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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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12.ゆめまぼろしと娘

 二人の男が足場を強く蹴って、ふたりへと向かってくる。ユリナとルグィンは動かない。待ち構えているように、足場に立ちこちらへ来る二人の男を見つめる。

 観衆であるまわりの男たちの声がやけに耳についた。

「ユリナ、いくぞ。」

 向かい側の二人との距離がだんだん縮まり、ルグィンがようやく呟いた。彼は武器も何も持たずに走り出す体勢を作る。その声に、銀色の彼女は手の中の杖を握りしめて小さく頷いた。

「うん、分かった。」

 その声を聞いて、ルグィンは駆け出した。一人の男が走りながら剣を握り直し、ルグィンに狙いを定める。もう一人は、走る方向を変えずにユリナのもとへと駆けていく。

 ルグィンがある程度離れると、やっと彼女も動き出した。杖を体の正面でくるりと回し、彼女は叫ぶ。

「我、願う!この地に炎の鬼神あらんことを!」

 ごう、という音と共にまわりに嵐が吹き荒れる。誰もが吹き荒れる風を耐える人々は、低いしわがれ声を聞いた。風の中心に立つ彼女は、木杖を持ち天井を見上げた。微かにその唇が動いている。男たちは少女が唱えた先から嵐の間に炎が生まれる様を見ていた。

 嵐の発生源である彼女は風とともに生まれた炎を従えて、涼しい顔でくるり、杖を回した。

 途端、彼女のまわりを炎が螺旋状に回りだす。橙より紅に近い赤の炎が彼女を包む。ユリナの微笑みは、熱いと思っている顔ではなかった。

 ルグィンは呆気にとられて彼女の行動を呆然と見ていた。濃い深紅の炎と、淡い青の彼女。ひどく不釣り合いな組み合わせめがけて、もう一度男が向かう。炎など見えていないように、彼女へと下卑た笑いを浮かべていた。

 ひときわ大きく跳び上がり剣を大きく振り上げて彼女の頭上を狙う彼の顔は『闘い』の表情ではなく、『殺し合い』の狂気にくらんだ表情だった。

 血の赤を見るために剣を握る、そんな男が自分に迫ってきても、彼女は少しも動かない。悲しそうに男を見ているだけだ。もう一人の相手をしているルグィンが名を呼ぶと同時に、彼女は杖を握り直し、早口に彼女は声を紡いだ。

「──レイ。」

 その瞬間、ユリナの目の前で大きな炎が花開く。ぶわり、赤く広がる炎の先の男を見据えたまま唇を引き結んだ。

 彼女のまわりを包むその炎にも構わず降り下ろされた男の刀は、ユリナへとは届かない。カン、と高い金属音がして男の刀が止まる。男が力任せに切ろうとするも、切ることができない。そのうち男は炎の熱さに耐えられなくなり、後ろへと跳び一度距離をとる。そして不意打ちの攻撃を警戒しつつ、敵に目を凝らした。

 ユリナの目の前、男が刀を降り下ろしたあたりには赤い炎の盾があった。男が刀を振り上げてから降り下ろすまでのほんのわずかな時間で出現させたもの。

 紅い炎がぐにゃりと形を崩して、新たな形を作っていく。細長く人の大きさよりも少しだけ大きな龍が出来上がった。鱗が深紅をしていて艶がある、そんな龍。炎から変化した龍の赤い鱗がてらてらと輝く。その龍が足場に立つユリナの隣へと並び、尻尾を上下に揺らす。その動きがなんとも誇らしげで、ユリナは我知らず笑う。手を触れれば火傷をしそうな赤色の鱗に躊躇いもなく手を伸ばした。小さく笑んで、鱗に触れる。

「──ソウレイ……。」

 黒猫の耳が拾ったのは、少女の優しげな声だった。呟くそれは龍の名らしい。

 ルグィンは拳を握り込んで、ユリナの行動を見守る。彼女は優しい瞳で杖を持たない方の手で龍のソウレイの鱗を撫でる。ソウレイは気持ち良さそうに瞳を閉じる。

「またお前か、娘。」

 しわがれた地響きのような声はさほど大きくないのに、低く響く不思議な声だ。

「うん、またあたしだよ、いつもごめんね……。」

 柔らかくソウレイの鱗に触れるユリナの視線は刀を持つ男に向けられた。呆然とユリナを見ていたルグィンはもう一人の男に背後を狙われ、また闘いに集中する。ルグィンの相手は長剣使いだった。刀が当たらないように足場を飛び回り、体術を繰り出す。

