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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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11.武闘会と偽銀灰

 霧が深くおりた朝に、銀色の光がきらきらと舞う。屋敷の庭でたん、たん、と煉瓦を蹴る単調な靴音が静かな空気に響く。微かな日の光を浴びて輝く朝露の滴に、銀が映り込む。

 銀の源の少女は、少し浮いては地面に落ちて、浮いては落ちての繰り返しをしている。魔術師としての感覚を取り戻すには、まだ時間がかかりそうだ。

 彼女は国でも指折りの魔術量を持って産まれた人間である。しかし魔力を使い果たすと他の魔術師と同じように回復に時間がかかる。魔術を使えない時期があれば感覚が鈍るから使い果たすのは好まれない。端から見ればきっと笑われるだろうけれど、彼女は使い果たしたことを後悔していなかった。それでも使うタイミングが悪くて、そのためにアズキたちへ会いに向かうのが遅れてしまうことが悔しくて、彼女は焦ってもいた。

 特有の青い光に包まれた彼女は宙へと飛び上がる。足先に魔力をためて、一気に組み上げて放出する。あれだけ何の気なしにできていた飛行魔術が今はとても難しい。

 それでもぐらつきながら、ナナセは昨日より高く、大きな木の中ほどまで浮かぶ。

「やった……!」

 昨日まで出来なかったことをまた出来るようになったことに、自然と喜びの声が出た。喜色いっぱいに地面に降り立ち、もう一度と庭の木を見上げたとき、後ろから突然腕を掴まれた。

「きゃ!」

 誰か、なんて振り返らずにも分かるようになってきた。

「またお前は魔力使ったのかよ。」

 呆れ半分に呟いた黒猫に、ナナセはへらりと笑った。

 見つかってしまったら仕方がない。諦めたナナセは彼とともに歩いてスズランの屋敷へと戻る。重い玄関扉を開けながら、黒猫はちらりとナナセを睨んだ。

「どうして外に出ていた。危ないだろ。」

 ナナセがここへ来てから三週間近く経っていた。スズランの医療魔術のお陰もあり、浅い傷は完治した。まだ包帯は取れないが、割と自由が利くようになってきた。だからか、ルグィンとスズランの二人の目を盗んで彼女はこうして外へ出ることが増えた。気が気でないのはふたりの方で、狙われていないかとひやひやしている。どうやら彼女も人がいないのを見て出ているようだが、それでも危ないことには変わりないから。

「早くアズキ達の所へいきたいから。早く魔術を使えるようになりたいもの。」

 その心は譲れないらしい。ナナセは瞳に強い光を隠して廊下の先を見つめていた。

 その光に彼女の焦りが見えた彼は、目を伏せてため息をついた。

「じゃあ魔力がちゃんと戻るまで待てよ。今戻りかけらしいんだからさ。」

 声音は冷めていて言葉はつっけんどんだが、怒ってはいないようだ。ナナセがそっと見上げれば、ルグィンの表情がどこか和らいだ。

「うん。ごめんね。」

 彼の表情を見て、ナナセはふ、と微笑んで答える。そのナナセの小さな笑顔に、ルグィンの口元が綻んだ。

 彼らにしては優しい雰囲気に包まれている二人に、サシガネの声が邪魔をした。

「ユリナちゃーん!」

 呼ばれたのはナナセの仮名。顔をあげた彼女が見たのは、廊下の先から手を振るサシガネと相棒を追うトキワだった。ふたりに気付いたナナセは左手を上げて手を振り返す。

 他の首狩りであったなら銀色の少女に眩んでいただろうが、彼らは今のところ手を出す気はないようだった。スズランもそう諦めて、彼らとふたりが出会うことを許している。だから黒猫も彼らに出会うことに口を挟まない。

 サシガネが金髪をキラキラと輝かせて走ってきた。

「ユリナちゃん、おはよう。」

「おはようございます。」

 ルグィンは細く華奢だが、この二人は力も自慢の首狩りと言うだけあって、体型も大の男の体型だった。ルグィンが並んでさえがっちりとした印象を受けるサシガネ達がナナセの隣にいると彼らのアンバランスさが際立つ。

「黒猫も早いな。」

「悪いか。」

長い黒髪をさらりとかき上げるトキワに向かって短く返すルグィンが、少しだけナナセにはさっきまでの彼と違うように見えた。

「怪我は大丈夫か?」

火花が散りそうな睨み合いをしている二人は置いておいて、袖から見えた包帯にサシガネが心配そうに首をかしげた。首狩りの彼らも同じように怪我をしていたのだが、治りの早さはその時身体に残っていた魔力量の差だろうか。

