02 駅のとなりで――生と死の狭間
昔、東京に住んでいた時の事。
当時の住処は駅の近くだった。
近くどころか--駅のホームと壁ひとつ。
ホームから見れば、線路の向こうの広告などがある壁の向こう。
だから震えるのだ。
特急や準急がその駅を通過すれば、大きな音と共に家が
地震のごとく震えるのだった。体感的には震度2程度か。
さらには聞こえるのだ。
「特急が通過します。白線の後ろまでお下がりください~」
駅員さんの声が。
「なんだコノヤロー!」
乗客が争う声が。
「ピカピカ~あきれ~ほど~うっ」
酔って上機嫌の鼻歌が。
その夜。
マンガを寝転がりながら読んでいた僕は、平和で和やかな雰囲気の
中にいた。
今は覚えていないが、きっと、少しはいいことがあったのだと思う。
「お~お~お~お~お~お~お~スナ!」
鼻歌まで歌っていた。
しかし、一瞬だった。
「あーーーーーーーーっ」
男か女かわからない、一瞬の叫び声。
そして。
「キキキキーーーーーーーーーーーッ」
悲鳴だ。それは特急電車の悲鳴だった。
普段は轟音と振動ともに走り抜ける特急電車が、カナキリ声を発しながら、
急停車している音だ。
僕は音の方向に--窓の方に顔を向けたまま、身動き一つできなくなった。
いつのまにか、平和で和やかな雰囲気だった部屋の空気が、
冷たい氷のような海の底に変わっていたのだ。
圧倒的な水圧に押しつぶされそうな空気。
僕の部屋からは駅のホームは見えない。
音が聞こえるだけだ。
「…ただいま当駅において事故が発生いたしました。現在、状況を確認しております。
しばらくおまちください…」
駅員さんの声が震えていた。
事故だ。
そして、おそらくは、人が電車にひかれたのだ。
電車にぶつかったのか、ホームに落ちたのか、それとも--飛び込みなのか。
人が--人の一生が壁の向こうで終わったのかもしれないのだ。
身動きできない僕の脳裏をある思いがはしる。
「ここで、マンガなんか読んで、鼻歌をうたっていた僕が、今の状況を聞いていて
いいのか。ゆるされることなのか。誰かが死んだかもしれないのに--」
それは罪悪感によるものだったのか、それとも突然の事にショックを受けていたため
なのか--僕の体は冷や汗まみれで、身動きひとつできない状態だった。
ざわめく人の声、駅員さんの放送、やがて聞こえてきた救急車のサイレンと
パトカーのサイレン。
どのくらいの時間がたったのか--いつのまにか寝ていた僕は、壁越しの
駅で発生した事故が、どのような結末を迎えたのかわからない。
だが、わかる。
今は特急の電車が駅を通過する轟音と振動が蘇っているという事。
駅のホームから聞こえる音は、日常の音だった。
非日常なんて、いつだって、どこだって、そこのちょっと影にひそんでいて、
いつでも、どこでも、簡単に、日常とひっくり返るのだ。
あの日、それを実感したのだった。