「いいさ。お前は魔力が高いから召喚されても楽に動けるからな。しかし、魔力は何処へ行った?使い果たしたか……ふむ。

 おぉ娘、敵はあいつか?」

 ソウレイが紅い瞳を男に向けた。

「そう、あの二人がそうよ。仲間は黒猫みたいなあの人だけ。

 殺しはしないわ。」

 どんな人でも殺さないというのがユリナの、ナナセの意思だった。龍の喉の奥でごうと炎の鳴る音がする。

「あぁ、それくらいは分かっておるぞ。会った時からそうであろうが。

 ほら、敵が来たぞ。」

 ユリナが顔を上げれば、男ががむしゃらに走ってくる姿が目に入った。男は魔法は使えないらしい。剣でねじ伏せることしか狙ってこない。

「娘。」

 分かっているとソウレイに目配せをしてユリナは目を閉じた。ふわり、と風もないのに彼女の銀髪が浮き上がる。

 目を閉じた途端に、ソウレイが男の前に飛び出した。飛び出した龍に驚きながら男が刀を振り下ろすが、刀を受け止めた鱗には傷ひとつつかず、ただ闘いに狂う男の刀などものともせずに跳ね返す。

 ソウレイが男に向かって、ふぅ、と炎の息を吹き掛けた。一瞬で炎が男を包み込む。視界が、自分が炎の赤色に染め上げられてしまった男は叫び声をあげる。

叫ぶ男を野次馬は見つめ、叫んで、闘いへの飢えを満たす。

 ユリナはソウレイに全て対処を任せているように見えるが、少しだけ詠唱で龍神を制御している。彼女の詠唱は普通の詠唱魔術師より優れており、ただの詠唱師では彼女には敵わない。

 詠唱で召喚する魔術の神たちは、魔術師の力量で使える力が限られていくもの。それは大抵の魔術師は自分が使いやすいようにと使える力を出来るだけ小さくして、自分の魔力が奪われないように使う。しかし、彼女の詠唱は魔術の神の使える力ができるだけ広がるように組まれている。ある程度は彼らに任せて、自分の魔力もある程度まで明け渡す。ユリナがいま詠唱魔術を選んだのは、自分がまだ瞬間的に魔術が使えないからだ。魔力はあれどまだ使えないなら、使ってもらえばいいと、ソウレイを喚んだ。

 何度もソウレイが男を炎で包むから、彼の悲鳴はなかなか止まらない。その声は断末魔のようで、原因を作ったのは自分だけれど、ユリナの眉間にしわが寄った。

 ユリナはソウレイにこちらの男を任せて、ルグィンを助けにいこうと彼のいる方を振り返る。ルグィンともう一人の男は、ユリナたちのように距離を置いての闘いではなかった。足場を飛び回っての闘いだった。ユリナはルグィンともう一人の男が互いに空中で、また足場で蹴り、蹴られてを繰り返しているのを見守る。

 ユリナがルグィンに加勢しても邪魔にしかならないだろう。あの闘い方では、ユリナは『ナナセ』の闘い方を強いられるだろう。それに、彼女は黒猫が強いと知っていた。だから心穏やかに見守ることができた。

 唐突に一人が足場に膝をついて、試合が終わった。野次馬の歓声が一際大きくなる。一人立っているのは、彼だ。

「そうか。この勝負ユリナとかいう女とクロネコの勝ちだな。」

「まぁ、そうだろうな。あの女、王女の影武者みたいだし。」

 そんな声が聞こえてユリナは内心ほっとする。ここでも強さは正義らしい。ルグィンとユリナが勝ったなら、そちらが正しいと流れてゆく。安心して緩んだ口元を、また引き締めて振り返る。