 大丈夫ですと笑ったユリナはそういえば、と続けた。

「サシガネさん達はお仕事無いんですか?」

「いつも屋敷にいるように見えるって?やられたなぁ。」

 返す言葉をなくしたユリナの背中をバシバシ叩いて笑うと、サシガネは続けた。

「今はな、獲物を待ってるんだよ。」

「獲物、ですか。」

「そう。なかなか尻尾を現してくれなくてさー……。」

 証拠をはっきり落としてくれなくて、と笑う目は笑っていない。

「そうなんですか。」

 早く尻尾を出すと良いですね、とは視線が怖くて言えなかった。仕事の話になると鋭い視線と雰囲気をがらりと変えるサシガネに、三週間経ってもまだユリナは慣れない。

 いくらか歩いて、一際大きくて堅そうなひとつの扉を通り過ぎた。瞬間、サシガネがその扉を振り返った。

「お、訓練室じゃん!

 トキワ、寄っていくか?」

「お、いいな。」

 長い黒髪をひらりとなびかせてサシガネの隣へと立つと、思い出したように後ろにいるユリナとルグィンを振り返った。

「お前らも、来るか?」

 トキワが何気ない調子で言った言葉に、ふたりは戸惑った。ユリナはおどおどと視線を泳がせる。

「訓練室って……。」

「闘うところだ!」

 右拳を上げて、やたらと乗り気なのはサシガネだ。普段落ち着いているトキワも、サシガネの隣でいつになく晴れやかな顔だった。

「……という訳だ。」

 サシガネの一言を説明と言えるのかどうかは分からないが、トキワがそう締めくくる。

「本当に闘うの……?」

「本当に闘うけど……まぁ、一応殺しはしない。」

 ユリナの不安げな表情に、はは、とサシガネは笑う。その答えにはまだ満足はいかないらしく、ナナセは俯いた。

「そう……。」

「なあ、黒猫は行くだろう?」

 黒猫と呼ばれたのは、隣にいるルグィン。

「いや、俺はいい。……好きじゃないし。」

「それだけ強いんだから、闘いが嫌いなわけ無いだろー!」

 サシガネがルグィンの腕を掴み、扉の先へと引っ張って行く。

「え、ちょっと……。」

 彼のそんな抵抗もむなしく、トキワも彼を引きずって、楽しそうに重たそうな大きな扉を開ける。

「ほら行くぞ。」

 少し声を張り上げたサシガネの言葉が掻き消えるくらいに中からの音がユリナの耳にも聞こえてきた。ルグィンは嫌そうな顔で二人に連れられて扉の先へと消えていった。

「……あ、あれ……。」

 小さな呟きをこぼしたユリナは一人、彼らが消えた扉の先を見つめていた。伸ばしかけた手を下ろして、悩んだ。

「どうしよう……。」

 しばらく悩んだ後、ユリナは目の前の重く分厚い木の扉を押し開けた。

「失礼します……。」

 男たちの聖域と言える訓練室に入ってきた女の声に、視線が扉へ集まった。そして銀髪を見て、男たちが一瞬静まり返った。

 その部屋は武器を置いている武器庫のようだった。大小様々なたくさんの種類の武器がところせましと並んでいる。武器と同じくらいに多くの人たちがひとつの大きな部屋にごった返している。

 ユリナの視線の先にあるもうひとつの木製の扉を開けば、訓練室と言う名の武闘場があるのだろう。先に入っていった三人はもう先の部屋に進んだのか。ユリナもその部屋に行こうと思うが、そこが訓練室だと言うのならこの中で何か武器を持っているべきだと気付いた。

 そうしてひとりで思っていると、男たちの囁きがやけに耳についた。

「おい、あいつナナセなんじゃないのか?」

「賞金首だよな?」

 声を潜めて囁き合う群衆の言葉がユリナには聞こえた。ちくり、と胸を刺す言葉たち。突き刺さる鋭い視線を気にすることなく回りを見回す。見覚えのある──刃を向けられたことある顔がたくさんいた。

 今はユリナとして知らない振りをする。そして壁にかかっている武器の中でナナセ自身に使えそうなものを探した。身の丈に合う長い木の杖を見つけて、近くの男に尋ねた。

「これ、借りていってもいいですか?」

 すると男は無言で立てかけてあった黒い木の細い杖を片手で取り、彼女の目の前に突き出した。

「ありがとう。」

 無言で睨み見てくる男に内心怯えながらも、小さく笑んで目の前から走り去る。男たちに注目されながら、彼らの間をすり抜けて、杖を手にユリナはまたひときわ大きな扉を開いた。

