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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

一途に愛した

作者: れんじょう

かなり暗めのお話です。

そして主人公最低最悪です。

出産描写、死亡シーン、葬儀シーンあります。苦手の方は回避してください。


 それはよくある話だった。

 クリウス・ラドル・アーネストにはどれほど愛していても手に届かない女がいた。

 その女は射干玉の髪に碧玉のごとく煌めく瞳を持ち、立ち姿は大輪の花にも例えられるほどだった。

 その艶やかな容姿とは対照的に酷く幼く無垢な性格は、アーネストの庇護欲をそそる。

 そして劣情も。

 手に届くのであればアーネストは何としても傍らにと望んだであろう。

 ところが運命は残酷だ。

 彼女には婚約者がいる。

 それだけなら奪えばいい。

 だが、その婚約者はアーネストの良く知る人間―――――つまりは尊敬すべき兄だ。

 兄は将来家督を継ぐべき長であり、その兄の婚約者の女に懸想をしても許されるものでは決してない。

 幼い性格である女が兄の横に立つべく確約を得られたのは、ひとえに女の血筋だった。

 王族に連なる女は、それだけで価値がある。

 兄は女にそれ以外のなにも求めてはいなかったが、女は兄を愛していた。

 それも全身全霊で。

 幼いゆえの献身的な愛で。

 アーネストは兄から決して振り向いてはもらえない女の慰め役をかっていた。

 邪まな思いは募る。

 だがそれと相反する理性もある。


 早くけりをつけなければ。


 己の劣情を市井の嬌声とともに吐き出しては屋敷にかえる日々。

 父や兄に見咎められ、その生活を改めるようにと勝手な婚約を取り付けられたのは、兄が女と結婚したすぐ後のこと。


 紹介された祝いの席で、兄の横には義姉となった女が座る。

 妻となった喜びに震え、艶やかに咲く一輪の花。

 兄に感慨深さなど一片も見えない。

 それでも女はただ兄を見続けて、その頬を染め上げる。

 アーネストの横には婚約者となった女が座る。 

 どこにでもいる女。

 義姉の母方の従妹である女は王族には連ならず、ただ、容姿だけは目の前の義姉とよく似ている、味も素っ気もない、義姉では決してない女。

 アーネストは一瞥して捨てた。

 そして兄と添う義姉の美しさに目と心を奪われていた。

 横でそれを情景とともに見ている婚約者には気付かずに。



 婚約者の名前はクラリス・パリス・フィーカという。

 年のころは十七歳。

 従姉と同じ射干玉色の髪を持ち、瞳は碧玉のごとく煌めいている。

 同じ色を持ちながら、従姉は艶やかであり、フィーカは楚々として儚げだ。

 その儚げな雰囲気そのままの体躯は細く、少しでも触れば折れそうなほどだ。

 アーネストはそれが気に入らなかった。


 父親と兄がアーネストに用意したのは兄の妻である女と似た女だった。

 それはアーネストの劣情を二人が認知していたせいでもあり、王族ではないものの王族と親族である女を次男の妻にすることにより、より強固な繋がりを得ようとする打算からでもあった。