「ソウレイ、もういいよ。」

 龍の名を呼ぶと、不服そうに紅い龍が顔を上げた。

「なんじゃ、わしの出番は一人で終わりか。」

「ええ。今日は終わりよ。助けてくれてありがとう、ソウレイ。」

 そう優しくユリナは答えて、また呪文を紡ぎ出す。

「あぁ。娘、またわしを呼べよ。お前は一番わしが動きやすい魔術師なんじゃ。」

 ソウレイをもとの場所へと還す呪文を紡ぎながら、ユリナは分かっていると微笑んで頷いた。ソウレイは彼女が呪文をかけているせいで輪郭が薄く、もう半透明な体をしている。

 突然に龍がひとつ大きな口で吠えた。きらきら、と紅い粉がユリナに降りかかった。驚いて目を瞑ったユリナ以外が、その不思議な光を目にした。

「──わしの幻でそいつが狂わないといいがな。」

 ソウレイの声が普段と同じに戻ったことに、ユリナは目を開けた。先程までと同じ調子で笑って頷いた。

「えぇ、そうね。それじゃあ、また。」

 思い残すことがなくなったのか、一瞬でソウレイは消えた。龍神が消えたと同時に、ユリナと戦った男にまとわり付いていた炎も消えた。

 男は消えてもなおいくらか叫んでいたが、炎が消えたことに気がつき呆然とした。

「大丈夫?狂ってない?」

 男に近づいたユリナはあまり深く考えず尋ねた。

 足場にいるユリナが少し視線を下げれば野次馬に混じってサシガネとトキワが見えた。サシガネは大きく手を振っているし、トキワはこちらを見て小さく笑っている。その様子に少し笑ってしまう。

「どういう意味だ。」

 男がユリナを睨み上げる。終わったらしいルグィンの足音を聞きながら、ユリナは言葉を選んで答えた。

「私が呼んだソウレイは、炎の龍神であると同時に夢幻を司る龍神なの。」

 男の目が見開かれた。女魔術師に負けたことへの屈辱が、やっと現実になってくる。

「あの技は炎と夢幻を合体させた魔術。あなた、焼かれてないでしょう?

 だから、あなたは幻で……」

 呆然とした男の眼にきつい光が宿る。言いかけた彼女の目の前で刀が踊った。反射的に避けたが、男の刀が浅く、速く左頬を走った。痛みが驚きに遅れてやってくる。

「──いっ……。」

 瞑った左目の際から頬にかけて赤が走った。

「てめ……!」

 ルグィンは慌てて男の刀をもぎ取り意識を奪い、二度目の攻撃は避けられた。気が抜けていた。ユリナ自身が甘かった。

 ユリナを振り返ったルグィンが、何故か彼女を見て固まった。躊躇うように視線が揺らいだ。

「ルグィン?」

 男二人をちらと見たルグィンが、急にユリナの腕を引いた。

「きゃ、」

 野次馬から冷やかしが聞こえるが、今はそんなものに構っていられない。ぐら、と傾いだ身体は、ルグィンに受け止められた。何が起こったのか分からなくて驚くユリナの耳元に囁きが聞こえた。

「ユリナ、左目、今すぐ隠せ。頬を治すのと同時に、今すぐ。」

「う、うん。教えてくれてありがと……。」

 それだけ言われればユリナには分かった。今はユリナを演じるナナセの使う魔術の中で、姿を変える変化の魔術の次に解けやすいのが、この魔術だ。

 ユリナは紺色の魔法陣が浮き出た空色の瞳を閉じて、自身の瞳と頬に魔術をかける。

 ユリナにだけ伝える方法が分からなくて、ルグィンは抱き締めたのだろう。ただそれだけなのに、ユリナの、ナナセの心がひどく揺らいだ。

 人に触れることには、まだ慣れない。知らない気持ちばかり生まれる。

 いくらかしてもういいよと言うユリナが言うと、ルグィンはするりと彼女を放してやる。彼女の顔を覗き込んで、消えた左目の魔法陣に頷いた。

「さて、降りるか。」

「あ、うん。」

 ユリナは染まった頬を隠すように俯いた。あ、と声を漏らしてユリナがルグィンを振り返った。

「ちょっと待ってて。」

 動けなくなった男二人をユリナは魔術をかけてふわりと浮かせた。そして彼女が両手を下へと振れば、足場から床へと二人の体が優しく降ろされる。

 ルグィンが足場からひらりと飛び降りる。小さなかすり傷をいくらか作っていたが、彼はあまり怪我をしていない。一番怪我が少ないのは遠距離で戦ったユリナ自身ではあるのだが。

