目の前でトキワが振り上げた刀を彼女は銃の引き金を引きながら横っ飛びに刀をかわす。なびいた長い栗色の髪が刀の餌食になって、はらりと宙を舞う。トキワの攻撃がさっきまでのようにこちらを傷付けず牽制するものではなく、対象を傷付けて、殺すものへと変わっている。

「その扉の奥にいるんだろう?──我らの国の王女様。」

 刀を振り上げながら、トキワが鼻で笑った。ナナセといた頃の優しい仮面はもう無い。答えながら引き金を引き続けるのは難しい。けれども答える余裕がないと思われるのも癪だった。

「そう、かも知れない……わね!」

 スズランが持っている近距離戦で役立ちそうな持ち物と言えば、小さな簡易ナイフくらい。刀の達人の前では役に立たないだろう。

 絶対に渡さないと、魔装銃を構え直す。

 救ってくれるかも知れないと思っていたから。この歪んだ国を──それからルグィンを、いつか助けてくれる気がして、いつのまにかそれを信じていた。

「貴方には、渡さない。」

 彼女が奥にいると丸分かりでも、スズランは扉の前を退く事は出来ない。この狩人の相手をしながら、扉をかばうのは難しいと分かっている。けれど獅子の少女は銃を構えて立ち塞がる。

 引き金を迷いなく引いた。高い銃声に間髪を入れずに同じ音を響かせた。獅子の少女は唇を固く結んで引き金を引き続ける。闇にくすんだ金髪が、銃の反動で肩の上で揺れる。

「前からナナセを狙っていたのは知っていたわよ……!」

 部屋に響く大きな銃声に掻き消されないように少し声を張り上げて獅子の彼女は怒鳴った。余裕のある顔で笑って、狩人は流石と一言溢して押し黙る。後ろへ飛んでスズランと距離を取り、腕を下ろしてカン、と刀を床に当てる。

 スズランの視界に映るトキワが、冷めていると今改めて感じた。闇の世界の住人、首狩りのトキワへと変貌を遂げていた。姿かたちは変わらずとも、纏う気が冷ややかで、闇に濡れる漆黒の瞳も、一瞬一瞬にもっと、冷めていく。

「悪いね、スズランさん。……死んで。」

 口を開いて真っ直ぐに彼女を見詰めたと思ったのは、ほんの一瞬。だん、と踏み込んだトキワがスズランに斬りかかった。

「あっ……!」

 獅子の少女は避ける間もなく、目の前を紅く染められた。戦い慣れた体が反射的に動いて辛うじて頭を割られることは避けた。けれど、避けきれなくて左肩から右腰までざっくりと斬られたと痛覚が教えている。ぱたぱた、と軽い音がして足元に血が散る。夜目が利くこの瞳に頼っても、彼は全く見えなかった。それくらいの一瞬の出来事だった。

 立とうと思うのに、スズランは少しも立っていられない。真っ直ぐに立って反撃したいのに、視界が歪む。

 獅子の少女は抵抗できずに床に崩れ落ちた。床に倒れた彼女にトキワは近寄り栗色の頭を固いブーツの爪先で小突く。

「とどめはささないぜ。ささない方が闇の商人の俺たちにとっちゃ屈辱だからさ。」

 朦朧とした彼女の意識の中で悔しさが閃いて、弾けた。自分の命の残量が、やけに今は生々しく感じられた。

「ま、この傷だ、ささなくてもすぐに死ねるよ。」

 そんな声を聞いたのを最後に、ぶつりと彼女の意識は闇に落ちた。

 足元に崩れて浅い息を吐いているスズランを見下ろして、トキワは扉へと向かう。扉に歩み寄るトキワをちらりと視界に捉えた黒猫は、焦りの色をさっと浮かばせた。サシガネと戦いながら、自分の胸に動揺が胸に染みるのが分かった。

「おっと、行かせねぇぞ。」

「俺を倒さなきゃ、王女様は守れないぜ?」

 目の前ではサシガネがまた剣を振り上げていて、それをかわして距離を置く。

「お前らの大事な王女様は俺らが頂くぜ?」

 トキワが部屋の扉を開ける姿を確認したサシガネは、余裕の表情で口を開く。焦りの色を露骨に浮かべるルグィンにサシガネはにやにやと下卑た笑いを浴びせる。それを見てルグィンは感情を沈めて、サシガネの視界から消え失せる。

 次の瞬間にサシガネの懐に現れた黒猫は、みぞおちに一発拳を埋めた。

「ぐっ!」

「油断は敵だと知ってるか?」

 一言溢すと倒れること彼を見ることなく、黒猫はトキワがたった今開け放った扉へと駆けた。

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