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空色の瞳にキスを。  作者: 酒井架奈
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09.血の目醒め

 サシガネとトキワは用事があったのか途中の廊下のどこかの部屋に入っていった。スズラン曰く、『大事な商談』だそうだ。

 まだ痛みに慣れない体を動かして、台所を目指して歩く。廊下は相変わらずの絨毯が敷いてあって、この建物の豪華さを窺わせる。

 スズランがひとつの赤い扉の前で立ち止まった。扉を開けたスズランに続いて、中を覗きこんだナナセは驚いた。そこではたくさんの料理人達が忙しく働いている厨房だった。

「え?」

 場違いすぎる自分に、入り口で動けなくなった。

「びっくりした?」

 先を行くスズランが振り返って妖しい笑みを浮かべる。悪戯好きな子供のような光に、ナナセは気付いた。

 その振る舞いに、ナナセはとるべき距離を見失う。

「あ、……うん。」

「水の為に来たのではないでしょ?」

「そうよ。水ならどこにでもあるもの。なんならあの部屋にだってあったわ。」

「ひどいね、スズランさん。」

 きっと彼女は自分を気晴らしに連れてきてくれたのだ。こんな人に出会ったことがないから確証は無いけれどなんとなく、そんな気がした。

 彼女なりにおどけて見せたナナセにスズランは笑って近くの料理人に言いつけて水を持ってこさせた。部屋の端でわざわざ厨房に来てまで貰った水を頂く。二人は壁にもたれ掛かって、一息つく。

「嘘、吐かせたわね。」

 厨房の喧騒の中で落ちた呟きに、ナナセはきょとんと獅子を見上げた。まっすぐな青に、獅子は視線を逃がした。

「名前を偽らせてごめん。」

「……大丈夫。もう、慣れたから。」

 なんでもないように笑うのは、まだまだ下手だ。スズランが悲しい瞳で見ていることに、ナナセは気付かない振りをする。つとめて笑って、ご馳走さまと言った。

 廊下ではルグィンが壁にもたれて待っていた。出てきた二人に気付くと腕を組んだまま、伏せていた目をちょっと上げて見せた。そのままルグィンがじっとナナセを見た。ナナセはどうしてか視線に負けて俯いた。

 すぐに歩き始めたスズランを追う。いつしか彼が追い付いて、二人に挟まれて部屋へと歩く。右にスズラン、左にルグィン。ピンと張った二人の気配に、これはもしかして守られているのだろうかと、ふと気が付いた。それは久しくなかったこと。それに、三人という数はどうしたってあの二人を思い出してしまう。アズキの花みたいな優しい笑顔、トーヤのやけに詳しい噂話。

「ユリナ?」

 スズランに顔を覗き込まれてやっと我に返った。まだぼんやりと彼女はごめんと謝った。

「何か考えてたの?」

 明るい空色の瞳に影が差す。また悲しげに口元を歪めて笑った。

「うん……ちょっとね。」

 ──ちょっとだけ、ちょっとだけ、あの子達のことを。

 本当は痛くて仕方がない心を、押し留めて平気を装うと、ふたりはそれ以上尋ねてくることはしなかった。

 その後は、スズランにあまりその姿で出歩くなと釘を刺された。人が少なく、ナナセにも屋敷が初めてだった今日は特別らしい。出歩くときは、誰かをつけるか、変化の魔術を、とスズランが何度も言う。

 スズランの屋敷では様々な立場の人間が取引のために集まるらしく、例えば賞金首でも屋敷内では狙うことを掟によって禁止している。それでも危ないことには変わり無いからとスズランは念を押した。