 ユリナは足場を降りて男たちを降ろした場所へ向かう。

「悪いな。」

 ルグィンと戦って動けないくらいが、意識のある男は一言ユリナに礼を述べた。

「大丈夫?」

「…あぁ。負けたんだ、これくらいは当然だ。」

 ユリナには血まみれでそう笑っている男が、少し自分と次元が違うと感じてしまう。薄寒くて、うまく笑えたか自信がなかった。

「ユリナちゃん、ルグィン、お疲れさま!」

 そんな不安を拭ってくれたのはサシガネの明るい声。

「うん。ありがとう。」

 その声に救われて、少し笑えた。サシガネとトキワが喋ると、不安が彼方に飛んでいく。

「しっかしユリナちゃんもルグィンも強いなー!」

「そうだな。二人とも慣れてるな。」

 わはは、と笑うサシガネと、珍しく微笑むトキワに、自然にユリナも笑えた。

「ユリナちゃん、やっぱり魔術師だな!あの龍はユリナちゃんの召喚獣?」

 サシガネの問いに、彼女は一瞬驚いた顔をして、口を開く。

「ううん、違うの。

 ソウレイは友達。……昔からの、ね。」

 笑った彼女の笑顔は、どこか影のある笑みだった。それ以上は彼女はなにを聞かれても小さく笑うだけで、答えはしなかった。



   ***



 それから早々と訓練室を後にして、二人でユリナの部屋へ続く廊下を歩く。

「今日はごめんね。」

「別に、いい。何かあれば闘う奴らだからお前が巻き込まれることは予想がついてた。」

 だからあの時お前を誘わなかったのに、とルグィンに小さくため息をつかれユリナは少し肩を落とした。けれどすぐユリナは顔をあげて、また俯いた。怪訝な目が、ユリナを見下ろしていた。その目に出会って、ユリナは思い切って声にした。

「助けてくれて、ありがとう。」

 改めてお礼を言うのはなんだか恥ずかしくて、両目をかたく瞑って頭を下げた。知らないうちに両手を握りこんでいた。いつのまにか立ち止まってさえいた。

 唇を引き結んで俯いていれば、頭に軽く手を乗せられる。くしゃ、と銀髪が彼の手に乱された。

「当然。」

 安心させてくれるぬくもりに被せるように、低くて優しい声で短い答えが返ってくる。どうしてかそれが嬉しくて、ユリナは思わず小さく笑った。

「ユリナ!」

 唐突に後ろから聞こえた自分の偽りの名に、ユリナは肩を跳ね上げて振り返った。そこにいたのは両手を震わせて仁王立ちする屋敷の主。

「あ、スズラン……。」

 獅子の少女の強い視線にユリナは目を逸らす。床が映るユリナの視界に、革のブーツが映る。

「心配したじゃない……!」

 その言葉と共に、スズランに抱き締められる。服を通して伝わる温度があたたかかった。きつく抱き締められているはずなのに、ひどく優しく感じる。

「私、訓練室の後ろから見てたのよ?

 ユリナはいつだって馬鹿ばかりする!

 朝だってそう!危ないじゃない!!」

「うん……。」

 わずかに震えた獅子の声にユリナはどうしていいか分からなくて、彼女の背中に躊躇いがちに手を回した。スズランが感傷的になっているのを見たのは初めてだと思う。

 彼らが心を傾けてくれるから、ユリナ──ナナセは自然と心を許してしまう。

 ──心を許してはいけないのに。

 ──別れが辛くなるだけなのに。

 ──裏切られたとき上手くいかないのは自分なのに。

 それでもナナセの本心が、ルグィンやスズランをどうしようもなく信頼し始めていると、彼女はもう気付いていた。正体を知ってなお、隣にいてくれる二人に心を開きかけている自分に、ナナセは戸惑っていた。これからどうすればいいのか分からなかった。

 ──突き放せばいいのか、このまま心を預けてしまうのか。

 心は人を信じたいと泣き叫ぶ。理性は人を許すなと警鐘を打つ。

 けれども定めきれていない今の世界が、あたたかくて気に入ってしまっていた。まだもう少しこの関係でいたいと、ナナセはどちらの心の声にも耳を塞いだ。心のざわめきを隠して、獅子を見上げて淡く笑う。

