二章(2):学食十回分割払い
「…はぁ」
フェンスによりかかって、ため息をつく。
放課後。
屋上。
俺以外、人影は無い。
どうしたら、いいものか。
夕焼け。赤い。もうすぐ、陽が沈むのだろう。
仰向けに寝て、夕焼けを眺めた。授業を抜け出して、こうしてよく、屋上に来る。太陽に照らされた地面は、ほどよく温まって、この時期眠るには、最高の場所だった。
足音。誰か、来たようだ。どうでもいい。今は、一人になりたかった。
足音が、俺の横で、止まる。
そして、足音の主は、俺と同じように、仰向けに寝た。
「いつ来ても、良い場所だな、ここは」
「ああ」
足音が聞こえた時から、誰かわかっていた。ここに来るヤツは、限られている。
「悩んでる、みたいだな」
「ああ」
たまに、風が、吹いた。その時だけは、少し寒くなる。地面はまだ、じんわりと温かい。
「最初から、わかってたんだろ?」
「何を?」
「園村の気持ちも、俺の気持ちも」
「ああ」
「お前には呆れるよ、仁。何でも、わかってるんだからな」
「誉められてるのかな?」
「半分な。もう半分は、怒ってる」
「そうか。謝らないぞ、俺は」
「別に、謝って欲しいわけじゃないさ」
「それも、わかってるよ」
そう言うと、仁が、何か、投げてきた。
受け取る。
缶。コーヒーだった。
プルタブを開けて、飲んだ。
苦味が、口に広がる。
「苦いな」
「そりゃ、ブラックだからな」
「やっぱ、お前はおっさんだな、仁」
「もっと、甘い方が良かったか?」
「いや。今、甘いの飲まされたら、泣いちまいそうだ」
「そんなにか?」
「ああ。そんなに、だ」
どこからか、活気のある掛け声が聞こえてくる。野球部だろうか。新入部員は、まだ球拾いぐらいしか、させてもらえていないだろう。
「お前が、変わった。園村さんを、友達ではなく、女の子として見るようになったからだ」
「こうなったのは、俺の自業自得だって、言いたいみたいだな」
「違う。春樹が変わったことで、色々なものが、変化し始めた。そう、言いたいだけだ」
「なあ、仁。俺は、どうしたらいいんだ?」
「それは、自分で考えるべきなんじゃないか?」
「冷たいな」
「お前だからこそ、適当なアドバイスは、出来そうもない。ましてや、お前と、園村さんのことだ」
「そうか」
「ああ」
「…仁」
「何だ?」
「ありがとな」
「いきなり、どうした?」
「お前が友達で、良かったって思ってる」
「はは、今更だな」
「ああ、今更だ」
いつのまにか、陽が沈んでいた。少しずつ、薄暗くなってきている。
しばらく、無言で、空を見ていた。
「決めた。話してみるよ、園村と。それで、どうしたらいいのか、考えてみる」
「ふ、それがいい。ま、春樹のことだ。そう言うだろうとは、思っていたが」
笑って、仁が立ち上がる。俺も、立ち上がった。
仁。手に、何か持って、立っていた。
「ちょうどここに、最近オープンしたアミューズメントパークのペアチケットがある。春樹にやるから、誰か誘って、行ってこいよ」
仁が、ニヤリとする。
二枚の、チケット。
笑い返しながら、受け取った。
「おいおい。用意が良すぎるんじゃないか、仁?」
「こういう展開は、嫌いか?」
「いや。好みの展開だ」
「だろうな。そう思って、用意してみたんだ」
「お前、あんまり用意が良すぎると、女に嫌われるぞ」
「どうしてだ?」
「そんなの、俺が知るか。おっさんのお前の方が、良く知ってるんじゃないのか?」
「ははは。それは、そうだな」
辺りは、完全に暗くなっていた。校内の明かりが、眩しく光っている。
「学食、三回払いで良いか?」
「おいおい、そのチケット、一体いくらしたと思ってるんだ。十回払いだ」
十回払いとしても、多分、一枚分だろう。チケットには、一日フリーパスと書いてある。
ほんと、コイツには、頭が上がらない。
「ああ、わかった。学食十回分、俺の奢りだ」
「気が向いたら、春樹に奢ってやるよ」
「遠慮しとく。自分にだけは、奢られたくはないからな」
