情報屋エド
エドの指示通り、臨海に建つビルの一つへ入った。
見た目から判断するに、総合レジャー施設を目指したのかもしれないが、今の東京でレジャーもくそもない。棄てられた廃屋同様に朽ちている。
正面ではなく裏手の従業員用の扉を潜り、廊下を少し行くとエレベーターに突き当たった。
「変ですねー」
テイシンが用心しいしい周囲を見回している。
廊下もエレベーターも、廃棄されて相当年数が経つと思われるさびれ方だが、それがかえって不自然だ。エドが、ただの廃屋に呼ぶはずがない。
と、突然、ポン、と音を立ててエレベーターの扉が開いた。
ユウコとテイシンはまともに驚いたが、心胆の鍛え具合の異なる俺は、平然とした顔をしていた。
――していたはずだ。驚かすなよ、エド。
俺を先頭にエレベーターに乗り込むと、それを待っていたかのように扉が閉まる。ややあって明かりがつき、軽い浮遊感から下降しているのだと知れた。
「大丈夫なの?」
ユウコが不安そうにテイシンの腕を掴んだ。
変だな。こういう時は、男の腕に捕まるもんじゃないか、普通? 俺って、信用ないのか。
たしかに、他人任せにエレベーターで移動する、というのは落ち着かない。これでは、万が一の逃走経路がないにひとしいからだ。それでもここにいるのは、単純に、エドを信頼してのことである。
・・・・・・信頼だって? この俺が?
急に不安になった。
いつもの自分らしくない。人間は追い詰められた時に本性をあらわすものだが、まさか、簡単に他人を信用してしまう軟弱さが、俺の本性だとでも?
いかん、気を引き締めていこう。
エレベーターが止まり、扉が開く瞬間、手は銃へ伸び、体は壁にへばりついていた。
「そんなに用心しなくてもいいわよ、ナガレちゃん」
初老の女が、俺たちを出迎えた。
地下は、地上とは異なり新品同様の施設だった。ま、予想はしていたが。
ありていに言うなら、病院のフロアに似ているだろうか。
エレベーター前には、広いとは言えないがロビーがあり、廊下が何本か伸びていて、豪華な病室という感じにソファからベッドまで完備のワンルームのドアが並んでいた。形状だけでなく、雰囲気もどこか、病院を思わせる。
一通りの観察をしながら歩く俺は、先導役の初老のエドへ訊ねた。
「もしかして、お前が、エドの本体か?」
「あら、失礼な言い方ね。本体、だなんて」
初老のエドは上品に笑う。
「もっとも、ここが本拠地だというのは、当たりね」
日本で屈指の情報屋エド本体の、誰も知らない居場所。
「・・・・・・いいのか? 俺たちに教えても」
「ナガレちゃんは信用できるし、テイシンちゃんはセンセイのお弟子さんだし、ユウコちゃんは・・・・・・ね?」
ああ、そうだった。
エドに頼んでいたものを思い出して、俺は納得した。
エドの活動は、一部を除き、今のところ日本に限られているのだった。
「ところで、なにか新しくわかったことは、ないか?」
「テイシンちゃんとユウコちゃんを襲ったのは、ただのザコハンター。情報を売ったのは、どうやらあの言霊使いみたい」
「どういうつもりだ?」
「さあ? 車のナンバーを知りながら、他人に教えて手柄を譲る、ということではないかしら」
秋彦という男の不可思議な笑みを思い浮かべて、これも礼の一種なのかと吐き捨てたくなった。
「高見清介の動きは?」
「完全に部下任せ。彼に雇われた言霊使いは、裏にもぐったまま、行方知れず」
「エドでも掴めず、か」
「相手は可能性事象のプロ、見つかる可能性のある行動は事前に察知して回避できるの」
なんてうらやましい能力だ。言霊ってのは、今からでも習得できるのかね。
「師匠は?」
「あれは捕捉不可能よ」
「Dリストも相変わらずか」
「ええ」
天を仰ぎたい気分だ。
やっぱり、公園で秋彦を撃つべきだった。そうすれば、脅威の半分以上が消え去ったのに。
「こっちよ」
初老のエドに導かれるまま、俺たちは階段を降りた。
突き当たりのドアの前で、エドは俺たちを見回した。
「ここから先は、ナガレちゃんだけよ」
いつもなら抗議の声をあげるはずのユウコが、気圧されて青ざめている。エドの真剣な眼差しを、彼女なりに理解したらしい。
「ト・・・ナガレ」
テイシンは、心配そうに俺を見ていた。
お前に心配されるようになったら、殺し屋として俺はおしまいだ。
「向こうになにがある?」
俺の質問に、エドは短く答えた。
「情報屋エドの正体」
ふむ。
ドアの向こうは真っ暗で、背後で脱出口の閉まる音に身を緊張させながら、闇を見透かそうと目を細めた。
パチン、という音は、明かりをつける音としては、実にまっとうで、まとも過ぎることが俺の神経を逆撫でる。
電灯が何度かまたたいて灯り、真っ白な部屋の中央にしつらえた代物を浮かび上がらせた。
一抱えほどの透明なシリンダーが床から天井までを貫き、中にはなにかしらの液体が詰まっている。そして。
浮かんでいるものが、人の脳とせき髄だということに気付くまで、数秒かかった。
「な・・・・・・」
絶句する俺へ、初老のエドは澄ました笑顔で言った。
「彼女があたし。エドの本体」
何本ものチューブにつながった脳細胞のわきを、気泡が通り過ぎていった。