琴に憑きたる女の霊の語(こと)
新境地開拓!と意気込み、今昔物語風に書いた短いお話です。
本当の今昔物語にはこんなお話はありませんです!ご了承くださいませ。
今昔、ある人の屋敷に、成仏できずにこの世に留まっている女の霊がとり憑いた琴があった。その琴の音、微妙にしてこの世の物とも思われず、世の人その類稀なる音色に魅了され、屋敷の外に牛車を止めて聞く者さえ出るという始末であった。
またその琴を奏でる者、やんごとなき筋の人にて、その容姿の美しさはこの世にあっては右に出る者はおらぬと云われていた。琴中将と呼ばれる風流人である。この琴中将、その屋敷に在る時には、夜毎、琴を奏でていた。
さて、その琴中将の琴の演奏に心を懸けた人がいた。その人はあまりに琴の音に焦がれたため、毎夜毎夜、中将の屋敷の前栽の中に隠れ入りて、琴の哀切なる音色に酔い痴れていた。月の出る夜はその月を愛でつつ、また蛍の飛び交う夜はその蛍に想いを馳せつつ、その人は琴の音を静かに聴き続けていたのであった。
だがある夜、とうとうこの人は屋敷の従者に見つかってしまった。しかし風流人の琴中将、
「それ程までこのわたくしの琴の音を好いて下さるのは嬉しきことです」
と、その人を屋敷に招き入れ、酒を振る舞いながら一曲奏して見せるという趣向を凝らすなど、さすがと言えるような風流ぶりであった。それから一晩中、二人は琴についての物語らいを交わしつ、酒盃を交わしつ、遊びに明け暮れたという。
次の日、琴中将はふと
「あれはどなただったのだろう」
と思い起こした。琴についての打語らいに花を咲かせ、それに夢中になっていたせいか名を聞きそびれたのである。召し物などを見る限りでは貴き筋のお方と見えるが、どこのどなたかわからない。中将は不思議に思いつつ、あの人がまた来るやも知れぬと考えてその夜も琴を奏でた。
果たして、中将の思った通りにその人はやってきた。このもしい顔立ちに優雅なる物腰は、やはり並み一通りのお方ではなかろうと思い、昨晩と同じように酒を交わしながら、中将はその人に、
「あなた様はいずれのお屋敷のお方でしょうか」
「よくぞ聴いて下さいました」とて恭しく頭を下げ、「わたくしは先の左大臣の子、某でございます。実はその琴にとり憑きたる女は、かつてわたくしが心を懸けた者でして、流行病で若くして亡くなり、未練を残してこの世に留まっておるので御座います」
と、その人は涙を禁じ得ず、さめざめと月の光と見紛うような涙を流した。哀れに感じた琴中将、共に袖を濡らし、その人の涙さえもまるで玉のようで世の人の物の如きではないと思った。
「その女の琴の音はさながら天女の声かと聞こえ、哀れなる趣の曲は最早この世の物とも思われません。わたくしも何度となく聴いて参りましたが、失礼ながら、あなた様の演奏にもひけをとらぬものと存じます。ところで、その琴はいずこで手になされたのですか」
と訊ねるので、琴中将、
「実は昔、これこれのお屋敷である方が亡くなられ、わたくしがよく琴を奏でると知ったご両親が、わたくしに賜った代物で御座います。しかしその時にはあなた様の想い人が憑いておられるとは知りませんでした」
と答えた。その人はいよいよ悲しみにくれて、口を袖で隠して涙を零し、
「その亡くなった人というのが、わたくしの心懸けた女で御座います」
琴中将この事に驚きて、琴にとり憑いた女の霊を祓わずにおいた事は、きっと御神仏の御心であったのだと思い、その人にこの琴を弾くようにすすめた。その人これを嬉しく思い、琴に寄りて、優しい手付きにて幾度も幾度も弦を弾いた。その音色哀切にして麗しく、琴中将は「何と雅やかな音色であろう、これはこの世の音ではあるまい。女がこの方に憑いて、このような演奏をさせているのだ」と思い、あまりのことにさめざめと涙を流した。
その晩以来、その人は琴中将の許へやってこなくなり、女の霊も消えたという。
琴中将それを悲しみ、宮中にて知人に、
「先の左大臣殿のご子息は、今はどのようにして暮らしていらっしゃるのか」
と問うと、皆それを怪しみ、口々に何か囁き合っているのであった。琴中将の友人である大将の君は、酷く困惑した様子で、
「その方ならば、少し前に亡くなられたが」
と教えた。琴中将は非常に驚き、「ああ、あの方は既にこの世の者ではなかったのか。この世に留まっていた女を迎えにやってきたのだろう」と思い、ますます憐れに感じてその話を皆に語ったということである。
死してなお女を想って現れたその人の心、まことに立派であるので、このように語り伝えるのである。
もしこんな逸話があったら、今昔物語の作者はどんな風に書くかなぁと想像しながら書きました。
今昔物語はとても面白いです。おすすめです♪