序章:帰り道で気づく俺
【登場人物】
南雲春樹(なぐもはるき):桜見高校普通科二年
園村佳奈(そのむらかな):同上。春樹の悪友の一人
沢渡仁(さわたりじん):同上。春樹の悪友の一人
鳥谷美咲(とりたにみさき):同上。春樹の悪友の一人
月が、高かった。
午前四時。
路地に、ほとんど人影は見えない。
「ふう、遊んだな」
「全く。誰が、十時で終わる、ですって? 結局、もう四時じゃない」
「そう怒るなよ。鳥谷だって、ノリノリで歌ってただろ?」
「うっ。そ、それは…。と、とにかく! もうこんなの嫌だからね!」
「じゃ、もう止めるか?」
「うっ…。ふんっ。べ、別に、止めたいなんて、言ってないじゃない」
後ろで聞いていた仁が、声を殺しながら笑う。
「もう、その辺にしておけ、春樹。それ以上やると、俺まで、とばっちりを喰らいそうだ」
「なんですって?」
「まあまあ、美咲。落ち着いて。ね?」
コートを羽織った園村が、鳥谷を止めに入る。慣れたやりとりで、鳥谷を止めるのは、だいたい園村か仁だ。俺は、専ら、からかう方に回る。
娯楽施設の前。ボーリングだのカラオケだのゲーセンだの、その他もろもろが詰まった、複合娯楽施設だ。最近は、ここを利用することが多い。
「佳奈のコート、良いわね。失敗したわ。こんな時間に帰ることになら、着てくれば良かった」
「仕方ないよ。初めは、こんなに遅くなる予定でも無かったし。まあ、私は、うすうす予想してたけど」
「園村は賢いな。四月とは言え、まだまだ寒いもんな」
「春樹。あんた、私が馬鹿だって言いたいの?」
「どうだろうな」
鳥谷が指の関節を鳴らす。
「ふふふ。春樹。あんた、覚悟は出来てるんでしょうね?」
「まあまあ、美咲さん。とりあえず、ここを移動しよう。頭を冷やすのは良いが、身体を冷やすのは、良くないぞ」
仁が駐輪場に止めておいた自転車を引きながら、歩き出す。俺と鳥谷は、お互いを警戒しながら、仁の後についていく。園村は、そんな俺達をにこやかに見ながら、ついてくる。
四月上旬。まだ、春休みだ。だがもうすぐ、高校が始まる。
二年目だった。去年は、何もわからない一年生。俺の通っている高校は私立で、付属の中学なども無い。つまり、入学直後は、周り全員が、ほとんど知らないヤツだった。
「四月だって言うのに、寒いな。一応、マフラーは身につけてきたんだが」
「俺だって寒い。それに、俺は、マフラーすらしてないんだぜ? 仁、俺に、その首に巻いてる物を貸せよ」
「なら、一緒に使うか?」
「…いや、激しく、遠慮しとく」
初めて俺に声を掛けてきたのが、仁だった。
同じクラスで、馬が合ったのか、すぐ仲良くなった。仁は落ち着いていて、人に合わせるのがうまい。どちらかといえば、俺とは正反対のタイプの人間だった。
それから、鳥谷と仲良くなった。
知り合いになる前の鳥谷は、クラスで少し浮いた存在だった。
とにかく、勉強、運動、その他何でもかんでも出来た。それも、人並み以上と言うか、トップと言うか。
それが、近づきがたい存在に思われたらしい。からかってみると、案外楽しいヤツで、すぐに仲良くなった。
それが、夏頃。それからは、クラスで浮いた感じも薄くなった。
そして、園村と仲良くなった。同じクラスだったが、他に友達もいた。だが何故か、俺達とも遊ぶようになった。
文化祭が終わった頃辺りからだっただろうか。それからは、普段でも、俺達と一緒に行動することが多くなった。
「もうすぐ、桜が咲くって、ニュースで言ってたよ。でも、まだまだ寒いよね」
「確か、桜は、寒くないと咲かないんじゃなかったか?」
「え、そうなんだ?」
「あ、その話、私も聞いたことある。冬、寒くならないと、春に咲かないのよね」
「そ。だから、寒さも大事ってことだな」
「私は、部屋でゆっくり、温まりたいけどね」
