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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
16/25

15.紅茶に隠した彼女の心

 赤い絨毯の続く廊下を三人で並んで歩く途中で、スズランが静かに口を開いた。

「ねぇ、いつこの屋敷を出ていくの?」

 ナナセはスズランを真っ直ぐに見上げた。柔らかいのにどこか凛とした彼女の声が、人気のない静かな廊下に染み渡る。

「……明日の朝かな。急で、ごめんなさい。でも、これ以上長く居たら敵が増えるだけだと思うから。」

 いつの間に決意をしていたのか、真っ直ぐな迷いのない視線と共に答えがすぐに返ってきた。それでも申し訳なさそうに視線を逸らした彼女に、悲しくも切なくも見える作り笑顔でスズランが笑う。

「いいのよ、別に。気にしないで。……ルグィンも、出ていくのよね。」

 暗い雰囲気を崩そうとするように、金髪を揺らしながらスズランは隣の少年を見て笑った。

「何故知っている?」

「見ていたもの。あの庭での約束わ、ね。」

 なんでもないことのようにさらりと笑顔で答えた。その言葉に動揺を隠せず揺れる金色のルグィンの瞳。

「え、あの約束……?」

 唇を引き結んでなにも言わずにスズランを不服そうに睨む瞳は、ルグィンのものだ。その眼にスズランに微かに笑った。ずっと近くにいた彼女は、彼の怒った瞳が王女のもたらした変化だと知っている。スズランは未来を憂いながら小さく微笑んだ。

 ──彼の気持ちが、報われるといいのに。

 穏やかな願いと裏腹に、スズランは後をつけてくる二人分の足跡に耳をすませてもいた。微かな音が聞こえているのは異質な耳を持つ彼女らで、魔術を聴覚に発動していないナナセには全く聞こえないだろう。彼女はなにも気付かずにスズランの隣でルグィンと細々と喋っている。

 足音の主たちは、足音を潜める達人らしい。旅立ちの話は聞かれているだろうから、もう悟ったのだろう。

 ──彼女を確実に狙うなら、チャンスは今夜限りだと。


   ***


 歩き続けるとナナセの部屋の扉の前に着いた。隣でスズランはひとり、金と茶の混じった深みのある瞳を一層深めた。ちょっと先に入っていて、と言い残し去っていく彼女を怪訝な顔でナナセは見送る。

 彼女が廊下の曲がり角に消えると、二人は部屋に入りいつもの居場所に落ち着いた。ルグィンがナナセを見やれば、唇を引き結んで、うかない顔をしていたから。

「出発が急で、大丈夫か?」

 外を眺められる窓辺の椅子に腰かけたナナセは、言葉を紡げず振り返った。一度座った椅子から立ち上がり、黒猫がナナセに近寄っていく。その動作に視線を泳がせるナナセにため息をこぼした。

 エプロンスカートの裾を握りしめて俯いた彼女は、おもむろに口を開く。彼女の隣に来た黒猫は、黙って答えを待つ。

「大丈夫、慣れてるもの。急な出発はいつものこと。」

 褪せたような明るい瞳で笑うその笑顔に、彼女の言葉を鼻で笑ってひとつ零す。

「……強がりだな。」

「え。」

 いつも通りの低く温かい声音にナナセが顔を上げれば、声の主はガラス越しの曇り空を見ていた。

 さっきとは違う理由で唇を引き結んで、彼を見つめる。

「はじめて……。」

 銀髪の少女は無意識に口元に手を添えて、口ずさむように呟いた。その小声に気付いたのルグィンの視線と揺れるナナセの瞳が交錯する。静かな空気がふたりを包む。

 ──そんな言葉をあたしにくれる人なんて、はじめて。

 それがどうしてか胸が、喉がつっかえるように苦しくて。育ったのは強がらないと、気を張らないと心が持たない世界の中だった。頼りはいないから、一人で生きていくしかなかった。その『はじめて』は心に深く刻まれて、心に暖かい灯火と共に確かに残った。

「……強がりね、あたしは。」

 空色の瞳を伏せて答えた遅い遅い返事に、ナナセの頭に大きな手が乗った。微かな温もりをあたしの心に灯していく。その温かさに胸がいっぱいになって、目を閉じた。

 彼はいつも優しく心に触れてくる。きっと、嫌いじゃないから。アズキたちと同じように、好意を抱いてるから。

 心は、なくしたくない。まだ理性は警告を発している。けれど別れが辛くて、よく笑って、裏切りが苦しい自分がいいと、ナナセは思える。変わってゆく自分は、まだついていけないけれど嫌いではない。