「はは。それも、そうだな」
仁が、歩き出す。
「仁」
呼びかけた。
「…ありがとな」
「頑張れよ、春樹」
振り返らず、手を振って、仁が答えた。
部屋。
真っ暗だった。
ベットの上で、座っていた。
明かり。点けなかった。
部屋に、鏡がある。
鏡に映る自分を、見たくなかった。
見てしまえば、私はきっと、自分を嫌いになってしまう。
多分、そこには、二人の私がいるだろう。
笑顔の自分と、落ち込んでいる自分。
どちらも、今は、見たくなかった。
胸に、手を当てる。
まだ少し、どきどきしていた。
南雲君と、二人三脚。
「あう…」
改めて思い返すと、恥ずかしさで、胸がいっぱいになる。
多分、いや、かなり、あの時の私は、おかしかった。
浮ついていたんだと思う。
南雲君と一緒に、そういうことが出来るのが、嬉しくて。
そして、かなり、恥ずかしくて。
でも、南雲君も、恥ずかしがっていて。
ああ、南雲君も恥ずかしいんだ、と、わかって。
同じなんだなあって、何だか、嬉しくて。
恥ずかしがってる様子の南雲君が、少し、可愛く思えて。
それで多分、浮ついていたんだと、思う。
楽しかった。
いつも、南雲君の傍にいるのは、楽しいけど。
あの時は、二人きりなのを、意識していたから。
余計に、楽しく思えた。
それで、何か、調子に乗っちゃって。
倒れた時。
自分でも、どうして、あんなことをしたのか、わからなかった。
気づくと、眼を、閉じていた。
止められなかったのだと、思う。
キス、されたかった。
「…うぅ」
思い出すと、恥ずかしさがこみ上げてくる。
嫌われただろうか?
いや、嫌われただろう。
授業中だった。
皆、見ていた。
そんな時に、キスをせがんでくる女。
私なら、嫌いになる。
ましてや、彼女でもなんでもないのだ。
そんな女からキスをせがまれて、拒絶するのは、当たり前だ。
私の頭は、どうかしてる。
常識から考えても、キスする理由は、どこにもない。
それでも。
拒絶されて、私は、落ち込んでいた。
その自分勝手さが、腹立たしかった。
キスをせがまれて、南雲君は、困ったはずだ。
彼を、困らせてしまった。
そんな彼に、謝りもしなかった。
ただ、呆然としていた。
キスを拒絶されたことに、ただ、呆然としていた。
私は、どこまでも、自分勝手だ。
あの後、ほとんど、何も話さなかった。
せっかくの、二人きり。
話したいことは、いっぱいあった。
いっぱいあったはずなのに、何も、話せなかった。
南雲君の眼さえ、ろくに見られなかった。
「…はぁ」
唇。指を、当てた。
あの時。吐息を感じるところまで、彼の顔は、近くにあった。
澄んだ、瞳。見ると、吸い込まれそうになる。
そして、彼の、唇。
その光景が、しっかりと、頭の中に焼きついている。
「…あうう」
駄目だ。
何か、これじゃ私、おかしい子だ。
忘れないと。
でも、次には、その光景を思い出している自分を見つけてしまう。
駄目なのだ。
私と南雲君は、友達なのだ。
友達だから、キスも、拒んだ。
友達なのだから、当然だった。
何日か前に、南雲君に、告白した。
ずっと、心に秘めていた想い。
入学した時、私は、南雲君と、同じクラスだった。
南雲君は、一人が好きなようで、友達を作りたがっているようには、見えなかった。
そのうち、同じように、一人でいた沢渡君と、遊ぶようになった。お互い、どこか通じ合うものがあったらしく、すぐに、友達になった。
その後、同じように、クラスで一人でいた美咲を、無理やり誘う形で、三人で遊んでいた。美咲は、すぐに二人と打ち解けた。
その時、私は、別の子達と遊んでいた。すでに、友達がいたからだ。その子達とは、今も、親交がある。
南雲君と知り合ったきっかけは、委員会だった。
秋。半期で、委員は変わった。
秋の、委員会。私は、図書委員に立候補した。何となくだった。簡単そう、と思ったからかもしれない。
その時、男子の図書委員に、南雲君が立候補した。
それまでは、授業中、いつも寝ている不良少年のイメージしかなかった。
