西瓜カタルシス3
それから、騒ぎを聞きつけたロロとトトの母に、四人は掃除を命じられる。おやつにどうぞと出されたカットスイカには、ほとんど手が付けられていなかった。
「ロロのせいで、しばらくスイカが食べられなくなりそうだ」
「ぼくは、少ししか悪くないよ」
ちゃんと少しは認めるのかよ、と越後屋が小さく笑った。胡坐をかいて、縁側にどっかと座る彼女は、博士よりよほど男らしさを醸し出している。胡坐に抱きかかえられるようにして、トトがすやすやと寝息を立てていた。
「なあ、みんなして途中で投げ出さないでくれよ」
長めのエプロンを身に付け、箒で種を掃除している博士。
「お前、すげーエプロン似合うのな」
「うん。博士のほうがお母さんに見えるよ。ベニーはお父さん」
「はぁ!?」
邪気のないロロの発言に、越後屋はうろたえ、カットスイカの入った皿を引っくり返してしまう。
「ドジか」
「うるせーぞ!」
「感情じゃなくて、服の浄化をしなくちゃ……」
と、薄紅色のシミがついたシャツを見つめ、ロロは溜息をついた。
そして、突如、満足げな顔で寝息を立てているトトを見て、ロロは言いようのない感情にとらわれる。
それは、羨望だった。
種を飛ばす遊びだとばかり思っていたロロだが、トトはその予想と型を破り、自分ではまだ届かないところへ行ってしまった。そのことへの羨望と寂寥だ。似たような感覚は何度も覚えたが、今回は少し違った。冬に見た野良犬の死が、ロロの感覚を鮮明にしたのだ。
トトに遠く置いていかれたような気持ちが尖り、ロロの鼻の中を突き刺した。
再度、ロロは種が残っているボウルに手を突っ込み、ばら撒いてみる。しかし、それはトトの残した軌跡をなぞっているにすぎなく、追いつくことは決してできない。
「ど、どうした!?」
「ロロ!?」
越後屋と博士がうろたえる。目を覚ましたトトのきょとんとした瞳の中で、ロロはぼろぼろと涙をこぼした。
「なに、どうしたの? 意味がわからん」
トトがそう言ったように、ロロの涙の理由は、本人を含め、この場の誰も正しく説明することができないでいた。
いつか、トトは自分の近くからいなくなってしまうんだと、ロロは悟った。冬の日に見た野良犬の死は、“本当の死”ではなかったのかも知れない。“本当の別れ”ではなかったのかも知れない。ロロはそう思った。
本当の死や本当の別れは、とても複雑に出来ている。そのくせ、いとも簡単に実行される。時間と労力をかけて、精一杯で組み上げた積み木が、瞬時に全壊するのだ。大きな力でなくていい、ほんの小さな力で、複雑な本当の別れは実行される。
両親がいて、トトがいて、博士と越後屋がいて、そしてロロがいる。この景色は、今もなお複雑に組み上げられている“本当の別れ”なのだ。
そして、本当の別れは、逃れられるものではない。必ず実行されるのだ。決してゼロにならない距離を縮め、決して混ざらないものを混ぜ、複雑に組み上げられた別れのプログラムだ。
ロロは感覚を以ってして、そう確信し、いよいよ涙が止まらなくなった。
「ごめん! ごめんな、ロロ」
越後屋は、自分がスイカを引っくり返したのが原因だと思い、ロロを抱きかかえて謝り続けていた。そこに、博士がそっと近づく。彼の脚には、心配そうな顔のトトがしがみ付いていた。
「越後屋のせいじゃないよ。ロロ、話してみて。テキトーでいいんだ。なにが悲しい?」
嗚咽を漏らしながら、ロロは何度も頷く。
「トトは……ぼくじゃなくて、博士も、ベニーも、みんな、ぼくじゃなくて……。なんで、ぼくはぼくだけなの……?」
それを聞いた博士は、言葉を失った。自分には何もできないと悟ったような顔だ。
「ぼくは、ぼくだけだから、みんな、どんどん離れて遠くに行くんだ。絶対に……、くっつかない。いまは、えいえんには続かない」
ロロにつられて泣いてしまっている越後屋。彼女はいっそう強くロロを抱きしめる。
「ほら、みろって、くっついてるだろうが。なんだよ、泣くなよ……」
当たり前で、些細なことで、ともすれば、どうでもいい出来事。でも、ロロにとって、確かに痕の残る、引っかき傷のような出来事。
「あららー、どうしたの? スイカ一つで大騒ぎしちゃって。足りなかった?」
ロロたちの母が買い物から戻り、その暢気な声色で以ってして、いつもの雰囲気に引き戻された。
「ロロくんが、持ち前の繊細さを発揮しまして……」
博士の言葉に、母は少しだけ心配そうに苦笑した。
永遠に繰り返し続くかと思えた夏の日も、新学期が近づくと共に、とうとう終わりが見えてきた、そんなある日の出来事。