光源2
「博士。なんで月は欠けるの?」
「兎が餅つきの杵をミスって振るうんだ。それで月は穴ぼこだらけだし、たまに欠ける」
「――は?」
トトはひどく相手を馬鹿にした表情を浮かべ、それにショックを受けた博士の眼鏡が心なしか曇る。
「じょ、冗談だよ」
「頼みますよ、博士」
町の図書館。
眼鏡やら博士やらとニックネームでばかり呼ばれる少年は、こほんと咳払いを一つ、自身の知識を総動員して説明を始めた。
「まず、月が光っているのは、太陽の光が当たっているからなんだ。自分で光っているわけじゃない」
博士は、ロロの姉であるトトに向かって、携帯電話を掲げてみせる。
「このライトが太陽。ぼくの顔が月ね」
博士が操作をすると、携帯電話が光を放ち、彼の顔を照らしあげた。
「こんな感じ」
「でも、夜は太陽なんて、ないじゃない。地面の向こうに沈むもの」
「ところが、夜でも太陽は見えないところにちゃんといるんだよ。こんな風に」
博士は携帯電話を机の下に隠す。下から照らすライトは、博士の顔の下半分を浮かび上がらせた。
「博士、顔が気持ち悪いわ」
「そうだろうね! でも、これでわかるだろ。ぼくの顔の光っている部分は半分だけ。暗いところは夜空にとけて見えないから、欠けているように見える」
「あ――、半月だ!」
「そうだね」
「やるわね、博士」
「あ、ありがとう……」
いい女風に微笑んでみせるトトに、博士は心なしか眼鏡を曇らせて苦笑した。
「月は太陽がいないと輝けないんだ。自分では光れないからね」
「そうかしら」
「え。そうでしょ」
虚を衝かれた博士は呆け顔だ。一方、トトは難しい顔で頭を抱えている。
「月が自前で光ってたら、本物の博士たちが腰を抜かすよ?」
「そうね。いつか、ありったけの電球を使って、わたしが月を光らせる。みんな腰を抜かすといい」
「でも、それは月が自分で光ってるって言えるかな?」
「いいじゃない。誰かに手伝ってもらったって。――それで光るなら、自分で光ってるで、いいじゃない」
博士の眼鏡が心なしか光る。携帯電話のライトはすでに消されていた。
「トトはすごいな。すごい馬鹿だね。偉大な馬鹿だ」
「なんだと! 悪口だよね、それ! ひどいな! 博士は友達いないタイプね」
「い、いるよ! 少ないけどね……」
「まあ、そうね。わたしとロロがいるもんね。あとベニーも」
「トトは?」
「なによ」
「友達いるの?」
図書館で高校生に話しかけ、そのまま居座る小学生。もしかしたら、と少し心配になる博士。
「いるに決まってるでしょ。いっぱい、いる」
「それはよかった」
「わたしより博士のほうが心配。小学生に構ってもらってるなんて、かわいそう……。ベニー、呼んであげようか?」
「いえ、大丈夫です……」
◆
「なに泣きそうな顔で葉っぱもいでるの」
図書館から帰宅したトトが見たのは、半泣きでミズの葉を取り除いているロロだった。
「おもいのほか、大変なんだ。ぼくは、みあやまった」
溜息をついたトトは、そのまま玄関口まで進み、家の中へ大声を投げ入れる。
「お母さーん! ロロが泣いてるから、わたしも手伝うー!」
「待ってよ、トト。これはぼくの仕事だから」
なんで泣いてるの、と仰天した母親の声も聞こえ、ロロは大慌てで立ち上がった。
「自分のことは、自分でやらないとダメなんだ。ぼくがやるって言ったんだ。セキニンがあるんだ」
「なに言ってるの。わたしだってミズ食べるし。それに、手伝ってもらうことは変じゃないんだよ」
「しかし――」
「しかし、じゃないの。太陽だって、夜は光が届かないから、月に手伝ってもらってフインキのある光で照らすんだわ。カンセツショウメイよ」
「なんの話――」
「太陽だって、月がないと困るって話よ。モチツキイモタレってやつよ」
ロロは目を白黒とさせ、トトの言い分を飲み込もうとする。
「トト。持ちつ持たれつ、じゃないのかな。あと、フンイキね」
辛うじて、それだけの反撃を試みたロロ。
「細かいな。とにかくやるよ。残ったらお父さんに押し付ければいいわ」
「ひどいよ! 父さん疲れて帰ってくるのに……」
「いいじゃない。ロロが泣いてたらお父さんも光れないもの。わたしが手伝うから光りなさいよ」
「お……。う、うん」
こくり、と頷いたロロ。にっこりと微笑んだトト。
そして、二人は猛烈な勢いでミズの葉を千切り始めた。トトがその雑な仕事ぶりをロロに叱られるに至るまで、作業の勢いが衰えることはなかった。
「よーし、あとは父さんに任せとけ」
夜になり、背広姿のままミズの葉を千切る父親の姿は、ロロとトトには光っているように見えた。
「スーツ脱いでからにしてね。汚れたらクリーニングに出すのは誰かなー?」
「申し訳ありません……」
母親に怒られ、すごすごと着替えに向かう父親を見て、ロロとトトは顔を見合わせて笑う。
「父さん、しょんぼりしてる」
「光ってないわ」
「なにそれ。お父さんはいつも光ってるでしょ。そんなことより、ちょっと台所手伝って」
はーい、と手を引かれてキッチンへ向かうロロとトト。
トトがミズを洗い、母親がそれを軽く湯がく、ロロは醤油と生姜の調合に真剣だ。ミズの赤いコブは、湯がくと緑色に変わる。それが不思議でたまらないのか、ロロとトトは楽しそうに目を輝かせていた。
「お父さん、わたしが作ったミズ食べてみて!」
「ぼくだって作ったよ!」
「お。やった。ビールも欲しいなー」
ロロとトトの光が反射したかのように、父親の目じりは下がる。そして、それは母親にも伝播し、母親からロロへ、ロロからトトへ、トトから父親へ。繰り返される光の反射。やがて、光は光源を曖昧にして、部屋中に満ちていったのだった。