 だから。──そう、だから。

「ありがとう。」

 泣くまいと精一杯に笑って、お礼を口にした。くしゃ、と銀が乱されて頭から彼の手が離れていく。

「スズラン。」

 顔を上げたルグィンがしかめっ面でライオンの少女の名を呼んだ。ナナセも扉を見れば、そこには彼女がいた。

「お帰りなさい。」

 ナナセは黒猫とは対照的な弾けるような笑みでスズランを迎えた。

「いつからいた?」

「さぁ?よく聞こえるなら、知っているでしょ?」

「あぁ。ちょうど今、音もなく入ってきたところを見つかったんだったか。」

 嫌味のようだけれどどこか柔らかな言い合いに、ナナセはふぅ、と安心しきったため息をつく。かちゃん、とスズランが机に置いたのはいつも三人でお茶を飲む三つのティーカップ。

 紅茶を淹れるわ、と立ち上がったスズラン。ナナセはいつものように手伝おうと付いていこうとすると、振り向いて手で制された。

「今日はいいわ。」

 驚くナナセに彼女は微笑む。

「準備しておいで。ルグィンがいたら出来ないこともあるでしょう?」

 こちらに捕まえておくわと最後はニヤリと笑った。ナナセはパッと頬に朱を散らして、裏切りから初めていつもみたくふわりと笑った。

「うん、ありがとう。」

 ナナセが笑って見上げたスズランが、作り物の冷たい笑顔で自分に笑いかけたように見えたのは、きっと気のせい。奥の部屋の端の目に付きにくいタンスを開けた。持ってきた服は数少ない、かさばらない使いなれたものばかり。特に紺青のスカートとブラウスは八年前から直しつつ使っている。小さな鞄にすべてが入り切る。いつも大事なものはわざと作らない。

 けれど、このタンスを一杯にしているのスズランがくれた衣装たちは、自分にとって大事なものに変わった気がする。置いていくのが勿体無いと、手が止まった。

 もうここには戻ってこないかもしれない。だけど、これは捨てないでおきたい。着飾る機会のほとんどない自分にはいらないものなのに、無性にそう思う。欲張っては、いけない。

「ねぇ、スズラン。」

 姉のように慕う人の名が口をついて出る。お湯を沸かしながらスズランは振り返る。

「あ、ドレス?」

「また、取りに来ちゃだめかな……。」

 スズランは少し目を丸くしてそして口元を緩めた。

「いいわよ、助けたあとに四人でおいで。」

 ありがとう、と感謝をして見納めのように目に焼き付けてから、引き出しを閉じて、鞄を閉める。

「ナナセ、出来た?」

「うん。」

 鞄を持ってテーブルへと駆け寄ると、スズランの瞳が丸く見開かれる。

「え?荷物それだけなの?」

「あ、うん。」

 鞄を床に置いて席についた彼女の目の前に、温かい紅茶のカップが差し出された。三人ともが座り、紅茶を口に含む。数分の静寂を破り、彼女が口を開いた。

「ねぇ、ふたりとも。今日の夜は、あたしの部屋には来ないでね。」

「は……?」

 ルグィンが呆けたように目の前の銀色の少女を見詰めた。スズランも予測していなかった答えで、彼女も言葉が返せなかった。

「だって、きっとサシガネさん達があたしを捕らえに来るでしょう?二人にこれ以上迷惑をかけられないもの。」

 透き通ったナナセの声がこの部屋にゆっくりと広がっていく。

「ナナセ……。」

 了承とも拒否ともとれない声は、スズランのものだ。伏せられて僅かに窺い知れるだけのスカイブルーの淡い瞳のその奥には、決意の滲む色がある。その色が、ぐらりと揺れた。

「あれ……?」

「おい、……ナナセ?」

 向かいに座った心配そうなルグィンの顔も、ぐにゃりと歪む。酷い睡魔が襲い、目を開けていられなくなる。

「……なに、これ……?」

 掠れた声で彼女が溢して、ずるずると椅子から滑り落ちる。必死の抵抗も虚しく、空色の光が閉ざされていく。突然の自身の変化に、回らない頭で彼女は思い至った。

 ──毒を、盛られた?