 アーネストは嗤う。

 父や兄のあからさまな欲に。

 そしてそれを受け入れることで義姉を手に入れた幻影を得ようとする自分を。

 フィーカの思慮深い性格は、そのまま表情に表れる。

 同じ容姿を持つというのに、フィーカはまるで兄の妻の出来の悪い複製品のように無表情だ。

 それでも横に並ばれた時、アーネストを見上げて微笑むフィーカに何か感じないものがないわけでもない。

 口元が自然に上がると、フィーカはまるで小花を散らしたように笑みを深める。

 ――――――――違う。

 義姉であれば、兄に微笑みかけられたらぽってりとした唇を薄く開けて無意識に艶を増すだろう。

 アーネストは義姉とフィーカの違いを憤る。

 フィーカの柔らかな頬に添えた手を乱暴に振り払うと、そのまま折れそうな腰を掴んで引き寄せる。

 無理やりな口づけを。

 乱暴で遠慮のない口づけを、可憐で従順なフィーカに落とす。

 怒りのはけ口を憤りの元凶であるフィーカへと戻す。

 するとどうだ、楚々としたフィーカの瞳が煙り、艶やかに咲く花のようになるではないか。

 まるで従姉そっくりの姿で。

 アーネストは己の劣情のはけ口を見出した。  


 同じ屋敷に住む義姉を見かけるたび、兄に与えられていく色気が日に日に増すのを見つけるたび、アーネストは早くフィーカを手に入れなければと強く思う。

 もちろん家同士の結婚だ、婚約をしているからといってすぐになど結婚できるわけもない。

 形式を重んじ、義務を全うし、そして婚約者であるフィーカと嘘に塗れた逢瀬を重ねることでアーネストはフィーカの家に安心と信頼を与えた。

 そうして手に入れたフィーカという存在に、アーネストは満足する。

 それがたとえ父や兄の思惑の元にあったとしても。

 花嫁姿は義姉には及ばないものの、凛とした美しさで参列者を魅了した。

 ベールを取り除いたときの上目遣いの目に潤んだ欲望は、アーネストの劣情を煽る。

 誓いの口づけが独占欲に塗れるほど深いものだとしても誰が咎めるというのか。

 それどころか深い愛情を確かめ合っていると参列者からは賛同される。

 披露宴ではアーネストよりもフィーカの素晴らしさを讃えられる。

 フィーカの信心深さや慈悲の心にどれほどの人が救われているのかと熱弁したのは二人の誓いを最も間近に確認をした神父であった。

 それまでフィーカの人となりにさして興味などなかったアーネストは驚いたものの、その驚きを一片の表情にも表さず、神父の言葉に礼を言った。

 そして迎えた夜。

 アーネストは劣情のはけ口を初々しい新婦に求める。

 アーネストより与えられた艶が、楚々とした雰囲気を一変させる。

 貪った唇はぷっくりと膨れてアーネストを誘い、アーネストの指先一つで熱を帯び高揚する躰は強い匂いを放つ。


 ああ、義姉上……。


 アーネストは初めて幸福を味わった。



 アーネストとフィーカは仲睦まじい夫婦として社交界に認識されている。

 アーネストは仕事柄、ほとんど家にいることはないものの、家にいるときは必ずフィーカを傍に控えさせる。

 フィーカはそんなアーネストをいつまでたっても熱を帯びた瞳で見つめている。

 パーティに夫婦揃って現れれば、アーネストのごつごつとした手はフィーカの細い腰に添えられ、所有権を主張する。

 誰かを家に招くときもそれは変わらず、いや、それ以上に至る所で主張する。

 それはソファに座っているときに肩に置かれた手であったり、立ち上がればすぐに寄り添って歩く姿であったり。ちょっとしたことでお互い見つめ合う姿は仲睦まじいという言葉だけでは言い表すことができない。