「怠け者の美咲らしい意見だな」
「やっぱあんた、どうしても、私に殴られたいみたいね」
「はは。俺は、そんなドМじゃないぞ」
「まあまあ、二人とも……」
「それにしても、ずいぶん遊んだな。もし今日、授業があったら、かなり辛いことになってただろう」
「俺は、ほとんど寝てるけどな」
真面目な仁のことだ。授業中は、ちゃんと起きているのだろう。だから当然、俺よりも成績は良い。俺は、寝るのを日課としている。
「全く。去年一年、授業中、あんたが私の目の前でぐうぐう寝るから、変に緊張してなくちゃいけなかったじゃない」
「仕方ないだろ。人間の生体反応なんだから」
「ふふ。でも南雲君は、ほとんどの授業で寝てるよね。寝てないのは、菅野先生の世界史ぐらいだったかな」
「ああ。菅野の授業は、寝てると、後で呼ばれて説教だからな。去年三回やって、懲りた」
「三回もやるだけ、南雲君らしいよ」
「ふ。もっと、俺を褒めればいいぞ」
「勘違いするんじゃないわよ。佳奈は、あんたを馬鹿にしてるのよ」
「何っ!?」
「ええと、そんなつもりじゃ無かったんだけど::。ふふ。ま、いいか」
四人とも、家は高校から近い。駅を使う必要も無いため、終電を気にせず遊べる。通ってる生徒の大部分は、電車を利用していた。俺達のように家が近い場合、皆、自転車で通う。
少し、寒かった。園村の言ったように、春でも、まだ肌寒い。自転車のハンドルを握る手が、少し赤くなっている。
「タクシーでも、使おうかしら」
「おいおい。自転車はどうするんだよ?」
「冗談よ。さすがに、自転車は運べないでしょ。あんまり見かけるから、言ってみただけよ」
路上の両端、タクシーが止まっていた。もう、夜も遅い。終電に乗り損ねた酔っぱらいサラリーマン達でも待っているのだろう。
「でも、その気持ちもわかるな。遊びすぎて、少し疲れた」
「何か、おっさんみたいなこと言うわね、仁」
「今頃気づいたのか、美咲? 仁は、元々おっさんだ」
「やれやれ。春樹と美咲さんに組まれたら、俺には立つ瀬が無いな」
「ふふ、珍しいもんね」
仁は、仕方ない、という素振りをする。園村が、少し笑っていた。
不意に、後ろから、自転車のベルが鳴る。ライトが一つ、暗闇に浮かんでいた。
「?」
気になって、振り向く。仁が、苦笑した。
「あ、マズイな」
「? 何がだ?」
何がマズイのか、わからない。鳥谷も園村も、不思議そうな表情を浮かべている。
チリンチリンと、また、ベルの音が鳴った。光るライトの自転車が鳴らしているのだけは、わかった。
「あれは、国家権力だ」
自転車のサドルに腰を落としながら、仁が言う。
「ええと。だから、何よ?」
美咲が、恐る恐る聞く。
「平たく言えば、おまわりさん、だな」
「そこの四人、待ちなさい!!」
何やら、後ろから、怒鳴り声が響いてくる。
ベルを鳴らしながら、自転車に乗った、青い制服姿の、公務員。その姿が、次第に、闇に浮かび上がってきた。
「…げ」
「…うっわ」
「高校生だと、この時間は、マズイ、よね?」
「ああ。高校生と言っても、補導の対象になるだろうね。多分、学校や親に連絡されるか、朝までお説教、というところかな」
「…俺は、パス」
「…私も、遠慮しとくわ」
「…出来たら、私も」
そう言って、俺達は、それぞれの自転車のサドルに跨る。
結構、長い付き合いになるのだ。だいたい皆、何をするか、言わなくてもわかっている。
「さて、今日はそろそろ、お開きだな。春樹、時間も時間だ。園村さんを、家まで送ってけよ。俺は、美咲さんを送っていくから」
「え、でも…」
園村が、困ったような顔を浮かべる。
そんな顔されると、何か少し、傷つくな。
困惑する園村に、仁は諭すように言う。
「残念ながら、迷ってる時間は無いんだ、園村さん。二手に分かれて、あの警官を撒こう。補導されるのは、御免だろ?」