 そして、目的の部屋へたどり着いた。スズランは慣れたように二人を招き入れて、扉を閉める。ナナセはその背中を見つめていた。

 ──言わなきゃ、

「……あ、」

 ナナセが溢した一声に、スズランが振り向いた。

「何?」

「ルグィン、あたしを助けてくれて……ありがとう。スズランさん、看病してくれてありがと……。」

 ルグィンのきつい金の光を称えた瞳が、スズランの見ているなかで少しだけ優しく見えた。スズランは縮こまるナナセに優しく笑った。

「どういたしまして。」

 ふぃっと視線を外し彼は呟く。

「別に。」

 暗い光のなかにナナセはかすかな光を見た気がした。なんだか泣きそうになって、上手く笑えなかった。

「それより、ルグィンは呼び捨てで、私はさん付けなの?」

 スズランは自分の言葉に本当に彼女の焦る姿が面白くて、普段あまり笑わないのについ笑ってしまう。繕わないでいる彼女の隣はこの短い時間だけでも居心地が良くて。

「私も呼び捨てで呼んでよ。年だってあんまり変わらないはずでしょう。貴女の名前もちゃんと呼ぶわ。」

 名前を呼ぶと約束しただけで顔を輝かせるナナセを見て、口元を緩めた。

 ──けれどこれとそれは別。

「さて。」

 スズランの魔力はキラキラとした黄金色にナナセには見えた。簡単だけど、魔術をかけた本人が解かないうちは扉が開かない仕組みの鍵の魔術だと分かった。 扉に鍵の魔術を紡いだスズランは、ナナセを振り返った。

「この家の一部屋一部屋には防音の魔術がかけてあるわ。なにを話そうと、叫ぼうと、届かない。

 話をしてくれないかしら。貴女はなにか、知っているでしょう?──ナナセ王女さま。」

「……うん。」

 こわごわ頷いた。いいよ、とナナセはベッドに腰を掛けて口を開く。

 ──うん、大丈夫。

 この二人なら大丈夫と、一人でもう一度頷いた。ナナセの瞳が淡いスカイブルーが、緊張から深いものへと変わる。震える喉で空気を吸い込み、そろそろと口を開いた。



「──あたしは、父を殺していません」


 そろそろと開かれた唇から落ちた声に、スズランが目を見開いて固まった。それは彼女が聞いてきたことと逆のことだろう。扉の前で座っていたルグィンは分かっていたようだ。彼にしては見開いた金色の瞳をしていたが、口元を緩めるとともにいつもの瞳へと戻し、また俯く。

 ナナセはたどたどしいながら、かいつまんで過去を辿った。父親のこと、執事の裏切り。手短に今へと繋がるを過去を選ぶのは、思ったよりも難しい。

 最後に語ったのは、勿論リョウオウの街のことだ。語る自分の、彼らへの好意を隠せなかった。話が現在に近づくにつれて、視界が歪む。ナナセは俯いて必死に歯を食いしばる。泣くな、と必死になるナナセを、スズランはそっと抱き締めた。

「貴女……頑張ったのね。」

 優しい温度に、余計後ろめたくて、涙がふきだして止まらない。無茶苦茶に拭うけれど、きりがなかった。

「アズキ……ごめんね、アズキ……。」

 ──届いて。

 ──自分だけ逃げてしまった、馬鹿なあたしのお詫びが、少しでいいから、届いて。



   ***



 まわりは一面の無の世界だった。

 近いのに遠くに見えるそんな距離に、アズキとナナセは見つめ合う。

「アズキごめん、ごめんねアズキ……。」

 俯きながら涙を零して、こちらをまともに見ることができないナナセは、アズキが見てきたハルカより幾分人間らしかった。

 酷く幻想的な銀髪と青の瞳は、最後の日に見た彼女そのままだった。けれどもいつも着ていた青いスカートと茶色のコートではなかった。ふわりと広がる淡い空色のワンピース姿。

 けれど、彼女のあちこちに白い包帯が見えた。腕や足から見える包帯は血が滲んでいる。

「ナナセ。こっちこそごめんね……、ごめんね。」

 私が両親に話して、と言ったからこんなことになったんだから、ナナセは悪くないのに、どうして泣くの。謝ることなんてなんにもないよと笑いたいのに、アズキは上手く笑えなかった。