 扉の軋んだ音と共に彼女を迎えたのは、一際大きな歓声と男たちの熱気、そして剣の交わる金属音。むせかえるような独特の雰囲気に呑まれ、彼女は入り口ではたと足を止めた。

「わ……。」

 叫び声が、狂うほどの熱気が、ただ純粋にユリナとしてここにいる彼女に声をあげさせた。ユリナは腕に抱いた黒い戦闘用の細い棒を無意識に握り締めた。

 中央にある複雑な造りの足場を飛び回っているのは四人。黒い長髪を首筋で束ねた背の高い男と、金色の短い髪の男、そして赤髪のがっしりした男と、黒と紺の混じった髪のどこか華奢な男。黒髪と金髪のふたりはトキワとサシガネだった。細い棒の組まれた比較的大きな足場の上でサシガネとトキワがふたりでタッグを組んでいる。二人対二人の四人で戦っているようだ。

 サシガネたちは足場なんかほとんど使わずに、他の二人を相手している。足場の棒から飛び上がっての空中戦。相手の二人組の男も、相当の手練のようだった。それぞれの持つ剣が、長槍が、絶え間なく打ち合われ、高い金属特有の音が広い部屋一杯に響く。

 相手側の二人組も、ナナセには見覚えがあった。彼らもまた有名な首狩りだ。

 ユリナは四人の闘いを部屋いっぱいの人混みの一番後ろから見ていた。

 男たちは熱狂し、野次を飛ばす。ユリナは耳が痛くなったが、ここから逃げようとはしない。青い光を称えた彼女の瞳は、彼らの行く末を見つめる。

 後ろから突然肩をぽん、と叩かれた。小さく警戒心を抱いて振り返ると、驚きを含んだ瞳の見慣れた少年がいた。

「……え、ルグィン?」

「ユリナ?大丈夫か、ここ武闘場だぞ?」

「うん、大丈夫。」

 微笑んだユリナは、本来のナナセの顔をしていた。優しく光る、彼女の淡い青くて澄んだ瞳。その瞳にこの場所へいることへの迷いはなかった。一瞬、ふたりは向かい合い見つめあった後、どちらからともなく視線を逸らしてサシガネたちのいる中央を見た。まだまだ闘いは終わらないように見えた。

 サシガネの剣を打ち合う楽しそうな表情。トキワのきらりと光る鋭い瞳。それは明らかに楽しんでいる表情だとユリナは感じた。

 長い長い闘いの後、ひときわ鋭い金属音のした後、大きな歓声がした。どうやら勝負がついたようだ。綺麗な黒い髪が立ち上がりざまにサラリとなびく。細い棒の組み上がった足場の上に立ち上がったトキワと、それに続いたサシガネとが男たちの拍手と喝采に包まれる。

 ぽかんと彼らを見ていると、彼らはほとんど傷のない顔を綻ばせてた。まるで勝ったことを自慢するように誇らしげに、彼らはユリナとルグィンに大きく手を振った。

 そして皆の視線はユリナとルグィンに集まる。男のひとりが銀髪の少女を指差した。

「おい、あれ……!!」

 銀色の女の存在に、この部屋もざわざわと男たちが騒がしくなる。そのざわめきに助け船を出すかのごとく、サシガネが偽名を大きな声で呼ぶ。

「ユリナッ、ルグィン!」

 大きく手を振って、笑顔でユリナも彼らたちに返す。彼女の空色に澄んだ瞳の輝きに、隣にいるルグィンは小さく口元を緩めた。いつも鋭く光る瞳も、今は柔らかく金色が包む。

「ユリナ、向こうへ行くか?」

 ルグィンが、サシガネとトキワのいる足場を指差す。

「行っていいの?」

 ユリナは隣にいるルグィンを見上げる。

「いいぜ、ほら。」

 とん、と肩を抱かれ、二人並んで歩みを進める。ユリナとルグィンが部屋の中央の足場まで向かう道のりにいた男たちはさっとわきへどいて、自然と道ができた。それはまるでどこかの高貴な人を迎え入れるようで、昔いつかのどこかで見た光景に、場所と人が違えどよく似ていた。

 あの頃の記憶と傷は、銀の少女の中で消えてはいない。歩きながらユリナが唇を引き結ぶ。ユリナの肩に置かれていたルグィンの手が、今度は頭の上に乗った。ぽん、と前髪を軽く叩いて、少年は前を向いたまま表情を変えずに小さく呟く。

「なにも考えなくていいから。」

 額に触れた指先に心強さを感じて、ユリナはまた前を見据える。歩くだけでたくさんの視線が注がれるが、ふたりは負けない。近付いてくる二人を見てサシガネが笑顔で言葉を投げる。