何度か、授業を抜け出していた。成績も、赤点ギリギリみたいだった。
図書委員になっても、委員会中は、いつも寝ていて、放課後の図書室の当番でも、いつも寝ていた。
そんな時、文化祭で、図書委員会は、何か出し物を出すことになった。
責任者になったのは、なんと、私だった。
日頃から、真面目に活動しているから、という理由だった。
頼まれると、嫌とは言えない性格で、つい引き受けてしまった。
仕事は、かなりあった。
とても、一人でこなしきれる量ではなかった。
毎日、徹夜で、学校にいた。
南雲君は、そんな私に気づいて、ある時から、ずっと、傍で、仕事を手伝ってくれた。
いつも、不真面目に見える、南雲君。
そんな彼が、ずっと、私を支えてくれた。
意外だった。それよりも、すごく、嬉しかった。
南雲君が手伝ってくれたおかげで、出し物は、無事に成功した。
その時と普段とのギャップが、余りにも激しすぎて。
それで、興味を持った。
よく見てみると、南雲君は、結構、繊細で。
それでいて、かなり熱い性格で。
案外、恥ずかしがり屋で。
見ていて、飽きなかった。
逆に、見れば見るほど、彼に惹かれていった。
始めは、見ているだけだった。
でも、だんだんそれだけじゃ、足りなくなっていて。
話したい、とか、もっと近くで見ていたい、とか。
そんな気持ちが、どんどん、膨れあがっていって。
それで、思わず、美咲に相談して。
美咲を通して、二人と、友達になった。
友達になってからも、美咲に、色々相談した。
彼の、好きなものとか。
好きな女の子はいるのかとか、好きな女の子のタイプは何だろうとか。
そんな質問ばかりしたせいだろうか。南雲君を好きなことを、美咲に、バレてしまった。
美咲から言わせると、普段の行動から何から含めて、バレバレらしい。
美咲が気づいたのだから、沢渡君は、初めから私の気持ちに気づいていたに違いない。そういうことに関しては、かなり鋭い人だった。
何故か、南雲君には、気づかれなかった。
多分、彼は、女の子を異性として見る前に、友達として見てしまうのだ。だから、私の気持ちにも気づかないのだと思った。そんなところも、何だか、可愛かった。
でも、最近、私の気持ちを知ってるんじゃないかと思うことが、何度かあった。
新学期に、なってからだった。
南雲君の視線を、よく感じた。
私が、意識してるだけかもしれないけど。
振り向くと、南雲君と、眼が合った。
嬉しかった。思わず、笑って、手を振ってしまった。
南雲君も、笑って、返してくれた。
ものすごく、幸せだった。
もしかして、私のこと、好きになってくれたのかな、とか。
そんな淡い期待が生まれて、私は、浮ついていた。
そうしたら、どうしようもなく、彼への想いが溢れてきて。
授業中も、放課後も、一緒にいる時も、家にいても。
四六時中、彼のことが、頭を離れなくて。
どうしようもなくなって、ついに。
告白、してしまった。
結果は、玉砕。
嫌われているとは、思えなかった。
好きでいてくれている、とも思った。
いやいや。
それは、さすがに、自意識過剰だ。
振られたその日、ずっと部屋に閉じこもって、落ち込んでいた。
夜中まで泣いていたせいで、次の日、寝坊して、遅刻しそうになった。
それから、どうして振られたのか、ずっと考えた。
思い当たる節は、あった。
彼は、友達を大事にする人なのだ。
多分、それは、恋人より大事なものなのだ。
だから、友達でいようと、言った。
その気持ちは、よくわかった。
ちょうどいい、距離感。
私も、好きだった。
そして、彼が、それを望むなら。
私は、それを叶えようとも、思った。
だから、彼と、約束した。
あの時。私が、告白し、振られた時。
友達でいようと、確かに約束した。
今日、それを私は、破ろうとしてしまった。
明日、ちゃんと謝ろう。
今日のこと。
色々、謝ろう。
眠ろうとした。
あの光景が、脳裏に浮かんでくる。
幸せな、同時に、悲しい想いを抱えたまま、眠りに落ちていった。