「あ、うん。わかった」
「ま、送るのが春樹なのは、申し訳ないが」
そう言って、仁が少し笑った。
「おい、仁。それ、どういう意味だ?」
「はは。ま、言ったまでの意味さ。それより、ちゃんと園村さんを送っていけよ。園村さん、それで、良いかな?」
「あ、えっと、うん。じゃあ、迷惑じゃなかったら、南雲君、頼めるかな…?」
「ああ、いいぜ。んじゃ、捕まる前に、帰るとするか」
「うん、よろしくね」
鳥谷が、むすっとした顔で言う。
「ちょっと、待ちなさいよ。私については、何も無いんだけど?」
「時間が無いから、早く行こうか、美咲さん」
「あ、今、無視したわね。子供扱いするフリして、あんた、さりげなく私を無視したわね」
「何のことかな? さ、行くよ、美咲さん。春樹達も、おまわりに捕まらないことを祈る。それじゃあな」
「おう。そっちも、頑張れよ」
「そこの四人、止まれ!」
一度、振り返る。
警官の顔。ぼんやり見える位置まで、迫ってきていた。
「よっと」
漕ぎ出す。四人で、夜道をしばらく走った。T字路で、仁は右に、俺は左に、曲がった。
漕ぎながら、後ろの園村を見る。
「キツくないか、園村?」
「ううん。私は、大丈夫」
「そっか。じゃ、もう少し、引き離そう」
さて。
俺達と、仁達。
どちらを、追ってくる?
「そこの自転車、待てぇい!!」
敵影。
「…げ」
「…あ、あはは。こっち、来ちゃったね::」
「…最悪だな」
とは言え、この辺は、いつも遊びの帰りに走っている。
下手な警官より、よっぽど土地感はあるはずだ。
「確か、ここを左に曲がれば、曲がり角の多い道だな」
走っているうちに、撒けるかもしれない。
左に、曲がった。曲がり角を、右に左に、曲がりながら走っていく。
後ろ。振り返る。ライトは、追ってきていた。
「ちっ。なら…」
近くの住宅街に誘い込んだ。ここなら、小道も多く、迷いやすい。
「よし。ここを、右だ」
右に、ハンドルを切った。
「!?」
目の前。小道の真ん中。でかいワゴンが、道を塞いでいた。
「これじゃ、通れないね…」
「くそ…」
「待てえぇぇぇ!!」
声が、近づいてくる。
マズイ。
前は、行き止まり。
後ろは、警官。
どうする?
「南雲君、こっち」
「え?」
服の袖を、園村が引っ張る。
「ここって…」
入ったのは、他人の家の庭。
昔ながらの佇まいで、庭の入り口に門のようなものはなく、当然、鍵も無い。夜遅くで、寝ているのか、家の明かりは無かった。
「ここなら多分、やり過ごせるよね?」
「あ、ああ。そっか、その手があったな」
音を立てて、家の人や警官に気づかれないよう、静かに塀に自転車を止め、道から見えないようにした。
「よし。自転車は、これでオッケーだ。俺達は、どうする?」
「外から見えない壁の傍で、隠れていた方が良いんじゃないかな? そこなら、すぐに自転車に乗って逃げられるし」
「よし。じゃ、そうしよう」
塀に張り付いて、息を殺す。
曲がり角を右に曲がったのは、見られているだろう。曲がった先に、姿が無い。
後は、近くの家の庭まで、確認するかどうか。
それで、捕まるかどうかだ。
「待てぇぇ!!」
「……」
「……」
息を殺して、警官が来るのを待つ。心臓が、口から飛び出してきそうだ。
隣。
塀のそばで、じっとしている園村を見た。不安そうな顔をしている。
「…な、何か、緊張するな」
「…う、うん。私も」
ベルの音が、真夜中の住宅街に響く。派手な音だ。寝ている住人が起こされて、俺たちが見つかる可能性もあるので、止めて欲しい。
小声で、隣の園村に、話しかけた。
「すまん」
「え? どうして、南雲君が謝るの?」
「いや。帰り、俺のせいで、遅くなっただろ? だから、警官に追い回されてるわけだし。だから、すまん」