「ユリナと黒猫、見てた?俺ら、勝ったぜ。」

 彼らに負けてしまった首狩りの二人は足場へと残して、サシガネとトキワが足場から飛び降りてユリナとルグィンに歩み寄る。

「うん、見てたよ。

 お疲れ様です。二人とも凄く強いのね。」

 首狩りふたりにユリナがやわらかく笑いかけた。それぞれに近づいてなんでもない会話をしていると、足場の近くにいた男が話しかけてきた。

 彼もナナセには見覚えがある首狩りで、やはり屈強な男だった。

「そこの銀髪、お前はナナセじゃないのか?」

 ユリナとナナセは同一人物とは決して見破られたくない。またここでも、嘘に嘘を塗り固める。

「違う。」

 嘘を吐いてくれたのは、ルグィンだった。

「そうだぜ、こいつは違うぞ。な、トキワ。」

「あぁ。」

 それを固めてくれるのは、サシガネとトキワだった。

「ルイ・ユリナ。ナナセの再従兄弟よ。そっくりでしょう?」

 ──動揺なんか包み隠して、ユリナという架空の人物へとなりきれ。

 ユリナを演じて、ナナセは笑った。

「……確かに似ている。本当にナナセでないのか?」

 相棒らしきもう一人の男が話に入ってきた。

「そうだな。闘えばナナセかどうか分かるだろ。闘い方もあまりにも似すぎていればおかしいよな。似ていてもクセは違うだろうから。」

「おい、ユリナ。俺たち相手で足場で闘おうか。」

 しまった、と思った。

 闘い方などすぐには変えることができない。闘い方から、太刀筋から、得意な魔術から、ナナセだと分かってしまう。でも闘わないと怪しまれる。これだけたくさんの人に正体を明かしてしまえば、あたしは魔術で逃げることも難しい。

 だからユリナとして彼女は頷いた。

「分かった。いいわ。

 あたしはどうするの?」

淡い空色の瞳に、決意の色。

「二人組で闘おうか。組む相手、探してこいよ。」

 どん、と正面から肩を押された。ユリナはぐら、と重心を崩してよろめく。

「え……。」

 そんなこと理不尽だ、と思った。

 ──あたしと組んでくれる人なんかいない。

 どうしようかと悩み、彼女は瞳を伏せる。後ろにいるサシガネたちも、なにも言わない。首狩りだから、彼らに頼む気はなかった。

 こんな場所で人なんか信頼なんか出来ない。それなら、ひとりで闘うほうがいいと、ユリナは顔を上げた。

「……いい。あたし、」

 そう言いかけた時、背後から背中にぬくもりが触れた。

「俺が組む。」

 隣を見上げれば前にいる二人の男をまっすぐ見つめる横顔があった。

「ルグィ……?」

「俺が、こいつと組む。」

 真っ直ぐに男たちを見つめるその横顔を、ユリナはただただ見上げるだけ。視線の先の金色の瞳は、やけにきつい光を放つ。

「お前は?」

 男たちが、彼を探るような瞳で見る。帽子を深く被り直して口を開く。

「……シュン。」

 そう、一言だけ呟いて右手でユリナの左腕を引く。あ、と小さな声がユリナから零れた。

 ぐらり、とユリナはバランスを崩して、ユリナを引っ張った彼の右手で受け止められる。屈んだ彼の細くて長い髪が頬に当たり少しだけくすぐったい。

「──なんで俺を頼らない。」

 彼は彼女にぼそ、と耳元で小さな声を送る。顔を上げた少女は、苦しそうな表情を見せた。今にも泣き出しそうな瞳に、ルグィンはひやりとした。

「……わるい。」

「……頼って、いいの?」

 ルグィンは悟る。ユリナは、ナナセは、頼ることをほとんど知らないことを。彼も頼ることは苦手だが、ここまで孤独には生きていない。ルグィンは右手を彼女の頭に乗せてぶっきらぼうに言葉を紡ぐ。

「俺を信じられるなら、頼れよ。」

 ひどく真剣な金色に、ユリナは気圧されした。

「……俺がユリナごと守る、から。」

 ルグィンは瞳を合わせて、ユリナへ呟いた。ぐ、と堪えた空色の瞳を隠すように彼女の綺麗な銀髪を乱す。

「作戦会議は終わったのか?」

 首狩りの片方がにやにやと下卑た笑いを見せた。

「うん。待ってくれてありがとう。」

 彼女の曖昧さは薄れることなく、闘いの前でさえ穏やかに笑って答えた。

 少年と賞金首かも知れない少女の二人組と首狩りが闘うということで、まわりの野次馬たちは早く始まらないかとうずうずしていた。反対側に二人の男が上がると、いちだんと群衆のざわめきが大きくなった。

「四人、準備はいいか?」

 下から審判役が声をかけると、それぞれが合図を返す。

「READY──」

 それぞれが武器を構えた。

「──GO!」

 闘いが始まる。四つ、踵の音が鐘のように高く鳴り響いた。

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