 スズランはここまでの光景を静観していた。まるでこうなることを知っていたかのように、机に肘をついて両手を口元で組み、ナナセの異変にも微動だにしない。慌てる黒猫に対して、何も言わないスズランに睡魔に負けつつナナセは気付いた。

「スズ……」

 ナナセとスズラン、ふたりの視線が絡み合う。意識に反して閉じていく目に必死に抵抗して、ナナセはぼやけた視界の中のスズランを見る。

「スズラ……ン……。」

 最後に彼女が視界に捉えたのは、獅子の少女の感情のない、冷たい瞳だった。

 崩れ落ちた華奢な少女を、少年が抱き止める。彼が何度名を呼んでも、彼女は目を開けない。頬も心なしか青白いような気がして、ルグィンは不安を掻き立てられる。もう意識を手放して、褐色の絨毯から離れない白くて華奢なナナセの手にルグィンが自分の手を重ねた。スズランが気を失った彼女に近付き、瞼を片手で優しく撫でた。

「騙して、ごめんね。」

 意識を失った王女に、金髪の彼女は呟きを落とした。床に崩れ落ちて、意識のない銀色の少女を抱き締めたままに、床に座る黒猫は金獅子の少女を見上げる。スズランの瞳は、思い詰めた色をしていた。

「何を……こいつの茶に何を入れた!?」

 怒りや、戸惑いや混乱した感情を、表に出さないようにと思うが、抑えられない。そんなルグィンの表情は、誰だって彼女を大事にしていることが簡単に見てとれる。

 金色の髪をふわりと揺らして、悲しいような表情で何もない床を見ながら、スズランは口を開いた。ヒヤリとするような、冷たい声で、彼女は溢す。

「ただの、薬よ。」

「ただの……私が作った、睡眠薬。」

 少しきつめのね、と妖しく笑い、カップの底に溶けないでたまった白いそれを見せた。毒薬ではないと知らされてルグィンの瞳に明らかな安堵の色が映った。そんな反応に今度は柔らかく、でもとても悲しそうにスズランが笑う。

「私はこの子を狙ったりは、しないわ。」


 憂いを秘めたナナセを優しく見つめるこの顔に、嘘がないと信じたいと、ルグィンは思った。

「なら……。」

 何故そんなものを紅茶に、と続きの言葉は最後まで言えず、スズランが上から言葉を被せる。

「ただ、守りたいだけ。私の勝手で、ナナセをあの二人と戦わせたくないだけ。」

 自分の勝手だって知っているわ、と小さく早口で付け加えた声はルグィンにも聞こえた。後悔の混じったやりきれない表情で、スズランはルグィンに視線を合わせる。珍しく感情を表に出してイライラしたように整えられた金髪を右手で乱す。

「……特にサシガネ。サシガネは、狡猾よ。ナナセは優しいもの、あの子は騙されるわ。騙されなくても、私たちより、傷付くわ。

 だからこんな……。」

 馬鹿なことしたわ、と零したのもルグィンには聞こえた。

「知らせなくてごめんね。」

 昼まで空は晴れていたのに、もう雲が沸き、今にも雨が降り出しそうだ。ちらりと見遣り、自身の心を巡った。

 真っ白で優しい腕の中の少女は、どう思うのだろうとルグィンは思った。

「俺たちに守られて、こいつは喜ぶか?きっと、俺たちと戦いたいと言うんじゃないか。」

 スズランは額に手を当てた。そんな怖いことは、彼女には出来ない。とうの昔に慣れた戦場へ赴くのは自分でありたかった。掠れた声は言葉になっていない。そして一度大きなため息を落として、黒猫の少年を見た。

「ナナセが起きたときに、謝るわ。勝手なことして、ごめんね。」

 いつも底抜けに明るく振る舞うライオンの少女は、この時ばかりは弱々しい。

 ルグィンは、抱き締めたままだった銀髪の少女を抱き抱えて立ち上がった。眠っているナナセをベッドへと寝かせる。甲斐甲斐しく彼女に布団をかけてやるこのいつも無愛想な少年を見て、スズランは口を開く。

「貴方はこの子を守りたくないの?」

 スズランが何の気なしにした問いに、ルグィンは瞬きをして固まる。

「俺は、別に。……こいつは、優しくて弱いけど、多分芯は強いから。強い信念がきっとあるから。それを、なくしてほしくはない。」

 ふい、とスズランから視線を外す。木目の美しい床に敷かれた絨毯から、白く輝く壁へと彼の視線は動き、定まらない。

「ただ守るだけじゃあいつを弱くするだけだろ。」

 いつも冷たい声音も、どこか優しい。ベッドの側に立ち、彼は指先で銀に触れた。

 自分にとって大切になった二人も、第三者から見たら、闇に染まった異形と犯罪者だ。彼らを捕らえようとするものが必ずいる。


 ──どうか、二人に何もないままでこの場所に帰ってきてくれますように。

 スズランは声なく願った。

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