 所詮これはただの夢だって、届くわけないって、心の奥でアズキは分かっていた。ナナセはリョウオウにはもういないのに。

 無意味だと知っていても、アズキは声を発し、笑みを浮かべた。本当の彼女に届くわけがないのに。夢だって、分かってるつもりだけど、自分の作り出したナナセを見て、本物に会いたくなった。

「アズキ……いつか、本当にいつか、会いに行くから。」

 幻の少女のそんな声が聞こえて、アズキは笑った。霞がかかってきた。足元の感覚がなくなる。くらりと暗転する世界にアズキは目を閉じた。




「──キ、……ズキ、アズキ、」


 もう一度目を開くと、目の前には心配そうな幼馴染みの顔。

「あ……トー、ヤ?」

「良かった、アズキ。目を覚ました……。一週間寝てたんだからな?」

 ほっと安堵したトーヤが、いつも通りで心がほぐれた。真っ先に投げかけた質問は、彼女のこと。

「ナナセは……?」

 起き上がると目に入った自分にかけられている布団の白さにびっくりした。なにも柄のない白いこれには、見覚えがあった。ここはきっと彼女が診療所として使っていた、自宅の近くの空き家。

「もう、出て行ったよ。

 アズキをそのまま置いて。」

「……そっか。」

 このときアズキはどうしてか、自分からナナセの匂いを感じた気がした。



 アズキが起きられるようになってから、二日後にサラがやって来た。人を外に追い出して、鍵の呪文をかけて、アズキの方を振り返る。

「おばあ……ちゃん?」

 ゆったりと歩いて来るサラの瞳は、薄い桃色だった。アズキの見慣れた金色ではない。

 アズキの常識が音を立てて崩れ落ちていく。

「あぁアズキ。お前にも魔力の扉が開いたね。」

 孫に笑いかけた笑顔はなんとも切なくて、悲しくて、アズキはどうして良いか分からなかった。意味なんて分からなくてアズキはぽつり、と同じ言葉を繰り返す。

「魔力の、扉?」

「そう、魔力が使えるようになったってことさ。」

 魔力が使えるということは、魔術師になれるということ。それは良い仕事につけること。アズキにとって、それは生活が安定する素敵な力である。それをどうしてサラが悲しいことのように言うのか分からなかった。