俺が、もう少し、遊ぼうと言った。まだ少し、遊び足りないと思った。
何より、この四人で遊ぶことが、楽しかった。だから、楽しい時間を、終わらせたくなかった。
「そんなことないよ。皆、もっと一緒に遊びたかったし。もちろん、私も。だから、南雲君が謝る必要なんて、無いよ」
そう言って、園村がじっと、俺を見た。
真剣な眼だった。嘘など、全く無いような。
吸い込まれそうな、瞳。
少し、見詰め合った格好になる。
「…っ!」
同時に、眼を逸らした。
何だか、さっきとは違う緊張感が、あった。
「…ん、ありがと、な」
眼を逸らしたまま、言う。
「…い、いえ。どう、いたしまして::」
ちらと、園村を見る。眼を、逸らしていた。
その眼が、俺の眼と合う。
「…っ!」
また、同時に、眼を逸らした。
俺達のすぐ傍で、自転車のベルが鳴る。
「ここを曲がったな…。ん、ワゴンか。ふん。こんなもので、国家権力の行手を阻もうとは。いい度胸だ。必ず、必ず捕まえてやるっ! うおおおおっ!!」
塀の外から、何かが擦れ合う音が、聞こえてきた。
「……」
「……」
馬鹿か。
馬鹿なのか。
国家権力とは、そんなにも馬鹿だったのか。
「うおおおおっ!! ふ、ふははは! どうだ、何人たりとも、国家権力を阻むことは、不可能なのだああああっ!!」
ぜひぜひ、その国家権力とやらに、傷ついた車の修理代の請求がいってくれればいい、と思った。
「む、いない。先にいかれたか。逃がさんぞ! 待てぇぇぇ!!」
「……」
「……」
ベルの音が、遠くなっていく。
どうやら、無事に撒くことが出来たようだ。
「…ぶっ」
「…ふふふ」
堪えきれない。
「ふはははは」
「ふふふ」
笑った。堪えきれず、笑った。
「ぶっ。普通、あそこで、ああいうことするか?」
「ふふふ。ううん、多分、しない」
「ふはは。そ、そうだよな」
「ふふ。な、何か、間違ってるよね」
「あはは、国家権力なのに、な」
「ふふふ。国家権力なのに、ね」
大声で、笑った。笑い声は、しばらく止まなかった。
ふっと、家の明かりがつく。
「あっ、やばい。家のヤツに気づかれた。もう行こうぜ、園村」
「あ、うん。で、でも、待って。ま、まだ、笑いが。ふふふ」
「俺だって、正直、まだ止まんない。ははは、と、とにかく、行こう」
「う、うん」
塀の立てかけておいた自転車に乗り、小道に出た。
もう、警官の姿は無い。
自転車。漕ぎ出していく。
誰もいない夜道を、園村と並んで、笑いながら、走っていく。
吹き抜ける風が、冷たい。熱い頭には、それが、心地良かった。
横で走っている園村を見た。
笑っていた。その笑顔が、眩しかった。
園村の顔を見ながら、何か充実した、けれど、どこか満たされない想いが、胸をよぎった。
「……」
「ふふふ。ん? どうかした、南雲君?」
「あ、いや、何でもない」
「そう?」
「ああ、気にしないでくれ。ほんと、何でもないんだ」
気づいた。
はっきりと、気づいてしまった。
俺の中にある、想い。
多分、この想いに付ける名を、俺は知っている。
それでも、この想いは、伝えない方が良い。
友達だった。四人の、今の関係。
それを壊してまで、伝えるべきではない。
温かい、陽だまりのような繋がり。
今、この胸にある想いを伝えてしまえば、その繋がりは、変わるだろう。
伝えても、繋がったままかもしれない。
壊れないかもしれない。
だが、伝えた前と後では、やはりどこか、変わってしまうだろう。
それが、怖かった。
壊したくないとも、思った。
やはり、伝えない方が良いのだ。
園村を、見た。
また、心に、何かがよぎった。
よく知った、何か。
気づかれないようにしよう。園村に。
俺さえ忘れたフリをしていれば、それでいい。
それで、この関係が壊れることは無いのだ。
車輪の回る音が、地面に響く。
今日は眠れないだろうな、と思った。