「ごめんね。心配してくれてありがとう。」

 これだけ心配したのにユリナが穏やかに笑うから、スズランはむちゃくちゃに抱き締めて、次は気を付けろと釘を差した。

 それさえまるではじめてみたいに嬉しげに笑うユリナに、スズランはあきれて笑った。



   ***



 ナナセの自室へ入って、スズランはナナセを振り返った。

「怪我は自分で治したのよね?」

「うん。どうして?」

 首をかしげたユリナに、訝しげな目でスズランが振り返った。

「どうしてって……貴女、訓練室で魔力使ったのに魔力増えていない?」

 スズランも腕の良い魔術師だ。魔力の増減くらいは分かる。しかしユリナも思うところがなくて、スズランの言葉に首をかしげていた。けれどしばらくしてふわりと笑って、ナナセは胸に片手を当てた。

「多分……ソウレイの贈り物だ。あたしの魔力を増やしてくれたのかな。」

 右手に柔らかく左手を添えて柔らかく瞳を伏せる。ナナセが思い返したのは別れ際のソウレイの咆哮。あんなことは滅多にしないから、きっとあれが彼の魔術だろう。

「あの龍そんなことできるのか?」

 わずかに目を見開いたルグィンに、俯き視線を逃がす彼女は微かに笑った。

「魔術師と龍のあいだで普通はそんなことはしないけれどね。ソウレイは初めて行った街の土地神様よ。昔からのあたしの知り合いだから、かな。

 ソウレイは私が一番共に闘いやすい炎の龍神だよ。」

 ふら、と窓の外を見たナナセは、見えた山のもっと北の、ソウレイがいる土地を見るように、遠くに視線を流していた。

「召喚以外にも会ったことがあるし、安心できるの。召喚するものを制御できないと術者が危ないものね。」

「危ないと言うなら……ナナセ。貴女のあの魔術式は危ないわよね。魔力を食われて身を滅ぼされるわよ。」

「うん、そうだね。」

 ふ、と笑いナナセはそれ以上語らない。

「それはどういうことだ。」

 隣で話に追い付いていない顔をするルグィンが尋ねた。ルグィンが口を挟むとは珍しい。

「詠唱で召喚する魔術の神々……召喚獣たちは、魔術師の力量で使える力が限られていくものなの。

 どうしてかって、自分の魔力が奪われ、神に食われないようにと命令に必要な魔力しか明け渡さないからね。」

「神に食われる?」

 魔術師ではないルグィンはあまり詳しくないらしい。スズランが答えようと口を開いた。

「自分より強い力を借りるから、渡した魔力を通じて、体を乗っ取られることもあるそうよ。」

「それで。」

「あの龍神があれだけ自由に動けるのだから、ナナセはその必要な魔力以外を明け渡して、自分の身を守ることをしていないと、私は見たんだけれど。」

 スズランの声にルグィンが僅かに身を固くする。ナナセはふたりに視線を受けて戸惑う。

「それは……」

「そう、危ないのよ。」

 ため息を落として肩を竦めたスズランを、ナナセは握り込んだ拳を隠して見上げた。

「ソウレイは絶対そんなことをしないよ。昔からの知り合いだもの。

 ほとんどソウレイに任せているけれど、少しだけ詠唱しているし。

 それに今のあたしでは、あの戦い方の他に誤魔化す方法が思い付かなかった。」

 武闘場での詠唱は龍神ソウレイができるだけ動きやすいようにと魔術の召喚式を組んでいた。身の内にあるまだ使い慣れない魔力を、使えるソウレイが使う。ナナセはまだ瞬間的に魔術が使えない。魔力はあれどまだ使えないなら、使ってもらえばいいと、ソウレイを喚んだ。

 直に会うことは幾らかの絆を意味する。その辺りのことは魔術師のスズランは理解してくれるだろう。

 少し暗い色を含み始めた表情と声色に、スズランもルグィンも二人とも曖昧に返事を返した。暗黙が包みかけた部屋の空気を変えたのはスズランだった。

「暗い話はここまでね。」

 ぱん、と鳴った手の音に現実世界に引き戻されたナナセは、ぱちりと目を見開きスズランを仰いだ。

「ナナセ、明日の昼間に外に出てみない?」

 スズランは子供のように笑った。


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