「今から言うことは、普通の人には知られてはいけないよ。あんたのお母さんも普通の人だからね。」

「……絶対、聞かなきゃいけない?」

 もはや普通の人ではなくなった、という意味で取れる祖母の言葉に、動揺した。先の見えない不安がちらついた。

「あぁ、聞かなければお前さんが危ない。

 聞いても危ない目には遭うかも知れないが、聞かないことに得はないぞ。──一度開いた魔力の扉は、戻りはしないから。」

 縁のなかったこと言葉ばかりが祖母によって連ねられる。サラは、もしかしてずっとその世界の住人──魔術師だったのだろうかという考えが頭をよぎる。

「ねぇおばあちゃん。

 その魔力の扉って、誰にでもあるの?例えばナナセにも、トーヤにも?」

「あるさ。トーヤの扉は開きにくいが。じゃがナナセ王女はもともと開いていたに近いはずであろうよ。

 王女は国一番の魔力の持ち主さ。元から扉が軽かったことと、生まれつきの魔力の大きさであの子はあれだけ強いのじゃろうな。

 ……扉は子供のうちが開きやすい。

大人になっても強い魔力を持つ者の隣にいることもまた、扉を開きやすくさせるんじゃよ。」

 ナナセの魔力に影響されて、扉が開きかけていたのだろうか。そこまで考えてそっとアズキは両手を重ねた。無意識に重ねられたそれは、祈りの形。

「……トーヤは開かないといいな。開いたらきっとナナセが悲しむ…。」

「あの王女のこと、よく分かっておるな。

 あんたが魔術を使えると知っただけであの子は悲しむだろうな。」

 サラが遠くを見つめるその横顔を、アズキはぼんやり見ていた。

「自分の影響を受けさせないように必死で離れていた気がしたからなぁ。」

 サラが遠くに視線を流した。同じ家にいて年の近い自分より彼女との関わりが少ないはずの目の前の人は、思っていたよりずっと、彼女の親友を知っていたのだ。

「さて。」

 アズキは無意識にごくりと、唾を飲み込む。サラの瞳の鋭さに、背筋が伸びる思いがした。

「私達──ソライは、未来予知に長けた魔術師の一族の末裔。この国にふたつある予知の一族のうちのひとつ。

 もっとも、血が薄い傍系にあたるからこんなところにいるんじゃが。」

 サラの言葉はアズキの想像を越えていた。そんな力がこの身に宿っているなんて、アズキはにわかに信じられない。

「予知?神官さんがするような、あれ?」

「もしお前が巧くその力を使えるなら、教会の神官など及びもしない。それよりもっと、稀少で、危ない力じゃよ。」

 アズキは白い布団の上に乗った己の手を見下ろした。別段変わった手ではない。

 サラのくすんだ金髪の奥にある薄い赤の真剣さに、アズキは理解を半分に先を促すしかなかった。

「予知能力以外にものの魔力が読めることは、この血筋の性質らしいのう。

 予知の一族で血が濃い他の……例えばウェンディ家なんかは魔力探知に長けておる。けれどソライのように過去視はできないはずだ。まぁ、ウェンディも最近は並外れた神官は出していないが。今の最高神官は一般人じゃったかの。」

 祖母の話に追い付けない。必死に頭を回転させても、聞きたいことが溢れてきて、頭が足りない。

「エリは私の夫に似て、その性質を受け継がなかった。血が薄いから、力が伝わらない幸せもあるのさ。

 ……けれど、お前は私の血を継いだ。」

 祖母の両手が孫の頬を包んだ。ふんわりとした温かさに、アズキは目を細めた。間近にある赤い瞳がなんだか泣いているみたいで、動けなかった。

「……やはり隠し通せないな。

 お前の魔力は私の何倍だ、……先視を司る赤い瞳はもう私よりも赤いじゃないか。

 しかもまだ醒め切っておらぬとは、なんとまあ、危ない娘だこと……。」

 サラの言葉の意味が半分も分からない。けれどアズキにも哀しみくらいは感じられる。

「ごめんおばあちゃん、意味が分からない、よ。」

「あぁ、ごめんよ。だが──予知の力は怖いものじゃ。

 アズキは未来が視えて嬉しいかも知れないが、いいことばかりではないからの。力が安定しないなら、世界の未来が全部見える。

 ……場合によっては、力に呑まれて術者の死を呼ぶ。それは良いことかね?」

 アズキが首を横に振ると、サラははそうだろう、と頷き続けた。

「未来を変える、そんな力を持つからといってむやみに人の未来を変えるのは素敵なことか?死ぬはずのものが生き延びたり、生きるはずだった者が消えたり、そうして秩序が消えることは。」

 人を救えるのはいいことなんじゃないか、と思うけれど、生きるはずの人が死んでしまうのは良くないことだとアズキは思う。

「珍しい力は、誰が欲しがる?誰が疎む?」

 そうか、という呟きは音にはしなかった。けれどもやっと、アズキにもこの世界が見えてきた。

「──国が欲しがる?