 家に招かれたものは二人の所業に呆れて、皆口を揃えて「ごちそうさま」と言ったものだ。

 だが、それは見かけだけだとアーネストは嗤う。

 アーネストの愛する女は今も昔も義姉ただ一人であり、フィーカはその複製品にすぎない。

 満足する夜を得るために、アーネストはフィーカの望むがままの姿でいるだけだ。

 夜の女。

 アーネストが心の中でフィーカを指す時の言葉だった。


 夜の女が夜伽を嫌うのはなぜか。

 アーネストは数度、フィーカから夜伽を断られて苛立っていた。

 夜しか価値のない女のくせに。

 他人に見せることのできない怒りを、アーネストはどこにも向けることができない。

 ただでさえ夜遅くに帰宅していたアーネストであったが、フィーカに断られて以来、日付が変わり屋敷の者のほとんどが寝静まってからしか戻らなくなった。

 寝ている女を襲うほど、飢えているわけではない。

 そう思いながらもすうすうと気持ちよさげな呼吸を繰り返すフィーカの緩んだ口元を見ていると、無性に体を繋げたくなる。

 こいつは、夜の女だ。

 そのためにだけ、一緒に暮らしている。

 アーネストはそうは思うものの、結局は上気した頬に口づけを落としただけで、フィーカを抱きかかえるようにして眠り落ちた。


 翌日のことだ。

 朝食の席でフィーカから喜ばしい報告を受けた。

 ―――――次代のやや子がフィーカに宿った、と。

 そうか、と答えたアーネストは普段通り新聞を広げながら珈琲を執事に頼んだ。

 執事は眉をぴくりとも動かさず、丁寧なお辞儀をしてその場を離れる。

 あとに残されたのは先ほどまでの光輝をなくしたフィーカと、淡々と食事を進めるアーネストだ。

 新聞を読み終わったアーネストが顔を上げると、フィーカの姿が見えない。

 どうしたのだと執事に聞けば、奥様は気分がすぐれないとのことで旦那様にはお声をおかけしたのですが……どうやら記事に夢中になられてたご様子でお気づきにならず、そのままご退出願いましたといつも以上に丁寧な言葉遣いと動作で答えられる。