 国と、人に疎まれる?」

 呟き声に、サラは大きく頷いた。

「この力故に、私達は世界に流されてきた。未来を読ませたい民衆から逃れるように、そうしてルイの地にやって来たんじゃよ。」

 そんなお伽噺みたいな話が、自分の身の上だなんて思いもよらなかった少女は、サラの話に追い付けない。

 しばらくしてやっと状況を飲み込み始めたアズキに、サラはひどく静かな目を向けた。

「この事は誰にも言ってはならないよ。」

 どうしてだろうと、アズキが首をかしげた。するとサラは一度深いため息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。

「……世界を変える先視は、価値が高いのさ。言わなければ巻き込まれにくい。」

 そう瞳を伏せて言うサラの瞳は、見たことないほど暗かった。

「私、ナナセが出てくる夢を見たの。それは予知に関係あるの?」

 どうしてだかサラに今聞かなくてはいけないことがたくさんあるように思えて、なにかがアズキの心を逸らせている。

 内容を急かすサラにことの次第を話すと、彼女は笑った。

「あんた、夢を渡ったね。」

 嬉しいような、悲しいような笑顔だった。夢はただの夢じゃないよと笑うから、アズキは余計に分からなくなる。

「夢を……渡る?」

 夢なんて、迷信みたいなものだとばかり思っていたアズキの世界はまた変わっていく。

「そう。『夢渡り』をしたのさ。

 魔術師どうしは、夢でも会うことができるのさ。強い絆や信頼関係が夢を繋げるのじゃよ。

 その王女さまはアズキの考えた幻の王女じゃないさ。親父さんが言う王女とは違ったじゃろう?」

 父コルタは王女が自分を見捨てたと告げた。夢の彼女は自分に謝ってきた。本当のナナセはどっちと聞かれたら、アズキは夢の中の彼女を指すだろう。サラの言葉に後押しされても、けれども彼女を信じ切れなくて揺れて、揺れて、アズキは泣きそうだった。

「起きたときに王女の匂いがしなかったか?」

「……あ、……そうだ、優しい爽やかな匂いがしたの。水の匂いみたいな不思議な香り。私の間違いじゃないの?」

 揺らいだアズキの瞳。その反応に目を細めて、サラは口を開いた。

「あれがナナセ王女の魔力の残り香。魔術師それぞれ違う物だ。

 王女はここを去る前に、お前さんの傷口だけ黙って塞いでいったのさ。……お前が死なないように、とね。」

 魔力が見える私らには隠したって無駄だけど、と肩をすくめて笑うサラが、アズキの視界の中で歪む。

「ほんと……?」

 アズキの声は掠れていた。頬を涙が伝って、堪えられなかった。

 信じ切れなくてごめんねと、サラの腕の中でアズキは泣いた。もう一度信じることは、心に火が灯ったようだ。それとともに、溜め込んでいた暗い思いが堰を切って流れ落ちた。

 落ち着いたアズキに、サラは唐突に鏡を渡してきた。映ったアズキの瞳は、泣いたからでなく、瞳の色がサラより少し濃いだけの薄い赤。アズキは目の色が変わるなんて思ってもみなかった常識の転覆に絶句した。そんなアズキの瞼をサラの指が撫でた。ふんわりと黄色い光が視界の端に映り込む。

 もう一度覗き込むと、そこには見慣れた茶色い瞳があった。これは誰でも使える簡単な魔術だと、サラは笑った。

「これから覚えるといい。」

 そう言ってサラは他に一族しか使えないという魔術を、アズキにこれでもかと一気に教えた。サラが口にして教えていく呪文たちが、アズキは苦もなく覚えられた。呪文が色や意思を持っているように思えて、簡単に仲良くなれた。

 けれどそれは、自分のなかに底無し沼を見たのと同じこと。アズキの知らない『アズキ』に、怖くなった。

「──おばあちゃんは、こんな魔術、怖くないの?」

 サラは意外にも穏やかに、懐かしむみたいに笑っていた。

「怖いさ。自分の中に知らない世界が広がっているのは、怖いさ。

 けれども怯えていてはなにもならないじゃろう?」

 サラはなんでもないことみたいに笑っているけれど、なんでもなくなんかなかったはずだ。今みたいに笑えるまでに、自分の心と戦ってきたんだろうと、アズキは思えた。

「……おばあちゃんは、凄いなぁ。」

「アズキー?」

 トーヤの間の抜けた声が廊下から響いてきた。この声は、種明かしの終わりの合図らしかった。

「もう時間じゃな、」

 そう笑ってサラは軽く指先を振った。きらきらと金色が舞って、サラの瞳も茶色の瞳に元通り。魔法が解けたみたいだ。 すぐに扉が開いて、入ってきたのは勿論トーヤだ。

「アズキー、わ、サラ婆も!

 アズキ、先生が見てくれるって。俺呼んでくるから、じっとしててくれよ!」

 そんなこと言われなくても、彼女はまだ動く気にはならないのだが。嵐のようにいなくなったトーヤの慌ただしさは、アズキを現実へと引き戻してくれる。

「じゃあわたしは行くな。

 ──アズキ、呑まれるなよ。」

 ぽんぽん、とまた孫の頭を撫でて、サラは出ていく。なんだか名残惜しい心地がした。

 入れ違いに入ってきたのは、コルタと魔術医師の先生。道を偶然通りかかったこの金髪の先生は、驚くほど腕が良かった。二人で旅をしているようで、二人とも金髪の男の人。ひとりは魔術に、もうひとりは武術に長けているようだった。今はいない一人は、領主さまの屋敷で武道を披露しているとアズキは先生から聞いていた。

「アズキ、大丈夫か?」

「うん。大丈夫、ありがとう。」

 ずいぶんと心配してくるコルタに、困ったように笑い返した。先生のお陰で別になんてことないよとアズキが笑っても、やはりアズキに負い目を感じているようで態度が変わらない。

 アズキにとってはいつまでも父は父だから、今後のことも考えて友達に向けた刃を自分が受けたことで、もうとやかく言わないことにしていた。

「アズキさんのお父様。貴方はいつも答えてくださいませんが、アズキさんのこの傷はどうやったらこうなったのですか?」

 またお決まりの会話を始めた。彼らはここ数日こればかり。けれどもアズキは、この二人の前でナナセを信じてるとは絶対に言ってはいけないと感じていて、話すまいとして唇を引き結んだ。

「治療に関係するのです。」

 そう先生に言われたコルタは言わざるをえなくなり躊躇した。アズキが視線を送っているのにこっちを見ようとしなくて、先生の催促にとうとう口を割ってしまった。

「ある女に……アズキがそそのかされていて、俺はそいつを殺そうとした。そうしたら、アズキが庇うから俺が刺してしまった……。」

 明らかに気落ちしてしまったコルタに、変わらない様子で先生は問う。

「女とは誰なんですか?」

 そんな先生の声は、アズキの耳には遠く聞こえた。

「言わないと約束してくれるか?」

「はい。」

 表情を変えず即答した先生に、コルタも腹をくくった。その背後で、アズキが怯えた目をしていることなど、まわりが見えないコルタは知らない。

「ナナセ。ルイ・ナナセだ。」

「……へぇ。やっぱりか。

 コルタさん、娘さんに関する秘密を素性のわからない俺たちにそんな風に簡単に言ってはいけませんよ。」

 そのお陰でこちらは随分楽になりましたがね、なんて付け足した声には打ってかわって冷ややかで。

「貴方は俺たちの職をご存知ですか?」

 馬鹿にしたように嘲笑ってコルタに尋ねるその人は、さっきまでにこやかに笑っていた『先生』。

「……魔法医術師では、ないのか。」

 見開かれたコルタの瞳は、こぼれ落ちそうだ。そんな愚かな男を、『先生』は鼻で笑う。

「──俺たちは……首狩りですよ。」

 瞬間、アズキの耳にあの夜のナナセの声が蘇る。


 ──首狩り。

 ナナセはなんと言っていたっけ。

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