 どうやら怒っているようだ。

 気分がすぐれないのにわざわざ朝食をとりに来たのかと呆れたアーネストだったが、そういえばやや子ができたとか言っていたなと思い出した。

 別段嬉しくとも何ともない。

 なにせ義姉との子ではないのだから、アーネストにとってはどうでもいい存在にしかならない。

 しいて言えば家督を継ぐに相応しい子であればよい、その程度の感心だった。

 そしてその感心は月日が経とうとも変わらない。

 日に日に大きくなる腹に、人間とはやはり動物なのだなと思うものの、夜を共にできない苛立ちのほうが勝つ。

 腹の子には無関心を貫くアーネストに比例するかのように、だんだんとフィーカの容態が悪くなっていく。

 初めはつわりだけかと思われた体の変調は、六か月を過ぎても改善することなく、それどころか腹の張りが頻繁になり立っているのも苦痛のようだ。

 臨月になるころにはすっかり床がフィーカの居場所となった。

 夜伽など論外だ。

 サイドテーブルには申し訳ない程度に香りの少ない花が活けられている。

 強い香りがフィーカを嘔吐かせるからだ。

 アーネストは対外的な気遣いを見せ、たびたび口がさっぱりするような果物を贈る。

 だがアーネスト自身はフィーカの部屋に入ってくることはない。

 時々にフィーカの従姉であり義姉にもあたる女がフィーカを訪ねてくるが、そのたびフィーカはむせび泣き、体調を悪化させるので、早々に帰らざるをえなくなる。

 女が夫と一緒に現れるアーネストに義妹の容態がおかしいと伝えても、アーネストは妊婦では時折ああいう症状があるようですと取り合わない。

 それどころか義姉上には心配をおかけしておりますと手を取って口づける始末だ。

 女は己の夫に訴える。

 だが夫は女にすら関心がないのに、どうして義妹に関心があるというのだろう。

 それに義妹には仲睦まじいと評判の弟がいる、弟が面倒を見ているのだから心配の必要などないと一蹴した。

 そうね、そうよねと女は己を納得させる。

 なにせ愛する夫がそういっているのだから、夫の言うことに間違いがないのだから、と。

 そうしてとうとうフィーカに陣痛がおとずれた。

 誰にも助けられず、誰の助けも得られず、ただ一人陣痛の痛みに耐えている。

 心配そうに眉を潜めるのは主治医と看護師と、屋敷にいる召使いたちだった。

 知らせはすぐにアーネストの元に届いたものの、大きな商談の最中であったアーネストはフィーカよりも仕事を優先させた。どうせ産まれてくるのだからと。


 フィーカは自分がいったいどれほどの時間いきんでいるのかわからなくなった。

 苦しみは時間の感覚を忘れさせる。

 喉が渇く、それも異常なほど。

 玉のように流れる汗が目に入る。

 遠くからフィーカの名を叫ぶ声が聞こえる。

 はっはっと己の息が耳元で大きく響く。

 どうしようもない痛みがどんと腰を襲い、誰も助けてくれない痛みに悲鳴を上げる。

 何度も何度も繰り返されるありえない痛みに我を忘れて何度も何度も意識を手放す。

 奥様、しっかりしてください、奥様、頭がみえました、あと一息ですと叫ぶ声も遠く、フィーカはその遠い声にしがみつくように最後の力を振り絞っていきむ。

 お……おぎゃあ、おぎゃあ

 微かな泣き声が聞こえると、どっと体を震わせるほどの喜びがフィーカを襲った。

 奥様、奥様、やや子さまです、ご立派なやや子さまです。

 ぺちぺちと頬を(はた)かれ取り戻した意識の先には、産んだばかりの嬰児が開くはずのない瞼を開けてじっとフィーカを見ていた。


 なんて美しい青灰色の、意志の強そうな瞳。

 ……とても、とても、旦那様に似ているわ。

 旦那様は、この子は愛して、くださるわ、よ、……ね…………


 フィーカは涙を流しながら、息絶えた。




 フィーカの死は、アーネストにとって衝撃だった。

 それも強烈過ぎて、執事の言葉をすぐには理解できないほどだった。

 おかしい、あれは、夜の女だ。

 それ以外の何物でもなく、それ以上のなにものでもない、ただの、身代わりの女。

 執事が自分の腕からアーネストの腕にやや子を移す。

 茫然としているアーネストはなすがままにやや子を受け入れる。

 見下ろしたのは、どれくらいの時間がたってからだろうか。

 ふえふえと力なく泣くやや子の声に、アーネストが正気を取り戻したのだ。

 奥様は、この子は愛してくださるわよねと最後におっしゃっていらっしゃいましたと、控えていた執事がいつにないか細い声でアーネストに最後の言葉を伝える。

 この子は? この子は、だと?

 なんてことだ、知っていたのか。

 知っていて、俺を受け入れたのか。

 アーネストの悲痛な叫びに、やや子は力の限り泣き始める。

 それはアーネストとその息子が一生愛すべき女を失った瞬間だった。



 晴れ渡る秋の日。

 愛する妻の亡骸が収められた柩がその大きさに掘られた地面の下へと運ばれる。

 アーネストの後ろには吟味に吟味した乳母が息子を抱いている。

 アーネストの横には兄が、その横には遠い昔愛した女がむせび泣いている。

 だが、アーネストは女を慰めようとは思わない。

 女には夫である兄がいる。

 そんな当たり前のことでどうして今まで苦しんでいたのか全くわからない。

 アーネストは二人から視線を外し、土の上の柩に目を向けた。

 アーネストが愛した女は今、ふかふかのベッドの中で安らかに眠っている。

 つわりで嗅ぐことのできなかった大好きな花々を惜しみなく添え、もう誰も開けることのない扉を閉められて眠っている。

 二人の門出を祝った神父が、今は妻の旅立ちに祈りを捧げる。

 ゆっくりと掛けられていく土の音が、別れの音楽のように柩の中に響けばよい。


 アーネストは、妻を愛していた。

 いったいいつからかはわからないほど、ゆっくりと確実に愛したのだ。

 フィーカはそんな女であった。

 子供の頃の瘡蓋のような恋はフィーカを得たことでゆっくりと剥がれ落ち、目の前に真実の愛が現れたというのに、前が見えなくなっていたアーネストはいつまでも瘡蓋が付いたままだと勘違いをしていたのだ。


 フィーカ。愛しているよ。


 生きている間に言葉にできたかった想いを、アーネストは盛られた土に掲げた花輪に託す。

 どれほど過ちに満ち、どれほど遅くとも、アーネストの心はもう揺るがない。

 罰も甘んじて受けよう、それがどれほど苦痛に満ちているものでも。

 すでにフィーカを失うという罰を受けたアーネストは、命と引き換えにフィーカが残したかけがえのない息子を乳母の手から受け取ると、神父に近づき二人が愛する息子に命名をと願った。

 フィーカのいる場所で、フィーカとアーネストの子に素晴らしい名前を、と。



 ありがとう――――あなた。



 澄んだ空から愛する人の声が聞こえたような気がした。



 

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